【第五十八話】深い肌
「そーや紹介しよう。このごっついのが義理の兄の千歳や。うちの嫁はんの朋古の大事な大事なお兄様や」
「誰が大事な大事なお兄様や。……申し遅れました。千歳と申しやす。鼠野会の一員で頭の部下をやってます」
「頭をこいつ呼ばわりとは、いつのあいさにか偉うなったな。そんなことより千歳は……殺しの腕はうちより弱いぐらい、頭はうちよりは切れる男や。あとなにより三味線がめっちゃ上手いんやで。こないなごっつい体でようあないな繊細な音がだせるもんや。こないな場所じゃなければ、聞かせたげたいんやけど……」
無理やな、とへらっと暁虎は笑う。そして一通り笑うと、急に真剣な顔をして自らの後ろへと向く。その目は時雨達からは見えはしなかったが、慈愛がこもっていた。少しして彼は時雨達の方へと体を向き直すと、しみじみとした声で言葉を紡いでいく。
「時雨はん、この国から自由になれた時、もしお互い生きとったら茶でも呑みまひょな」
「ああ、もちろんだ。それに、もしもじゃない。どんな手を使ってでも絶対に生き抜いて、ありったけの茶でも飯でも食おうじゃないか」
「流石やな。うちらもどないな手ぇ使うてでも生きて帰ってやるつもりや。うち痛いの嫌いやし、血やら見たないけど、部下のためならなんやってやる。極悪非道な所業も喜んでやったる。それが組織の頭の役目、そやさかいな」
「ああ。俺もそのつもりだ。みなで生き残るためならば、な」
「お互い大変なことに巻き込まれてしもうたなぁ。さて、うちらはそろそろ行くわ。罪月国の傘下としての初仕事があるんや。また会いまひょな。ほな、さいなら。時雨はんと可愛こちゃん」
軽い口調でそう言うと暁虎は時雨達が来た方向へ歩いていった。その後ろの千歳も二人に会釈をしてから彼に続く。そしてその後ろ並んでいた人々もぞろぞろとついていった。人によるが、ほとんどの人物が派手な着物を身に纏っているようだ。
そしてその人の列には罪月国の人間がところどころ混じっており、不審な行動をしないか目を光らせながら歩いていた。
俺らも行こう、時雨は後ろにいる鳥野に声をかけ、薄暗い廊下の先へと足を進める。暁虎の睨みが利いたのか時雨達の後ろにいた罪月国の男達は何も言わずその後に続いた。
暫く進むと、時雨は足を止める。そこは部屋というよりは牢屋という言葉が似つかわしい場所だ。鉄格子
の向こうには南苑会の者達がいる。男は鍵穴に鍵を挿し入れそこを開けた。そして一言、入れと口にする。
大人しく時雨と鳥野が入ったのを確認すると、男は縄は他の者にほどいてもらえと告げ、刀やクナイを放り入れてからまた厳重に鍵をかけて去っていった。
時雨と鳥野は縄をほどいてもらうと、ふうと息を吐き出す。
罪月国の男達が遠くにいったのを見計らってから、一人の青年が口を開いた。
「頭、頭がここにいるってことは……」
「すまん。失敗した」
申し訳なさそうに頭を下げる二人に、青年は頭が取れそうなほど、ぶんぶんと横に振った。すると別の方から声が上がる。
「ご無事で何よりってやつですよ。別の方法を考えりゃいいし、別の機会伺えばいいでしょうしなあ」
「ああ、そのつもりだ。悪いが暫くはここにいなければならなくなるかもしれん」
「別にかまわねぇよなぁ、みんな! どんな奴だろうが俺達の敵じゃねぇよなあ! 薙ぎ払ってやろうじゃねぇか!」
おおーーーッ! と声が一斉に上がる。時雨はそれに応えるように静かに頷く。そして隅の方へ目を向けた。
「ばば殿、起きてるか?」
「……誰かわしを呼んだか?」
「俺だ、時雨だ」
「坊か。なに用じゃ?」
その老婆の前にいた人々は左右に別れ、道を作る。そこを時雨と鳥野は真っ直ぐ進み、老婆のもとまで来るとしゃがみこんだ。
「すまぬ。高齢なのにこんな場所まで来てもらって」
「なに言っとる。わしはまだまだ若いぞ。わしを何歳だと思っとるんじゃ」
「三百八十二歳であろう?」
「そうじゃぞ。まだまだぴちぴちのぷりっぷりで若いじゃろうが。年寄り扱いはごめん被る」
「そうだな。すまなかった。実は、ばば殿にーーー」
「ちょっと押すんじゃないよ! 女には優しくしろって母ちゃんに習わなかったのかい!」
突然そんな聞き慣れた声がしたかと思うと、それと同時に鍵が開けられる音が時雨の耳に飛び込んできたのだ。そしてある人物が転がり込むようにて入ってきたのである。
「やあ、久しぶりだねぇ。元気にしてたかしら?」
