ラトルの街
「ただいま~」
重複した野郎の声に、台所で作業していたシシーは返事を返す。
「おかえり~」
シシーの傍にある作業台の上で汚れ物を清めていたグリューネも、おかえり、と示すかのように魔核を明滅させている。そのグリューネを先頭にいたオルフェレウスが優しく撫でながら「ただいま」と告げている。
「シシーさん、グリューネさん、ただいま帰りました」
「ただいま! ね、このはじける油の音と食欲を刺激する香ばしい匂いは、から揚げ!?」
「正解。鶏肉が安かったからね、香辛料をきかせてスパイシーな味に仕上げてみたよ。これがお昼だから手洗っておいで」
「やった~! から揚げ!」
嬉々とした足取りで水場へと駆けていくヒエンを追いかけながら、オルフェレウスの「走るな!」との叱責が飛ぶ。
「なんかあの2人、日に日に、無邪気に喜ぶ子供と世話を焼く母親の図に見えてしょうがないんだけど……」
「ですねぇ、学園に居た時からそうなんですよ。みんなして親子だな、と言っていましたし。本人たちは無自覚なんですけどね」
ちなみにブランフォールは何事にも動じない父親ポジションとされていた。見た感じではキリリとした美貌のオルフェレウスが父親で、柔和な顔つきのブランフォールが母親役になりそうなものだが、言動に幼さがあるヒエンに世話を焼くのはオルフェレウスで、それが過剰にならないように制御しているのがブランフォールなのである。
「ボク達が最後でしたか?」
「そう。みんな少し前に帰って来てね、準備手伝ってくれたから、これを揚げ終ったらすぐに食べれるよ。ハニーとメープルは例の如く、ギルドの工房に籠ってるから姐さんとアランがお弁当届けに行ってくれてるけど、2人だけで食べるのは寂しいだろうから姐さん達もあっちで一緒に食べるって言って、お弁当持ってったから」
「そうでしたか。皆さんのお腹の虫が盛大に騒いでいるでしょうから、ボクも手を洗ってきますね」
「いってらっしゃ~い」
手を振って見送られたブランフォールであったが、入ってきたドアに手をかけたところで動きが止まった。
「どうかした?」
「すみません、忘れる所でした。今日のボクらが出向いた先の依頼主であるお婆さんから、お裾分けでこれを頂いたんです。これをお渡しするために裏口から入って来たんですけど、美味しい匂いで忘れるところでした」
そう言って再び近づいて来たブランフォールは作業台の上に、こぶし大ほどの丸い果実を10数個並べていく。全体は濃い黄色だが、上の部分は赤く色づいたその果実からは、甘く芳醇な香りが漂ってくる。1つ手に取ってその香りを間近で嗅いだシシーは、この果実の正体が分かった。
「おお! ルルシェの実だ」
「ご存知でしたか、シシーさんは」
「何回かルカがお土産に買ってきてくれた事があるんだ。桃に似た香りだけど味は大粒のブドウみたいで、食感はスイカみたいにシャリシャリして美味しいんだよ。そういえばこっちの名産品だっけ」
「ええ。今回の依頼がルルシェの果樹園での害虫退治でして、スキル上げの旅で途中立ち寄った事をお話ししましたら、報酬とは別に下さったんですよ。今が1番美味しい時期だから食べなさいと」
「それは得したね。じゃあハニー達が帰ってくる夜に剥いて食べようか。冷やし過ぎると甘味が損なわれるから、食べる1時間前くらいに氷水につけて冷やすのがベストかな」
「ではその頃に、ヴェルに氷を作ってもらいましょう」
「よろしく」
「はい」
では、と告げて今度こそブランフォールは水場へと向かっていき、シシーはルルシェの実を籠に入れて邪魔にならない場所へと置いておく。
彼らが蜂殺迷宮に1番近い街、『ラトル』へとやって来て3日目のお昼時をむかえた頃の光景であった。
