理由
大学の空き教室。エックスは公平と一緒にSF研の田母神と朱音と向かい合って座っている。
「それで。結局ボクと会ってなにがしたかったの?」
「いやあ。まあ。大した用事ではないのですが……」
「じゃあもう帰っていい?」
『行こうよ』と、公平に呼びかけながら立ち上がろうとするエックスを田母神と朱音が止める。
「待って!今峰崎が飲み物を持ってきますから!せめてお茶だけでも」
「お茶ならさっきのお店で飲めていたんですけど!?」
とはいえもうあのお店には戻れない。エックスたちは場所を変えたのは追い出されたからなのだから。
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元々喫茶店の店主には『すぐに出て行くから』という条件付きで大きくなることを許してもらっていたのだ。だというのに20分も魔女の身体で突っ立ったままでは怒られるに困っている。SF研の揉め事を静観している時間でどこか別の場所に行けばよかったのだ。
「ううう……。ごめんなさい……」
いたたまれない気持ちで足元の店主に頭を下げる。心は申し訳なさでいっぱいだったが、どこかで嬉しさも感じていた。怒るとは対等の立場で接してくれているということだ。巨人の自分を相手に。恐れられるよりもずっといい。
「どうしてふみつ……」
「黙ってろ峰崎!」
また何かを言おうとした峰崎が取り押さえられている。エックスは彼らを地面に降ろすと、人間大の大きさにまで縮む。
「本当にごめんなさい」
改めて店主に頭を下げながら、もう当分このお店には来られないなと一抹の寂しさを覚えた。
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その後SF研のメンバーに連れて行かれたのが、大学構内の使われていない教室である。SF研は非公認のサークルなので部室は持っていないらしい。
「いや。実は。今日エックスさんをお呼びしたのは」
「うん」
田母神の話を聞く姿勢になる。仲間には強気で饒舌なように見えた彼女だが、その割にエックスと話すときはずっと緊張しているようだ。案外人見知りする子なのかもしれない。
「その。お恥ずかしい話なのですが」
恥ずかしいのはこっちだよと心の中で呟く。街中から見えるくらいの大きな身体で怒られるって気持ちを分かってほしい。
「私。その。エ、ックスさんみたいに大きくなりたくて」
「……ボクみたいと言うと」
その場でスッと立ち上がる。人間大の大きさに縮んだ時のエックスの身長は凡そ170㎝。女性としては大柄な部類だ。
「これくらいってコト?」
田母神は恥ずかしさで真っ赤になった顔を横に振った。
「ひゃくめーとるくらいに……」
「……へえ」
エックスは椅子に座り直して腕組みして考える。
(なに言ってんだろこの子)
100mって言ったら100mだ。魔女の平均身長だ。人間のままでは到達できない慎重だ。普通にご飯を食べたり規則正しい生活をしたりしているだけでは絶対に届かない大きさである。そういうものに田母神はなりたいらしい。横目でチラっと公平を見てみる。目をぱちくりさせてぽかんとしていた。よかった。意味が分からないのは自分だけではなさそうだ。
(……いや、ほんとなに言ってんだろこの子)
分からない。大きい身体であることが役に立つこともある。彼女自身、自分が巨人であることを嫌だとは思っていない。公平にイジワルも出来るし。
ただし巨人になれば必然的に人間社会で普通の生活を送ることは出来なくなる。今の世界でエックスのように大きくなることはデメリットの方が大きいはずだ。
「……うん。そうか。うん。そうなんだね」
とはいえ頭ごなしに否定するのもよくない。エックスは分かったような顔をして何度か頷く。
「は、はい……。巨大娘になりたいんです……」
赤面しながら頷いて、消え入るような声で説明してくる田母神の姿は、巨人になりたいという事を本気で言っているのだとエックスに知らしめてくる。なるほど、と一つ納得した。どんな強気な子でも実際口に出すのは恥ずかしい望みかもしれない。
「それでキミは?」
続いて朱音に目を向ける。エックスに見つめられて、背筋を伸ばし姿勢を整えた。
「キミも大きくなりたいの?」
「いえ。あの。僕は。その……」
「私は言ったんだからアンタも言いなよ……」
ぽつりと田母神の声が響く。シンと空気が凍る。朱音は張り付いたような笑顔で一瞬口を閉ざし、それから意を決したように続けた。
「あの。僕はですね。その……巨大な女の子とお付き合いしたいというか」
「……そっかあ」
「はい……」
恥ずかしそうにしているのがまた増えた。聞いているエックスも恥ずかしい。顔を上げて蛍光灯型のLED照明を見つめる。変な人たちと一緒に来た人だからこの人も変な人なんだろうとは思っていたが、予想通り変な人だった。
「……で。○○を××したりとか……」
朱音は更に話を続けている。小声ではあるが躊躇いはない。一度秘密をさらけ出したせいでタガが外れたのだろうか。
彼の話を聞くにつれて、エックスの心臓がどきどきし始めた。冷や汗が流れ落ちる。話を聞き流している公平が隣で心配そうに見つめているた。
「あとは▽▽で□□をしてほしくて……」
「う、うん。分かった。それくらいにしよう」
エックスはこれ以上聞いていられなかった。朱音の話が身に覚えのあることばかりだったからだ。
(ウチに監視カメラとか盗聴器とか仕掛けられてないよね?)
