49 友との再会
エルナたちがマールズの国境を越え、さらに会談が行われる予定の街——クルッシュメントに着いたのは、それから十日後のこと。ウィズレイン王国から旅立った馬車の数は初めよりも数を減らし、クロスとエルナ、エルナの侍女としてノマと、幾人かの使用人と御者、数人の護衛の騎士を連れてという、国を越えて王とその婚約者が立つには驚くべき少なさだ。
クルッシュメントはマールズの王都ではなく、あくまでも今回の会談のために帝国から指示されただけの街である。場所を借りながらもマールズという国そのものからの干渉は拒むという、ひどく一方的な態度を帝国は取っているわけだが、マールズの王も、そちらの方が気が楽だったのかもしれない。
クロスがマールズへと送った伝書魔術への返答は、『すべて帝国の望むままに』。あちらもあちらで、小国でありながら帝国とウィズレインに挟まれ、日々頭を悩ませているに違いない。
「クロスガルド王、お久しぶりです! それに、エルナも!」
クルッシュメントの門を潜り抜け、さらに領主の館に着いたエルナたちを出迎えたのは、長い銀髪を一括りにまとめた美しい青年だった。
「……カイル!? 来てくれたの?」
「もちろん。僕はウィズレイン王国との交渉役だものねぇ。何があってももちろん来るさ……っと」
失礼しました、とカイルはエルナから一歩引き、クロスへと頭を下げる。
「……お二方とも、ご婚約、おめでとうございます」
「すでにマールズ国からの祝辞は受け取っている」
「うふふ。僕個人からも、ぜひともお伝えしたかったので」
「そうか。では貴殿からも、改めて受け取ろう」
言葉としては距離を感じるものの、クロスの表情は柔らかい。
カイルは、過去、発明の天才と謳われたカイルヴィスという男の生まれ変わりだ。カイル本人には前世の記憶はなく、わずかに心の底にある想いを引き継いでいるのみなのだが、その見た目は、前世とほぼほぼ変わらない。
カイルヴィスの親族の血を継いでいるための偶然なのだろうが、その見かけも相まって、エルナはときおり複雑な気持ちに陥る。クロスは王として割り切っているようだが、カイルという男自体に好感を持っているのだろう。
エルナの隣では、ノマがじいっと訝しげな目でカイルを見ていたので、後で大丈夫だと伝えておかねば、とこっそりと考えた。カイルがウィズレイン城の賓客として扱われていた際、彼がキアローレを探すために不審な行動を繰り返していたことはメイドたちには有名な話である。
エルナの頭の上にて『ひまわりの種がないか聞くでごんす……』とぽそぽそ話すハムスター精霊を無視して、「今回はそっちもいきなりで、大変だったね」と無難に話を続ける。
カイルはにっこりと目を細める。
「いやぁ、そちらほどではないよ……ご宿泊場所へ、馬車や荷物は移動させてもらいます。使用人の皆さんもどうぞ。皆さんも馬車でご移動もできますが……よければ、ぜひ、クルッシュメントの街を案内させてください。王都ほどの華やかさはありませんが、きっと気に入ると思います」
後半の言葉は、クロスへと微笑みながら。
「ウィズレイン王国からは距離がありますから難しいと諦めていましたが、本当は、ずっとこの街にお呼びしたいと思っていたんですよ」
と、嬉しそうに話すカイルの真意がわかったのは、このすぐのことである。
街に入ってすぐは、その不可思議さにまったく気が付かなかった。
「お、おおお、おおおおお?」
エルナはぱちくりと青い目を瞬かせ、ノマも同じく両手を口元にのせ、わわわわと小刻みに震えている。さすがにクロスは王らしく堂々としたものだったが、心の内までは覗くことはできない。
ウィズレイン王国から来た騎士たちも、誰もがぽかんと口をあけて、驚いた顔をしていた。
なんせ、鉄の馬が動いている。生きている馬ではない。鉄の馬だ。
