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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
鬼殿編
34/69

【第二十九話】川に小指

 





 獅倉の鍛冶場を出てから一週間程経ったある日の早朝。宗志は眩しすぎる朝日に目を細め、気だるそうに首を回した。


「ハク……?」


 白臣が寝ていたはずの場所に彼女はいなかったのだ。宗志の心臓が一瞬縮こまったが、すぐそれは(おさ)まった。少し離れた場所に彼女が立って何かをしていたからだ。

 どうやら素振りをしているらしい。刀が風を切る音が静かな森に響いている。宗志は側に置いておいた刀二本を掴んで立ち上がり、それを腰に差す。そして白臣の元に歩いて行った。

 宗志が近づいていくと白臣は彼の姿に気づいたらしく、刀を振る手を止める。そして(ひたい)から流れる汗を手の甲で拭うと、弾んだ様な声を上げた。


「おはよう、宗志」

「ん。……朝っぱらから何やってんだ」

「見ての通り素振りだよ。なんか僕もまだまだだなって思ってさ。……あ、丁度良かった! 僕の素振りを見て悪い所があったら教えてくれないかな?」


 小さく宗志は頷く。白臣は彼に礼を言ってから素振りを再び始めた。それを彼は無言で見つめる。

 暫く見てから宗志は口を開いた。


「まずは構えてみろ」

「え?」


 白臣は刀を振る手を止めて構えた。宗志は白臣の右側に立ち、彼女の刀を握っている右手に自分のそれを重ねる。宗志の手は彼女が思っていた以上にひんやりとしていて、素振りをして体温が上がっていた彼女には心地よく感じられた。


「中心が微妙に右に寄ってる。もっと右手の力は抜いていい」

「……こう?」

「ああ」


 宗志は一歩白臣から離れる。そして腕を組んで指示を出した。


「振ってみろ、刀」


 うん、と一つ白臣は返事を返すと息を吐き出してから刀を振り始めた。彼女が刀を振る度に風を切る音が響く。それを宗志は難しい顔をして見つめる。


「刀を振り上げる時に力を入れすぎだ。もっと肘の力を抜け」

「……うん」

「小指が緩んでる」


 白臣はなかなか宗志の言う様に出来ず、悔しそうに唇を噛む。それでも腕を止めることなく刀を振り続ける。

 そして白臣が何百本目かの素振りを終えた時。刀が風を切る音が今までより高い音となった。宗志は満足そうに口角を上げる。彼女もさっきまでとは違う事に気づき宗志の方に顔を向けた。


「今の感じ忘れんな」

「うん!」

「あと百本振って体に染み込ませちまえ」


 しっかりと白臣は(うなず)くと、素振りを再開する。それを宗志は木に寄りかかりながら眺めていた。


「百本目!」


 百本目を白臣はそう言って振りきると、ふうと息を吐き出した。そして刀を鞘に納め肩を回す。

 宗志は懐から手拭いを白臣に突き出して口を開いた。


「あっちに川があるから、行って軽く汗を流してこい」

「ありがとう。宗志は教えるのが上手いね」

「どうだかな。お前の筋が良いからじゃねぇの」


 早く行け、と宗志は白臣の肩を軽く小突く。照れ隠しなのが彼女にもすぐ分かったが、あえて何も言わずに川へと歩いて行った。

 それから白臣は顔と手を軽く川の水で洗い、足を川の中に入れて浸す。冷たい水が火照った体に気持ちいい。

 もうそろそろ戻ろうかな、と白臣が立ち上がろうとした時だ。茂みから人の気配がしたかと思うと、八人の男が飛び出して来たのである。その手には刀が握られていた。彼女は咄嗟(とっさ)に傍に置いていた刀を抜刀して構える。

 おかしなことに目の前の男達からは全くといって殺気が感じられない。だが胸元に刃物を突き付けられた様な嫌な予感が全身を走り抜ける。殺気がなくとも危害を加えようとしているのは明らかだ。

