プレイヤーとコマ
エックスの家の中にある公平の部屋でのこと。彼女は人間大の大きさに小さくなって、彼と一緒にお昼ご飯を食べていた。
「もしかしてエックス、最近疲れてる?」
「えっ」
公平は突然に言った。
「ウィッチがいつ来るか、とか。この前飛行機落とした犯人はどこに居るのか、とか。最近気苦労が多いしさ」
「いやいや。ちょっと待って。ボクは別に……」
「でもなあ。最近微妙に特訓が優しいし」
「えぇ!?」
彼の言い分に、エックスは戸惑う。何度か目をぱちぱちさせる。もしかしたらこちらの言葉の意味が分かってもらえてないのかもしれないと、公平は補足の説明を続ける。
「いや。エックスはさ。そういう状態だと事故が起きやすいからなんだろうけどさ。いつもより過剰に加減するんだよ」
「……ほんと?」
エックスは気付いていなかった。ただ公平が自信満々に言うので、きっと本当のことなのだろうと思う。自分のことは案外分からないものである。
「そっか。そうかもね。うーん。そうか。ボクは疲れているのか」
思えば。公平の言う通り最近面倒ごとがやたらと多い。ウィッチの件。『聖技』の件。一つ一つですら対応を間違えたら人間世界の危機となる出来事である。それらが今、互いに絡み合って一緒になって襲ってくる。疲れていたとしても仕方がない。
公平は食べ終わった食器を重ねて流し台へと持っていった。スポンジに食器用洗剤を着けて皿を洗う。その後ろ姿をエックスはじいっと見つめる。
「そっかあ。それじゃあ。今日はもう、気晴らしに時間を使おうかな」
「んー?気晴らし?」
「そ。今日の特訓はお休みにする。今のままやっても非効率的だからね。一日休んで疲れを取ってからにしよう」
「俺はそれでもいいよ」
皿洗いを続けながら答える。
「それで何するんだ?映画でも見に行く?それともどっかにご飯食べに行こうか」
「うーん。そうねえ。映画もいいし一緒にご飯を食べに行くのもいい。このまま部屋に居て読書をするのもいいよね。公平と遊ぶのは何であってもとても楽しいのだけれど」
「照れるなあ」
皿の水気を取って水切り籠へと並べていく。今の公平にはエックスの表情は見えない。だから彼女がとても悪い笑みを浮かべていることに気付いていない。
「でも今日は気晴らしに専念するんだから。もっと楽しいことをしようと思う」
「んー?もっと楽しいことって?」
「公平で遊ぶこと、さ」
「……あン?」
おかしな言い方である。公平は訝しんで振り返った。しかし、既にエックスはそこにはいない。代わりに部屋の天井が持ち上げられる。気付いて上を向くと巨大な手が自分に向かって伸びてきた。
親指と人差し指、それから中指を伸ばして摘まみ上げようとする。三本の指が公平のすぐ目の前にまで迫り、止まる。
「あっ、と。その前に。そのお皿置いた方がいいよね。割れたら危ないし」
「変なとこで冷静だな」
と。公平は冷静に答えた。いい加減彼女の悪戯にはもう慣れた。慌てるような段階はとうに過ぎている。
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エックスは机いっぱいに白紙を広げた。続いて魔法を発動させて、広げた白紙にイラストを描く。四角のマスを並べて作られた道。その脇には木や建物の簡単な絵が描かれていた。
「これは……。すごろく?」
「うんっ。すごろくさ」
言いながらスタート地点に公平を載せる。
「ちょっと待って。俺もしかしてコマ?」
エックスはこくりと頷いた。それから魔法で作ったサイコロをころころと転がせる。
「待って待って。俺まだ納得してないよ」
「あ、6だって。幸先いいね」
「聞けって!」
「はーい。1、2、3……」
エックスは問答無用で公平を摘まみ上げて、一つ一つマスを進めていく。その間も話を聞けと文句を言ったのだが、聞き入れてはもらえなかった。
