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カトレア

「といっても、帰るまではやる事ないんだけどね」


 実はミカの熾した火で地味にお湯を沸かしていたシシーは、沸騰したのを確認して持っていた茶葉でお茶を淹れて二人に振る舞う。


「ありがと。……だねぇ、あえて言うなら無事に帰る事かい?」

「頂きます。……そうなりますね。これがテロであるなら、帰るまでには学園が犯人の身柄を抑えているでしょうし。……ですが、そうなるとボコるのは難しくなりませんか?」


 温かいお茶にほっこりしつつミカが懸念を伝えると、シシーはお茶を一口含んでから口を開いた。


「その辺は大丈夫だと思うよ。フリージア先生はそういう所、融通が利くし。組織的犯行なら被害に見合う代償を、やっぱりフリージア先生が交渉時に容赦も妥協もするとは思えないから、必然的に私の望む物は手に入るし……先生が納得できない条件で手を打たなきゃならないなら、嬉々として私達がボコるの黙認するだろうし。むしろ率先して情報提供してくれそう」


 シシーの言葉に二人は、ありうる、と頷くのだった。

 “影の支配者”と称されるフリージア。学園の実権を誰が握っているかなど、普段の言動で誰もが知っているため、「陰」ではなく「影」の字があてられているのだった。ちなみにこれはフリージアがそうしようと思って行動をしたからなのではなく、学園上層部の者が研究者としての側面の方が強くて、経営や事務などの実務的な仕事を下に丸投げした結果、その方面でも優秀だった、いっそ敏腕と評すべき働きぶりで次々と案件を処理していくフリージアを周囲が全力で頼った結果なのである。そのせいで実務を全面的に取り仕切っているフリージアには上層部もなかなか頭が上がらないのだとか。

 そのフリージアが居る学園に弓引く真似をしようものなら、彼女の性格上、犯人をタダで済ませるはずが無く、シシーが言ったような事は当然のごとく行うであろうことが二人の目に浮かぶのだった。




「でさあ、姐さん。これからの事を話し合うためにもこっちに戻ってきて欲しいんだけど、みんな何時戻るの?」


 そう言ってシシーが指差すのは、シシーによって齎された衝撃により自分の殻にこもって混乱し続けている10数名の事である。


「……まだ混乱していたんですねぇ」

「自力じゃ戻って来れなかったか。ちょっと待っといで、強制終了させてくるから」


 やれやれ、とでも言いたげな雰囲気でお茶の入ったカップを床に置いてやおら立ち上がり、集団へと近づき右腕を振り上げ、そして響く鈍い音――。擬音語で表現するなら、バシ、ドガ、バキ、ベキ、といった所であろうか、そんな音が10数回したのだった。


「あんた達、いいかげんに戻ってきな! だってもなんでも無いんだ、その目で見て、その身で体験した事が全てなんだよ。どうしても理由が欲しいってんなら、シシーがシシーだからだと思っておきな。実際にそれ以外の答えらしい答えなんか無いんだから」


 その後にあがる苦悶の声に、シシーはカトレアがどんな手法を用いたのか正しく理解した。


「……姐さん、ちょっと乱暴じゃ」

「うん? このくらい平気だろ」

「いえ、エスピル先輩の腕力では、効きすぎるのではないかと僕も思いますよ」

「そうかい? ちゃんと利き手じゃない右で殴っといたんだがねぇ」


 カトレアは不思議そうに拳を見やるが、根本的なスペックの違いがあるのである。彼女によく似合う、無造作に纏め上げられた黒髪の頭頂部に鎮座する黒くて丸い、可愛らしい耳が、婀娜っぽい雰囲気の彼女の中で唯一違和感を放っているのだが、それは彼女が獣人である何よりの証。

 カトレア・バート・ソフィア・エスピル、力に恵まれた獣人の中でも特に、力に秀でた熊の獣人であった。

 獣人は家名を持たず、己の名の後には父と母の名を続けるのが彼らの習慣であり、カトレアのように姓を持っている者は他種族と婚姻している事を示しているので、彼女は人妻であった。


「左で殴ったら、指輪に瑕がつくかもしれないから嫌だったんじゃないの?」

「それもあるわね」


 悪びれもせず、平然と答えるその姿に彼女の性格の一面を垣間見れる。


「……もしかして、切り落とされた腕を咄嗟に拾い上げたのは、結婚指輪のためだったりします?」

「それ以外に何があるのよ? 愛するうちの人がアタシの為に丹精込めて作ってくれたもんなのよ? 魔物の腹にくれてやる訳にはいかないじゃないのよ」


 うっとりした目で、左手薬指にはまった指輪を見やるカトレア。普段は気がいい姐御肌の彼女は、話しに旦那が絡むと無意識に惚気話をする旦那大好き獣人であった。


「うん、そうだよね。そういう人だよ、姐さんは」

「そうですね、忘れていました。ご主人の姓であるエスピルでお呼びすると、途端に嬉しそうな表情をなさいますしね」


 どこか疲れたような表情で呟き合う二人であった。

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