「馬車!? これが!?」
「精霊術……では、なさそうだな」
エルナは指を差したまま仰天してしまったが、クロスが腕を組みつつ冷静に視認している。
街の中でときおり通る馬車は、よく見るとすべて馬が鉄で出来ており、さらに御者が乗っていない。多少の不自然さはあれど、走行には問題ない程度には自在に動き、ぱかぱかと過ぎ去っていく。
町並み自体は、ウィズレインの王都とは大差ないように思えたが、例えば公園には捻るだけで水が出る蛇口という道具が設置されており、バケツを持った人がずらりと並んでいる。店の前を通り過ぎると、自動で扉があき、中からは適度に涼しい風が流れてきた。『ごんすぅ……』とエルナの頭の上のハムスター精霊も嬉しそうに涼んでいる。
「魔機術といわれる技術です」
先導するカイルが、どこか誇らしげにむふん、と胸を張っている。
「マールズは国土が小さい分、精霊からの恩恵も少ないので、ウィズレイン王国では古代遺物と呼ばれる仕組みを独自に研究し取り入れている……と以前お伝えしたことがありますが、それです。特にこのクルッシュメントでは最先端の魔機術を取り入れているんですよ。クルッシュメントで試されたものが、最終的にマールズ国の各地へと広がっていきます」
「古代遺物……たしかに、似ているかも……」
自身にしか聞こえない声で呟き、思い出すのはカイルの前世、カイルヴィスのことだ。
カイルよりも、ちょっとだけちゃらんぽらんで、いつも口調は間延びしていて、それから面白いことが大好きだった。彼は発明の天才と謳われ、今では古代遺物を呼ばれるような様々な発明品を生み出した。紅茶がいくらでも湧き出るポットやカップ。お菓子をのせたときだけちょっと浮くピクニックシート。手を叩くと花が生まれる花瓶。
そういったカイルヴィスが興味をそそられ作られた小さなものから、ウィズレイン王国の城を包む巨大な結界まで、その発明は多岐に亘る。
「うふふ。実は僕はこの魔機術の第一人者でもあります。いやあ、子どもの頃から魔機術や古代遺物が好きで好きで……家中の魔機術を分解しすぎて、親には怒られたものです! 以前にウィズレイン王国へ使者として訪れた理由は、あわよくばそちらの国の古代遺物を見ることができないかな~なんて思惑もあったり……」
えへへ……とカイルは頭をぽりぽりかいて、しっぽのような長い髪をふりふりと左右に動かしている。子どもの頃のカイルの姿が目に浮かぶようだ。
くふふ、とカイルはなぜか悪い顔をして、ひそひそとエルナに話しかける。
「今も、色々と新しい発明を考えるんだよ。……ここだけのお話だけど、馬よりもすごいもので、荷物を運ぶ技術、とか」
「馬よりも、すごいもの……?」
はて、と考えてみる。カイルはくふくふと嬉しそうだ。エルナの頭の上で、ハムスター精霊が興味がなさそうにしぴぴぴぴ、と自分の耳を足で引っ掻いている。
「……うーん。たくさんのハムスターで、たくさんの荷物を運んだり、ハムスターたちが力を合わせて、大きなものを移動させたり、とか?」
「ンッハーッ!」
なぜかめちゃくちゃ両手を叩かれて笑われてしまった。
「いいね、そういうのも考えておくよ!」
なんなんだよ……とエルナは耳元を赤くして、ひっそりと頬を膨らませる。
元竜でもさすがに恥の気持ちくらいはある。しばらくそのままそっぽを向いていたが、じろりと視線を移動させるとカイルとクロスは互いに何かを話し合っていた。おそらく、魔機術についての話なのだろう……。
「あの人って、前にウィズレイン城をこそこそしてた人よね?」
こそっとノマに話しかけられて、「そうだよ」と頷く。
「怪しく見えるけど、そんなに怪しくないよ、大丈夫」
「ほんと……? ふうん……」
大丈夫と言われてもやはり疑うように唇を尖らせるノマと並んで、エルナはカイルの横顔を見つめた。魔機術が古代遺物に似ているとは思ったが、やはり少しだけ違う気がしたのだ。なぜだろうと考えて、そうかと瞬く。