「瑞子殿……! どうしてこんなところに……」
「どうても、こうしてもじゃないよ。水臭いじゃないですか、頭。酷いもんだよ。私だけのけ者のなんて」
「のけ者も何も……貴女はここがどういう場所か分かっているのか! 南燕会が今どういう状況にあるのかも! 司殿には話したのか! いつ帰れるかも分からないのだぞ!」
真剣な顔で畳み掛けるように一息でそう時雨は言った。それに対し瑞子はうんざりしたような、めんどくさそうな顔をする。
「はいはい。口うるさい頭領さんだよ、まったく。此処は罪月国の、部屋? 牢屋? どっちでもいいか。で、南燕会は罪月国の傘下に入り、噂じゃそこが天下統一するまで自由にしてもらえるか分からない状況、で、旦那にはちゃんと話したわ。口喧嘩にもなったけど、最終的には納得してくれて送り出してくれたよ」
何でもないことかのように瑞子はそう口にした。時雨は額に手を当てて深く溜め息を吐く。
「そこまで分かってて、どうしてこんな所に来てしまったのだ? 貴女と南燕会は絶縁したわけでは、もちろんない。だが貴女は一つの家族の妻であり、母親なのだぞ。悪いが家族に再び会える保証は出来ない、そんな場所なのだ。なのに……」
「分かってるよ、頭に言われなくたってもね。でも一緒に死線を越えてきた奴等が、こんな状況下にある。それなのに私は関係ない、なんて目を逸らしてそっぽ向いて生きるなんて、私はまっぴらごめんだわ。私は南燕会の鬼の瑞子として、母親として、恥ずかしくない生き方を最期の最期までしていきたいのさ」
瑞子はそこで言葉を切った。彼女の瞳の奥では激しくそして強い意志が燃えている。その意志の強さは自分が何を言っても折れることはないのだ、と時雨自身も薄々気づいていた。
「だから共に戦わせてくれないかしら。現役は引退したけれど、少しは戦力になると思うのだけど」
「……ああ、分かった。むしろこちらこそお願いしたい。瑞子殿がいれば百人力と言っても過言ではない」
時雨は瑞子の強い眼差しを充分に受けて、しっかりと頷いた。彼女も頷くと、にかっと笑ってみせる。
「そんなことよりどうしたんだい、朱。顔色が悪いじゃないか」
「それなんだが、実は……」
心配そうな顔をしている瑞子に、鳥野の代わりに時雨が簡単に事の次第を話す。彼が話をしている間、誰一人言葉を発することはなかった。
彼の話が終わった時、老婆が皺に埋もれていた口をもごもごと動かし、言葉を紡ぐ。
「朱、上を脱ぐんじゃ」
「はい」
言われた通り鳥野はするすると上の着物をはだけさせ、それの下に着ていた肌襦袢ごと大きく左右に開き上半身の肌を露にする。その間、時雨を始めとする男達は彼女から背を向けるように座り直していた。
時雨は彼女達に背を向けたまま口を開く。
「ばば殿、鳥野はどうなっているのだ?」
「やはり……血に犯されておる。ちょうど心臓のあたりの皮膚が変色しているのじゃ」
「変色……?」
「さよう。しかも変色だけではない。硬くなっておるのじゃ。鉄のようにな。ほら」
こつこつ、と何か固いモノを軽く叩く音がする。それは鳥野の固く変質してしまった皮膚を老婆が骨のような指で叩いた音であることを、時雨はすぐに理解することが出来なかった。
「……鳥野、ほんとに痛みはないのか?」
「はい。特には」
「朱、遠慮してない? 貴女、少しほっとくと無理するんだから……。こんなになって痛みがないなんてことのほうがおかしいわ」
「瑞子さん、ありがとうございます。でも本当に痛みはないんです」
心配そうな顔をする瑞子に対して鳥野は小さく微笑んでみせた。老婆はひんやりとしてしまっている鳥野の固くなってしまった皮膚を触ると、皺に埋もれてしまっている目をすっと開く。
「触られている感じはあるか?」
「いいえ、まったく」
「ではこれはどうじゃ?」
老婆は骨張った手で拳を作り、その固くなってしまった部分を何回か殴る。こつ、こつ、と無機質な音がするが鳥野は黙って首を横に振るだけだった。老人は難しい顔をして唸る。
「ばば殿、鳥野を治す方法はないのか……? 昌姫とやらはとある純血の妖怪の血を飲ませると良いとは言っていたが……」
「悪いがわしにも分からん。ただ分かることは……」
「分かること、とは?」
「いずれ全身の皮膚が石のように固くなり、体の自由は徐々に奪われ、やがて石のように動かなくなるだろう」
その老婆の言葉に誰も口を固く閉じ、何も言うことが出来なかった。時雨は拳を固く握り締め、目を閉じている。重苦しい空気が流れる中で、鳥野はふうっと息を吐き出した。
