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パンを買う二人

 自動ドアが開いて。それを知らせるメロディが響いて。同時に外から冷たい空気が入り込んでくる。スタッグは顔を上げて笑顔を作った。


「いらっしゃいませ」

「よお。すごいなこの雪。いつになったら無くなるんだろうな」

「俺にも分からないですよ。まあだいぶ除雪は進みましたが、また降りやしないかとひやひやしていますよ」


 スタッグはレジ打ちしながら答えた。また今日も。異連鎖人の銀髪の少女──ガンズ・マリアが来ている。雪道を歩いてきたようで、纏っているコートは薄っすらと白くなっていた。入手経路の分からない500円硬貨でイチゴのサンドイッチと暖かいミルクティーを買っている。毎日同じものを買っているせいで、バイト仲間の間で『銀色イチゴ』なんてあだ名をつけていることは内緒だった。

 数日間にかけて降り続いた雪は止んでいた。それでも積もった雪は大量に残っている。道路は凍っていて路面状況は最悪だった。気を付けないと滑って転んでしまう。


「しっかし。こんな事でこの世界の社会活動は麻痺するんだねえ。いっそ女神が雪を止めてやればいいのにな」

「はっはっは。そんな都合のいい神様は俺たちの世界に居ませんよ」

「うん?女神がいない?」

「はい。宗教とかそういう話を抜きにして、神がいるかどうかって話なら、この世界にそんなものはいないです」


 マリアが頬を掻いた。何事かを考えている。おかしなことを言っただろうか。『マリア』なんて名前だから神さまを信じているのかなとスタッグが考えた時、再び自動ドアが開いた。寒い寒いと言いながら冷えた風と一緒に田中が入ってくる。


「ああ……。ごめんごめん。ホラ雪でさ。遅刻した」

「別にいいですよ。どうせ今日はお客様も少ないですし」

「あ、そう。じゃあ俺制服着てくるし」


 田中は駆け足でレジの内側に入り、その向こうのバックヤードへと進んで行く。マリアはじっとその後ろ姿を見つめていた。


「どうかしましたか?」

「……いや。そうか。どこかで見たと思ったけど、この店の店員だったか」

「うん?田中さんが何か?」

「いいや。なんでもない。じゃあな桑野」


 レジ袋を振り回しながら自動ドアの前へと歩いていく。扉は開いた。マリアはそこで立ち止まった。何かあったのかと、スタッグは彼女に顔を向ける。マリアは顔だけ向けて口を開いた。


「桑野」

「はい?」

「お前はいいやつだからな。お前にだけ言っておくよ。今週中に他の街に引っ越した方がいいぜ」

「何故?」

「さあな」


 よく分からない。スタッグは首を傾げた。マリアの言葉には理由がない。理由がないから受け止めることが出来ない。


「まあそういうことだ。じゃあな」

「ありがとうございました……」


--------------〇--------------


 数日後。ある程度雪が溶けてきたころのこと。エックスは学生街にあるパン屋さんに来ていた。焼きたてパンの香ばしい香りが食欲を刺激する。今日のお昼ご飯はこのお店のパンである。

 お店に入って一番最初に目に留まったのは『ただいま焼きたて!』というポップのついたカレーパンだった。ごくりと唾を飲み込む。美味しそうだ。美味しそうだけど。女の子的にカレーパンはどうなのだろうか。


「あー良かった。まだ残ってた!」


 後ろからやってきた高い声がエックスを追い抜いていく。カレーパンをトングで取り、トレーに載せ、そのまま他のパンを物色する。女学生か若いOLか。余計なことを一切気にせずカレーパンを買っていく姿はどこか煌めいているように見えた。おかげでカレーパンを買う勇気も貰った。その他にクリームを挟んだワッフルとメロンパンをトレーに載せていく。ちょっと欲望のままに選びすぎたかな、と思う。食べすぎな気は否めない。


「まあ、いいよね。ボク太らないし」


 にこにこ顔でレジに並ぶ。今日は公平はゼミだった。お昼ご飯は田中と一緒に食べてくる予定らしい。即ち今日のエックスは一人でお昼ご飯を食べることになる。で、あれば。こっそりと多めにパンを食べたっていいだろう。


「うん。きっとそうだ」


 エックスは一度レジの列から離れて、もう一つオマケにチョコクロワッサンを取って並びなおした。こうなると間違いなく食べ過ぎだ。一食分としては明らかに多い。しかしエックスは気にしない。今日は欲望に従い好きなものを好きなように好きなだけ食べると決めたのだ。


「990円です」

「はい。はい1000円」


 10円のお釣りを受け取ってお店を出る。1000円以内に収まったから全然食べてないよね?、と自分に言い訳する。受け取った紙袋の中を覗き込んで、美味しそうなパンたちを見つめた。


