ショートケーキ・チョコレート・砂糖菓子
エックスが魔法で作った『箱庭』の街。現実の街並みを模した1/1の模型。当然模型であるので人はいない。シンと静まり返っている──はずなのだが。今日は違った。
「うわっ。なんだよコレ」
「ふっふー。これからの特訓をより現実に近づけたいと思ってね」
エックスはしゃがみこんで公平を見下ろしながら得意げに言った。彼の視点からだと、殆ど彼女の下腹部くらいしか状態だ。
『箱庭』の街には車が走り、人々が行きかっている。それらも魔法で作られている人形だった。当然生きているわけではない。プログラムに従って動き回るだけのロボットのようなモノだ。
「あー……。そういえば前もなんかそんな感じの事してたっけ」
「そういうこと。ふふっ今回はちょっと遊びも織り交ぜてみた」
言いながらエックスは立ち上がる。『箱庭』の街が深い影に包み込まれた。地上をキョロキョロと見回して、その日の晩御飯でも考えながら歩いているようにも見える人形に目を付けた。
「うん。あれでいいや」
人形は危機感なくテクテク歩いてくる。エックスは靴と靴下を脱いで適当に放り投げた。それらは模型のビルや車を簡単に押し潰す。公平は無言でそれを見つめていた。
「酷いことするな」
「これからもっと酷いことをするよ」
そう言うと足元まで近付いてきた人形をあっさりと踏み潰した。踵を支点にして足を上げて、公平にその末路を見せつける。
「うげえ。見せるなよそんな……。ん?なんだこの……甘い匂い?」
「ふふふ。気付いたようだね。実はこの人形はほぼショートケーキと同じ材料で作られているのだ!」
「……え?」
意味が分からない。
「小麦粉・卵・牛乳・バター・生クリーム・砂糖。そしてイチゴ。ここにいる人形はそういうものだけで作っているんだ。つまりショートケーキ人間だよ」
「ショートケーキ人間……」
「なので……」
エックスは身体を落とし、手近にいたもう一体の人形を捕らえる。そのまま口の中に放り込んで咀嚼し、飲み込んだ。
「……と、このように。甘く美味しくなっています」
「なんでそういうことするの?」
「ふと思いついたから!」
公平は無言でエックスを見上げた。どこか非難するような視線。しばしそれを受け止めていたのだが、なんだかいたたまれなくなって、コホンと咳払いする。
「冗談だ。理由はちゃんとあるよ」
「普通にそれを言ってくれよ……」
「まあ。単純な話なんだよ。言っちゃえばすぐにわかると思う。ウィッチを相手にすることを想定した特訓だからさ」
「……ああ。そういうことか」
ウィッチ。人間世界を襲う二つの脅威の内の一つ。人間世界で生まれ、そこに住むあらゆる生命を踏み潰し、喰らい、恐怖を撒き散らした魔女。
エックスたち魔女の世界で生まれた魔女は人間を食べない。そういう文化を持たない。それどころかむしろ彼女たちにとっては忌避する行為である。倫理がどうとかではなく衛生的に。だがウィッチは違う。平気な顔で楽しそうに美味しそうに人間を食べるのだ。
「なるべくウィッチと同じような動きをボクもする。時々人形を摘まみ食いするし、踏みつけたりもするし、建物だって壊して回る」
「それを防げるようにもなるような特訓ってことね。……でもさ。1000倍のサイズに大きくなるんだろ。出来るの?そんな器用なこと」
「いきなり大きくはならないよ。最初からそのサイズでやってたら公平の身体がもたないからね」
エックス今後のプランを説明した。これからの特訓は大きく二つのパートに分かれるものとなる。まずは前半パート。こちらでは通常の魔女のサイズで行う。魔法も使うし『箱庭』に作った人形や建物を壊したりもする。ウィッチからの攻撃を受けても街を守れるようになるための特訓だ。基本的にはこちらがメインである。
