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28. SとNのタペストリー

 藍那を失い、ことりと出会うまで数多の女性を引っ掛けてきたわかな。愛を交わし合う場所はほぼ「ホテルエンプレス」だが、他の場所も熟知している。


 夕月市と空の宮市の境にある小さな山。その麓には少々年季の入ったガレージ型ホテルがある。車がなければ行けないほどの辺鄙な場所なので、人目に触れる心配はまずない。


「もう一度聞くけど、本当にいいんだね?」

「はい」


 返事を受けて、わかなはガレージの空いているところに車を停めた。すぐそこには部屋へと連なる階段がある。手を繋いで一緒に上がろうとしたら、ことりの大きな拍動を手を通じてはっきりと感じ取ることができた。


「だいぶ緊張してる?」

「いえっ、全然」

「ははっ、ここの部屋は落ち着ける雰囲気だからね、すぐリラックスできるよ」


 階段を上がって、ドアを開ける。このホテルの部屋は広くはないが清潔感があり、内装もいたってシンプルである。


 わかなはスマートフォンを取り出して、研究室に電話をかけた。


「もしもし、室長ですか。すみません、昨日飲みすぎちゃって頭がまだ痛くて……申し訳ありませんが有休を使ってよろしいでしょうか? はい。はい、ありがとうございます。失礼します」


 と、つらそうな声で一芝居打った後、ことりの方に振り向いた。


「よし、これで……んっ」


 不意打ちであった。つま先立ちになるような格好になって、ことりの方からわかなの唇を奪ったのである。


「ことりちゃん?」

「先生……」


 吐息が荒い。幼さが残る顔つきがとても色っぽく見えてくる。一気に、わかなのスイッチがONになった。


 キスを返す。わかながまだ白衣の君と呼ばれていた頃、「彼女のキステクニックはどんな強気な女子も電撃を浴びせられたように大人しくなる」と評されてきた。しかしことりは大人しくなるどころか、ますます獰猛になってわかなの唇を貪り返してきた。テクニックそっちのけの力押しだったが、それが却ってわかなの情欲の炎に油を注ぐことになった。


 唇を話すと、二人の間に銀の糸が引いた。


「ことりちゃんって、こんな大胆なことをする子だったんだ」

「いえ、今の私はおかしいんです。きっと、先生にキスで酔わされたから……」

「軽くしただけなんだけどな」

「でも、私にとっては甘い媚薬みたいでした」


 ことりの顔は真っ赤に染まっているが、ショッピングモールで見せたときと違って、羞恥心から来るものではないことは明白であった。


「ひとまず、シャワー浴びようか」

「いやです」


 ことりは拒絶して、わかなの服に手をかけた。


「ちょっと待って。汗を流さないと」

「もう我慢できないんですっ!」


 小さな体のどこに力があるのかわからなかった。ことりに腰に抱きつかれて、そのままクイーンサイズのベッドに押し倒されたのである。それでもわかなは余裕の笑みをたたえている。


「とりあえず落ち着こう。よっと」

「あっ」


 わかながくるりとひっくり返って体勢逆転、そのままマウントポジションを取った。


「ははっ、これが経験の差というものかな」


 デニムジャケットとシャツを脱ぎ捨てると、スポーツブラが顕になった。それも外して無造作に放り投げる。均整のとれた上半身を見せつけられたことりが、感嘆の声を漏らした。


 それも束の間、わかなが三度目のキスをした。一度目、二度目のときよりも激しく。ことりの口の間から漏れる喘ぎ声が燃料となって、ますます気持ちを昂ぶらせていく。


 いったんことりの身を起こして、服を脱がしにかかった。ことりの裸を見るのはこれが初めてだ。平均的な体型ではあるもののそれはわかなにとってどうでも良いことである。身を通して心を通わせ合うことが大事なのだから。


「それじゃ、いくよ」

「はい……」



 忌まわしい記憶は、小夜啼鳥の鳴き声とともに溶けて消えていった。



 立成22年。夜野ことりは県立大学医学部看護学科に進学した。ここを選んだ理由は県内だから、というのも理由の一つではあるが、一番の理由は交際5年目となる恋人、永射わかなの存在である。


 とある水曜日、五時限目の講義を終えたことりは自分の住むアパートとは別の方向に走っていった。行き先は県立大学の隣りにある立成大学である。わかなは現在、ここで共同研究員として勤務していた。


 わかなが三年前に立成大学から博士号を授与された直後、天寿と立成大学との間で産学連携に関する協定が締結された。共同研究と人材交流が盛んに行われるようになり、今年、その一環としてわかなが立成大学に送り込まれたのである。


 天寿と大学を行き来することになって、さすがに三足目のわらじは履くことができず星花女子学園科学部の顧問を辞任せざるを得なくなってしまったが、それはことりの卒業とともに「縛り」が無くなることを意味していた。今、ことりはわかなと同棲生活を送っている。五時限目で講義が終わる日は、わかなが実験で遅くならない限り立成大学まで直々に迎えに行っていた。


 門の前で待っていると間もなく、わかなが姿を見せた。


「お待たせ」

「お疲れ様です!」


 軽くキスをかわすと、手を繋いで自分たちの住まうアパートに向かって歩き出した。


「わかなさん、電磁気学はわかります?」

「ああ、基本的なことなら覚えてるよ。どうしたんだい?」

「今日の物理学基礎の講義で出てきたんですけど先生の言うことがさっぱりわかんなくて、わかなさんに教えて欲しいんです」

「わかった。でも化学や生物ほど上手く教えられないよ?」

「いやいや、いろんなことをわかりやすく教えてくれるじゃないですか」


 途中で建設現場の横を通ったが、看板には「立成大学校舎新築工事」と書かれている。


「何の学部が入るんでしょうね」

「さあ、私にもわからない。立成大は今ちょっとしたバブルだし、学生の受け皿を作ろうしてるのは確かだね」


 立成大学は創立二十年と歴史が浅い大学だが、総長の辣腕のおかげで志望者の数がうなぎのぼりだという。Fラン大と馬鹿にされていた時期もあったものの、最近ではそこそこの学力が無いと受からないレベルにまで上がっており、近いうちに東海地方の私学の雄と呼ばれる存在にまで登り詰めるのではないか、とも評されている。


「理学部も志望者が増えて、学部再編の噂が流れている。何でも県西部にキャンパスを作って、そこに理学部を移すんだとか」

「ええ? せっかくわかなさんを追って県立大学に進んだのに……」

「何も今すぐじゃないし、決まったわけでもない。今は心配しなくていいよ」


 わかなが頭を優しく撫でてきた。もう数え切れないほど頭を撫でられてきたが、優しい感触は何度味わってもいいものである。ことりはそのお返しとばかりに腕に抱きついた。


 科学者(Scientist)看護師(Nurse)の卵、二人の糸を紡いで作られるタペストリーには、きらびやかな人生模様が描かれつつあった。


(完)

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