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夜、シャリシャリとした音を立てながらルルシェの実を味わっている一同がいるこの場所は、長期滞在者向けの賃貸物件。備え付けの家具と生活魔法具があって即日入居可能。炊事などは自分でしなくてはならないがその分安く、宿屋に泊るよりも何かと利便性がいいので人気がある。
シシー達は1週間程度しかこの街に留まらない予定ではあったが、20人もの大人数が寝泊まりするのならば、こちらの方が安上がりなのでこの物件を借りていた。幸いにも後継者争いの代理決闘が未だ継続中らしく、利用者が少ないので借りる事ができたのだ。
「美味しいです~」
「噛むたびに果汁が口いっぱいに広がります~」
ひんやり冷やされた果実は喉を潤し、身体の熱を下げてくれる。毎日へとへとになるまで身体を酷使しているハニーとメープルにとっては、このルルシェの実から溢れ出る甘い果汁は何よりも嬉しいだろう。
身体的な疲労はシシーの回復薬によって癒されるが、精神的な疲れにはこういう物の方が何より効くだろう。
「お疲れさま、2人とも。まさか今日で《氷姫の息吹き》を作り終えるとは思わなかったよ」
「ふふふ~、頑張りました~」
「ゴーレムを作った後なら簡単なのです~」
2人の表情は誇らしげである。ハニーのサポートでメープルも一緒に作業していたのだが、逆にメープルのサポートをハニーがする事も可能な関係らしい。
「しかしまた、凝った物を作ったねぇ。この繊細な細工だけでも凄いわ」
「これを貴族のご婦人方や令嬢達にお見せしたら欲しがるでしょうね」
教本に描かれている見本図は素っ気ない簡素な物だったが、2人が完成品としてテーブルに並べた者は女神像を模したものや、北方大陸で一際寒さの厳しい場所にしか生息しない鳥を模したものがあるのだが、髪や衣服、羽の表現技法に職人の技が光り、青1色のガラスでありながら色の濃淡を巧みに使い分けて作られたそれらは、おもわず簡単の吐息をついてしまいたくなる逸品に仕上がっている。
貴婦人方の装飾品と並べても見劣りしないそれらが、25個も並べられているのだから壮観だった。
「作ってるうちにのめり込んじゃいました~」
頬を赤く染めて恥ずかしげにしているハニーは誘拐されそうなほど愛くるしかった。
「予備の10個を使わないのは勿体無いですね……こんなに手の込んだ作品なのに」
「予備のは貢物として使うから問題ないよ」
「え? 貢物は必要無いんじゃないですか? 学園から保護要請出てるはずですし」
見事な作品を目の前にしてぽろりと零れ落ちたアランの言葉だったのだが、それに帰ってきたシシーの言葉にアランは呆気にとられた。
学園はシシーの怒れる兄弟を畏れて、使えるモノ全てを使って事態を収拾させるべく奔走しているはずなのである。今回の事に関係がないと裏のとれた所から、消えた学園生の保護依頼を出しているのは確実。これからシシー達が向かう帝国にもその要請が出ているはずなのだから、貢物の用意など不要であろうに。
「うん、それは正論なんだけど」
「こういう機会に自分を売り込むのも重要なんだよ」
なぜですか? と疑問の表情を浮かべる者多数。
「卒業して独立するまでに名を売っておいた方がいいんだよ。工房を営むなら顧客がついてないと苦労するからね、こういう逆境を利用して自分を売り込むくらいの図太さがないと埋没しちまうよ」
「2人が作ったこのアイテム、どこ出しても恥ずかしくない作品でしょう?」
問いかけられて無言で頷く。
「こういう状況にあってもこれだけの物を自分は作れます、っていうアピールだね。在学中に実績を残して評判が良ければ、国に帰って仕えるのが決まっていても待遇が違うし、意見を尊重してもらいやすい。これも力の1つだよ」
「こんな場所まで飛ばされたんだ。何もせずに帰ったら職人が廃るね」
アトリエ生でもトップクラスの実力と人気を備える2人が言う事は一味違った。




