47 帝国からの手紙
「やっぱり……ノマだけウィズレインに帰らない?」
「どうして? 絶対に嫌。ぜーったいに、嫌よ」
ぷーい、とノマはそっぽを向いて頬を膨らませている。
ノマが座っているのは、エルナが乗った馬車の隣だ。晴れてエルナの侍女となったノマとともにがたがたと揺られ目的地に向かっている。
馬車の中は防音魔術が施されているので何を話しても御者には聞こえることはなくノマは普段通りの様子だが、いざ人目があればぴしりと態度を入れ替えるところは、さすがブラウニー夫人の選抜テストを潜り抜けただけはあると感じてしまった。
『私もエルナの侍女になりたかったァ!』と、ハンカチを噛んで悔しがってくれたのは、三人姉妹と呼ばれるメイドの同僚たちである。『またの機会があればぜひともお呼びになってちょうだいね』と声を合わせて三人一緒にポーズをつけていた。それはそれで賑やかで楽しそうだが、環境の変化についていけていないため、しばらくはノマだけにお願いしようと思っている。
「嫌じゃなくってさ、ちゃんと考えてよ」
「……絶対に行かなきゃいけないのはヴァイド陛下だけで、本当はエルナだって行く必要はないでしょう?」
「それは、その通りだけど……」
「じゃあ、危険を賭してエルナが行くっていうのに、私もついていかない理由はないじゃない。それに、国王陛下の婚約者としてマールズ国に行くというのなら、絶対に侍女は不可欠なのよ。それくらい、わかるでしょ?」
「その通りだって、わかってるけど……」
思わず同じ言葉を繰り返してしょんぼりとしてしまう。
馬車の窓からは外の景色が流れるように移動していた。
「危険を賭して、ねぇ……。まさか、ちょっと前までは考えもしなかったな」
漏れ出たのはため息だろうか。エルナの口元は皮肉げに笑みを作り、窓の外を見つめる。
馬車の中はエルナとノマの二人きりだが、他の馬車からは同じようにクロスが外の景色を見ているかもしれない。
「――アルバルル帝国のやつらと顔を合わせに、マールズ国に行くことになるだなんてさ」
アルバルル帝国からの書簡がウィズレイン王国へと届いたのは、つい一週間前のことだ。
帝国曰く『うっかりとはいえ、国境線を越えてしまったことに対する謝罪をしたい』、といったようなふざけた内容ではあったが、送ってきた以上無視をするわけにはいかない。
しかし今までのらりくらりと避けていたのに、なぜ今になって送ってきたのか。
「嫌がらせだろうな」
「嫌がらせでしょうね」
「嫌がらせでしょうなァ! なハッハッハァ!」
クロス、コモンワルド、ハルバーンの順である。
ハルバーンが話した瞬間、エルナも含めその場にいる全員が耳を塞いだ。遅れたハムスター精霊が、ハルバーンの笑い声の呼気に吹き飛ばされ『ゴンスーッ!』と悲痛の声を上げている。ちなみにクロスとエルナ以外、ハムスター精霊が普通のハムスターではないことを知らないので、妙な鳴き声のハムスターと認識している。
会議室にて届いた書簡を広げ、現在エルナたちは顔を突き合わせて眉をひねらせていた。
「……嫌がらせってどういう……ことですか? ハルバーン公爵」
「エルナ様は陛下のご婚約者であらせられます。どうかこの老骨は、ハルバーン、と。普段通りにお話しください」
「……では遠慮なく、ハルバーンと呼ぶよ」
「おほっほう! まあ陛下は何度お伝えしても、爵位付きで呼ぶんですがなァ! あとまだまだ現役のつもりですから、老骨は言い過ぎですかなァ! おっほっほっほ~うッ!」
「ハルバーン、耳が痛いから叫ぶのはほどほどにして……」
「エルナ様。公爵はさておき、私も今後は、コモンワルドと呼び捨てになさってください」
「ええ、コモンワルドさんまで?」
人のルールは面倒だな、と心の中で苦い顔をしてしまう。
ブラウニー夫人との授業でわかったつもりになってはいたが、いざ現実に対面して受け取るとなるのはまた別だ。
「……よしわかった、コモンワルドだね。それで、嫌がらせってどういう意味?」
「いうなれば、俺は新婚だからな」
クロスは腕と足を組んだまま、深く椅子の背にもたれる。
「いや新婚ではないけど」
あまりにも堂々と言うため一瞬反応に遅れてしまったが、クロスはエルナを無視して続ける。
「王都の復興にも、目処が立ってきた。そして王の婚姻ともなれば国を挙げての慶事となる。そこに水を差そうという魂胆だろう。現に、今この国においてやるべきことは多くあるからな。ちんたら話し合いで時間を使ってもいられん。だからこそ、この場のみで話をまとめ上げるべきだと声をかけたわけだが……」
本来なら国の重鎮を呼び、一つひとつ精査を行っていくべき現状だ。
独断を厭うクロスらしくない行為ともいえる。が、これには事情があった。
送られてきた書簡の内容を確認し、クロスらしくもなく苛立たしく眉をひそめ、ため息をつく。
アルバルル帝国から送られてきた書簡には、『国境線を越えてしまったことに対する謝罪を、直接顔を合わせて行いたい』といった旨も書かれている。それ自体はおかしなことではないが、場所が場所だ。簡単にまとめると、