「お腹すきました」
「ん、……ん?」
「だからお腹すきました。みんなも、もうそっち向いていなくて大丈夫です。もう着直したので」
「鳥野ねえさん! こっちに夕飯あります! 頭のぶんも!」
声のする方向には大きな木皿を頭の上に掲げる少年の姿があった。その皿の上に何か食事が載っているようである。少年は立ち上がると人を縫うようにして、時雨達に皿ごと差し出した。その皿の上を見て時雨は渋い顔をする。
その皿には小さく細い魚が二匹乗っているだけだったのだ。大の大人ならば一口で終わってしまうほどの小さな焼き魚だった。時雨はその木皿を受け取り、無言で鳥野に差し出す。彼女はその小魚を指でひょいっとつまみ上げる。
それを確認すると、時雨は一匹の魚を残したまま少年に木皿を差し出した。
「佑司殿、俺のぶんも食べるといい。育ち盛りであろう? 俺は少しばかり腹の調子が悪くてな。食欲がないんだ。まさに食欲不振」
「えっ、そうなの!? でも……」
「ほら、遠慮なんぞいらん。食べなさい」
どうれすれば良いか佑司と呼ばれた少年は時雨と、その隣にいる小魚を既に食べ終えてしまった鳥野の顔を交互に見る。彼の腹からはぎゅるるるる、と盛大な音が鳴っていた。
少しの間の後、溜め息をついて鳥野は佑司に優しい声をかける。
「どのくらいお腹がへってる? 少しも我慢できないほど?」
「全然だよ! オレ、男だもん」
「鳥野、佑司殿は育ち盛りだ。少しでも多く食べた方がーーー」
「頭は少し黙っててください」
鳥野は時雨の言葉を穏やかな、しかし有無を言わせない口調で遮ると佑司へと視線をやる。
「ごめんね。今この人に倒れてもらうわけにはいかないの。明日からは私のぶん分けてあげるから、今日は我慢してもらってもいい?」
「鳥野。お前の方こそ、しっかり食べなきゃならんだろう。ただでさえ、体の様態はどうなっていくか予測つかないのだから」
「大丈夫です。少し食べない程度どうってことないので」
「お前な……」
時雨が困ったような顔をした時、祐司が聞いて聞いて聞いて! と声を上げた。
「そんなこと言ったらオレだって平気だぞ! オレ半年何も食べなくても死ななかったもん!」
「骨と皮だったけどな」
さらりと、祐司と目元がよく似た少年がそう口にした。その言葉に祐司はむきになって言い返す。
「だい兄ちゃんだって骨と皮だったじゃん! オレばっか骨と皮だったみたいな言い方すんなよ! カッコ悪いじゃんか」
「かっこよさ気にしてるならその腹の虫黙らせた方がいい」
「腹なんか鳴ってなーーー」
そう祐司が言い切る前にぎゅるるるると盛大に彼の腹が鳴った。それにどっと笑いが起こる。その中で一際げらげらと野太い笑い声をあげている男が、笑い声混じりに口にした。
「頭、忘れちゃいねぇよなぁ。俺らはみんなごみ溜め生まれ、ごみ溜め育ちだぜ? 腹一杯食うなんて、南燕会来るまで知らなかったんだ」
「あんたは飢えてるぐらいが丁度いいよ。なんだい、このみっともない腹は」
「いっ、痛てぇって! つねんじゃねぇよ」
「だけど頭、この人の言う通りさ。ここでの暮らしは、そりゃあ南苑会での生活に比べりゃ不便だけどね。小魚一匹貰えるなんて、ごみ溜めに比べりゃ天国さ」
「そうだ、そうだ! 俺だって餓鬼の頃は稲の根っこ食って生きてたんだぜ。でも今じゃあこの通り! 見てくれこの立派な筋肉の鎧! あぁ……美しい……!」
さらにどっと笑い声が大きくなる。笑い声が冷たい壁や床をじんわりと温めていくようだった。
時雨は隣でくすくす笑っている鳥野を見る。彼の視線に気づいたのか、ちらりと鳥野も笑いながら彼へと視線を向けた。
「ね、頭。頭が思ってるよりも私達、柔じゃないでしょう」
「ああ、びっくりだ。まさに吃驚仰天」
「上が弱気だと下にも伝染してしまう、って昔よく頭、言ってましたよね。……だから頭、申し訳ないなんて思わないでください。私達は望んで貴方の後ろにいるのですから。それとも、どうしましょう。頭がそんな感じなら、私が乗っ取っちゃいますよ? 南苑会」
「……敵わんな。お前が本気だしたら一晩で|頭領の座を奪われそうだ」
買い被りすぎです、と鳥野は笑った。時雨は小さく笑いながら何も言わずに皿の上の小魚をつまむ。
そしてそれを口に運んだ。淡白な味のなかで少しばかりの苦みが口の中で広がったのだった。




