分からなかったこと。分かったこと。
『守護者の連鎖』との──アルル=キリルとの決着がついて数日後。
「よお」
「吾我……」
公平は吾我に出会った。ゼミが終わって帰ろうとしたときの事。実習室の扉を開けたらそこに立っていたのだった。吾我は公平の隣にいる田中に小さく微笑む。
「悪いな。今日もコイツ借りるよ」
「え?ああ。いいっすよ。別に俺のもんではないですし」
「ありがとう」
二人の間で話がついてしまった。公平は不思議そうに眼をぱちくりさせる。
「待てよ。俺の意見は聞かないのか」
「ほら。行くぞ」
「だから!」
公平は戸惑いながらも、先に歩いて行く吾我の後ろについて行った。
--------------〇--------------
吾我と一緒に向かった先は東京のとある場所であった。
「おい。ここって……」
「ああ。北井善が前に使っていた賃貸。アルル=キリルの使途……ライムがいるならここだと思うんだ」
「え……でも北井さん引っ越したんだろ……?」
「入れ替わるように入居者が入っている。契約者は天音翠だとさ」
吾我はどんどん進んで行く。さっさと階段を登り切って、アパートの廊下へと続く角を曲がった。
「ちょっと待てって!」
公平は慌てながら階段を登り切って、廊下の方へと顔を向ける。
「隣の人大丈夫なんスか。全然顔見てないっスけど」
「ええ。こちらもそれを確認したくて」
吾我が北井の部屋の隣の住人と話していた。住人は「じゃあよろしくっス」と言って階段の方へと歩きだした。公平は途中ですれ違って、それからようやく吾我と合流した。
「どうしたんだよ」
「インターフォンを鳴らしていたら出てきた。世間話だよ」
言いながら吾我はインターフォンを何度か鳴らしてみる。反応はない。ドアノブに手を触れると簡単に回った。鍵はかかっていない。
「いくか」
「いくの!?」
「お前はここで待ってろ」
吾我は一人で部屋にあがる。最初に眼に入ったキッチンはそこそこ広い。同棲していた恋人の西出ミリの趣味だろうかと推察してみる。
水の流れる音に気付いた。吾我は他の部屋を無視して洗面所を覗いた。それから風呂場に入った。
「……しまった。遅かった」
「お、おい。それってどういう」
「死んでいる。数日は経っているな。お前は入るなよ」
公平はごくりと唾を呑みこんだ。最初の対面以降は彼女の姿を見ていない。いつ亡くなったのか。流石に北井が東京から引っ越して来てからだと思った。それまでの間死体と同居していたとは考えにくい。
吾我は風呂場から出てリビングに入り込んだ。何枚かの写真を撮る音が聞こえる。その後すたすたと玄関に戻ってくる。
「帰ろう。これ以上ここにいてもしょうがない」
二人はアパートを後にして近くの公園に入った。吾我がどこかに電話をかける。公平はベンチに座って通話が終わるのを待った。
通話を終えた吾我はスマートフォンを暫く見つめていた。
「警察にかけたのか?」
「いや。WW。後は組織に任せた方がいい」
吾我はそう言うと深くため息を吐いて公平の隣に座る。
「さっき何の写真を撮ったんだ」
「遺書」
吾我はスマートフォンを取り出して公平に写真を見せる。
「何があったのか。俺たちにはもう分からない。これを読んで、想像するしかない」
--------------〇--------------
「こんな感じでいいかな」
「どれどれ……。うん。上出来」
私は借りたスマートフォンで撮った動画を、北井善に投稿してもらった。この連鎖には便利な道具が多い。例えばこの手のひらサイズの機械。動画を撮影することもそれを世界中に共有することもできるのだ。
今回投稿した動画は『魔法の連鎖』の女神が夜中の街並みを散歩したり、自分の能力で作った街に人間を引き込んで虐めたりしているところ。メッセージのつもりである。彼女がこれらの映像を見れば、異連鎖の存在が再び現れたと気付くはずだ。──実際には、私はトルトル神が行動している時からこの連鎖に居たのだが。
北井善は前触れなく現れた私をあっさりと受け入れた。彼がトルトル神の使途を恨んでいるのは知っている。それに付け込んで利用しているのは、なんだか悪い気もした。