水も、馬も、涼しい風も。マールズで作られる魔機術は、人々の生活に役立つものばかりだ。
カイルヴィスも友人たちの役に立つものをとよく発明を楽しんでいたが、大勢が日常的に使うことができるものかといわれると、やはり違ったような気がする。
『みんながハッピーになるものを作りたいんだぁ』
死んでしまった友人の声が、今もふと蘇る。
寂しいと、嬉しい。
この感情の色を、エルナはもう別けて考えることができなくなっているのかもしれない。
ふ、と勝手に口元に笑みがのる。
(……そうか。お前がいうみんなは、もう、この国の人々のことなのだな)
人は変化する。だからこそ寂しくて、愛らしい。
「……エルナ?」
「……んっ」
すっかり考え込んでしまっていたから、はたはたと目の前で振られたカイルの手に気づくまで時間がたってしまった。妙な反応をしてしまったことに照れてしまい、口元を一文字にする。自然と、周囲の視線がエルナに集まっている。
「さっき、クロスガルド王とも話していたんだけど……これ、試作品なんだよ。よかったら、もらってくれる?」
「試作品って、魔機術の? というか……布でできた袋?」
「ただの袋じゃないよ。この袋はとっても小さいけれど、見かけよりもずっとたくさん入るんだ。うーん、なんでかな……この間そっちの国に行ってエルナに会ったあとに、唐突に思いついて……。こうね、中の空間と外側の空間をちょっとだけずらす方法で作ったんだけど……」
「…………」
それってもしかして、とエルナは視線を遠くした。
前世カイルヴィスが自身の工房を爆発させて破壊してしまった際にヴァイドから全力で怒られ、頑丈な工房を作ることになったときも同じような内容を言っていた気がする。中と外の時空を少しだけ捻じ曲げたので、これでもし次に爆発があっても何かあるのは僕だけだよね、とかなんとか。そもそも何度も爆発するんじゃない。
クロスも同じように考えに至ったのか曖昧な表情をしていたが、エルナと目を合わせると軽く頷く。うん、と互いに確認をした。
「じゃあ、もらおうかな。ありがとう。うーん、何を入れようかな……」
さっそくハムスター精霊が飛び込むように入ったが、袋の外側ではまったく変化がわからない。
「へぇ……ほんとにすごい」
「どういたしまして」
あっぷあっぷ、と袋の口から出たり入ったりと繰り返すハムスター精霊を助けてやって、改めて周囲を見たそのときだ。
立派な馬車が、通り過ぎた。
魔機術でできた鉄の馬ではなく、箱型のキャビンには大きな紋章が刻まれている。
まるで氷でできた虎を思い起こさせるデザイン。——アルバルル帝国の紋章。
かたん、かたん、かたん、かたん、かたん……。
馬車が回す車輪の音だけが、不思議とよく聞こえた。まるでそれ以外の音は消えてしまったかのように。自然と、視線が縫い付けられる。馬車の窓はカーテンで締め切られており、中を見ることができなかった。けれど、一瞬。
わずかなカーテンの隙間から赤い瞳のみが覗いた。
「…………!」
すぐさま揺れるようにカーテンが閉じ、馬車は消え去っていく。
いつの間にか、周囲の喧騒が戻ってくる。クロスは平然としたものだが、ノマや、少数しかいない護衛の騎士たちはあまりの緊張に言葉すら失っていた。
「……アルバルル帝国の方々は、また別の宿泊場所にご案内しています」
そうした空気を機敏に感じ取り、カイルは少しだけ声をひそめて伝える。
「到着の時刻が、予定よりも早まったようですね……。すぐにマールズの者たちへと通達が出るはずです。みなさんがご滞在の間は、これ以上帝国と関わることはありません」
ですから、と言葉を区切って。
「——次に帝国と会うときは、実際に話し合う、そのときになるかと」




