その頃の学園では
靴音を響かせて学園の廊下を突き進むフリージアの眉間には、「今、最っっっ高に機嫌が悪いです」と代弁するかのような縦皺が、きっちり刻まれていた。
それはあの日、1か月前に転移法陣が発動し、学園西側に居た生徒を何者かによって全て転移させられた時から消える事が無い。むしろ日増しに深くなっている。
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転移法陣には識別機能を術式に組み込んであり、陣内に指定された生徒以外がいても無害であるように作られている。そのはずなのに、あの日は西側に居た生徒全てが飛ばされた。
すぐに異常事態を察したフリージアは現場保存に動き、学園に警戒態勢を取らせて非番の教師すべてを緊急招集し、実力面で信用できる高学年の生徒も混ぜて救助隊を結成して転移先へと送り込み、自らは残りの教師達と使えそうな生徒を率いて、所在不明の生徒の把握と不審者の捕縛にあたった。
幸いにも、転移法陣でFランクの迷宮へ飛ばされた生徒達は異常事態に気付いており、協力して非戦闘員である生徒を守りながら救助を待っていた為、軽傷者のみですんだのだが……喜べなかった。
居ないのだ、28名の生徒が。
その中には1年トップのミカ・エルヴァスティ、3年魔法学科首席のオルフェレウス・ラツァード、そして2年トップのシシーユ・アーラ・アノーノルまでもが含まれ、各学科のトップクラスの者達ばかりが姿を消している。どれだけ捜しても見つからない。
通常のやり方では発見できない見落としがあるのだろうと考え、その日の内にフリージアは王国に協力を仰いで高位巫女を派遣してもらい、巫女のスキルで現場を霊視してもらった結果、《時空の魔法》が使われたと分かった。
だが、分かったのはそれだけで、どこに、どの時間へと飛ばされたのかまでは国1番の実力者たる巫女をもってしても視れなかった。
この事が分かった時、フリージアは死ぬ事を覚悟した。シシーの兄弟がこれを知ったなら、怒り、暴れ、こんな事態を許した学園を決して赦さないだろうと思ったのだ。そう思わせるほどに、あの3兄弟は固い絆と深い情で結ばれていた。
それにあの日、フリージアがシシーに鬼ごっこを仕掛けなければ、シシーが行方知れずになる事は無かったのだ。だからこそ、レイオールとルカイアスが遠出から戻ってきた日に、フリージアは3兄弟の家まで出向き、2人に全てを話して告げた――。
『シシーユがこの事件に巻き込まれた責任は私にあります。その責は、この犯行を許した学園よりも重いでしょう。赦して欲しい、などとは言いません。2人が望むのならば、この命、2人に差し上げます。だからどうか、学園への制裁は見逃してやって下さい』
口調を改め、頭を下げて懇願した。『アーラ』を名乗るこの2人に攻め込まれても学園は壊滅しないだろうが、看過できぬほどの損害を被る事は確実だった。
フリージアはこの願いが聞き入れられるとは思っていない。ただ、後で学園がこの2人と交渉するために、自分の命を使って2人の溜飲を少しでも下げさせられれば良いと思っての行動だったのだが、その目論見はレイオールに鼻で笑われた事で終わった。
『見くびらないで下さい、フリージア・レト・グレン。僕の妹であり、ルカの姉は『アーラ』です。『アノーノル』の『アーラ』です。そのあの子が、簡単に屈するとお思いですか? だとしたら、これ以上の侮辱は有りませんね』
怜悧で氷の彫刻のように美しいけれども冷たい容貌が笑みをかたどっていたが、その目には隠しようのない激憤が宿り、フリージアを睨んでいた。その隣では母性本能をくすぐる甘やかな顔に、普段ならば溌溂とした表情を浮かべているルカイアスが、無表情に、無感動に、底の見えない昏い瞳でフリージアを見つめていた。
2人が醸し出す重圧、否、これは威圧だった。研ぎ澄まされた、鋭利な刃を喉元と言わず、全身の急所に突きつけられているような錯覚に陥りそうだった。
