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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
~最終章~ 月の都編
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※修正中






 三人のいる部屋の襖の向こう側からそう言う声がした。曉虎が適当に返事をするとスパンと勢いよく開かれる。そこに立っていたのは麗乃だった。

 曉虎はにやりと笑って口を開く。


「おお、麗乃。お疲れやす。なんや、あんただけか」

「まさか。(かしら)、びっくりするやろうな。天狗のお兄さんも、可愛こちゃんに惚れ直してまうかも」

「……べ、別に惚れ直すも何も俺は別に、あいつに惚れてなんかーーー」


 そう言い終わる前に宗志は言葉を呑む。麗乃の後から艶やかな着物に身を包んだ白臣が恐る恐る姿を表したのだ。その着物は赤い布地に銀刺繍の花々が散りばめられていた。そして彼女の赤髪には銀の髪飾りが華奢な輝きを放っている。

 黙りこんでしまった宗志に、白臣はすぐに麗乃の影に隠れてしまう。


「こら、可愛こちゃん。うちん後ろにおったらせっかくのおめかし姿、見せらんあらへんやろう。ほら天狗のお兄さんによう見してやったらええ」

「だって……」

「だってちゃう。ほらほらうちの前に来たらええ」


 恥ずかしそうに(うつむ)いて白臣は宗志をちらりと目をやった。彼女は目が合うとすぐに視線を逸らす。そして早口に言葉をこぼす。


「に、似合わないよね。僕みたいなのが、こんな、その、女の子みたいな格好なんて……」

「……いや、その、なんだ……うん、なんと言うか……」


 うまい言葉が見つからず、いや見つかってはいるのだが言葉にできず、宗志は目を逸らして頭をくしゃくしゃと()いた。いつの間にか隣にいたのか暁虎はにやにやとした笑みを浮かべながら、そんな彼の脇を肘で突つく。

 宗志はかろうじて言葉を絞り出した。


「……悪くない」

「ほんと……?」

「ん」

「天狗はん、そこまで意気地無しやとは思わへんかった! こないな時は可愛いやら、美しいやら言うもんやで!」


 暁虎は宗志の隣で盛大に溜め息をつく。宗志は何か言葉を口にしようと唇を動かしてはみるのだが、結局、言葉一つ口から絞り出す事ができなかった。

 それでも白臣は白い肌を染めて、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる。そんな彼女を暁虎は神妙な面持ちで見つめていたのだった。

 それから白臣と麗乃を交え、ちょっとした(うたげ)が催された。千歳が三味線を奏でて、それに合わせて麗乃が舞って見せる。すらりと長い手足を用いた彼女の舞は見る者を圧倒するほどの迫力があった。

 千歳の三味線はというと、白臣には一流も二流も聞き分けが出来ないが、隣にいる宗志が小さくうなったので、なかなかの腕前なのではないかと推測できた。

 (しばら)くの間、千歳の三味線と麗乃の舞を楽しんでいると。彼は区切りの良いところで指を止め、大きく息を吐き出してから三味線を置いた。そして仰々しく一礼をする。麗乃もすっと膝をつけ正座をすると、丁寧に一礼をした。


「なんや千歳。もう終わりか」

「もう十分でしょう。さすがに疲れた」

「せっかく客人来てるってのに。おもてなしの心がたりへんのちゃうか。〝千代の(うぐいす)〟も〝七小町〟もまだ弾いてへんやろう」

「そないにおもてなししたいなら、(かしら)が弾けばええでしょう。私はもう疲れたんですぅ」

「そないなごっつい体しといて疲れたとは何事や。その筋肉はなんや、ただの飾りか」


 飾りですぅ、と千歳は無表情で口を(とが)らせて言う。二人の掛け合いに白臣はくすくすと笑い声を溢す。その横で宗志は酒を舐めるように呑みながら、そんな彼女をなんとなく眺めていた。

 あんなに小さかったか、と宗志は彼女からすぐに視線を逸らす。そしてちらりとまた視線をやり、またすぐに戻した。いつもよりやけに華奢に感じられたのだ。

 前々から彼女が女であることは知っていたし、初めて会った時はそんな細い腕でよく刀を振ることができるな、などと思ったりした。だが今、隣にいる彼女はそれ以上に小さく華奢に見えるのである。

 そう思うと変に意識してしまい、宗志は雑念を振り払うように眉間に力を入れ猪口でぐいっと一気に酒を喉に流し混んだ。そんな彼の様子を見て麗乃はにやりと意地悪く笑うと彼のすぐそばに腰を下ろした。