ある程度やったら後半パート。エックスは1000倍サイズに巨大化して『箱庭』を襲う。ここで言う1000倍とは人間の1000倍の大きさという意味ではない。魔女の1000倍の大きさということだ。つまりはおおよそ100km。エベレストなんかよりも10倍以上大きい、宇宙にまで届く高さだ。
勿論、そんな大きさの生き物と公平との戦いがいきなり成立するなんてエックスは考えていない。暫くの間は『レベル5』を駆使して生き残る事だけを考えてもらう。このサイズに慣れるまでは戦おうなんて思わなくてもいい。一番大事なことは死なないことだ。
「俺はてっきり全部の魔力を『レベル5』に送って……っていうのもすぐに始めるものかと」
「それをやったら暫く魔法使えなくなるからねー。そっちは1000倍サイズのボクから無傷で生還できるようになってからだ」
「なるほど」
「そうそう」
「これモノになるまでだいぶ時間かかるな?」
「まあ。それはもうしょうがないさ」
言いながらエックスは上を見上げて、くるりと指先を回した。それに呼応するように戦闘機が現れて空を奔る。同じように地上に指を向けた。戦車が出現しキャタピラをカタカタ回しながら走行する。
「これは?」
「ウィッチがやってくるなら、こういうのが介入してくる可能性もある。まあ役には立たないだろうけど、一応キミの味方だ。適当なタイミング動き出すようにしておくよ。因みに車や兵器はチョコレートで出来ていて搭載している弾は砂糖菓子だよ」
「じゃあ撃ちぬけないじゃないか」
本当に何の役にも立たない気がした。
--------------〇--------------
連鎖の空を三つの光が飛ぶ。ボウシ・キリツネ・ムームーの三人だ。『聖技』に対する裏切り行為が露呈したため粛清を受けてしまい、自らの連鎖を滅ぼされてしまった。その時はトルトルに助けてもらっている。
トルトルは強い神であるが故に『聖技』との同盟を結んではいない。だが『聖技』とぶつかり合うことを避けてはいる。自分の力では『聖技』には勝てないことを分かっているのだ。いつまでも彼の元に居ては『聖技の連鎖』が『神秘の連鎖』を攻撃する理由になってしまう。三人ともそれを重々理解していて、これ以上迷惑をかけないために自ら飛び出したのだった。
そんな彼らが向かっているのは『魔法の連鎖』だった。『聖技』の連鎖の女神、ア・ルファーに唯一対抗できそうな女神であるエックスに匿ってもらおうとしているのである。
「ここですね」
ボウシたちは今現在エックスがいる場所に入りこんだ。次の瞬間彼らの目に飛び込んできた光景は、街を破壊し人々を踏みつぶして回る巨大な女神──エックスと、それに抵抗する名も知らない人間の男の戦いだった。
「ふふっ。やるねえ。ボクと戦うのもだいぶ慣れてきたみたいじゃないか」
「当たり前だろっ!?」
言うと男は手に持った剣を振った。斬撃がエックスに向かって飛んでいく。彼女は涼しい表情でそれを振り払う。そして手近なビルを男に向かって蹴り飛ばした。
男が持つ剣が姿を変える。細く、研ぎ澄まされた黒い刃。迫りくるビルに向かって振り切った。真ん中の1/3が消失したみたいにビルは左右に分かれ、地面に落ちる。
「おー。そうきたか」
「ッ!」
男が手にする剣は、眩い光と共に再び形を変えていく。
「『星の剣・完全開放』!」
その光に、エックスはにんまりと微笑んだ。手を前へと突き出し、呟く。
「『星の剣・完全開放』」
大きさ以外は全く同じ形の剣。男とエックスは同時に振りかぶる。
「だあああッ!」
「さあ。勝負だ」
光が走った。二人は剣が持つエネルギーを斬撃に変えてぶつけ合ったのだ。その余波がボウシたちを襲い、吹き飛ばす。
「……!ど、どうなった!?あの男は……」
もうもうと立ち込める煙の中で、男はぜいぜいと息を切らしている。満身創痍の状態。剣を支えにして辛うじて立っていた。そんな男に対して、女神は容赦をしない。煙ごと切り裂くような勢いで男の小さな身体を思い切り蹴飛ばす。ボウシは思わず目を背けてしまった。