『ごめんなさい。そんなつもりは微塵も無かったのだけど、そう思わせたのなら、私の非礼だわ』
『………………分かって下さればいいんです』
その一言が返ってくるまでどれくらいかかったのだろうか。正確な時間はわからない。ただ、フリージアにとっては秒単位で終わったのだとは思えなかった。
フリージアがこんなに嫌な汗をかいたのは、若い頃に罠を見抜けずにかかり、迷宮でたった独り、格上の迷宮主の前に放り出された時以来だろう。
今でこれなら将来が末恐ろしい。
『ですが、実際問題、シシーユ達が何処に飛ばされたのか分かっていないのですよ。過去なのか、未来なのか、再びまみえる事が叶う時間であるのかさえ……』
敵は時間なのだ。人知の及ばぬ領域に近い敵に、いくら『アーラ』たるシシーであっても敵うのか? そうフリージアは問いかけたかった。
『あの子は帰ってきます。そう遠くないうちに』
なぜ確信を持って断言出来るのだ。
『過去には容易に飛べません。離れた未来もです。干渉によって歴史が改変される惧れがあるだけに、神は堅固な枷をつけています』
『……あなたは詳しいのですか? 時空の魔法に』
『僕が、ではありません。僕らの師たる人が、それについての造詣が深かっただけです。師は言っていましたよ、アレはままならぬモノだと』
『…………帰って、くるのですね』
『手の届かぬ場所へやられたと知ったなら、僕とルカが、ここで静かにしているとでも? そうでは無いから貴女は僕らの元へと来たのでしょう?』
ああ、そうだ。彼の言うとおりだ。大切な妹であり、姉であるシシーユを永遠に奪われたと、この兄弟が知ったなら、今ここで冷静にしているはずが無いではないか。地獄の底まで追いかけて、魂までをも滅殺するまで止まるはずが無い。
だから居るのだ。少し待てば手の届く場所に――そして帰ってくる。
『――学園の持てる総て、使えるモノ総てを使って、捜し出すと約束します』
『期待しています』
戻って舵取りをしなければ。全てを終えたのち、シシーが巻き込まれる原因を作ってしまった事の代償を、その時に改めて支払おうとフリージアは思い、『アーラ』を名乗る2人に謝意を示してこの場を去ろうとしたのだが、その背に待ったがかかった。
『今回の件で僕らが貴女と学園を責める事はありません。なぜなら、あの子は帰ってくるからです。ただし――――こんなふざけた真似をしてくれた下種は、丁重にもてなしてお礼がしたいので、教えて下さいね?』
後半の声には力が籠っていた。怒りと憎しみと恨みがない交ぜになり、そこへ弑逆のスパイスをきかせた、混沌とした力が――。相手が誰だろうと、何であろうが決して赦さない、その峻烈な思いが言葉となって声になり、吐露された宣言であり、フリージアと学園に対する譲歩であった。
『あと、あの子が帰ってくるまで僕らは登校しませんので。何かの拍子に僕らの鬱憤が爆発したら困るでしょうから』
彼から漏れ出る魔力が冷気を帯びて少しずつ部屋を凍らせていき、終始無言であったルカからも漏れ出た魔力が、肌を焼き焦がしそうな熱を帯び始める。
(この2人、冷静なんかじゃない! もうすでに怒り狂ってる!)
ただそれがまだ、御す事が可能な範囲内だというだけなのだ、とフリージアは自らの考えに二重線を引いてから訂正を入れた。
あの時のフリージアに出来た事は平常心を取り繕って、ただ頷いてみせる事だけだった。
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あの日から、ほぼ不眠不休でフリージアは動き続けていた。錬金術のアイテムを多用しながら身体を強化しているからこそ、なし得る荒業である。その甲斐あってか、次第に事件の全貌が見えてきており、1つ知るたびにフリージアの眉間の縦皺が深くなっていくのだった。
やがて見えてきた重厚な扉を開け放ち、静かに告げる。
「全員揃っていますね? ……結構。では、報告を」




