完膚なきまでに。徹底的に。執拗に。
星の海を赤い彗星が駆け抜けていく。その軌跡で幾つもの炎が爆ぜた。
1月1日の午前0時を少し超えたころ。新しい年の訪れに浮かれていた人々は不安の表情で夜空を見上げていた。突如空中に現れた巨人の女。彼女が拳を前に突き出すとその先で爆発が起こる。かと思ったら今度は更に高く上昇していく。そうして泳ぐように夜空を行ったり来たりした。
「あれって"エックス"とか言う巨人……?」
誰かが呟いた。時々テレビでどこかの街の人と仲良くしている映像が流れたり、或いはインターネット上で人気のない街を我が物顔で闊歩したりしている巨人だ。
彼女が何を考えて何を目的に行動しているのか、大多数の人には分からない。だから、『今回はなにをしに現れたのだろう』とか『そのうち降りてきて踏みつぶされやしないだろうか』といった不安が街中に広がっていくのも無理のない話であった。
--------------〇--------------
「えーいっ!」
実際のところエックスは、どこぞの異世界から現れた戦闘機の一団をやっつけるために現れたのであった。数にして数十機。いくつかの隊に別れて行動しているように見えた。これだけの数で仕掛けてきているのなら、人間世界の反撃を待つよりも自分が仕留めた方がずっと早くて確実だ。
常人のそれより遥かに高性能な彼女の瞳は、宵闇に溶ける漆黒の戦闘機の姿をはっきりと視認していた。
敵もただでやられてはいない。何機かは囮になってエックスを引きつけ、何機かは旋回して機銃を向ける。
「そぉらっ!……ふふっ。捕まえたぞー?」
そんなことは露知らず。エックスは囮役の機体を一機捕えて、その窓から操縦士の姿をじっくりと観察した。
手の中で機体がぎしぎしと音を立てる。ひび割れた窓の向こう側いっぱいに広がる巨大な瞳。文字通りの意味で命を握られている状況。覚悟して囮になったのだが、実際にこうなってしまうと必死に抑え込んでいた恐怖が顔をもたげる。息が荒くなって、身体がカタカタと震える。
そんな姿に、エックスは満足げに微笑んでウンウンと何度か頷いた。これくらい恐がってくれないと困る。二度とこっちの世界に来ようなんて思えないように。完膚なきまでに。徹底的に。それでいて執拗に。
「ん?」
ぽつぽつと腕や脚や胸の辺りで炎があがった。どうやら攻撃されているらしい。痛くも痒くもなかったから気付くのが遅れてしまった。
「なあに?もしかしてこの子を助けたいの?」
哀れな戦闘機を軽く振りながら言う。中から悲鳴が聞こえた。エックスは小さく笑った。
残念ながら彼らの攻撃は完全に無意味なのである。魔女の身体は魔法やそれに類する力でないと傷つけることは不可能。彼女の服に穴を空けることすら出来ない。先にポケットの中に魔法的防御をかけているのでそこにいる公平や、破壊した機体の操縦士が怪我をすることはない。どれだけ攻撃されてもエックスが困ることは無いということだ。
そういうわけなので。攻撃を敢えて受けながら、捕まえている戦闘機を握りつぶしてやった。一際大きな炎が彼女の手の中で上がる。
「……はいっ。残念でしたー。さあて次は……キミかな」
エックスが見つめる先には、彼女が選んだ次の獲物がいる。相手も自分が狙われていることに気が付いているはずだ。どれだけ空を移動しようとじいっと見つめ続けているのだから。果たして、獲物である一機は隊列を外れて、狂ったような速さで逃げ出していった。
「とおっ」
鬼ごっこの始まりだ。初めはゆっくり。次第に速度を上げて。哀れな獲物を追いかけていく。ある程度──手を伸ばしてもギリギリ届かないくらいに距離を詰めたら、わざと相手と同じ速度に落とす。その位置を保ったまま何度も何度も手を振り下ろし、叩き潰される恐怖を植え付けてやる。
(でもこんな風に空振りを繰り返していたら……)
もしかしたら。最高速で逃げ続ければ助かるのではないか。そんな淡い期待を抱くのではなかろうか。そう思ってくれているといいな、とエックスは心の中で小さく笑う。
「残念でした」
その一言と共にエックスは加速した。獲物を追い越して回り込む。迫りくる戦闘機に向かってにっこりと笑ってみせた。
「はぁい、行き止まりでーす」
機体の小さな窓の向こうで操縦士の叫ぶ顔が見える。このまま行けばエックスの身体に激突して、勝手に爆散しまうだろう。スピードを最大限に上げてしまったせいで小回りが利かず、逃げることも出来ないはずだ。このままぶつかってくるのを待ってもいいが。
「とりゃあっ!」
流石にそれはちょっと可哀想なのでとどめを刺してやることにした。掛け声とともに回し蹴りを叩きこんで粉砕する。機体の残骸がぱらぱらと落ちていく。そんなものが地面にぶつかったら危ないので、魔法で粉みじんに砕いた。
操縦士を殺してはいない。とどめを刺す直前に手の上に転送したからだ。見ると白目をむいて気絶している。このくらいが丁度いい塩梅ではなかろうか。
「さて次々……」
ポケットに入れながら呟くと。
「……うへえ。そっちにも来たの……」
エックスは地上を見つめていた。そちらにも異世界から人間世界へ続く道が開いている。恐らく戦闘機たちがやってきたのと同じ世界からだろう。現れたのは大きな戦車。まだ地上には何人も残っている。と、なれば、殆ど無力化した空よりも陸の方が優先順位は高い。
「仕方ないなあ」
