55 この人間強すぎて怖いっす
魚の腹を握りしめ、エルナはカッと開眼する。
「よしっ! たくさん採れたッ!」
『めちゃくちゃすぎでごんす』
落とした石の衝撃で、ぷか……と腹を見せて浮かぶ魚をしゅぱしゅぱと回収していく。スカートは濡れるとよくないので腰元でくくっている。靴と靴下は川辺に並べ、その隣ではハムスター精霊がちょこんと上手に座っていた。
――迷いの森を突き進んでいくと、なんと沢を見つけた。エルナたちが落ちた川に比べるとちょろちょろと流れる小川みたいなものだったが、どうやらヴィドラスト山から流れ、最初に見た川へと繋がっているらしい。
「仕方ないでしょう。私は水と相性が悪いし……最短で魚を得るためにはこれが一番なんだから」
『そこでいきなりどデカい岩をぶん投げるでがんす……?』
『この人間強すぎて怖いっすぅ……』
ハムスター精霊の隣にて白く細長い体に包まるようにしてぷるぷると震えているのは、おそらくフェレットである。はわわわわわあ、とふわふわの細いしっぽがしゅんしゅん宙をかき混ぜるように動いている。
『このようなことで怯えるとは精霊としてやっていけぬでごんすよ! 愚かなり愚かなり』
『はわわわわ! パイセンッ! しっぽをぷるぷる振って顔を叩くのはやめてほしいっすう! しっぽが短すぎてもはやお尻に叩かれてるっすーッ!』
『愚かなり愚かなり!』
「……騒がしすぎる……」
採った魚を袋に入れて、エルナはざぶざぶと素足で川を上がった。
短い時間の間にいろいろとありすぎて、どっと疲れたような気がする。エルナはため息をついて魚を川辺に置き足を拭きながら、ほんの少し前のことを思い出した——。
「ん? え? なんだこれ、しっぽ……?」
わわわと両手を動かし、目の前でぴろぴろ動くそれを捕まえ、勢いよく引っこ抜く。
ぷらん……と宙吊りになっているのは謎のフェレットだった。縦に長い分、ハムスター精霊よりも少し大きいフェレットは、エルナに引っ張られた衝撃に驚いたのか頭を宙吊りになったまま、ぽかんと口をあけて固まっている。
「……ほんとになんだこれ。うーん、精霊、かな……?」
『……はふッ!? フシャシャシャシャシャ、シャシャシャーッ!』
「おおお、暴れるな暴れるな」
『こいつ……! 落ち着くでごんすよ! こらっ! 違うでごんす!』
『ふしゃ……? フシャシャシャシャーッ!』
「うわあ、さらに暴れてるぞ!? びちびちすごいな!?」
『違うと言ってるというのに……! もういいでがんす! こいつに魔力を与えるでがんすぅ!』
「ええっ?」
精霊の言語をエルナは解さない。人と、精霊の言葉は違うからだ。
しかし例外もある。濃い魔力を配給されることで精霊としての格が上がり、精霊は魔力を流し込んだ者の言語を解するようになる。ハムスター精霊も、そのようにしてエルナと会話が可能となったのだ。
『さあ! 勢いよくズボッと! レッツゴーでがんすーっ!』
「お、おおお?」
言われるがままに暴れるフェレットの口にエルナの指を突っ込む。
『はむぎゅむ!? むぐーっ! むぐーっ! むぐ、む……』
なんだろうこの緊張感は……。むぐむぐエルナの指を食っているフェレットをドキドキした顔でエルナは見つめたが、その後ろでは『あいつは何をやっているんだ』とリゴベルトに白い目を向けられていることは気づいていない。
『ハフアーッ! こりゃあなんとまあ、噛めば噛むほど味のある魔力で……ではなく、離しやがれ! この人間ごときがッ! 先輩をずっと連れ回してるのはお前だな!』
フェレットは可愛らしい顔を皺だらけにしてこちらを威嚇する。いつまでも宙吊りでは可哀想なのでとりあえず言われた通りに地面に下ろしてやると、今度は四つ足になってフシャアと犬歯を見せ、臨戦態勢である。とはいっても、足は短いし体は小さいしで、悲しいことに迫力の『は』の字もない。このまま無視をしてもいいだろうか。
『連れ回れてないハム。望んでここにいるハム』
『パイセンッ!? こんな人間ごときを相手に何を……ん? はれ? なんだこの魔力の喉越し……まるで、濃い原液を飲まされたような……けれどもつるりと喉を通り、あっさりまったり……まるで、上位の存在の魔力を配給されたような……そう、竜のような……竜?』
興奮していたフェレットのしっぽが、ぱたんと地面に落ちる。エルナを見上げる。はわわわ、と小さなお手々を口元にのせ起き上がり、ぺとん、とお尻を地面につけた。フェレットとはそんな座り方もできるのか……と不思議に思ったが、精霊なのでなんでも有りなのだろう。
「…………」
『…………』
『…………』
謎の沈黙が落ち、フェレットはふ、と目を閉じる。
そしてそのまま大の字となって、地面に寝っ転がる。
『……殺せィッ!』
情緒が不安定すぎる。
『もうこいつのことは気にしない方がいいでごんす』
「……たしかに。急いでるし、無視しよう」
『やるってんならひと思いにやれぃッ! 竜の力をもってしてなら一瞬だろう!? 焦らしてんじゃねえっすよぉ! ドリャーッ! じたばたじたばた!』
そしてそこそこうるさい。
「おい。お前は先程から、何を一人で騒いでいるのだ」
「一人って……え?」
リゴベルトから苛立った声が投げかけられ、はてとエルナは振り返った。たしかに少し距離はあるが、見ればわかるというのにと奇妙に思い首を傾げた後で、「あっ」と、悟る。
精霊を視る目を持たなければ精霊の姿は見えないし、声も聞こえない。ハムスター精霊は少し特別な精霊なため、声や姿を自在に操ることができるが、ややこしいので人前ではなるべく普通のハムスターのふりをするようにお願いしている。
つまり今のハムスター精霊はエルナのみが聞こえる言葉で話していて、フェレット精霊(と、いえばいいのだろうか)は地面に転がり叫んでいたため、もし聞こえていたとしてもリゴベルトには誰が話しているのかわからなかっただろう。
つまり、リゴベルトからすればエルナは一人で騒ぎ、一人でわめいて、一人で会話をしていたということになる。
エルナはそっと目を瞑った。なんでこうなってしまったのかと。
「道がわからぬのか? ならばまずは素直に言え。迷いの森を通り抜けることができると自信に満ちあふれている様子だったが、そもそもそれもおかしい。お前はウィズレインの者であろう。ここはマールズの地だ。なぜわかると言い切れる」
更に疑いまでかけられ始めた。いやむしろここまで疑わずについてきてくれた方が、奇跡的なのかもしれない。ようは『命を賭けるか』と問われて、『間違っているわけがないんだから賭ける価値すらないんだが?』と突っぱねたわけだが……。
(待て待て、ここで疑われると、帝国に貸しを作ってやるという目標を達成できないぞ!?)
