42 つかの間のしあわせ
「ちょっとこれは……似合っていないんじゃないかな?」
なんせ私、こんな髪の色だし……と普段よりも小さな声で、エルナはアプリコット色の髪をちょいとつまんだ。空を切り取ったかのように鮮やかな青い瞳は、今ばかりは自信なさげにくすんでいる。
エルナ・カルツィードという名を持つ、前世は竜の記憶を持つ少女は、今年で十七となった。
いつもは動きやすいメイドのお仕着せに身を包んでいるが、今日ばかりはそうはいかない。
たっぷりとドレープがきいた鮮やかな紅のドレスが歩く度に足元で揺れて、胸元が少しすうすうする。髪も丹念に結い上げられ、髪留めにつけられたガラスのような宝石たちが、しゃらんしゃらんと音を鳴らす。髪飾りの宝石は竜の鱗をイメージしていると聞いたが、人間となった今ではなんだか気恥ずかしい。
「なぜだ? これ以上ないくらいに似合っているが」
「…………」
エルナの隣には、とんでもない美丈夫が立っていた。
にこりと微笑む、その仕草一つからも色気が漂ってくるような――たまに大口をあけて、だははと笑うこの男。本来はとても長い、いや長すぎる名を持つクロスという青年は、英雄ヴァイドの記憶を引き継いでいる。
とはいえ、クロスは今となっては二十歳の青年。
前世は相棒、しかし今世は――。
「似合ってるとか、今、一番クロスからは言われたくない……」
エルナは頬を膨らませて、ぷいとそっぽを向いた。
本日は国民の前に立ちクロスとエルナ、二人の顔を見せる日である。
ならば着飾っているのはエルナばかりではない。華美な装飾を好まないこの国の王も、目一杯におめかししていた。それはいつも以上に王様然とした風貌で、まあつまりは。
「……エルナ。なぜそうも、顔を伏せている? とても可愛らしいのだから、もう少しこちらを見てくれ」
「ひ、ひいいいいい」
耳元で囁かれる声にぞわぞわと震えて、エルナは思わず両手で耳を覆って後ずさった。
「なん……く、クロス! なんという声を出すの!」
「普通に話しただけだが」
「普通は人の耳元で囁かない! 会話は一定の距離を保つでしょうが!」
「愛らしくて近づきたかったのでな」
「愛らし……!? だまっ……お願いだから、少し口を黙らせてほしい……」
あああ、とそれ以上は何も言えずに両手で顔を覆う。
エルナは人の美醜には興味はないが、人に生まれ変わってしまった自分をとてもちっぽけな生き物のように感じている。
カルツィード家の次女として生きた記憶も相まって、特に己の容貌には自信が持てない。
こんな細っこい体をした人間風情が着飾ったところでなんの意味があるのだろう、と落ち込んでいた隣では、これ以上ないくらいに立派な姿をした王様が隣にいたのだ。悄然としようものである。とはいえ、こうも騒いでいてはわけがわからなくなってきた。囁かれた耳が熱を持って熱いのでさっさと逃げ出したいのに、そうもいかない。
『そろそろでごんす?』
どこに隠れていたのか、エルナの肩からぴょこんとハムスターが飛び乗った。
ハムスターの姿をした人語を解す不思議な精霊……なのだが、実はこの精霊のことは、どこから来て、なんのためにいるのかエルナにもよくわかっていない。少なくともエルナの味方であることは知っているので、それで問題ないとも思っている。
しかし妙に緊張してきた。着慣れないドレスを見下ろし、今度はちらりと視線を上げると、クロスはわずかに笑いながら首肯する。
「そうだな。さて、行くとするか」
「ヴァイド様、お時間が……」
「ん、わかっている。」
この国の王は、代々国民からはヴァイドと呼ばれる。
そっと顔を覗かせた執事長コモンワルドへとクロスは頷き、エルナに振り返った。
「さて、手でも引いてやろうか?」
バルコニーからの温かな光が、クロスの輪郭を曖昧にする。わずかにエルナは目を眇めた。
きっと、クロスと出会ったばかりの自分ならば、そんなものはいらないと突っぱねていただろう。
けれど——と、自分自身に苦笑する。
「うん。引いてもらおう」
ためらうことなく出した手を、クロスの大きな手のひらがすくい上げる。
エルナは長いドレスの裾を片手で持ち上げ、大きく歩を踏み出した。前に進む度に、人々の歓声が近づく。わっ、と一際大きな声が響いた。
王城のバルコニーに立つエルナとクロスへ人々は必死に手を振り、祝いの声を上げる。
「ヴァイド様ー!」
「エルナ様、ご婚約、おめでとうございます!」
クロスが軽く手を振ると、さらに人々は熱狂した。わ、とエルナは驚き固まってしまう。
