48 ハムスター、泣く
『エルナ様が行くとおっしゃるのならば、私だって行きますぞうっ! ちゃんと隠れますぞ~!』と、ハルバーンはじたばたと暴れていたが、『公爵は無理だ』とクロスが一蹴したことで、話は終了し、ハルバーンはクロスがいない城を守る役目を担うことになった。
『ならば私はヴァイド様とともに。この人畜無害である老いた姿が役に立つことがあろうとは』
と、コモンワルドはなぜか誇らしげだったが、どう見ても背筋がぴんと伸び過ぎているし、かつ見る者が見れば、細い彼の体が鍛え上げられたものであることはわかる。エルナもたまに感じていたのだが、コモンワルドの所作は武芸に精通する人間のそれである。
執事長とは名ばかりの王国の知恵袋コモンワルドは自信満々に胸を張っていたが、すぐさまこちらも却下されショックを隠せぬ様子だった。彼も同じく王国の守りに徹してもらうこととなった。
こうしたことを馬車の中で思い出しながら、エルナはマールズ国へと向かった。
(……私は、このためにクロスと婚約したんだから)
蚊帳の外のまま後悔するのは、もうたくさんだ。
自身が足を向けることで、ノマまで巻き込むことになったのは大きすぎる誤算だったが。
「……ノマ、大丈夫?」
「……ふわっ。だいじょうひゅよ。起きてるわひょ?」
「いや、ほとんど寝ていたよ」
ふと隣に座るノマを見ると、うとうととノマが船を漕いでいた。
隣国といっても、マールズ国までは馬車で一週間ほどはかかる。
隣国との距離にしては随分近いように感じるが、これはマールズ国がもとはウィズレイン王国の一部であったことから、近隣の村々同士では交流があり街道が整備されていること。また馬車が王都特性の風の精霊術がかけられ軽量化していることで、馬が休憩することなく長時間の走行を可能となったためだ。このあたりの話はブラウニー夫人の授業から得た知識なのだが、馬車自体は快適でも、やはり慣れない旅路は辛い。
「ほら、寝るなら私の膝を使いなよ。うとうとしているだけじゃ、逆に辛いんじゃない? 寝るならさくっと寝てしまおう」
「でも私、エルナの侍女なのに……」
「ノマの眠気がすっきりしたら、次は私がお願いするよ。マールズ国の国境を越えるにはヴィドラスト山を迂回しなきゃいけないんだから。そこからさらに話し合いをする街まで行くわけで、体力は温存しておいかないと」
ほら、ほら。とぱすぱすと自分の膝を叩くと、ノマは瞳をしょぼつかせ、あっという間にエルナの膝の間に沈んでしまう。健やかな彼女の寝顔を見て、わずかに口元を緩める。
(……ジピーの奴、ノマが私とマールズに行くといって護衛に名乗りあげていたけど、無理だとわかって悔しがっていたな)
武器の所持を禁じられているのは、あくまでもアルバルル帝国が臨席する会談のみ。国境の行き来については指定されているわけではない。とはいえ帝国を刺激するのは避けたい。現在は限られた騎士たちが馬車の周囲を護衛しているが、国境を越えると、さらにその数は減る予定だ。だからこそ騎士はハルバーンが厳選した少数のみで固められ、ジピーはその中に入ることはできなかった。
(毎日堅実に生きていければそれでいい、と言っていたけど、あれはそんな顔ではなかったな……)
自身の力不足を悔やんでいる顔。
それは鏡越しに、何度も見た顔だから、気持ちはとてもよくわかった。
人と関わり合うことで、自身も、他者も、少しずつ変化していく。それは恐ろしくもあり、楽しみでもあった。旅立つ前にカカミがいる教会を立ち寄ると、『ええっ!?』とカカミは桃色髪を驚きと一緒に揺らした。
『エルナさん、しばらく旅に出ちゃうの!? えええ、大丈夫!? それならぜひとも、私が作ったどんなときでも大丈夫セットを持っていってね!』
と、色々渡されてしまった。カカミ風に言うのなら、『すごく頑丈な水筒とか紐』や『とっても薄くて小さく畳めるのにあったかいひざ掛け』である。使うことがあるのだろうか……と疑問に思いはしたが、大して荷物にはならないし、まずは気持ちがありがたかったので持って行くことにした。今も馬車の端に積まれている。
ちなみに婚約の発表を人々に行ったことで、エルナがクロスの婚約者であることをとうとう知られてしまったのでは……と、懸念したが、『婚約者様のお顔を見たかったけど、人が多すぎて埋もれちゃって、よくわからなかった!』とのことだった。ほっとすればいいのか、説明する機会を逃してしまったと思えばいいのか、実はよくわかっていない。
——そして。
「……なんで、あなたも来ちゃったの?」
ノマの頭をなでながら、エルナは静かな声を落とす。
馬車の向かいのソファーには小さな影が、すっと立った。ふわふわとしたクリーム色の毛並みをしていて、くりっとした瞳が可愛らしい、小さなハムスター。
『行かないという選択肢はないでごんす!』
ぷひぷひ、とハムスター精霊はご機嫌にピンクの鼻を膨らませたが、ノマにせよ、どうしてこうもうまくいかないのか……。
『お出かけならば、もちろんついていくでがんす! レッツらゴウでごんす~! ぷひひっ』
「やる気が満々なところ悪いけど、遊びに行くわけではないよ……?」
まさかこのハムスター、物味遊山のつもりではないかと若干不安になる。
『わかってるでごんすっ。むむっ』
頬袋をぷすっと膨らませてそっぽを向く姿を見ると、苦笑してしまった。
「ごめんって。冗談だよ」
『むふん……。そろそろ捧げる踊りも溜まってきたでがんす。何かできる気がするでごんす!』
さあ見よ! とばかりにハムスター精霊はエルナの前でしゅっしゅと両手を交互に動かし、腰をキレよく動かして踊っている。まったくよくわからないが、たまにハムスター精霊がしている謎の動きなので見覚えはある。
「まあ……その動きを見て、向こうもちょっとは和むかもしれないね」
と、つん、と優しくつついて笑いを噛み殺しておく。
『くすぐったいでがんす~』
「はは。……でも、来るとは思ってなかったから、ひまわりの種を持ってくるのを忘れちゃったなあ。向こうにもあるのかな」
『……ひまわりの種がないことなんて、ありえるでごんす……?』
「そりゃああるよ。いきなり言ったらないことの方が多いと思うよ?」
まあでもいいよね、精霊だし、ぶっちゃけ食べなくても問題ないくらいだし、とエルナが独りごちるとハムムムム、とハムスター精霊は上から下までぶるぶるっと痙攣した。
『そんなのっ。耐えられんでがんすーッ!』
と、叫ぶハムスター精霊だったが、そもそもマールズ国にたどり着くまで、馬車での移動の最中もひまわりの種を食べることができないという事実には、まだ気づいていなかった。
哀れなハムスターである。
『べりべり、あんはっぴーでごんすぅー!』
「は……え? べり……何……?」