 じりじりと男達は間合いを詰める。白臣が先に仕掛けようと刀を握る手に力を込めた時だ。男達の頭部から角が生えてきたのである。

 白臣の頬に嫌な汗が流れた。彼女は男達を睨みつけながら、鋭い声を飛ばす。


「お前達は僕にいったい何の用があるんだ!」

「何の用だって? 俺達は別にお前に用はねぇ。用があるのは――」

「余計な情報をくれてやる必要はない。子供よ、大人しくしてもらおうか。俺達はお前を連れて行かなければならないのでなああああ!」


 その叫び声と共に八人の男達は白臣に斬りかかった。それを彼女は柳の様な体捌(たいさば)きで次々と躱していく。

 その時。白臣の心臓目掛け刀が突き出される。それを彼女は瞬時に刀の鎬地で受け止める、が。


「ッ……!」


 あまりの威力に白臣の体は弾き飛ばされる。彼女の体は後ろの浅い川の中へと落ちてしまう。


「俺達鬼の力に人間が敵うわけねぇだろ」

「さっさと終わらせるぞ」


 白臣が立ち上がる間も与えず、男達は一斉に斬りかかってきた。その時だ。彼女を守る様に炎の障壁(しょうへき)がそびえ立った。

 男達は炎に包まれる前に身を(ひるがえ)し、一瞬で間合いを取る。炎の障壁が消えると、その場所には宗志が立っていた。今にも皆殺しにしそうな凄みのある殺気に、角の生えた男の一人が舌打ちをする。


「くそ、天狗(てんぐ)が来ちまった」

「仕方あるまい、退散だ!」


 その言葉と共に男は懐に手を入れ玉を取り出して地面に叩きつけた。その玉が割れると濃い煙が一気に辺りを包む。宗志は後ろにいる白臣に目をやり叫んだ。


「ハク! 水に顔つけろ!」


 頷くと同時に白臣は川の中に顔を入れる。宗志は口と鼻を着流しの袖で(おお)いながら翼を生やした。そして地に足をつけたまま大きく羽ばたいて風を起こす。

 二、三回宗志が翼を羽ばたかせると辺りに充満していた煙は完全に消えてしまった。しかし、あの八人の男達も誰一人その場から居なくなってしまっている。

 宗志は目を(こす)りながら白臣の方を向く。彼女は申し訳なさそうに立ち上がった。川の水で着物が体に張り付いており、赤い髪からは大粒の雫が滴り落ち、その度に川に波紋を作っている。

 目を擦り続けたまま宗志は溜め息をついた。


「やっぱり毒煙だったか。お前は体大丈夫か?」

「……うん、お陰様で。ありがとう。宗志は目大丈夫……?」

「何とかな。……お前、何で俺呼ばなかった」

「だって……いつも助けられてばっかで……その……」


 そう言う白臣の声は震えている。宗志は大きな溜め息をついて(ふところ)から手ぬぐいを取り出すと、白臣の髪をわしゃわしゃと拭いた。


「なに負い目感じてんだよ、お前は」

「だって僕いつも守られてばかりだ。僕だって――」

「俺はお前を守ってやってるつもりはねぇよ。前も言ったろ。俺は勝手にやりたいようにやってるだけだ。それに、お前は強いと俺は思うぜ」

「……そんな気休めの言葉、欲しくない」

「ばーか、そんな気が回る(たち)じゃねぇよ俺は。……お前は強い。だが普通の人間だ。だから化け物と刀を交えようとすんな。特に複数対一人の時は尚更だ」


 まだ悔しそうな顔をしている白臣に宗志は苦笑する。そして彼女の髪を拭く手を休めることなく、言葉を続けた。


「焦る必要なんざねぇだろ。ゆっくりでいいじゃねぇか。……ほら、さっさとそこから出ろ」

「……うん」

「いつまで浮かねぇ(つら)してんだ、お前は」

「ごめん。僕、今よりもっともっと強くなる。だから宗志、ご指南お願いしま……」


 クシュッ、と白臣はくしゃみをした。寒気がするのか、ずぶ濡れの体を彼女は両手で抱きしめている。宗志は彼女の髪を乾かす手を止めた。


「このままじゃ風邪ひいちまうな。()き火作ってやっから、こっち来い」


 白臣は頷きながらまた一つくしゃみを零したのだった。






「……ごめん、時間を無駄にしてしまった」

「別に構わねぇよ。んなことよりお前を狙った奴等は、いったい何処(どこ)の回しもんだ?」


 次会ったらただじゃおかねぇ、と宗志は荒々しく舌打ちをする。

 焚き火で白臣の着物を乾かした後、二人は森を抜け開けた道を歩いていた。ちらほらと人がいるが、皆慌ただしく歩いているので二人をそれほど気に止める者はいないようである。