利き腕を怪我した男一人、怖くもなんともないが、国同士の関わり合いとなるととても困る。ああ~とエルナは頭を抱えた。
(なぜと言われたところで、精霊が見えるという以外の説明はできないわけだけど……)
と、額に手を当て唸り、いや待て、とはたと気づく。
別に、それは言ったところでなんの問題にもならないのではないか、と。精霊を視る目を持つことは珍しいといえば珍しいだろうが、精霊術師には当たり前のスキルだ。ウィズレイン王国にも魔術師ほど多くはないが精霊術師は存在する。
……案内を続けるからには、説得力というものは必要だろう。
「あなたには言っていなかったけど、私は精霊を視る目を持っているの。だからその……つまり、あなたにはわからなくとも、この森には数多くの精霊がいて、その精霊たちに案内をお願いしてるということ」
「精霊……?」
「ええ。ここが迷いの森と呼ばれる所以は、精霊が人を迷わせるせいだから。つまり、精霊の協力を得ることができれば——」
「精霊などと戯言を。お伽噺でもあるまいに」
リゴベルトは長いため息をついて、エルナに近づき見下ろす。
「……お伽噺……?」
「さすがウィズレイン王国の女、と言えばいいのかもしれんな。あちらの国では魔術を精霊術と呼び、魔族がいるだのなんだのと、ただの日常の闇でもさえも不要に恐れると聞くが……」
「精霊術と魔術は、まったく違うけど……?」
何を言っているんだ、とまったく通じない会話を前にして、エルナはきょとんと瞬く。
「同じだろう」
しかし否定する言葉は、こちらと同じニュアンスだった。お前は何を言っているんだ、とばかりにリゴベルトは片眉を持ち上げる。
「いや、同じって……」
似ているといわれれば似ているが、精霊術と魔術はまったく別の力だ。
魔術は自身の内側の力を使用する。ようは生まれ持った才能が必要であり、精霊術とはその名の通り精霊の力を借りる。そのため才能よりも本人の素養に影響されやすく、エルナが持つ精霊を視る目すらも後天的に獲得することすら可能だ。エルナがエルナルフィアであった頃、人々の多くは精霊と語らい、ほんの少しの小さな力を借りていたものだ。
(それを、精霊術は存在しないって……?)
信じられないことだが、リゴベルトは嘘を言っているようには見えない。
「まあいい。貴様らが話す精霊術とは、なんらかの自然の理の隠喩ということだろう。森の形を見てここまで来たが、先がわからなくなったということか?……ふん。水の音が聞こえるな」
「え?」
リゴベルトは鼻で笑い、エルナの肩を押すようにどかし、無理やり横を通る。「ちょっと……」と、男の背に不満を投げかけたところで返事があるわけがない。精霊たちの様子を見ると道が間違っている様子ではなさそうだとエルナはリゴベルトを追いかけた。
そしてぽつんと取り残されたフェレットの精霊はというと、しばらくの間ぽかんとエルナたちを見送ったが、
『お、おいらも行くっすー! 待つっすぅ!』
ぺそぺそぺぺぺぺそと短い手足を動かしてエルナのあとを追った。
「わ……」
リゴベルトは迷うことなく突き進み続け、とうとう小川にたどり着いた。ヴィドラスト山の山頂から流れているであろう澄んだ水が、陽光の中にきらめていた。泳ぐ魚の鱗でさえも輝き、清涼な水を吸い取っているからか、むっと緑の匂いが濃くなる。ぱちゃっ、と水が弾ける音が聞こえ、同時に、ぐおおおおおおお、と獣の鳴き声が響いた。エルナはぎょっとしてリゴベルトの腹に目を向ける。獣の音ではなく、リゴベルトの腹の虫が鳴いた音だった。
リゴベルトは表情を変えることなく、無言のままに川を見つめ、靴が濡れることも構わずのしのし、ざぶざぶと川に入る。
「なん……ええ? ちょっと!」
何をしているんだと声を上げる前に、リゴベルトは素早く左手を使い、素手で魚を掴む。シュパアッ! という効果音が目に見えた。そしてまた川から上がり、勝手に木の下へと移動する。少し時間は早いが、あれが夕ご飯ということだろうか。
「…………」
『あいつ、熊か何かっす?』
いつの間にかくっついてきたフェレットの精霊が呟き、仕方なくエルナも魚を採ることにした、というわけである。