王都中、いいやそれ以上の人の波が、エルナとクロスの婚約を祝っている。わかっていたつもりだったが、実際に目の当たりにすると、エルナは無意識にもクロスの手を握りしめた。これは、大変なことになってきたぞと。クロスから返事のようにわずかに指で手をなでられ、上げそうになった悲鳴を呑み込んだそのときだった。
「エルナルフィア様ぁー!」
かすかな声が聞こえた。
もしかすると気の所為だったのかもしれない。はっとして姿を探す。群衆の波の中で、幼い少女が父親の肩に乗って、こちらに両手を振っていた。あのときの少女だとすぐにわかった。
王都が火に焼け、崩れた家に押し潰されそうになったとき、エルナが助けた少女。
(そうか、元気になったんだ……)
よかった、とエルナも微笑み手を振ると、どよめきが波のように広がっていく。
自分の小さな動きにそこまで反応されてしまうと、さすがになんともいえない気持ちになってしまうが、この気恥ずかしいような、少し嬉しいような気持ちには覚えがある。
——エルナルフィア、ほら、手を振っているぞ。お前も振ってやったらどうだ。
——しっぽでかまわんか。
——うん、まったくかまわんぞ。
遠い過去のあの日。
勇者を背に乗せ、竜のしっぽを振ってやったことを思い出した。
「……まるで、光の粒みたい」
「……ん? 何か言ったか?」
「ううん。懐かしさに、驚いているだけ」
雨粒よりも多くの、たくさんの声が聞こえる。
きっと、これは雨だ。ぽろん、ぽろんと心に響くような。ざあざあと響き渡るような。
エルナには、もう、翼も鱗も、立派なしっぽもないけれど。
今は小さな手のひらを持っている。どこにでも行くことができる、二本の足も持っている。
——エルナとクロスの婚約発表の日。
実はここまで行き着くには、中々の苦労があった。
遡り、三ヶ月前。
クロスの力となるため婚約者になると誓ったエルナだったが、いつもの執務室にて力強い瞳でクロスをじろりと睨んでいた。さすがは前世が竜といえばいいのか、エルナは眼光鋭くクロスを居抜き、静かに片手を突き出す。
「絶対に、これは譲れない……」
エルナの肩ではハムスター精霊が争い事の気配を察知して、はわわわ……と小さなお手々を口に当てて震えている。対してクロス平然とした様子で腰に手を当てて立ち、悠然とエルナを見返していた。
「結婚まで、部屋は別々だから!」
エルナはカッと目を見開いた。
「そして夜這いは今後禁止! よ、嫁入り前に夜に部屋にやってくるとか、ありえないから! いやそもそも、夜に屋根を登ってくるなんて、国王としてもありえないよね!?」
「ん……」
クロスは思案するように目を伏せて、腕を組んだ。
「よし、拒否する」
「許可しそうな勢いで拒否するな! そしてちゃんと考えた上で却下するな!」
「なぜだ? もうお前が婚約者であることは議会で正式に決定した。となればすでに夫婦も同然だろう。わざわざ距離をあける意味がわからん」
「だから……その……」
「ふらふらしているように見えても、これでも忙しい身でな。わずかな時間でもお前の側にいたいという、ただそれだけの思いなのだが。どうしてそこまで避ける」
「そ、それは、その……」
じわじわとクロスが近づく。気づけばエルナの耳元にはクロスの口元が、背中は壁に追い込まれ、指先は手を絡ませられている。
「そういうとこだよ!」
顔を背けてエルナは全力で突っ込んだ。
意識的か、無意識か。それはさておき、いつでもどこでも口説いてくる男、クロスである。
「む?」とクロスは不思議そうにぱちくり瞬いているが、エルナの肩ではハムスター精霊が腰砕けとなり、『ハムぅでごんすぅ……』とヘロヘロになっている。お前が口説かれたわけではないぞ、と言いたいところだが、とても気持ちはわかる。エルナの耳も、ひっそりと赤く染まっていた。
照れた顔を気づかれる前にと片手を突き出し、牽制する。
「とにかく、クロス。ちゃんと離れて。距離を保って」
「ぬ……」
「私はたしかにあなたの婚約者になると誓ったわ。その立場ではないと、あなたの力になれないこともあるから。もう、後悔するのは嫌なの。そ、それに……そのう、婚約するからには、あ、あなたのことを、す、す……」
冷静に話せていたはずが、どんどん声が小さく尻すぼみになっていく。
最後にはめずらしくもじもじと両手をこねくり始めるエルナを、クロスはじっと待った。はくはくと、ぱくぱくと、エルナは何度も言葉を呑み込み、ぎゅっと目を瞑って、く、と息を吐き出すように声を出す。
「……き、だけれども!」
「うむ。さっきまでの言葉と、その『き』という部分をもう一度続けて話してもらってもいいか?」
「いいかじゃないよ、なんでいいと思ったんだよ!」
「俺も、お前のことを好ましく思っている。いや、心底愛しく思っていると伝えた方が、相違はないな」