 白臣は(あご)に手を当てて考える素振りを見せた。


「僕、鬼に恨まれる様なことしたかなあ。子供の時節分で豆撒いたことしか思い当たらないや」

「……恐らく恨みとかじゃねぇよ。金目当てだ」

「お金? でも僕を連れて行く必要ないと思うんだけど」


 首を傾げる白臣に、宗志はその先の言葉を続けることはせず更に顔を険しくしただけだった。(しばら)くすると彼女は宗志の言外の意味を察した。生温かい恐怖のあまり唇を固く結ぶ。そして少しして静かに言った。


「……気をつける」

「ああ。当分は一人にならねぇ方が良い」


 そう言うと宗志は急に立ち止まり、振り返った。白臣も緊張した面持ちで振り返る。何事かと彼女が宗志を盗み見ると、宗志の顔には殺気も緊張の色もない。ただ、うげ、と迷惑そうな顔をしている。

 宗志が見る方向を白臣も目を凝らして見ると、何者かが奇声を上げ物凄い速さでこちらに向っているようだ。

 その人物は南燕会(なんえんかい)の頭領、瀬崎時雨だった。


「宗志! 久しぶりだな。元気そうでなによりだ。まさに喜色満面(きしょくまんめん)! そして白臣殿おおおおおお!」


 時雨は白臣の元まで滑り込むようにして(ひざまず)いた。そして懐から小さな包みを取り出す。彼はその包みを開けると、朱漆塗(しゅうるしぬ)りの(くし)があった。


「白臣殿、俺達は運命だ! まさに天理人道(てんりじんどう)! なぜなら約束もしていないのにも関わらずこうして出会えたのだから! これを受け取ってくれぬか? 白臣殿、俺と病める時も健やかなる時も共に……ンゥズ! な、何するんだ宗志!」

「あー、悪りぃ。蹴りやすい位置にいたもんだからつい、な。あ、悪りぃ。足が勝手に」

「ンゥブ!……け、蹴ったな……二度も蹴った。鳥野にも蹴られたことな――」

「ありますよ」


 その声と共に鳥野はふわりと着地した。どうやら時雨を飛んで追いかけて来たようである。鳥野の透き通った蝶の羽のようなそれは、日の光浴びて神秘的な輝きを放っている。彼女は宗志と白臣に一礼する。


(かしら)、運命の人というものが約束もせずに出会えることというのが(かしら)の理論ならば、宗志さんも立派な運命のお人ですが」

「ええ!? まさに喫驚仰天(きっきょうぎょうてん)! それは困る。宗志とは友以上にはなれんぞ俺は! すまんな、宗志。分かってくれ」

「いや何で俺がふられたみたいになってんだよ」


 こっちから願い下げだ馬鹿、と宗志は時雨を(にら)みながら吐き捨てた。時雨はそうかそうかと笑いながら立ち上がる。


「しっかし白臣殿は罪な男だ。町娘達の俺をめぐる血みどろの(いくさ)を引き起こしてしまう罪な美男子の俺を、男でありながらここまで惚れ込ませてしまうのだから!」

「あの、瀬崎さん。お気持ちは嬉しいんですけど……ぼ、僕は可愛い女の子がす、好きなんです。僕は男の人を好きにはなれません」


 こほんと咳払いをしてから白臣はそう言った。ざまあみろ、とでも言いたげに宗志はにやりと笑って時雨へと視線を向ける。

 時雨は衝撃を受けてしまったのか(うつむ)いてしまった。心做(こころな)しか、その体は震えている、が。

 フハハハハハハハと時雨は突如笑い出したのだ。


「白臣殿、まだ男だとか女だとかという枠にとらわれているのか。いや、無理もない。男が女を求め、女が男を求めるのは子孫繁栄のためには当然の本能だ。が、しかし!」

「あの、瀬崎さん? どうしたん――」

「俺はそんな枠に囚われない境地に達したのだ! まさに百尺竿頭(ひゃくせきかんとう)! 今すぐ白臣殿もこの境地へと導いてみせよう! 怖がらなくていいんだ、白臣殿。禁断の楽園へ行こうじゃないか、二人で!」