「ふっふっふ。これからみぃんな食べてあげるからねー?」


 悪い巨人的なことをパンに言いつつ部屋に戻ろうと手を前へ出す。そして空間の裂け目を──開く直前で思い出した。晩御飯の材料も一緒に買わなくては。スーパー小枝は歩いて数分以内の場所にある。

 今日はなんだか大根の気分だった。おでんにするか。ぶり大根にするか。思案しながら一歩前へと踏み出した。ちょっとだけウキウキ気分。袋を持つ手を振る勢いも少し強かった。

 彼女の第一歩が地面に着いたのと殆ど同時に、どかんという音が後ろで響いた。びっくりしたエックスは咄嗟に耳を押さえる。


「──あ」


 思わず袋を離していた。慌てて手を伸ばすけれども、紙袋は目の前でカチコチと凍り付いて、ごとんと落ちる。


「あ……。ああ……!ボクのパンが……!」


 透明な氷に包まれた紙袋。開いた口から内側を覗き込む。ふわふわしたワッフルもメロンパンは冷たく硬くなっていた。チョコクロワッサンは凍った池に反射する三日月みたいで。数秒前までは揚げたてで、熱意とやる気に溢れた青年みたいだったカレーパンは、冷めたイマドキの若者みたいにクールになってしまった。じわりと涙が緋色の瞳に溜まる。


「うう……。ううう……!誰だ……!誰だ、こんな迷惑なことをしたヤツはァ!?」


 怒りと悲しみに包まれて、訳の分からない状態で勢いのままに振り返る。


「あ……。あ……。ああ……」


 学生服を着た高校生くらいの男の子が、虚ろな目に涙を流しながら歩いてくる。その手はギラギラと輝く水晶のような剣が握られている。

 彼の背後にある街路樹や電柱、それから何人かの人が氷漬けになっている。エックスはちらっと自分の後ろを見てみた。そちら側に生えている木も凍りついている。犠牲になったのはパンの紙袋だけではなかったらしい。


「あ、あああ!」


 男の子は剣を大きく振り上げて地面に叩きつけた。数秒前に聞いたのと同じ爆発音。地面を這う蛇のような衝撃波が、通り抜けたものを凍結させながら迫りくる。しかしエックスは避けることも迎撃することもしない。必要のない行為だからである。

 攻撃は真っ直ぐにエックスに命中した。濛々と煙が立ち込める。それが晴れた時。そこに在る彼女の姿は、当然のように無傷であった。


「そんなものでボクが凍るもんか」

「ああああ!」


 男の子は再び剣を振り上げた。エックスは凍り付いた路面を滑って接近し、振り下ろされる剣を回し蹴りで蹴り飛ばし、勢いのままに掌底を打ち込む。彼の口から空気が漏れた。その足が地面と離れる。同時に縮小魔法を発動した。手を伸ばして縮んだ男の子を握りしめる。


「そ、れ、と!」


 その場で思い切り空を蹴り上げる。魔法を帯びたその衝撃は数十メートル先まで届いた。彼女の一撃が内包する熱量が、彼に凍らされたと思われるあらゆる物を暖めて、安全に溶かしていく。解凍された人たちが自分の身に起きたことに戸惑っていた

 ほうと息を吐いたエックスは手を開いて握っていた男の子の様子を確認する。彼は目を回して気絶していた。魔法を使った様子は、なかった。


「さっきの剣かな」


 彼女が蹴り飛ばした剣は、道路脇の植え込みに突き立てられている。頭の中にあったのはルファーの持っていた『聖剣』だった。柄を掴む。すこしだけひんやりとしていた。力を入れて引き抜こうとした時。


「……むむ?」


 剣から何らかの力が流れ込んできた。一度似たようなものを受けた記憶がある。ルファーと初めて対面した時に流し込まれた力だ。その時よりもずっとずっと弱いが、性質は同じ。他者の心を支配しようとする、彼女の嫌いな類のものだ。


「……このっ」


 気に喰わないから逆に力を流し込んでやった。剣は一瞬黒く染まり、かと思ったらひび割れて、粉々に砕け散る。


「ふんっ。清々した!」


 『聖技の連鎖』は既に『魔法の連鎖』に入り込んでいる。これはきっと、その使途からの挨拶。或いはちょっとした悪戯のようなものだろうか。

 手の上で倒れている男の子をもう一度見つめる。彼は完全に意識を奪われたのではないはずだ。泣いていたのだから。意識が残るレベルでしか操れないのか。或いは、わざとそのレベルの洗脳に留めて、彼の反応を楽しんでいたのか。どちらなのかは分からない。


「けど。どっちにしたって許せないよね」


 男の子をつんつんと軽く突っついてみる。『おーい』と呼び掛けてみるも返事がない。仕方がないので目覚めるのを待つことにする。


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