「よし。それじゃあ。私は次の準備をしてくるわ」
「次?」
「『魔法の連鎖』の女神に宣戦布告をする。その為のデモンストレーション」
「ふうん。その間、僕は何をしたらいい。いい加減に守護者と正式に契約させてほしいのだけど」
「……まあ。それはおいおい」
私の中で、アルル=キリル様が騒いでいる。彼が抱える憎悪。殺意。復讐心。漆黒の感情。他の二人に比べてずっとずっと美味しそうだって。
北井善と契約する守護者はアルル=キリル様以外にはない。アルル=キリル様がそれ以外を認めない。
そして。彼もアルル=キリル様の力を望むだろう。彼には鋼鉄の意志がある。目的を達成するまでは死んでも止まらないほどの信念がある。そんな彼にはアルル=キリル様の力こそが相応しい。復讐を果たせるだけの強い力が彼には必要なのだ。
『よかったのお。これで儂は貴様から離れる。ようやく貴様の願いが叶うわけじゃ』
そうですね、と。私は心の中で呟いた。これでようやく。私は死ねる。
--------------〇--------------
飛竜は愚かであった。
この連鎖の女神は、人間以外を守るつもりがない。貴女たちがどれだけ力をつけたって、彼女に目を付けられたらあっさり滅ぼされる。だから私に手を貸しなさい。私が、この連鎖の女神を倒してあげる。そんなことを言ったらあっさりと味方に付いてくれた。仮に私たちが勝利すれば、飛竜たちもアルル=キリル様に心を食べられて死ぬだけなのに。
飛竜たちを利用することで私はアルル=キリル様の力を『魔法の連鎖』の女神──エックスに見せつけた。これでどうにか魔法の連鎖の管理権を賭けた戦いが成立できた。
「ここから先は、貴方の仕事ですよ。北井善」
「君は。アルル=キリルではなかったんだね」
「ええ。貴方と契約している守護者こそが、アルル=キリル様です」
その力で、私は永い永い時を生きてきた。彼女が離れた今、私の時間も動き出す。いつでも自由に死ぬことができる。喜ばしいことのはずなのに。私の心はどこか曇っていた。
「他の二人と合わせて、貴方たちを一線級の契約者にまで育てます。──それが終わったら。お別れです」
「……そうか。うん」
北井善はどこか穏やかに笑った。
「君には感謝している。僕には、力が無かったからさ。だから。力をくれた君には本当に感謝しているんだ」
「感謝されるようなことではありません。あくまで私は私の目的のために動いているだけですから」
「そうか」
彼は微笑んだまま何度か頷く。
「なら。僕も僕のために戦うよ。君や、アルル=キリルのためじゃなくて。自分のためにね」
「ええ。それがいいでしょう。そうでなくてはならない」
願いを捧げなければ守護者は力を発揮できない。誰かの為ではなく自分のために戦わなくてはいけないのだ。そして。その果てに。
「……ん?」
「どうしたんだい?」
「あ、いえ……」
力を使い続けた果てに、北井善は心をアルル=キリル様に食べられて、死ぬ。それを考えた時に、急に心の奥が痛んだ。
--------------〇--------------
「それじゃあ。僕はここを出て行く。この部屋は君が使うといい」
「え、ええ」
北井善は十分以上に強くなった。彼には才能があった、短い時間でアルル=キリル様の力を使いこなせるようになった。だが。残念なことに。それでも時間が足りなかった。恐らく、一馬の兄の魔法使いには勝てないだろう。後姿を見送る。彼はきっと追い詰められる。それでいい。そうなれば限界を超えて力を使わざるを得ない。心を。アルル=キリル様に捧げなければならない。それで。いいのだ。
「ねえ……」
「うん?」
それでいいのに。私は彼を呼び止めていた。
「どうしたんだい?」
「あ、えっと……」
心が痛むのは彼を騙しているからだ。
「やっぱり……」
「いいんだ」
「え……?」
「力にリスクがあることは分かっている。それでも僕は僕のために戦う」
「……」
「ライム。君は君のしたいことをすればいいよ。それじゃあ」