(かしら)、気持ち悪いで――」

「俺は白臣殿が男であろうが気にしないぞ。これは俺の本当の気持ちだ。まさに直情真気(ちょくじょうしんき)! 俺は白臣殿そのものを好いているのだから! 例え白臣殿が老婆であろうと、歩くことも出来ない赤子であろうと、毛むくじゃらの大男(おおおとこ)であろうと俺は白臣殿に恋をしたであろう! いや、もはや人間でなくてもかまわない。犬や猫、例えたわしであっても俺は白臣殿を愛すだろ……ンゥヅ!」

「長げぇよ。あんま気色悪りぃこと言ってるとぶん殴るぞ」

「いやもう殴られてるんだが……」


 赤くなった頬を(さす)りながら時雨はそう言った。宗志はしれっとした顔をする。


「気のせいだ、気にすんな」

「そうか、気のせいか。なら良いのだ……ンゥグ! ねぇ、やっぱり気のせいじゃなくない?」

「気のせいだろ」

「痛っ! やはり気のせいではなかった! 俺は間違ってなかった! 何故(なぜ)俺の邪魔をするんだ、答えろ宗志! 仏の様に慈愛に溢れる俺でも怒るぞ! まさに怒髪衝天(どはつしょうてん)!」

「何故? 決まってんだろ、空が青いからだよ」

「な、なに……!? いつからそのような関係に……、お前達は俺を置いて禁断の楽園に既に住み着いているというのか……! まさに嘆息嗟嘆(たんそくさたん)!」

「お前、冗談抜きで耳腐ってんじゃねぇか」


 宗志と鳥野は同時に溜め息をついた。一人衝撃を受けて固まってしまった時雨に、白臣は困ったように笑いかける。


「瀬崎さん、僕と宗志はそういう関係ではな――」

「仕方がない! 宗志、お前から白臣殿を奪うとしよう。必ずや、白臣殿の心を射止めてみせようじゃないか! 白臣殿、大福は好きか!?」

「は、はい……?」

「そうか、ならばここで待っているが良い! サラバ!」


 そう一方的に告げると時雨は髪を振り乱して走り去っていった。宗志と鳥野は呆れを含んだ視線でその背中を見送り、白臣は困った様に笑う。


「あんなのが頭領じゃ、あんたも大変だな」

「ええ。でも、あんなのだから皆が着いて行くんですよ。……(かしら)は人の上に立つべき人間なんです」

「あいつが?」

「はい。(かしら)には人を()きつける力があります。よく土足で人の心の中に踏み込んで荒らし回っていますが、それでも笑って許されてしまう人なんです。宗志さんも(かしら)の魅力は理解出来るんじゃないですか?」


 宗志は返事をしなかった。彼の隣にいた白臣は、この無言は肯定なのだろうな、となんとなく感じ取る。そんな事、宗志に言ったところで否定されるのは目に見えてはいるので、何も言わず彼女は生温かい目で宗志を見た後、鳥野へと視線を向けた。


「鳥野さんは瀬崎さんのこと(した)っているですね」

「ええ。家畜だった私を初めて、一人の人間として扱ってくださった人ですから」

「……あんたも苦労してたんだな」


 ぽつりと宗志はそう零した。鳥野はその言葉に小さく頷いてから口を開く。


(かしら)南燕会(なんえんかい)を、ゆくゆくは南燕村、そして南燕国にしたいと考えているんです」

「国を作りてぇのか、あいつは」

「はい。居場所のない妖怪と人間の混血児が、純人間の方々とも手を取り合って暮らせる平和な国を作るのが(かしら)の夢なんです」


 それは私の夢でもあります、と鳥野は最後にそう付け加えた。そして独り言のように言葉を続ける。


(かしら)の夢のためならば、この命など惜しくないんです」

「……なんかよく分かんねぇけど。あの馬鹿はあんたにそんなこと望んじゃいねぇと思うぜ……って、もう帰って来やがった」


 時雨が物凄い勢いでこちらに()けて来たのだ。その手には大福でも入っているであろう包みがあった。しかし、こちらに向かっているのは彼だけではない。

 その時雨の斜め後ろには銀髪の少年が付いて来ていたのだ。宗志が眉を(ひそ)めた時。時雨は白臣の前で急停止すると包みを差し出した。


「白臣殿、これ受け取ってくれぬか?」

「いいんですか、こんなにたくさん」

「ああいいとも! 宗志、余裕ぶっこいていると白臣殿は俺と禁断の楽園に永住してしまうぞ。まさに暖衣飽食(だんいほうしょく)! お前はそれを指(くわ)えて見ているがいい!」

