状況整理と次の一手
「じゃあ、ボクちょっと出かけてくるからね」
「うん」
公平を残して部屋を出る。今の公平は魔法が使えない。それ故エックスの部屋から出ることが出来ない。留守番していると言ったのは彼の方だが、悪いことをした気になる。
「しょうがない。早いとこ終わらせて家に帰ろっと」
誰にも見つからないようにと、目立たないところに出たエックスは、駆け足でよく通っている喫茶店へと向かった。すぐ横の車道で何台もの車が駆け抜けていく。年の瀬だというのに忙しくしている人が多い。
十分ほどで喫茶店に到着した。ぐいっと扉を押す。からんころんと音が鳴る。それに反応して、奥から二番目の席で顔を上げる者がいた。エックスの姿を認めると右手を軽く挙げる。
「ごめん吾我クン。待たせちゃった?」
「いや。ついさっき来たところだよ」
なんだか逢引みたいな会話だなとエックスは心の中で苦笑する。吾我のいるテーブルに歩いていき、向かいに座る。テーブルの上にはコーヒーの注がれたカップが一つ。
「アイツの調子はどうだ?」
吾我はコーヒーを一口飲んで、そっとテーブルに戻す。
「取り敢えずある程度ボクのことを信用してくれた……と思う。今は魔法を教えてるよ」
「……やはり魔法の使い方も忘れていたか」
エックスは頷いた。今は魔力の使い方を教えているところだった。とはいえまだ初日。筋力強化も出来ていない。魔女の身体を足から頭まで登っていく、なんて今の公平にはまだまだ無理だった。
「何度ボクの身体から落っこちたことか」
「お前そんなことやらせてるのか……」
「わ、悪いっ?」
「……別に。まあ、取り敢えず。まずは現状の確認をしよう」
今回の目的。それは『聖技の連鎖』に対抗するための作戦会議であった。
「まずは『魔法の連鎖』と『人間世界』を取り巻く状況を纏めてみよう」
エックスは公平の部屋に放り投げてあった大学ノートを取り出して、白紙のページを開いた。真ん中に大きく丸を描いて、中に『魔法の連鎖』と書く。その内側にもう一つ丸を描く。そちらは『人間世界』と記入する。続けて『魔法の連鎖』の内側で、『人間世界』の外側に人の顔を描いた。その顔から『人間世界』に向けて矢印を伸ばす。
「これがウィッチ。ウィッチは人間世界を狙っている」
次にエックスは『魔法の連鎖』の外側に丸を描いた。これが『聖技の連鎖』である。
「で、これが『魔法の連鎖』を狙っています……と」
先ほどと同じように矢印を伸ばす。こうして『魔法の連鎖』と『人間世界』を狙う敵を表す図が完成したことになる。
「こいつが邪魔なんだよな」
吾我はイラストの顔をトントンと叩いた。ウィッチさえいなければスッキリする。さっさとエックスが『聖技』に乗り込んで暴れてくればいいだけのことだ。ウィッチがいるせいでそれが出来ない。エックスが消えた瞬間に『人間世界』を攻撃される恐れがあるからだ。
「元々はボクが『聖技』に行って、その間公平に『人間世界』をウィッチの攻撃から守ってもらおうと思ってたんだ」
「その作戦はもう成立しないな。肝心のアイツがああじゃあ」
「そうなんだよねえ……」
流石に今から公平をウィッチと戦えるレベルにまで育てるのは無茶だ。それよりも『聖技』が仕掛けてくる方がきっと早い。恐らくア・ルファーではない、別の聖女がやってくるだろう。そうなるとエックスは相当のハンデを背負って戦うことになる。
本人は否定しているが、彼女は『魔法の連鎖』の女神である。異連鎖の存在を攻撃した時、相手の連鎖の神の守護によって自動的に攻撃が防がれてしまう。その防御を突破するだけの攻撃が出来ないわけではないが、あまりに威力が大きすぎる。その余波で『人間世界』が崩壊しかねない。
「戦いようがないってわけじゃないんだけどね。でも相当面倒だ」
「『聖技の連鎖』で戦えればな。こっちよりかはやりやすいんじゃないか」
「そうなんだよね。……まあそれとは別に。早く向こうに行きたいんだけどさ」
「何故?」
エックスは昨日の思い付きを話した。恐らく公平の記憶は人質のような形で『聖技』にあるのではないか、と。
「もしボクの推測が当たってたら、近いうちに向こうから何らかのアクションがあるはずだ。出来ればそれより先に動きたいんだよね」
話を聞き終えた吾我はすっかり冷めたコーヒーに口を付ける。
(どこにも確証はない……。ただの希望的観測じゃないか)
エックスの顔を一瞥する。彼女自身分かっているのだろうと察する。この推察は単なる願望に過ぎない。もう手遅れの可能性だって十分にある。
(……とはいえ。今はそんなことを突っ込んでいる場合じゃないか)
そういう事にした。それでエックスが落ち着いてくれているのなら、それでいいと思うことにした。
本当に公平を失っていたら。思考がぐちゃぐちゃになって。『人間世界』を放って復讐のために『聖技』に乗り込んでしまったかもしれない。それよりもずっといい。
「それなら。やはりまずはウィッチをどうにかしないと、か」
「そうなんだよねえ。結局そこに行き着くわけで」
「そうだ……。他の魔女の力を借りたらどうだ?」
「うーん。今のウィッチが相手だとなあ」
