59 皇帝の弟
――クロスのもとにエルナがリゴベルトとともに鉱山に辿り着いたという報が届いたのは、それからすぐのことだった。
「鉱山の精霊術師からの精霊術が飛んできたと?」
「はい……! そうです。やっぱりエルナは生きていましたね、うん、だってエルナだから!」
領主館の回廊をクロスが足早に歩き、その横をカイルが走るように続く。
エルナたちが消えて、すでに二日以上がたっている。生存は絶望的なのではと嘆くランシェロを無視し、クロスは捜索の手を緩めなかった。エルナとつながる竜の鱗は、おおよその位置、またエルナの生存を指し示していたが、鱗の存在を他者に伝えるわけにはいかない。
しかしあるときを境に、エルナの気配が消えた。それはエルナが迷いの森とされる精霊の森に足を踏み入れたためであったが、クロスは知らない。
マールズの地図と広げ、迷いの森で姿を消したと当たりを付けたものの、エルナが進んだ道はエルナのみが精霊に許された道であるため、正規の道を調べたところでなんの進展もなく、捜索は難航した。マールズから借り受けた兵を、下手に迷わせるわけにはいかない。
——エルナは必ず、鉱山にたどり着く。
万一、鉱山以外への道を進んだ可能性、またリゴベルトの所在も不明であるため、捜索は変わらず続けたが、クロスはエルナを信じていた。
——ならば俺は、俺のすべきことを行うべきだろう。
力強く開け放たれた扉の向こうには、クルッシュメントの領主、またアルバルル帝国の面々が揃っている。その中にはランシェロも存在する。
「あ、兄上が、兄上が鉱山にいると聞きましたが……! まさか、誤報でございましょう!?」
クロスはランシェロを一瞥し、すぐさまクルッシュメントの領主へ顔を向ける。
「我が妻からの精霊術が届いたと聞いた。すぐさま詳細を伝えてもらえるだろうか」
「もちろんです。クロスガルド王。お待ちしておりました」
髪をなでつけた壮年の男が、優雅に頭を下げる。
「こちらの技術は、我が国が誇る魔機術と、また精霊術を融合させた技術にございます。残念ながら今は短時間のみの使用が可能ですが……」
テーブルに置かれた奇妙な形をした黒い道具には、飛び出すほどの大きな歯車が二つつけられていた。クルッシュメントの領主が道具に手を添えると、かた、かたかた……と静かに歯車が回る。それを合図に使用人たちが部屋のカーテンを閉め、途端に薄暗くなる。
歯車の先には円錐を逆にした形の筒が。ぱっ、と筒から光が漏れ出る。
『うわ、クロス!?』
エルナの姿が、部屋の壁に映った。クロスはわずかに目を大きくさせたが、すぐさま驚きの表情をかき消す。
「エルナ、息災であったか」
『なんなの? その持って回った言い回しは……ん、おっと。失礼』
クロス以外の人の姿が、あちらにも映ったのだろう。四角い空間の中に、エルナが切り取られたかのように存在している。まるですぐそこに扉が繋がったような奇妙な技だが、映る景色は荒く、ときおり音が飛ぶ。遠くのものを、まるで近くに存在するかのように映す技術。
——なるほど、これが魔機術。
ほしいな、と場違いにもクロスは独りごちるが、すぐさま思考を横に置く。
今はその場合ではない。
『うん。元気。ちょっとくらいは怪我をしたけど。勢い余って鼻血が出たくらい?』
「鼻血か。よし、ならば問題ない。鼻にちり紙でも詰めておけ」
『いやもう止まったってば』
ついつい気安い言葉を吐いてしまったが、すぐに口調を引き締め、尋ねる。
「リゴベルト皇帝の状況はどうだ」
『さっきもマールズの人に伝えたけど、そちらも問題ない。少し毒をくらって横になっているけど、処置は済んでいる。本人曰く、そろそろ全快する……とのことです』
最後はランシェロに視線を向け、エルナは口調を改める。
「よくやった。それで、帰還についてだが——」
『そっちも大丈夫。ちょっと特殊な道を通ったから行きは苦労したけど、帰りは正規のルートを通るよ。そろそろクルッシュメントからの使節団も来るんだろう? その人たちと一緒に帰ろうと思っている』