『小さなことでグチグチと文句を垂れるお前らのような狭量な者どもが、わざわざ帝国に来るのは恐ろしかろう。ならばマールズ国を仲介として会談の場を設けるのはどうだ?』
とのことだ。確実に舐められているし、喧嘩を売られている。
「マールズ国はうちと友好国としての条約を結んだばかりだよね? あちらからは何も話はないの?」
「……マールズ国は精霊術師が少ない。国を越えて伝書魔術を使用できる者はいないだろう。我が国から精霊術師を派遣してはいるが、鉱山とマールズ国の首都とでは距離がありすぎるからな。おそらく向こうも今頃は帝国からの書簡を受け取り、すったもんだの最中だろう」
マールズ国とウィズレイン王国の境目に存在するヴィドラスト山にて希少な鉱石である《竜の鱗》が産出されたのは、ここ最近のことだ。
互いの国を学び、友好的な関係を築くために定期的に人員の交換を決め、まずは鉱山発掘のためにウィズレイン王国の優秀な精霊術師を送り込んだ。
その際、どんな術師を送り込んだのかクロスに確認してみたことがあるのだが、
『精霊術師の腕としてはなんの問題もない。精霊術師の腕は』
と、なぜか二回繰り返されたので深く尋ねるのはやめておいた。
「マールズ国には、現在こちらから伝書魔術を飛ばしている。返答までもうしばらくかかるはずだ」
「マールズを会談の場所にということ自体はなんの問題もございませんが、次に書かれている条件は看過できるものではありません」
コモンワルドは片眼鏡のつるをわずかに指に添える。
なんとなく全員で書簡の続きを確認した。
『――会談に参加する者は、両国互いに王族とその最低限のみとし、武器の所持を禁じる』
「最低限……の範囲がこれまた曖昧ですなァ。オッホホウ……」
「通常なら呑むことができない条件だな。武器の所持……護衛の騎士もつけるなという意味か。魔封じの指輪も間違いなく使用を義務付けられるだろう。となれば、魔術、精霊術も使えんということだ」
何があるかわからない、いや帝国の行動を考えれば、起こすことを前提として呼ばれているとしか思えない。
現在のウィズレイン王国の王族といえば、クロス、そして年の離れた弟のフェリオルのみ。クロスの姉は、すでに他国に嫁いだ人間である。貴族の中には王族の血族はいもするが、多くは王位継承件を放棄している。幼い弟を向かわせるわけにはいかず、もしクロスに何かがあるとすれば、ウィズレイン王国そのものが揺らぐ。
「しかし俺が行かねば、あちらは間違いなく難癖をつけてくるだろうな。話し合いの場に参加せぬというのなら国境線は不要ということなのかと」
そして、ウィズレイン王国の領土を削ろうとしている。
なるほど、彼らの言葉を聞いているとむしろそれを目的としているように感じる。
「領土という餌を喰らいつくさんとばかりに暴れ回る腹を空かせた虎など、いちいち相手にしていられん。しかし、哀れなのはそやつらに翻弄される民だ」
「……国境近くのウィズレインの民は、ただでさえ両国の進軍を目にしたんでしょう? これ以上、彼らの生活を脅かしたくはないわ」
エルナが呟くように落とした声に、「その通りだ」とクロスは頷く。
「……しかしヴァイド様、これではまるでヴァイド様のみが単身で乗り込めという意味ではございませんか。到底受け入れられるものではございません」
「はは、駄々をこねるな、コモンワルド」
「またそのように……ごまかさないでくださいますか」
「陛下が行くというのなら、私も行きますぞっ! こっそり忍び込みましょう! 行きますぞぉ~! 血が騒ぎますなァッ!!!!」
「公爵は少々騒がしいからな。さすがにそれは無理だろう。不要だ」
「なななななッ!?」
男たちがわいわいと盛り上がる中、エルナはただ静かに書簡を見つめていた。
「ねえ、ここにさ。両国互いに王族とその最低限……と書かれているけれど、つまり武力となる人間以外はいい、という意味だよね?」
「そうだろうな。さすがに王族のみでの会談というのはそもそも不可能だ。発言内容の筆記を行う人間も必要や書類の確認、いくらマールズ国内とはいえ場を整える使用人も必要だろう」
「ふうん……ちなみに王族というのは、婚姻者は入る? 婚姻していなくても、例えば王族と婚約をしたばかりの……見かけは無害な小娘なら?」
エルナの声に男たちは、はた、と顔を上げた。
おそらくメイドのままではたどり着くことすらできなかった。少数精鋭の、一部の人間だけが連れられるような厳かな場に、エルナのような小娘が潜り込むことができるわけがない。
——けれど、今なら。
「行くといいよ、クロス。なぜなら……お前には、最強の護衛がいるじゃないか」
エルナはにかりと笑った。片手を持ち上げて、ぱきぱきと指を鳴らす。
鮮やかに空色の瞳を輝かせる少女を見て、クロスはしばし無言で瞠目したが、こちらもわずかに口元を緩め、笑顔を形作った。
「……これは、なんとまあ頼りがいのある護衛だろうな」