 彼女は怪訝(けげん)そうな顔をする宗志の耳に艶やかな唇を寄せる。そして彼にしか聞こえないような指先で撫でまわすような声で言った。


「可愛こちゃん……どうりで可愛いわけやねぇ」

「……」

「安心しとぉくれやす。身も心も女の着付け師に任せたさかい」

「……さっきからあんた何が言いたいんだ?」

「ご報告があってね。心乱れるかもしれへんけど、落ち着いて聞きなはれ」


 そう言うと、麗乃は次の言葉をさっきまでとは違う低く野太い男声で続けた。


「あまりにも可愛おしていただいてもうた。初めてやったみたい」

「……は!?」


 突然の麗乃の言葉に、宗志は思わず大きな声を上げた。彼女はいつも通りの少し低く艶っぽい女声で続ける。


「天狗はんにも見してあげあかったわ。初めてやったさかいすぐに乱れてもうたの」

「……同意の上……なんだよな……? 無理矢理だったら……」

「うちのこと殺す? 大丈夫よ、無理矢理奪うなんてことはしいひんさかい。可愛こちゃんがね〝麗乃さんにさしあげる〟って言うてくれたの。すぐ乱れてもうたけど」

「……そうか」


 そう静かに宗志は答えた。その姿に麗乃はぷっと吹き出すとけらけら笑い始める。宗志はもちろんのこと、他の三人も何が可笑しくて彼女が笑っているのか分からない様子であった。

 白臣は不思議そうな顔をして、麗乃に(たず)ねる。


「何か面白いことでもあったんですか?」

「可愛こちゃん、今日初めてうちにくれたんでしょう」

「……はい。すごく、恥ずかしかったです……。なんだか女の子みたいで」

「恥ずかしがらへんでもええ。すぐ乱れてもうたけどなぁ」

「麗乃さん……! ……言わないでください……」


 恥ずかそうに顔を伏せる白臣に、宗志は明らかに動揺を隠そうと息を深く吐いた。そんな彼の姿に麗乃はさらに笑い声を大きくする。


「天狗はん、なんか落ち込んでへん?」

「……なわけねぇだろ」

「可愛こちゃん、今度天狗はんにもあげたら? 今日よりは乱れへんのちゃう? 二回目やさかい」

「ば、馬鹿言ってんじゃーーー」

「はい! 宗志が望むなら」


 宗志は思わず裏返った変な声を出した。そして取り(つくろ)うように咳払いをする。そんな彼の反応に不思議そうな顔すると、少し気恥ずかしそうに口を開いた。


「二回目なら、もう少し上手くできると思うし……もう少しもつと思う。麗乃さんもいろいろ手取り足取り教えてくれたし」

「もうその話はいいかーーー」

「今日はすぐ乱れちゃって。初めてだったし……いろいろぎこちなかったけど」

「だからもうその話はーーー」

「でも次は上手くできると思うんだ、花冠(はなかんむり)


 花冠ィ、と宗志は思わず聞き返した。白臣はきょとんとした顔で(うなず)く。彼は溜め息をついて頭をくしゃくしゃと掻いた。そして麗乃をぎろりと(にら)み付ける。彼女はけらけら楽しそうに笑っていた。


「そないな怖い顔しいひんで、天狗はん」

「くそ野郎……」

「野郎ちゃう。強いて言うなら、くそ乙女にしとぉくれやす」


 麗乃はそう言ってから宗志の耳元にぐっと顔を寄せる。そして艶やかな唇を動かした。


「想像してもうた……?」


 ふふ、とからかうような笑い声を溢すと麗乃は宗志の前に置かれている空になった徳利を近くにあった盆に全て載せ、ゆっくりと立ち上がった。


「えらいお酒進んでますこと。お代わり持ってきますね」


 麗乃は洗練された所作で一礼すると、部屋を出ていった。心底不愉快そうな顔をする宗志は頭をくしゃくしゃと掻き、会話の流れがよく分からず白臣はきよとんと首を傾げる。

 なんとなく話を理解した曉虎は心底愉快そうに、にんまりと笑い、その横で千歳は呆れたように溜め息をつくのだった。

 暫くして麗乃が新しく酒を持ってきたところで宴

は再開される。宗志と麗乃は競うように徳利を空にしていき、女中が追加の酒を運びに来た回数は両手両足の指では数えられない程だった。


「いやあ、天狗はんも可愛いこちゃんも楽しんでくれたみたようでよかった」


 曉虎はうんうんと頷いてから、厠に行くと行って立ち上がる。それとほぼ同時に横に座っていた千歳も立ち上がった。曉虎はからかう様な口調で彼にふっかける。


「なんや、うちん事がなんぼ好きでも厠にまでついて来るのんは感心しいひんな」

「何、あほなこと言うてるんどすか。厠に行きたなるのが、たまたまおんなじになっただけです。世界は(かしら)を中心に回ってるわけけでもあらへんどすし、人は(かしら)が思てるより(かしら)のこと好きじゃあらしまへん」