「うむ。重々注意を払って戻るように」
『わかった。……ん? え、もう終わり? ごめん、また——』
唐突に画像は途切れ、暗い部屋の中で沈黙が落ちる。勢いよくカーテンが引かれ窓から光が入り、唐突に眩しくなった景色を眇める。
クルッシュメントの領主はただの壁となった場を見つめ、「……少し、失礼」と頭を下げて扉から退出する。その姿をカイルは不思議そうに見送った後、クロスに振り返ってにこりと笑った。
「すごいでしょう、魔機術は。これはウィズレイン王国から派遣してもらった優秀な精霊術師がいるからこそできる技術ですけどね。繋がる時間が短いのが玉に瑕ですが」
「ああ。後ほど詳しく話を伺いたいくらいだ。さて——ランシェロ殿」
部屋の端できちきちと指を噛み、背を丸め小さくなっていた男へとクロスは声をかけた。途端、ランシェロは肩を跳ね上げ、「へ、あ、は。何か、クロスガルド王」と、媚びへつらうように笑う。
「貴殿の兄上は息災であり、無事戻られるとのこと。とても喜ばしきことだな」
「あ、はい。もちろんですとも。ええ、本当に……。しかし、兄は毒をくらったと先ほどご婚約者様はおっしゃいました。マールズの方々にこれ以上お手を煩わせるのは大変申し訳なくございます。よければ迎えを、私ども帝国の人間が——」
「不要だ」
切り捨てるように吐き捨てられた言葉に、「……は?」とランシェロは時間をかけて目を丸くする。クロスは白白とした瞳で、ランシェロを見下ろす。
「貴殿からすれば、此度の連絡は不都合なものだろう? 婚約者のもとへと狼藉を行う可能性がある者をむざむざと送るほど、不甲斐ない夫ではないのでな」
「何を、おっしゃっているのです……?」
「貴殿は自国の王の生存に、常に悲観的であったな。悲しみにくれているようにも見えたが、まるで死んでいると決めつけているかのような行動だった。まるで『死ね』と喚いているようにも。此度の件、全ては貴様の奸計ではないか?」
「な、私が企てたこととおっしゃるので……? 弟が兄を襲うなどと、つまりは謀反ではありませんか! そ、そのようなことで証拠もなく疑われるなどと……!」
「ああ。だから調べた」
エルナの捜索と同時に、自身が行うべきことをクロスは行った。
「……は?」
ぽかんとランシェロは口を開く。
家の中でほっと一息をついていると思ったら、竜の巣の中に入っていたような、そんな声。
「まずは襲われた際の貴殿の行動。そして帝国の馬車。貴殿がいた場所のみ、綺麗なほどに無傷だった。クルッシュメントに帰って来た際の発言、接触した人間。うむ。夜間の外出はあまり感心せんな。まるで人目を避けて会いたい人間がいると言っているようなものだ」
「な、な、な……し、心外だ! い、いくら他国の王であるとはいえ、言っていいことと悪いことが……そんなものは、どれも決定的な証拠ではない!」
「おっしゃる通り。ところで、貴殿は鉱山へと兄君を迎えに行くとのことだったが、はて、どのようにして向かうつもりだったのか。やはり自身の護衛を携えてということだろうが……我が婚約者から連絡が来た際に、すでに護衛を動かす準備は行っていたようだ。随分素早い。とても兄想いで素晴らしいことだ」
心にも無いことをつらつら話し、クロスは続ける。ランシェロは段々と顔を青くして、出口に目を向けたが、すぐにマールズの者たちが出口を塞ぐように移動する。——この場は、ランシェロを断罪するために整えられた部屋であることに、ランシェロはやっと理解した。
「皇帝に迎えを差し向け、より重篤な症状となる毒を仕込み、治療のかいなく皇帝は死した……。そういう筋書きだったのだろうな。毒は襲撃の際のものと言い切るつもりだったか?」
まあ、我が婚約者がいてそのようなことになるわけがないが、と失笑する。
「すでにそちらの護衛たちも捕縛している。夜間の外出の際に得た小瓶は、今はどこに持っている? 護衛の剣に塗られた後ということならば、迎えに行くと話した貴殿の発言と合わせ、まあ状況証拠としては問題なかろう。捕縛しろ」