「んなことより誰だ、そいつ。隠し子か何かか?」

「馬鹿言え。俺はそんなヘマはせん。紹介しよう、今日から南燕会の一員となる理叶殿(りとどの)だ」


 理叶と呼ばれた少年の背丈は白臣よりも少し高いぐらいだ。彼は一歩前に出ると、ぺこりと頭を下げる。その姿に時雨は感心感心と満足そうに(うなず)く。


「理叶殿は歳は今年で十五、つまり白臣殿と同じということだ。おっと、理叶殿。紹介しよう。あの女子(おなご)が――」

「鳥野さん、だろ? さっき甘味処で(かしら)が言っていた優秀な部下っていう」


 そう言ってから理叶は白臣の顔をじっと見つめてから宗志へと視線を移す。


「なあ、(かしら)。こいつらも南燕会(なんえんかい)の組員なわけ? 赤毛の奴はどこのどいつか知らねぇけど、天狗の宗志が南燕会に所属してるだなんて聞いたことねぇよ、俺」

「赤毛の奴ではない、藤生白臣殿だ。俺の未来の嫁となる男だ。まさに陰陽和合(いんようわごう)! ちなみに宗志は南燕会の一員――」

「お前、適当なことばっかぬかしてんじゃねぇよ」


 その言葉を言うと同時に宗志は思いっきり時雨の足を踏んづける。時雨は悲痛な声を漏らし鳥野を(すが)る様な目で見つめるが、彼女は一言〝宗志さんの足の方が可哀想です〟と返しただけだった。

 時雨はあからさまに悲しそうな顔をして白臣に視線を向ける。それだけで彼は熱い血がどくどくと脈打つのを感じていた。そんな彼の様子に白臣は困ったように笑いながら口を開く。


「そういえば、瀬崎さん達はどうしてこちらに? 南燕会の屋敷からここまでだと、結構距離があると思うんですけど」

「それは白臣殿に求婚するた……ッ、宗志ごめんってば、髪引っ張らないで……! ……それは理叶殿から文が届いたからだ。南燕会に入りたい、とな」

「それで私と(かしら)は理叶くんを迎えに来たの」

「久しぶりの旅で心踊ってしまった。まさに愉快活発(ゆかいかっぱつ)! 旅はいいものだな、宗志! だが、お前もそろそろ根っこ生やしてもいいんじゃないか? そこで、だ! 我が南燕会にお前を迎え入れ――」