「よう言うな、千歳は相変わらず」


 笑い声をあげながら曉虎は部屋を出て行き、千歳は溜め息をつきながら、その後ろに続く。残った三人はそれを見送ると、またたわいもない話を続けるのであった。


「……で、話があるんやろ」


 部屋を出て少し廊下を進んだところで曉虎は立ち止まり、後ろについてきている千歳に背を向けたまま、そう言った。それに対し千歳は目線を下げてぽつりと言葉を口にする。


「やはり、気がすすまへんのです」

「これは気がすすむ、すすまへんのの問題ちゃう」

「わかってます。わかってますけど……。我々にはこれしか道はあらへんのどすか」


 千歳の問いに、曉虎はどうやろな、と言葉を返した。そして彼は振り返って千歳の方をちらりと目線をやってから、また目線さっと前に戻して言う。


「そないなごっつい体で女々しいこと言わんといてや。……うちは、やる」


 静かに曉虎はそう言うと、一呼吸の間を開けて言葉を続ける。


「もう大切なもんは一つも失いたない。あないな思いは人生でいっぺんで十分や。なにがなんでも、みっともなくとも、この腕に抱えたものは一つも落としたない」

「あないな思い……朋古のことですか」

「……もう死んだところで朋古に会えへんのは分かってる。こないなうちが朋古とおんなじ場所に逝けるとは思てへん。……せやったら。朋古にどうせ会えへんなら、今生(こんじょう)で足掻いたる。この腕に抱えたものを落とさへんために」


 そう言ってから曉虎はへらっと笑った。それに対し千歳は神妙に顔をしかめて溜め息を吐く。


「……今宵(こよい)は酒呑まんでええんどすか」

「……酒は殺しの味がするさかい好きちゃうの知ってるやろ」

「そやさかい呑まんでええのかって聞いてるんどすけど」

「今宵は別に呑む必要はあらへんやろう。……殺しちゃう」

「……間接的に殺すことになるとしても?」


 今日はえらいつっかかるな、と曉虎は笑った。千歳はごつごつとした熊の様な手を硬く握りしめる。


「千歳、ぶっそうなこと言いな。……まだ殺されると決まったわけちゃう」

「あの男が生かすとでも?」

「……わからへんよ? もしかしたらあの男の元で永遠に幸せに暮らしましたってなるかもしれへん」

「……(かしら)がそうなる思いたいんやろう?」

「なあ、千歳」


 曉虎は彼の名前を呼ぶ。その声は熱いものが込められいるが、自嘲ぎみで冷たい。彼には曉虎がどんな顔をしているのか分からなかった。


「うちらが乗った船は、地獄(じごく)()きかもしれへんな。……先に謝るわ。ごめんな」

「……謝らへんでください。きしょい。……それに」


 そこで千歳は一呼吸空けて言葉を続ける。


「あんたの船は最初から地獄逝きやろうが」

「……そうやったな」


 へらっと笑うと曉虎は千歳に背を向けたまま手をひらひらと振りながら厠に歩いていってしまった。千歳は呆れたように溜め息をつく。だがその瞳にもう迷いはなかった。






「さあ、楽しんでるとこ申し訳あらへんのやけどお開きの時間や」

「えー(かしら)ぁ! うち、まだ可愛こちゃんと一緒におりたいー」

「なにアホなこと言うてんねん。麗乃はこれから楽しい楽しいお仕事やろ」

「やだぁー! 働きたないぃぃい! (かしら)の鬼ぃ」

「うちは鬼ちゃう。鼠や」


 早う出ろ出ろ、と曉虎は白臣にへばりつく、呂律(ろれつ)が回っていない麗乃を半ば強引に引き離し部屋から追い出した。

 彼女はぶうぶう文句を言いながら曉虎へふざけ混じりの暴言を吐き捨てる。そして一通りの暴言を吐いて満足したのか、呂律の回っていない先程までの姿が嘘であるかのように、しっかりとした足取りで部屋から去っていったのだった。