「5、6と」
「分かったよもう……。やればいいんだろ。ん?なんか書いてあるな」
公平の止まったマスには何らかの文章が書かれていた。それを読み上げる。
「『イベントマス:カレーを食べて元気が出た!次は二回サイコロを振る』だって」
「おっけー。じゃあ今カレー用意するねー!」
「えっ?ホントに食べるの!?」
「当然でしょー?」
言うとエックスの姿が消えた。と、数分後に人間大の大きさで戻ってくる。その手にはコンビニのレジ袋を携えている。
「はい、カレー」
「あ、ああ。ありがと」
中を覗き込むと加熱されたカレーが入っていた。公平はその場に腰を落としカレーを食べ始める。ちょっとだけ分かってきた。これはただのすごろくではない。発生したイベントをそのまま実際に行う実感型のすごろくなのだ。
チラリと視線を上げる。元の大きさに戻ったエックスがニコニコ顔で自分を見つめている。こうやって遊ぶことで気晴らしをしようというのだろう。面白い。それで楽しんでくれるなら喜んでやってやる。残ったカレーを一気に食べ進めた。
「よっしゃあ!元気出たぞ!」
「おーっ。イベント通りだ!」
本当は嘘。コンビニのカレーは食べてもあんまり元気が出ない。けれどもそういうイベントなのでそうなったことにする。
エックスがサイコロを2回転がした。最初は4。二回目は3。合計は7。もう少し大きい数字が出てほしかったのだが仕方がない。2回サイコロを振って出た目の合計が7以下になる確率は5/9。1/2よりもうちょっと発生しやすい事象なのだ。
「……うん?確率?事象?」
「えーっと。1、2、3、4」
何か。大事なことを見落としているような気がした。エックスは立ち上がって、自分というコマを進める。何だろうなと思いながらも身を任せる。
「あっ。またイベントマスだよ」
「ん?ああ。次は……」
『イベントマス:コマがプレイヤーの下敷きになってしまった!一回休み』
「ちょっと待って!」
「あちゃあ。一回休みかあ」
「待てって!このゲーム、プレイヤーがコマに干渉することあるの!?」
「あるみたいだねえ」
「白々しいこと言うな!エックスが作ったんだろ!」
「うん。でもそういうイベントじゃあ仕方ないねー」
「まっ……!」
抗議しようとした次の瞬間。公平はエックスの座っていた椅子の上にいた。顔を上げると彼女のお尻があって、その向こうにある顔がにやりとこちらを見つめている。
「ま、まて。一回休みって言ってもさ。他にプレイヤーはいないしすぐに再開できるじゃないか。こんなイベントしなくても……」
「いいや?一回休みだよ公平。休むのはプレイヤーであるボクだ」
ハメられた。思えば最初からそうだったのだろう。あのイベントマスに到達するためには普通にやったら最低でも3手必要だ。2手以内で着くには、最初に6を出してカレーを食べることでサイコロを2回振るしかない。
そしてそれは、確率や事象を自由に操作できるエックスにとっては簡単なことである。ジーンズに包まれた彼女のお尻が近付いてくるのを見つめながら、もっと早くに気付くべきだったと後悔した。
「まっ──」
「ええいっ」
公平の声はエックスにはもう聞こえない。魔法で頑丈にしてあるから潰れることはないが、きっと苦しいはずである。ちょっとだけ身をよじってみた。身体を少し動かす度に、弱々しい微かな抵抗がされる。心の奥がぞくぞくする。
「えへへ。そしたら、一回休み、と」
公平を敷いたままで、魔法で用意した紅茶をこくこくと飲む。彼には悪いが、このすごろくゲームの進行ルートは既に決定している。
「次は5が出るといいなー」
最初から決まっているくせに。エックスのお尻に押しつぶされながら声にならない文句を垂れた。
--------------〇--------------
そして。すごろくゲームは続いた。