「……ってーな」
「油断した方が悪いのさ。……おっと。そろそろ軍隊が出動する時間らしい」
真っ黒な戦闘機が空を舞い、エックスに向かって機関銃による銃撃を仕掛ける。地上からは戦車隊が彼女の巨体に砲撃していた。だが。ボウシたちにはその程度の戦力では彼女には対抗できないことが一目で分かった。
「あんなもの、何の意味もない……。バカなのかここの人間は……殺されるぞ」
「あっ!飛行機が捕まった!」
キリツネの言う通り、エックスは自分を撃ってくる戦闘機の内の一つを捕らえる。そして蹴り飛ばした男に向かって見せつけながら言った。
「ほらほら。キミが頑張らないと、こんな風に食べられちゃうぞー?」
そう言うと彼女は戦闘機をひょいと口に放り投げ、むしゃむしゃと咀嚼を始めた。ついでのように歩を進め、足元で無意味な攻撃を続ける戦車を一つ一つ踏みつぶしていく。
「……ふふっ。甘いや」
こくりと飲み込んで言う。ボウシたちは愕然とした。助けを求めようと思った女神は、聖女のように残酷に自らの連鎖にある世界を弄んでいる。
「ほらほらー。そろそろ立たないとー」
エックスはビルに右手を突っ込んだ。もぞもぞと動かし、引き抜く。左手で軽く押し倒すと捕らえた人間を摘まみ上げ、指先で磨り潰す。指先に残る赤い液体をペロリと舐めた。
ボウシはいつしか硬く拳を握りしめていた。自分の連鎖を滅ぼされたトラウマに近い感情が呼び起こされる。やがてそれは怒りへと形を変えていった。
「キリツネ殿。ムームー殿。私はもう耐えられない。彼女に、助けを求めたのは間違いだった……!」
ボウシが震える声を発する間、エックスは右手を傾けて瓦礫に紛れる人影を地面に落とす。咄嗟に彼女の指先にしがみ付いた者がいた。嘲笑うように顔を近づけると、ぴんと左の人差し指で弾き飛ばす。その者は砕けながら落下していった。
「あの女神をどうにかして倒しましょう……。三人で協力すれば……」
「あっ!ま、待って!」
キリツネが何かに気付いたようにして指をさす。ボウシとムームーはそれに従い目を向けた。先ほど蹴り飛ばされた男が、立ち上がろうとしている。
「はあ……。はあ……!」
男は疲弊していた。それでもどうにか立ち上がり、真っ直ぐに残酷な女神を睨む。
三人の神々の心がその姿に揺さぶられてしまった。絶対に勝てない相手だろうに、諦めていない。
「うんうん。そうこなくっちゃあ。本番はここからだもんね」
と、エックスの身体が強く輝いた。地表を破壊しながら、爆発的な勢いで彼女の存在が広がっていく。ボウシたちは慌てて逃げ出した。
やがて光が消えて。天を衝くような巨体を誇る女神が聳え立つ。
「さあ。第二章を始めようか」
そう言うとエックスは大きく足をかかげ、勢いをつけて落とす。先ほど男がいた辺りであった。大地が、空気が、世界が丸ごと揺れる程の振動が襲う。そのまま足を滑らせる。たったそれだけで街が整地されていく。後には何も残らない。
そんな中であっても男は生き延びていた。緋色に輝く刃を手に決死の形相で駆けまわる。ボウシたちはその姿にほっと胸を撫でおろした。
「た、助けに行きましょう。あれでは彼女は聖女どもと変わらない。ムームー殿は彼の元に。私とキリツネ殿の二人で彼女をくい止めましょう」
二人の神はこくりと頷いた。
──勿論、これはエックスと公平の特訓で、蹂躙されているのはエックスが魔法で作った街で、殺されているように見えるのは生き物ですらない人形である。だがボウシたちにはそんなことは分からなかった。
--------------〇--------------
「さてさて。公平はどこかなーっと」
エックスはしゃがみこんで顔を地面に近づける。実際には彼女は公平の位置を正確に把握している。そうでなければ恐ろしくてこのサイズになる事は出来ない。