 それを確認すると曉虎はわざとらしい溜め息をつく。そして千歳に目をやった。


「あんたももう戻ってええで。明日、お偉いさんのおもてなし演奏会で朝早いやろ」

「そうでした。んじゃ、ここらで失礼します」


 千歳はゆっくりと立ち上がる。そして宗志と白臣に軽く会釈し部屋を後にしようと足を半歩前に出したその時。曉虎があっ、と思い出したように部屋を出ようとする彼に声を声をかけた。


「千歳、千歳、ついでに二人を空いてる屋敷に連れていってくれへんか。確か一番奥の屋敷空いてるやろ」

「……別に構いませんが」


 微かに眉を動かした千歳に曉虎はへらっと笑い、白臣へと目をやり口を開く。


「そうやそうや、この子を着替えさせなあかんな。こないなきつ苦しい格好じゃ寝れへんやろ。それに白粉(おしろい)もしっかり落とさな肌に悪い」


 曉虎は人好きのする笑顔を向ける。それがなぜか白臣には妙に無機質なものに感じられて、思わず視線を逸らした。


「てなわけで、少しだけうちとここに残ってもろうてもええか。……あ、安心しなはれ。うちが面倒みるわけちゃう。ここの女中に頼むさかい」

「……すみません、ありがとうございます」

「礼なんていらへん。さあさあ、もうだいぶ夜も遅い。慣れへん格好して疲れたやろ。うちらはあっちだ。千歳、天狗はんのことよろしゅう頼む」


 手をひらひらと振る曉虎に、千歳は低いうめき声のような声で返事を返す。彼と宗志は部屋をでていく艶やかな着物に身を包んだ二人が出てくのを見届けて、(から)の徳利が転がっている部屋を後にしたのだった。

 屋敷を出てから宗志は千歳に案内されるがまま通りを歩いていく。外は夜も遅いというのに真昼と同じくらい、いや真昼よりも賑わっていた。


「お侍はぁん、うちんとこで遊んでいかへぇん? べっぴんさん揃いやでぇ」


 派手な着物を着た女達が通りを歩く男に声をかけており、威勢(いせい)のいい客引きが声を張り上げている。道の端では酔っぱらいが腹を出していびきをかいて転がっていた。

 そんな騒がしい通りを二人はほとんど言葉を交わさずに歩いていった。千歳ももともと言葉数が多い方ではないのだろう、と宗志は前を歩く大きな背中に目をやる。人混みを縫いながら歩いているせいなのか、やけに肩に力が入っているように見えた。

 (しばら)く歩いていると、だんだん人通りが少なくなっていく。通りの端の方にきているのだろう、と宗志は辺りを見回してなんとなく思う。ちらほらすれ違う人達も鼠野通りに夜遊びしに来た者というよりかは、ここで芸をして暮らしている者のように見えた。

 そんなことをぼんやりと宗志が考えていた時。冷たい視線を感じて思わず振り返った。誰かに見下ろされていた、と宗志は直感的に感じたのだ。そしてそれは背筋をなぞる様な氷のように冷たい視線だった。


「どないしました? あと少しでつくんですが」


 怪訝(けげん)そうに足を止めた千歳の問いかけに答えぬまま、宗志はもと来た道を駆け出し助走をつけて地を大きく蹴る。それと同時に黒々とした翼が背中から生え、力強く羽ばたかせた。

 一気に風を切り、先ほど白臣を残していった屋敷を目指す。通りを歩く人々の頭上すれすれを矢の様に飛んでいく。

 確信じみた不安が、大きな染みのように広がっていたのだ。後悔と不安で口の中が乾燥していく。

 あの男がいる、目で見たかのように宗志にははっきりと分かった。己の至らなさを悔いるあまり胃液が上ってくる。祈るような気持ちでがむしゃらに翼を動かしたのだった。

 そして先ほどの屋敷に戻ると、宗志はほぼ飛び込むような勢いで玄関に転がり込んだ。

 人気(ひとけ)がない。白臣の姿も曉虎の姿、女中の姿さえなかったのだ。宗志は彼女の名を叫ぶように呼びながら屋敷の中を駆け抜けるように一部屋一部屋確認していく。

 そして、最後の部屋の(ふすま)を蹴破るようにして開けた時。そこは先ほど宗志達が飲み食いしていた部屋だ。その場所は彼らが出ていく前と何も変わった様子がなく、空になった徳利が転がったままだった。

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