そう言い残して。北井善は部屋を出て行った。私だけが残された。
ああ。アルル=キリル様が離れていく。既に私の中から消えている。そして今、物理的に遠くへ離れていった。これで彼女からの干渉が消えた。その代わりに彼女からのバックアップも失いつつある。もうすぐこの連鎖の言葉も分からなくなるだろう。
『君は君のしたいことをすればいいよ』
私は北井善に伝えたいことがあったのだ。言葉が分からなくなる前に手紙を書いておきたい。北井善に届くかどうかは分からないけど。彼に謝りたかったのだ。死ぬ前にそれだけしておきたかった。
--------------〇--------------
「……途中からひらがなだけになっているな。意味も通っているような通っていないような。滅茶苦茶な文章だよ」
「……それでも。彼女が伝えたかったことは分かる。彼女が北井さんとどういう風に生きていたのかは分からないけど。彼女が北井さんに謝っているのは分かるよ」
「そうだな」
ひらがなだらけの遺書を見て、なんだか胸が締め付けられるような気がした。途中で言葉が分からなくなって。それでも彼女は北井に謝りたかったのだろう。必死に言葉を勉強して。どうにかこうにか手紙を書き上げて。
「結局。俺たちに何が出来たんだろうな」
公平はぽつりと呟いた。吾我は目を向けずに答える。
「アルル=キリルにこの連鎖の管理権を渡さなかった。その結果多くの人を守ることが出来た。……それじゃあ不満か」
「もっと。出来たことがあったと思うんだ」
吾我は暫くの間黙りこんで、それから口を開く。
「お前。大学院なんかに行かないで、うちに就職したらどうだ」
「え?」
「近い将来、魔法の時代がきっとくる。その時にお前の力はきっと必要だ」
公平は少し考えて。小さく微笑んで答えた。
「やめておくよ」
吾我は小さく息を吐いて、クスっと笑った。
「そうか。気が変わるのを待っているよ」
「行かねえっての」
--------------〇--------------
「ただいま」
「おそーい」
エックスが少しむっとした声で出迎えた。魔女の大きさで。机の上に公平用の机が置いてあって、そこに焼きそばの乗ったお皿が一個置いてある。
「冷めちゃったじゃないか」
「ごめんごめん。吾我に呼ばれてさ」
「……ふふ。まあ事前に聞いてたんだけど。焼きそば暖めなおすねー」
エックスはそう言うと焼きそばの上に手をかざした。ぽうっと暖かい光が零れて、焼きそばを暖めなおす。
「はいどうぞ」
「電子レンジいらねえな」
「そんなものはボクには必要ないのだ」
いただきます。公平はそう言って焼きそばを食べ始めた。食べ進めている間にエックスの大きな瞳がじいっと見つめていることに気付く。
「なに?」
「あんまり、うまくいかなかったんだね」
公平の手が止まる。どうして分かったんだろう。
「うまくいったら公平から言うだろうしさ」
「ああ。そっか。うん。そうかもね。うん」
鋭いなあなんて思って。なんとなく箸を置いた。
「うん。あんまりうまくいかなかった」
「そっか」
エックスは両腕を枕にするみたいにして突っ伏した。彼女の大きな顔が。優しい微笑みが視界一杯に広がる。
「そういうことなら。聞かないでおく。でもそのうち教えてね」
「うん」
彼女はくすっと笑うと箸が進んでいない焼きそばを見た。
「食欲ない?」
「あ、いや。そういうわけじゃあないんだけど」
「ボクが食べてあげよっか」
楽しそうに大きく口を開ける。公平すら簡単に飲み込めてしまいそうな口腔洞窟。鍾乳洞は白い歯。内部に潜み獲物を捕らえる舌が蠢く。暖かい吐息が微かに髪を揺らした。
「あーん」
楽しそうな声がする。公平は皿を手にしてサッと隠す。
「食べるっての」
「早くしないとボクが食べちゃうぞー」
「それは焼きそばのことか。それとも俺を食べちゃうのか」
「焼きそばに決まっているだろっ!」
「そりゃあそうだ」
公平は何だか不思議と愉快な気持ちになった。むうとむくれるエックスに、ごめんごめんと謝りながら箸を手に取る。




