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12 水浴び

 湖に到着したリーシャは、嬉しげな様子で辺りを見回した。

 透明度の高い湖はいかにも清浄で、ときおり対岸の近くでウンディーネが遊んでいる姿が見られる。


「なあヴェイセル。これは飲めるのか?」

「ええ。飲用にもできますし、王都で飲んでいたものとほとんど変わりませんよ。ほら」


 ヴェイセルは先ほどもらった結果が書かれた紙をリーシャに見せる。すると彼女の眉間に皺が寄る。


「む……」

「どうかしました? あ、見方がわからなかったですか?」

「馬鹿にするな。この字……あの女だろう?」

「あの女ってどの女ですか」


 ヴェイセルが言うと、リーシャは頬を膨らませる。


「お前が足繁く通っていたところの女だ」

「ええと、身に覚えがあるのは一人しかいませんが……これはリーシャ様の字じゃないですよ?」

「な、なななななにを言うんだ!? もう、ばかー。ヴェイセルのばかー。うふふ」


 顔を赤くしながら、尻尾はぱたぱた振られている。にやにやが止まらない、とでもいうような表情なのだが、ヴェイセルは、


(よくわからないことは触れないでおこう、そうしよう。さっき失敗したばかりじゃないか)


 と口を噤んだきりである。

 浮かれ気味でもう話のことなどどうでもよくなっていたリーシャに代わってミティラは、


「レシアちゃん、今でもあの研究室にいるの?」


 ヴェイセルにそう尋ねた。


「たぶんそうなんじゃないかと思って使いを出したら、そうだった。ものぐさなあいつが、頻繁に引っ越しするとは思えないしなあ」

「王宮に招かれてたんだけどね」

「そうなってたら、俺も『やる気なし』なんて名前を返上できていたかもしれないな。あいつが二代目やる気なしだ」

「もう……ヴィーくんに匹敵するわけないじゃない。レシアちゃん、ちゃんと仕事はやってたんだよ?」

「まるで俺が働いてないみたいな言いぐさじゃないか」

「違うの?」

「その通りだ」


 胸を張るヴェイセルに、呆れるミティラ。

 そうしている間にリーシャの幸せモードも冷めてきて、冷静になっていた。


「なあヴェイセル。水浴びって言うが、魔物とかに襲われたらどうするんだ?」

「魔力に関しては俺が監視してますから大丈夫ですよ。ゴブリンよりずっと弱い魔物しかいないはずです。ウンディーネには襲わないよう話してあります」

「ふむ。やる気なし魔導師にしてはやるじゃないか」

「遠慮なくどうぞ」


 ヴェイセルは魔法道具によりヤタガラスを飛ばし、湖の周囲を警戒させておく。


 それから寝ころがって、空を見上げ始めた。ゆっくり動く雲を見ていると眠くなってくるが、今は大事な任務「リーシャ様の水浴び護衛部隊」を任されているのだ。ヴェイセルの表情は引き締まっている。もっとも、そこらのゴブリンの顔とどちらが抜けているかと言われれば、悩むところだが。


 さて、そうしていると衣擦れの音が聞こえてくる。


 なかなかに悩ましい状況だが、この男、こんな性格でも律儀なもので、嫌がられることはしないことにしている。


「なあヴェイセル。もしかして……あの鳥、こっそり首を向けたら、その……見えるんじゃないか?」

「心配しなくても大丈夫ですよ。そんなヘマしませんから。これでも魔法道具の腕は確かです」

「そうじゃなくてだな……気の迷いというか……誘惑に打ち勝てないとか……な?」

「大丈夫ですって。こんないい天気だからって、仕事中は俺でも寝ませんよ」


 ヴェイセルが言うと、リーシャの返答はそれっきりなくなった。ため息の音が聞こえてきたが彼は、


(そこまで俺は居眠りばっかりしていると思われているとは心外だなあ)


 と呑気に思うのだった。



    ◇



 チャプチャプと水しぶきの音と、二人の話し声が聞こえる中、ヴェイセルは今日も何事もなくてなによりだと、のんびり過ごしていた。


 だが、突如聞こえてきたのは悲鳴。


「きゃあ! な、なんだこれ!」


 リーシャの悲鳴が本気で怯えているようだったので、ヴェイセルは寝ころがっていた姿勢からアクロバティックな動きで臨戦態勢になる。


(どういうことだ? 弱い魔物しかいなかったはずだ。ミティラがついているのに、対応に困ることはありえない。まさか、俺が見逃したというのか……? 原因はなんだ。魔力の変化はなかったはず。だとすれば、魔物以外の物理的な……そう、罠の類。湖を眺めていたが、微細な構造やカモフラージュが用いられていた場合、見落としていた可能性がある。となれば、リーシャ様が危ない!)