「あっ。イベントマスだよ公平」
「知ってるくせに」
「えーっとなになに……」
「知ってるくせに」
「『プレイヤーの指に押しつぶされて一回休み』。ありゃーまたお休みだって」
「知ってるくせ……ぎゃあ」
ニマニマしながらエックスは指先で公平を押し倒した。ぐりぐりと力を入れたり抜いたり。彼の抵抗を楽しんでいる。彼女の気晴らしになれればいいと思うけれども。このまま好き勝手されるがままというのも面白くない。
「よおし。またサイコロを振ろうか。次は2が出る気がするなあ」
「へえ……」
二つ先のマスを見てみる。『イベントマス:コマは靴下に囚われてしまう!一回休み』と書かれてある。一体ゴールに着くまでに何回休むつもりなのだろうか。
「さあさあ。いこうか。えいっ」
エックスがサイコロを転がす。この瞬間公平の瞳が煌めいた。一か八か。上手くいくかどうかは分からないが。
「『レベル5』!」
「うん?」
公平は発動させた『レベル5』をサイコロにぶつけた。エックスの確率操作を突破できそうな魔法はこれくらいしか思いつかない。心臓をばくばくさせながら転がるサイコロが静止するのを、待つ。そして。
「出目は──!」
「……むう。4だよ」
「しゃあっ!」
「ちぇー」
エックスはふてくされながら公平を4つ先のマスに進める。
「またなんか書いてあるな。えーっと」
「おっ。これは初めてだね。『バトルマス』だ」
「なんだそれ。えーっと。『バトルマス:モンスター・角付きウサギが現れた!(HP:20)』……これモンスターとか出る世界観だったんだ」
顔を上げると角のついたウサギが現れた。エックスが魔法で作った人形だろうか。大体公平の腰くらいの大きさである。見た目はウサギだが、これだけ大きいとちょっとした猛獣だ。
「サイコロを振って4以上だと魔法が使えるんだよ」
「なるほど。……ちなみに3以下だと?」
「素手」
エックスはサイコロを転がした。
「ちょっ、とま」
『レベル5』で邪魔する間はなかった。公平は思わず目を覆う。
「おっ!」
出目が出たらしい。公平は恐る恐る目を開いて、彼女を見上げる。
「良かったね、公平。4が出たから『裁きの剣』を使っていいよ。攻撃力100だからウサギのHPをまるごと削り切れる」
「えっ!本当!?やりぃー!」
『裁きの剣』を発動させて角付きウサギに斬りかかる。ウサギは『ウサー!』と言いながら倒れて消滅した。後には金貨が残された。
「ウサギは『ウサー』って言わないだろ」
金貨を拾いながら言う。これは一体何に使えるのだろうか。
「ゴールした時の金貨の枚数で競おうかと思ったんだけどね。一人しかいないからあんまり意味はないよ」
「ふうん。まあ取っておこう」
順調だ。確率操作を止めてくれたのかもしれない。今後大変なイベントやバトルがあるのかもしれないが、種も仕掛けもないサイコロの出した結果ならば受け入れてもいい。
「じゃあサイコロ振るね」
「よしっ。どんとこい」
ころころと転がるサイコロ。止まって、表示された出目をエックスは読み上げる。
「6だって。ツイてるね」
「よおし!このままサクサク行こう!」
1、2、3……と。エックスは公平を進めていく。
「あ、またバトルマスだ」
「へえ。えーっとなになに……。……『バトルマス:魔王・エックスちゃん(手加減)が現れた!(HP:200000)……』
公平はゆっくりと顔を上げた。見るとエックスが悪魔のような飾りのついたカチューシャを着けて立ち上がっていた。
やられた。また確率操作をやられた。下手したらすごろくのマスすら書き換えられているかもしれない。エックス相手に油断してはならないということが、よく分かった。
「ふっふっふっー。魔王エックスちゃんだぞー!」
怪獣みたいなポーズで、楽しそうに言う。
「ふざけるなー!」
公平は思わず叫んだ。