「ああ。いたいた」
わざとらしくそう言って、足を伸ばして寝そべる。エックスの顔が一層地上へと近づいていく。彼女の身体全体が街を押し潰した。生き残りのチョコレート軍隊は彼女の一挙手一投足に巻き込まれて既に全滅していた。
「ふふふっ。さあて。公平クンは何秒生き延びることができるのでしょうか」
最早魔法を使う必要はない。と、いうより。この状態で魔法を使ったらきっと公平もただでは済まないので使えない。代わりに人差し指を彼のいる辺りに向ける。このまま指を乗せてみようと思った。力を入れる気はないので、きっと公平が怪我することは無い。
ゆっくりゆっくり指を近付ける。彼に触れるか触れないか、くらいのところでその指先が弾かれた。
「……おっ」
ほんの少しだが。ほんの少しだが痺れるような痛みを感じた。きっと公平の最後の抵抗であろう。彼はぜいぜいと息を切らせ片膝をつきながら自分を見上げている。どうやら今の段階ではこの辺りが限界らしい。だがエックスの胸は喜びに踊っていた。彼は自分に『痛い』と思わせることができた。想像以上である。
「それなら次で最後にしようか。それで限界を超えてみようよ」
正直なことを言うと最初の内は数秒くらいで気絶して終わるのではないかと思っていた。だが実際にはどうだろう。巨大化してからもう一分は経過している。ほんの僅かではあるが今の自分にダメージを与えることだって出来た。こうやって決死の特訓を続けていれば、いずれは『レベル5』も完全に使いこなせるようになるはずだ。
「さあ。この一撃。頑張って受け止めてね」
再び指を近づけていく。公平はどうにか立ち上がり、『レベル5』を構えた。エックスの瞳が期待の光を見せる。もう一度と刃を振り上げて、魔力を送り、そして。
「あ……?」
「……ん?」
先ほどよりもずっと早く。何かが彼女の指を止めた。
「んん?なんだなんだ?」
エックスは訝しんだ。
一方で。地上から指先が降りてくるのを見上げていた公平は、上空でそれを受け止める茶色い『何か』を見た。
「うん……?あれなに」
「むーむーむー!」
『それ』は公平の方を向いてむーむーと何事か叫んでいる。反射的に気持ち悪いなと思ってしまった。あんな造形の何かをエックスは作っていただろうか。
「……もうっ。なんなのさ!」
「むっ!?」
指をスマートフォンでスワイプ操作をするみたいに動かして、邪魔者を撥ね退ける。それは生き残っていたビルに衝突して沈黙した。エックスは首を傾げる。今のは明らかに公平ではなかった。
「……まさか!」
思い至ったエックスは思わず声を上げ身体を起こした。それらの衝撃が公平を吹き飛ばす。彼女は思わず口を押えた。そして、それがもうとっくに遅いことを理解して、色々と諦めた目で探知を行った。三つの強力な存在が『箱庭』に入り込んでいる。そのうち二つは彼女のすぐ近くにいた。
胸の辺りで微かに感じる程度の刺激を受ける。エックスはげんなりした。攻撃されている。理由は分からないけど攻撃を受けている。先般現れた二人の神から。
「めんどくさいなあ」
言うとエックスは軽く胸を平手で叩いた。その辺りを飛んでいた二人を巻き込んで。手のひらをじいっと見てみると叩かれた衝撃で目を回している二人の姿があった。一体何がしたかったんだろうとため息を零し、元の大きさに戻る。
ずんずん歩いて公平の元まで行く。彼も気絶していた。先ほどの動作に巻き込まれたせいであろう。悪いことをしてしまった。聞こえていないのは分かっているけれども、ごめんねと言っておく。この分だとビルに突っ込んで行ったもう一人も気絶しているはずである。
「それにしても。この子たちは一体何で襲ってきたんだろう」
手のひらの二人を見た。きっと何か理由があって来たのだろうから、起きたら一緒に話を聞こう。そんなことを想いながら公平を拾い上げる。