「何回も言わせんな。俺は入らねぇ」


 ぴしゃりと断った宗志に時雨は残念そうに首筋を撫でた。そして今度は白臣に視線をやる。


「白臣殿、君は南燕会に入る気は――」

「すみません、瀬崎さん。僕はまだもう少し、知らない世界を歩きたいし見てみたいんです」

「そうかそうか。女子(おなご)殺しの色男のこの俺が一日に二度も振られるとは、世の中何が起こるか分からんものだな! そうだ宗志、提案があるんだが――」

「断る。お前に関わると、ろくな事がねぇ」

「随分つれないじゃないか。お前と俺が交わした盟友の(さかずき)は嘘だったのか!」

「幻覚だ。あるいは人違いだ」


 宗志はそう言うと時雨に背を向けて歩き始める。時雨はそんな宗志の腕に(すが)りついた。


「交わしたではないか、あの晩だ。思い出すんだ、宗志」

「いつの晩だよ?」

「桜散る月夜の晩……いや、雪の降る晩? ああ、思い出した。朝顔の咲く夏の早朝――」

「秋の晩だ、馬鹿野郎」

「すまん、すまんってば! 忘れてたの謝るから! まさに悔悟憤発(かいごふんぱつ)! だから話聞くだけでも、な? お願いだから!」


 縋りつく時雨を無視して宗志は歩いている。時雨はずるずると引き()られていく。

 白臣は溜め息をつき、時雨を引き摺って歩いている宗志に駆け寄った。


「話を聞くだけならいいじゃないか」

「そーそー。というか天狗止まれば? (かしら)引き摺って歩くの疲れるっしょ」


 いつの間にか理叶も宗志達の近くにおり、のんびりとそう言った。ちらっと宗志が時雨に視線を向けると、時雨はほら見ろと言わんばかりの口調で口にする。


「ほら、二人もそう言っているぞ? 白臣殿がそう言っているんだぞ?」


 宗志は心の底からうんざりしたような顔をして立ち止まると、時雨の手を振り払ってから気だるそうに問う。


「で、話って何だよ」






 五人は宿場町のとある宿の門の前に立っていた。門番は時雨に深々と頭を下げた後、手早く門を開けると五人を通す。

 その門から屋敷までは石畳の道が続いており、それ以外の場所には白砂が敷き詰められていた。その白砂には水面に見立てた模様が描かれている。趣向を凝らして選ばれたであろう石や立派な松の絶妙な配置によって、静けさが作り出されていた。そこは彼らの足音と遠くの山の方から聞こえる鳥の鳴き声しか聞こえない、心做(こころな)しか澄み切った空間だったのだ。

 時雨は感嘆して息を吐き出す。そして石畳の道を歩いて行き屋敷の前で彼らが足を止めた時。丁寧に屋敷の戸が開いた。

 玄関先ではここの中居であろう女達が迎えてくれたのだ。彼女達は同時に頭を下げお辞儀をすると、まだ同時に頭を上げた。その中居の中で真ん中に立っていた人物が弾んだ声を上げる。


(かしら)! お久しぶりです。あら、朱も元気そうねぇ。すっかり女になっちゃって」

瑞子(みずこ)殿、久しいな。幸せそうで何よりだ」

「瑞子さんも元気そうで何よりです。息子さんは元気ですか」

「ああ、達也ね。元気よ、元気過ぎて困ってるぐらい。でも良かったわ、あの子に今のところは角生えてきてないの」


 瑞子はふふ、と笑ってから周りにいる中居に持ち場に戻るよう指示してから宗志、理叶、白臣へと視線を移していった。


「そこの三人は新入りかしら? はじめまして、元南燕会の芹田瑞子(せりだみずこ)と申します。今はここの女将をしているわ。あ、ちなみに私もこう見えて人と鬼の混血児なの。角は基本隠しているから分からないだろうけど」


 お客様が驚いちゃうしね、と瑞子は付け加えて口元に手を当てて笑った。そして思い出した様に宗志の顔を見る。


「ああ、貴方はもしや宗志っていう人かしら。南燕会に居た時、(かしら)からよく貴方の話を聞いたもんだわ。(かしら)のお友達なんでしょう? 偉いわね。私ならうんざりしちゃう」

「相変わらず瑞子殿は手厳しいな まさに熱烈峻厳(ねつれつしゅんげん)!」

(かしら)がそんなんだからいけないの! 朱もびっしばっしやらなきゃ駄目よ。(かしら)にはそれでも足りないんじゃないかしら」

「瑞子さん、変わらないですね。その調子じゃ旦那様も尻に敷いてるんじゃないですか」


 そんなことないわよ、と瑞子はバシバシと時雨の肩を叩いた。それが収まってから時雨は笑いながらも肩が外れてないか確認している。

 それから白臣と理叶は軽く自己紹介した。瑞子は頷きながらそれを聞いている。


「じゃ、白臣くんは純血の人間なのね。理叶くんもそうなの?」

「俺は多分、化け物の血が流れていると思う。傷の治りが異常に早いし。だけど何の妖怪かはまだ分かんねぇんだ」

「なるほどね。まあ、何の妖怪の血が流れているかなんて知らなくても何とかなるもんよ。そういう人も南燕会に何人かいたわよねぇ?」

「ああ、瑞子殿の言う通りだ」

「でしょう。男は強いならそれはそれでいいけど、誰しもが強くなきゃいけない訳ではないものね。私の旦那だって腕っぷしは弱いけど、優しくて働き熱心なとこは他の男よりも優れていると思うもの。自分の与えられた役割を如何に果たすかが大事なんだわ。……って何かごめんなさいね、説教ぐせがついちゃったみたい」


 瑞子がそう言い肩をふるふると揺らして笑い声を上げた時、後ろから一人の中居が彼女に近づいて来た。



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