「はっ!」
「やめろ! やめろやめろ! すべては帝国の問題だ、貴様らには関係なかろう!」
「おっしゃる通り。だがここはマールズだ。皇帝への護衛が減ったタイミング、かつウィズレインという目撃者を得て無罪を主張するつもりだったのだろうが、当てが外れたな」
リゴベルトが襲われた際のこと。ランシェロが街に一目散に帰り、まず行ったことは自身が被害者であるとの主張だ。兄の捜索など二の次、いや見つからぬ方がいいと願っていたに違いない。
マールズの兵に両腕を捕縛され、力なく足元から崩れる。
「そちらの国内での争いに口を突っ込むなど野暮にも程があるが、我が婚約者に関わるとなれば話は別だ。ウィズレインを巻き込んだことが、運の尽きだ」
それこそ、リゴベルトが『貸し』と認識してくれるならば骨を折ったかいがあるが、そればかりはわからない。余計なことをと吐き捨てられる可能性もある。
「アルバルル王が戻るまでの間、こちらの管理と預かった方がよかろう。わずかではあるが、ウィズレインからも騎士を出す。要人の投獄の確認をマールズの首都へ通達を——」
「し、失礼致します!」
飛び込んできたのは、先程退出していたクルッシュメントの領主である。どこか青い顔をして、室内を見回し、はたとクロスに目を向ける。
「クロスガルド王、ご報告を! 先程ご婚約者様が、『クルッシュメントからの使節団が来る』とおっしゃいましたが、そういった報告は一切受けておりません! 念の為部下にも確認致しましたが、心当たりはないとのことで……ッ!」
「……なんだと?」
ならば鉱山へ来る者とは、一体なんだというのか。
水を打ったように静まり返った部屋の中で、唐突に高らかな笑い声が響く。ランシェロだった。
「あっはっはっは! 兄上を狙っている者が、私一人であるはずがない! なんせ『血の皇帝』だ! 自身の気に食わぬとなれば、全て殺す! 自身の兄も、母も、父も! きっと、すぐに私も殺される! 赤い目の、赤い目のあいつが、そう言っていたのだから!」
あっはっは、とぜんまいが壊れたおもちゃのようにランシェロは笑い転げる。兵士にさらに掴まれ、それでも床に額をつけて笑い続ける。「……駄目だ、錯乱している」「とにかく移動を」兵士に急き立てされ、ランシェロはかくかくと奇妙な動きで足を踏み出す。もう歩き方も忘れてしまったようだ。
「……赤い目」
呟く。思い出したのは、エルナの言葉。
——ほら、街で一度、帝国の紋章がついた王族専用の馬車とすれ違ったでしょ? そのとき、一瞬だけ赤い目が見えたんだよ。だからてっきりあちらの王族は赤目だと思ったんだけど……。
口元を指で押さえ、俯く。クロスは突如、顔を上げて踵を返す。
「く、クロスガルド王!?」
カイルが追う。クロスは表情を変えず歩を進めたが、見る者が見れば、彼の狼狽に気づいただろう。
「待ってください! どこに行かれるのですか!」
「エルナの元へ。ヴィドラスト山の鉱山へ向かう。今すぐに。嫌な予感がする」
「無理です! あそこの登りは複雑です。それこそ空でも飛ばないと! 今行ったところで到底……」
そこまで叫んだ後で、はた、とカイルは動きを止めた。
「どうかしたか」
「あります」
顔を上げ、まっすぐにクロスと視線を交わす。口元は、緩く笑みを浮かべている。
「エルナに言ったことです。馬よりもすごいもので、荷物を運ぶ技術を考えている、と」
「ほう? 聞こうじゃないか」
いたずらめいた顔で笑うクロスに、カイルも同じような表情を返した。それこそ前世の二人と同じように、ふっふっふ、と怪しく肩を揺らす。
「うちの嫁は、ときに極端に弱くなる。妻を守るのは夫の役目というやつだからな」
「耳が赤くなりそうですが、わかりました。今から準備します! できる限りのスピードで、エルナのもとに送り届けてみせます!」
***
「あ、切れちゃった」
その頃。鉱山の壁面を、エルナはぽかんと見つめていた。