ウィッチのキャンバスは現実世界にまで広がっている。魔力なしで完全な魔法を発動させることが出来る状態だ。公平が『レベル5』を使っていた時と同じだと思っていい。
「ワールドやヴィクトリーでも相手するのは難しいと思うんだよねえ」
「そうか……」
で、あれば。やはりエックスに任せるしか無くなってくる。だが、それはつまり彼女に人間世界に待機してもらうという事だ。彼女の本願──公平の記憶を取り戻すために『聖技の連鎖』に乗り込む、ということはできなくなってしまう。そういう事は出来れば言葉にしたくない。
「分かった。俺も何かいい手が無いか考えてみる」
だから問題の先送りしかできなかった。自分たちが弱いのがいけないのだとは、吾我は痛いほど分かっている。自分たちだけでウィッチの対処が出来れば、こんな事は言わなくて済んだのに。
神妙な面持ちの吾我に対して、エックスはにっこり笑いかける。
「うん。お願い。……ボクそろそろ帰るし。あんまり今の公平を一人にしたくないからさ」
「……ああ」
結局出来たことは情報共有だけ。抱えている問題を解決することは出来なかった。それは両者共に分かっている。それでも今は、これが精一杯だった。
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「ただいまー。……あ?」
「うわああああ!?」
「さあさあ、どこまで逃げられるのかしら!?」
ヴィクトリーだった。四つん這いになって何か追いかけている。床に視線を落とすとそれは公平であった。魔女の魔の手から逃れようと必死に走っている。
「何してんだー!?」
「あら?」
エックスの怒号にヴィクトリーは顔を上げた。ぴたりと彼女の手が止まる。
「た、助かった……」
自分に向かって駆け寄ってくる公平を拾いあげ、その身体を隅から隅までまじまじと見つめる。どこも怪我していないようだった。ホッと安堵の息を零す。
「ん?待てよ?どうやって床に降りたの?」
公平はずっと棚の上にある自分の部屋にいたはず。この棚はエックスが使うものなので数十メートルの高さがある。飛び降りることは出来ないはずだった。
「……いや、なんか。無我夢中で……。飛んだらなんか着地出来たというか……」
「……そうか。魔力を使った強化が上手くいったんだ」
「そ、そういうことなの、かな?」
「そういうことだよ!すごいすごい!」
感極まって公平をギュっと抱きしめる。ヴィクトリーに追いかけまわされるという命の危機を前に魔力操作の感覚を掴めたのだろう。あんまり荒療治はしたくなかったのだが、結果オーライだ。
「どういうこと?強化なんて出来て当然のことじゃない」
状況を理解しきれていないヴィクトリーが尋ねてくる。エックスは公平をテーブルに降ろす。『ちょっと待ってて』と声をかけてから、キッとヴィクトリーを睨んだ。
「『どういうこと』はこっちの台詞!どういうことだよ!?なんで公平のこと追いかけまわしてんのさっ!」
「だってこっちが何もしていないのに逃げるんだもの。追いかけるに決まっているじゃない」
ヴィクトリーはあっけらかんと言った。エックスは一瞬言葉に詰まってしまう。
(確かにボクでもいきなり逃げられたら追いかけるかもな)
抗えない魔女の本能というヤツだ。足元をちょろちょろしている人間がいたら捕まえてみたくなる。勿論そういう欲求に抗えないほど意志が弱いわけではないが、公平は見知った間柄なので多少乱暴なことをしてもいいだろうと思ったのだろう。自分だったらそう考えるだろうから。が、この場でそんなことを言っても調子に乗せるだけである。
「ネコっ!やってることがネコと同じ!」
「じゃあなんで逃げるのよ。こっちはまだ何もしていないのよ?」
「それは……。今、公平はボクと出会ってからの記憶を無くしてるんだ。だからキミのことも分からないんだよ。そんな魔女がいきなり現れたらびっくりするさ」
「あらま。それ本当?確かにそれなら悪いことしたわね」
「…というか何しに来たの?急にさ」
エックスの問いかけにヴィクトリーはニッと微笑む。
「リゼとリア。貴女に任せられた二人もだいぶ育ってきたし、そろそろ実力を確かめてみたいと思ってさ。せっかくだから人間世界の魔法使いも巻き込んで大会でも開こうかな、ってローズと話していたのよ。で、貴女に相談しに来たってわけ」
「……悪いけど今そんなことしている場合じゃないんだ。ワールドから聞いてない?」
「聞いているわ。ウィッチとかいう魔女のことでしょ。アンタのことが怖くて隠れている相手じゃない。放っておいても問題ないわ」
「……いや、実はそれだけじゃなくて」
『聖技の連鎖』のことをヴィクトリーに伝える。公平が記憶喪失になったのも『聖技』のせいであり、早くに乗り込んでいきたいがウィッチのせいで動けないのだということ。話を聞き終えたヴィクトリーは金色の瞳をぱちくりさせた。
「なんだ。そんなことか」
「そんなことって」
「要はまずウィッチを引きずりださないと、ってことでしょ。簡単じゃない」
「……え?」
「迷惑かけたお詫びに教えてあげる。ウィッチをおびき寄せる作戦をさ」