 一瞬にして思考を済ませたヴェイセルは、


「リーシャ様! ご無事ですか!」


 迷うことなく湖に飛び込み――そこでリーシャたちの状況を把握した。

 一糸まとわぬ姿のリーシャとミティラの足元から這い上がってくる存在がある。半透明のゲル状のそれはスライムであった。


 ランク1の魔物であり、ゴブリンよりも非常に弱く、いてもいなくてもわからない程度の存在感しかない。


「な! ななななヴェイセル! お前はなにをやってるんだ!」


 慌てて両手で胸を覆い、尻尾で腰回りを隠すリーシャ。

 肌色面積の多さに、ヴェイセルは興奮を隠しきれなかった。


(天国はここにあった!)


「馬鹿、こっちを見るな!」


 感動してすっかり思考がおかしくなったヴェイセルだったが、すぐに我に返り、首だけを真横に向ける。


「リーシャ様、悲鳴が聞こえたので参りましたが、なにがあったのです?」

「そうだ、どうなってるんだヴェイセル。この魔物、くっついてきてぬるぬるする……ひゃんっ! そこはダメ!」


 腰回りをスライムが移動すると、リーシャが声を上げた。幼い腰つきであるが、若干ながらくびれ始めている。


「だ、大丈夫ですリーシャ様! スライムは無害な魔物ですし、老廃物も食べてくれるのでお肌すべすべになりますよ!」

「そんなこと言ってないで、なんとかしてくれ!」

「なんとかしろと言われても……そちらを見ないことには」


 なんとなくで手を伸ばして、うっかりリーシャの尻尾をむぎゅっと掴んだらまた怒られてしまう。


 逡巡するヴェイセルに助け船が出された。


「ねえヴィーくん。私がリーシャ様のスライム、取ってあげようか?」

「おお、ミティラ。助かる!」

「でも、私にもスライムついちゃって。ねえヴィーくん。取ってくれない?」


 すぐ側で吐息を感じたヴェイセルが視線を向けると、そこには肌色があった。


 つややかな肌は水を弾き、日に照らされてその魅力を余すことなく解き放っていた。

 細身ながらも女性らしさのある肢体は惜しげもなく晒されており、片腕で押さえられた胸は、隠されているからこそ余計に官能的に思われる。


「と、取るって……」

「ほらここ。スライムいるでしょ?」


 ミティラが胸のところを強調するように見せてくる。そこにはスライムがいるが、軽く手を払えば落ちてしまいそうだ。


 ヴェイセルはつい手を伸ばしてしまいそうになる。が、直後、ミティラが「きゃっ」となまめかしい声を上げて身をよじると、スライムがぷるんと揺れた。その下の肌色もぷるるんと揺れた。


(お、おおおおおお俺はそう、ただスライムを、スライムを……ゆ、揺れた! いやその、スライムがだな……そう、スライムを取るだけなんだ。決してやましい気持ちがあるわけじゃ……!)


「ねえ、ヴィーくん。まだぁ?」

「い、いいんだな? と、取るぞ。よし……」


 ヴェイセルが手を伸ばしそうになった直後、


「私をそっちのけでなにやってるんだ、ヴェイセルのアホー!」


 飛び込んできたリーシャに押し倒され、水中へと頭から突っ込んでいった。


 そんなに元気なら自分で取ればよかったんじゃないかとか、もうちょっと勇気を出しておけばよかったなあとか、ヴェイセルには思うことはあったが、抱きついてきた少女の柔らかさになにもかも考えることを放棄した。


 今日もリーシャ様は素敵である、と。

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