指先をくるんと動かす。夜空を行きかう黒い三角たちの速度が少しずつ落ちていって、やがて空中に止まった。エックスの魔法である。これでもう逃げることは出来ない。
「ちょーっと待っててねー」
エックスは明るく言った。破壊された機体の操縦士が実は全員無事であり、彼女のポケットの中に入れられているとは知らない彼らは、刑の執行を待つ死刑囚のような気分を味わっていた。
--------------〇--------------
エックスの動向を見ていた一団から数百メートル離れた地点で、空間が裂けた。真っ暗な穴が開いて、そこから戦車がぞろぞろと一列に並んで出てくる。突如起こった異変に、空を見上げていた人たちは慌てて逃げ出した。
カタカタと音を立てて進むキャタピラは流石に人間の足では逃げ切る事の出来る速度ではない。砲撃の必要もない。ただ追いかけて。ただ轢き潰せばそれで終わりだ。
一人の女性が転んだ。助けられる余裕のある者はいなかった。すぐ目の前にまで戦車が近付いてきている。次の瞬間には轢かれてしまうような近距離。出来ることは何もない。悲鳴を上げてうずくまった。
「ふうっ。危なかったあ」
声が聞こえた。
一秒経って。十秒経って。一分経って。自分がまだ無事なことに気付いて顔を上げる。巨大な瞳が心配そうに覗き込んでいた。思わず『ヒッ』と悲鳴を上げてしまう。
「むう……っ。そんなに恐がらなくたっていいじゃないか」
巨人の声が、びりびりと空気を震わせて届く。ほんの少し怒ったような顔。視線を落とすと肌色の地面が広がっていて、自分が巨人の手の上にいることを認識する。
「まあともあれ。怪我はしてないみたいで安心したよ」
にっこり微笑んで言うと、手近なビルに手を近付けて降ろしてくれた。
「暫くそこで待っててねー」
そう言って手を振ってくる。なんだかよく分からなくなって、半ば無意識に手を振り返していた。
--------------〇--------------
「さてと」
足下に視線を向ける。丁度エックスの足の下。先頭を走る戦車がそこにいる。既に彼女の力で空間の裂け目は閉じられた。増援が来ることもない。あとは、既に侵入した敵──数十機の戦車たちを全て仕留めるだけである。
既に地上の人は全員魔法で適当な場所に逃がした。こんなところに集まってもらっては足の踏み場が無くて困る。それにやっつける時に人の目を気になって仕方がない。
「まずひとーつ」
足に力を籠めて踏み潰す。地面と足の間で爆発が起こった。あとに続く残りの戦車隊の間に動揺が走る。
膝を落とし両手を地面に着ける。地面を大きく揺らして四つん這いになった。二つ目を拾い上げる。ぽんぽんと顔の辺りを砲撃される。砲塔を引っぺがして指先でペタンコに潰してやった。それから内部に小指を入れてぐちゃぐちゃにかき回してやる。
鼻唄を歌いながらぐりぐりと。これで中の人を傷つけずに恐怖だけ与えてやるのだ。公平と一緒に長いこと過ごしていたおかげでこういう微妙な手加減も得意である。内側ではいつ磨り潰されるのかという恐怖を。外から見ている者には仲間が残酷に磨り潰され蹂躙されている恐怖を与える。あとは適当なところで指を抜いて、握りつぶしてフィニッシュである。
「ふたーつ。みーっつ!」
次は敢えて一瞬で。握り拳を叩きつけて破壊する。
この辺りで異世界からの戦車隊はこの圧倒的な戦力差を認識した。慌てて後退し、エックスから離れようとする。しかしその速度はあまりにも遅い。まるでカタツムリだ。四つん這いになったまま手を前へ。そうして一機、また一機と順番に叩き潰していく。
「ろーく。なーな」
そんなことをしていると胸の辺りでぽんぽんと煙が上がった。視線を落とすと勇敢な一機が攻撃してきている。こういう無謀な勇気は嫌いではない。勝てないと分かっていながら、それでもなお諦めずに挑む姿はなかなか健気だ。微笑ましくて思わず口元が緩みそうになる。
だが。悲しいことに今回の目的は、二度と人間世界を攻めようなんて思えないくらいの恐怖を与えることである。こういう勇気ある者の心は特に念入りにへし折らなくて踏み砕いて粉々にしはならない。胸が痛むが仕方のないこと。攻撃してきた戦車に平手をのせて、ゆっくりと、じわじわと押しつぶしていく。
「はーち」
ゆっくり。ゆっくり。少しずつ迫ってくる天井に、乗員は半狂乱であろう。本当はこんな事をしたくはないが。
やがて戦車は寝そべった人であればギリギリ入れるくらいにペタンコに。そのタイミングで操縦士をポケットに転送し、そのまま一気に押し潰した。地上は残りは二つだけ。
「ふうっ。いい加減疲れちゃった」
エックスは膝元をパンパン叩いて埃を落としながら言う。まだ空の方も残っているのだ。これ以上戦車と遊んでいても仕方がない。『きゅー。じゅー』と呑気な声で唱えて、二歩前へ出て順番に最期の生き残りを踏みつぶす。これで地上は終わったという事だ。顔を上げて、再び空へと。
「はあい。お待たせー」
一ミリも動けず、逃げられなくなっていた戦闘機たちは、地上から帰ってきたエックスの姿に絶望した。既に勝敗は決した。あとは誰がどの順番でどのように料理されるか。
「さあ。続きをやろうね」
なんて。口では楽しそうに言いながら。いい加減眠いからさっさと終わらせようっと、なんて。欠伸を噛み殺しながら頭のどこかで考えている。