「さっきから会話が繋がっていない……そして、そうさらさらと言われると、とても返答に困る……!」
離れてと言ったはずが、いつの間にやらまた顔が近い。エルナは、「うう……」と呻きつつ、若干のけぞり、絡まれている指からなんとか距離を置こうとできる限り押し付けるように手を伸ばす。こんな小指を絡ませる程度、力付くで引っ剥がすなど造作もない。が、なんともそれをしづらいし、向こうもそれをわかってしているところがなんとも憎らしい。
以前からそういった雰囲気はあったが、エルナが婚約者になると表明してからというもの、どうにもクロスは箍が外れているように感じる。ふうー……と、エルナは長く息を吐き出した。
「……クロス」
「……ん?」
「今は、そういう場合じゃないでしょう」
エルナの声色を感じ取ったのか、クロスはそっと手を離した。
「……そうか?」
「そうだね。まだ私は、クロスにふさわしくないと思う」
「俺は、そうは思わんがな」
「改めて感じたんだ。この時代は、私が知っている時代とあまりにも違いすぎる。知識が足りないし、知るためには努力が足りない。王都の復興も少しずつ進んでいるけれど、まだまだだから、こんなことをしている場合じゃない」
本気で、そう思う。エルナルフィアであると崇められるにはあまりにも力不足。もちろん、崇められたいわけではないが、ウィズレインに住む民を一人残らず守りたいと願う気持ちは、変わらない。
エルナが、竜の生まれ変わりであると王都の人々は噂したが、いつしかその話は捩じ曲がり、クロスの婚約者であるエルナが、竜の加護を得ることを願ってエルナルフィアと呼ばれるようになった、と人々には伝わった。
エルナ自身がそう望んで、クロスに願ったのだ。
クロスは正しくエルナの願いを理解し、王都の噂を静かに歪めた。
——私の名前は、エルナルフィアではありません。……エルナといいます!
降りしきる雨に炎が鎮火され、エルナルフィアと自身を崇める人々に伝えた言葉の意味は、決して竜であることを否定したくて叫んだわけではない。
自身が人間であると認めたからこそ、知らぬうちに自然と言葉が口からこぼれ落ちていた。
(私は、もっと強くなりたい……)
握りしめた拳に、知らぬうちに力が入ってしまう。
エルナが竜の生まれ変わりと知られることで、人々の心の拠り所になりかった。けれど、実際のエルナは人間よりも多少できることがあるというだけで、なんの期待にも答えることができない。
――力をつけなければいけない。今よりも、ずっと多くの力を。
もちろん、城の治安を担う兵士たちや、エルナの身近な友人であるノマなど一部の人間は事実を知ってはいるが、いつしか胸を張ることができる日まで、口を閉ざそうと思っている。
「……そうか」
クロスは先程と同じ言葉だったが、ニュアンスはどこか違う。仕方がないな、と諦めているようにも見えるし、優しげに細められた瞳はエルナの決意を認めてくれているようにも感じた。
思わずクロスから視線をそらしてしまったのは、自身の幼さから、目を背けたくなってしまったからだろうか。
それでも、前に進まずことを諦めずにいられない。
エルナはもう一度、クロスと向き合った。そしてむん、と力一杯に拳を振り上げ、だだんと力強く足を踏み出す。
「それに、もっと精霊術と魔術を使いこなせるようにならないといけないからね!」
「……それはもう、十分すぎると思うがなぁ」
クロスが呆れたように呟いた言葉は、やる気に満ち溢れるエルナの耳には残念ながら入らなかった。いつの間にやらクロスの肩に移動していたハムスター精霊は、
『これ以上強くなって、どうするつもりでごんすかねぇ……?』
と、こてんと首を傾げていた。
お久しぶりです、三章スタートです!
(本当に続きが遅くなりまして申し訳ございません…)
そして更新が停止している間にこちらでお伝えできず、重ねて本当に申し訳ないのですが、
ウィズレイン王国物語のコミカライズも開始されています。
コミカライズは副題を変更しまして、『ウィズレイン王国物語 ~竜が花嫁~』というタイトルです。
すぎの先生が描かれる物語の美しさに胸がぎゅっとなるほどで…本当に…最高なので…ぜひコミカライズ版もよろしくお願いします…!
(↓コミックガルド様連載ページ)
https://comic-gardo.com/episode/2550912965245493574
(↓コミック1巻詳細)
https://over-lap.co.jp/Form/Product/ProductDetail.aspx?shop=0&pid=9784824012388&vid=&cat=CGB&swrd=
雨傘ヒョウゴ