朱音の語る願望はほぼほぼ公平と一緒にやったことである。記憶の無い彼には実感がないだろうが。偶然にしては恐ろしい。
「だから俺の事睨んでたのか……」
公平が、合点がいったというような口調で呟く。確かに朱音にとって一番妬ましい人物が誰かと言われれば、それは公平ということになるのだろう。彼の理想の生活をそっくりそのまま一年間享受していたのだから。
朱音は公平に鋭い視線を向けて、彼に問いかけた。
「そ、そもそもキミはなんで彼女と一緒に生活してるんだよ」
「え?なんでって……」
「エックスさんと付き合っているってことは、キミも僕みたいな趣味なのか?」
「……いや。そんなことは無いと思うけど」
「じゃあなんでなんだよ」
「えー……?なんでって言われてもなあ」
公平は腕を組んで考え始めた。エックスの胸の奥がちくっと痛む。仕方ないよと自分に言い聞かせる。公平は記憶が無いのだから。
悩み続けている公平に、朱音は苛立ったような表情で口を開く。
「なんだよ。答えられないのか?」
「……うん。好きかどうかって言われるとちょっと分かんないんだよね」
仕方ないことだ。記憶が無いのだから。
「なら──」
「でも、一緒にいたいなとは思うんだよね」
「は?なん……」
「……なんで?」
「えっ」
公平はぎょっとした表情で顔を隣に向ける。突然割り込んできたエックスの『なんで』に戸惑っている。当のエックスも自分の思わぬ発言にびっくりして口を押えている。言うつもりはなかったのに。
「そ、そうだよ。理由もないのに一緒にいたいなんて納得できるもんか。ちゃんと説明しろ」
「ちょ、ちょっと朱音!」
田母神たちの会話は耳に入らない。エックスは一瞬視線を逸らし、意を決したように続ける。ちゃんと確認しておきたい。
何となくだ。公平は何となく一緒にいてくれて、エックスは何となくその状況に甘んじている。一緒にいる理由が恐くて聞けなかったからだ。
もしかしたら。不安になる。もしかしたら巨大な姿を見せたせいで。公平を恐がらせてしまって。それで言うことを聞いているだけではないのか。
「なんでボクと一緒にいたいの?好きかどうかも分からないのに?そりゃあ。連れ込んだのはボクだけどさ」
「なん、で……って。それは──」
と、公平が言葉を続けようとした時。教室の扉が開いた。
「ゴメン!遅くなった!」
峰崎が戻ってきた。両腕に缶コーヒーやらジュースやら抱えて。ぽかんとしているエックスたちに駆け寄り、机の上に順番に飲み物を置いていく。
「おお……。みどりだ……」
エックスの前に置かれたのは作り物みたいな緑色をしたメロンソーダ。『どういうセンスだよ』と隣で公平が呟く。
「峰崎……。お前タイミング悪いよ」
「えっ?そうか?なんの話をしてたんだ?」
「……なんでボクを呼んだのかって話だよ。キミも何か理由があるんだろ?」
『え?』という視線が向けられる。朱音としてはさっきの話に決着をつけたいのだろう。でもそれは彼には関係の無いことだ。
(これはボクと公平の……。いや。ボクだけの問題だ)
少なくともここで話すようなことじゃない。あとで二人っきりの時にでも話せばいい。そう考えながらペットボトルのキャップを開けて口を近付ける。
(……ん?)
実際に飲む前に口を離して、ペットボトルの口から中をじいっと見つめる。それから上目遣いで峰崎の顔を見た。平然とした無表情で何を考えているのか分からない。
「ふうん」
今度は迷わず、躊躇わずにメロンソーダを口に含む。シュワシュワとした炭酸が口の中で弾ける。こくこくと喉を鳴らして身体の中へと送り込む。
「ほう……。それで?キミはなんでボクを呼びつけたわけ?」
「……もう分かっているでしょうが。自分は……」
「ちょ、ちょっと待って!」
田母神が峰崎を止めて、朱音と一緒に彼を教室の隅へと連れていく。
「なにしてんだろ」
「さあ……?」
暫く話し合った後、三人は戻ってきた。
「うん。それならギリギリ言ってもいいわ」
「ああ。それなら多分大丈夫だと思う」
「そういうことなら。実は自分は、巨大な女性しか愛せない癖でして」
ストレートだなとエックスは苦笑いする。これくらいはっきり言ってくれれば却って話が早いのだが。
「100mくらいの巨大娘に街を蹂躙してもらいたくてですね」
「ん?」
「え?」
田母神と朱音が同時に峰崎の方を向いた。
「こう……逃げ回る人々を踏みつぶしたり食べたりしてほしい。ビルとかも蹴り壊して。人間社会を壊滅させてほしいというか」
「打ち合わせと違う!」
「お前何言ってんだ!」
峰崎はその場でけらけら笑い出した。仲間の二人がぽかぽかと彼の肩を叩かれている。公平は流石に引いた。ちょっと想定外である。こんな破滅願望の持ち主が身の回りにいたとは。
エックスはメロンソーダの二口目を飲んで、ほうと一息ついた。
「そっか。そっち系か」
「ん?」
「え?」
「は?」
「なんて?」
その場の全員がエックスを見つめる。目だけをきょろきょろ動かして四人を見つめて。不貞腐れたように続ける。
「だって。インターネットとかでさ。ボクの名前で調べたらさ。そんな事言っている人いっぱいいるしさ。今更そんなの何とも思わないよ」
「え……そうなの……?」
公平の問いかけにエックスはこくりと頷く。彼女は今でも時々エゴサーチをやったりしているので、そういう話題はよく目にするのだ。いい加減慣れた。先に田母神と朱音の話を聞いて心の準備が出来たのも大きい。最後の峰崎も自分が巨大な女の子だから呼びつけたのだろうと。
「あ……。もしかしてSF研の『SF』ってそういう意味?」
「あ、はい実は……」
照れながら言う田母神に、エックスは『やっぱり』と笑いかける。公平はきょとんとしていた。彼だけ『SF』の意味が分かっていない。
「でも残念でした。ボクはそんなことしないし、したくもないから。悪いけどお願いされても応えられない。今度建物の解体とかお願いされたら見せてあげてもいいけど」
『箱庭』に招待して作り物の街を破壊するところを見せてやってもいいのだが。やっぱり止めておく。一度でもそういうことをすると次に断るのが大変そうだ。三口目のメロンソーダを飲む。
「それで?」
空になったペットボトルの飲み口を摘まみ、ぶらぶらと揺らしながら峰崎に尋ねる。彼は真っ直ぐな目で不思議そうにしている。
「この中になに入れたの?」
「うん?」
「え?」
田母神と朱音は戸惑いの表情を見せる。峰崎は不思議そうな顔をしたままだ。相変わらず感情の読みにくい表情である。エックスは更に続ける。
「睡眠薬?それとも下剤とか?」
「……流石ですね。後者ですよ」
峰崎の言葉が静かな教室に反響した。
「……アンタなに考えてんの?」
「だってほら。上手くいけば街を──」
「お前マジでバカなの──」
「いいこと教えてあげる」
SF研の三人は顔を上げてエックスを見た。手元にあるペットボトルに魔法をかける。数ミリ程度に縮んだそれをひょいと口の中に放りこんで、そのまま飲み込んだ。一連の流れを唖然とした表情で見つめている。
「そんなの飲んでお腹壊さないのか?」
公平の問いかけにエックスは笑顔で返した。
「……ボクたち魔女は完全な生命体だ。だから、実はモノを食べる必要はない。そして食べたものはどんなものでも100%分解されて栄養になって吸収される。何が言いたいかって言うとボクはトイレなんか行かないってコト」
エックスの言葉に、峰崎は乾いた笑いで返した。
「ゲームオーバー、か」
ぽつりと呟く。その頭を田母神がパシンと叩いた。
「かっこつけんな!」
「それで自分はどうなるんです?縮められて踏みつぶされるんですか?」
「いや。そんなことはしないけど……。というか別に怒ってないし」
言いながら立ち上がって。
「とにかく。ボクはキミたちのお願いには答えられません。そういう事だから。じゃあね。行こう、公平」
「あ、ああ……」
特に引き留められることもなかった。流石に飲み物に下剤を仕込んだことを看破されてしまっては、手を引かざるを得ないということだろうか。少なくともこの場は。
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外はすっかり暗くなっていた。大学構内は人気もない。目立たなくって丁度いい。エックスは元の大きさに戻ると公平を握って空へと飛んでいく。
上空数キロメートルの地点。これだけ高く飛んでしまえば地上から見つかることは無い。エックスは手を広げて公平をじいっと見つめた。
「それで?」
「それでとは?」
「なんで公平はボクと一緒にいるんだ」
「あー。それか。大したことじゃないんだけど」
そうして公平は続ける。
「最初にエックスが大きくなった時にさ。大きい身体なのにすごく震えてて。なんかこう……そんなの見せられたら離れられないな、って」
「……え?ボクそんなだった?」
「うん。そんなだった」
「……そっか」
それを聞いてエックスは。
「わっ。ちょっとなにをっ」
思わず公平を抱きしめてしまった。胸元で抵抗されるのを感じる。
「ごめん。急にごめんね。でも暫くこうさせて」
「い、いいけど。一言言ってよ」
「ごめん」
きっと。公平はまだエックスのことを愛しているのか自分でも分かっていないのだろう。でも少なくとも心配はしてくれている。今は取り敢えず。
「それでいいや」
冬の空にエックスの呟きが響いた。




