第27話:千貌
普津沢堕理雄は困惑していた。
いや、肘川市に存在する動物の数の変動事件が始まった時からずっと困惑しっぱなしではあったが……現在起こっている状況には、これまで以上に困惑していた。
なぜならば、目の前に……かつて己の父親が所属していた極道一家『桜紋会』により粛清されたハズの、師弟および親子二代の因縁の相手『握井』の、息子の方がいたのだから。
(な、んで……コイツがここにッ!?)
思わぬ相手の登場に動揺し、堕理雄の体が一瞬硬直する。
すると握井は、まるでその隙ができる瞬間を狙っていたかのようにタイミングを合わせ、一瞬で間合いを詰めてきた。
硬直した一瞬の後にその事に気づいた堕理雄は、反射的に後ろに跳んだ。
直後に彼がいた場所に長物が振り下ろされる。躱せた、と堕理雄は思った。だがそのすぐ後に、彼の左肩から腹にかけて薄く裂傷が走った。どうやら動揺した一瞬が命運を分けたようだ。痛みのあまり堕理雄は顔をしかめた。しかし、次の攻撃が来ると予測し、後ろに跳躍するのと同時に懐からクナイを取り出し構えてたため、予測通りにすぐ来た追撃はなんとか防ぐ事ができた。
クナイと長物による鍔迫り合いが始まる。
お互いに一歩も譲らない、かに見えた攻防……それは最初だけだった。
いるハズのない相手の登場による動揺。そのせいで負った傷。さらには、かつて目の前の相手に苦汁を飲まされた記憶が甦った事で、怒りどころか、吐き気までも反射的に覚えてしまい……堕理雄の方が不利になりつつあった。
徐々に徐々に、押され始める。
だが同時に、まだやられるまで余裕があるためか堕理雄は考えていた。
(なんでコイツがここにいるのかも疑問だけど、それ以前に……なんでコイツは、さっきから一言も喋らないんだ?)
相手は、顔からして間違いなくあの握井だ。
しかし握井は、なぜか先ほどから一言も喋らなかった。
もしも、信じられない事であるが桜紋会から逃れる事ができたとしても、因縁の相手である堕理雄を相手にしているのだ。何か、堕理雄の神経を逆撫でするような台詞を言ってもいいだろうに。喉を潰されたのならともかく。
すると次の瞬間。
堕理雄は、視界の隅に入った、他の仲間の戦っている相手を見た事で……全てを理解した。
(も、もしかして……コイツはッ!?)
そして、理解した直後の事だった。
遠方で何かが光ったのを視界の片隅で捉え。
直後、仲間の一人である田井中の体を……その光が撃ち抜いたのを目撃した。
「し、師匠ッ!!」
彼の弟子たる椎名が、思わず絶叫した。
と同時に堕理雄は、田井中が何に撃たれたかを知り悲しみを覚えた。
(もしも俺の推測が間違っていないなら……彼は――)
「…………ナメるなよ」
しかし、そのすぐ後の事だった。
何か……おそらくレーザー光線の類であろうか。
とにかくそれに貫かれたハズの田井中が……さすがに激痛のせいで、険しい顔をしながらも、体勢を維持し。さらには己を撃った、己を恨んでいるであろう相手に化けた〝何か〟へと、お返しとばかりにコルト・パイソンの銃口を向け、引き金を引くのを、堕理雄は見た。
田井中は、まだ生きていた。
しかも、戦意喪失していない。
タァンッ、という破裂音と共に放たれた一発の通常の弾丸は、見事に少女の姿をした射手の眉間に命中し……直後、その姿はグニャグニャと変形し始めた。
「確かに、驚きはした。そして一瞬、背後にあるモノを守るべきかどうか迷った。それは認めよう」
不定形なその正体をあらわにしつつ、倒れる……かつて少女の姿をしていた何かへ向けて、田井中は言う。
「だが、この程度で俺達が戦意喪失すると思ったら大違いだ」
「ああ。田井中の言う通りだ」
斬り捨て、同じくグニャグニャと形を失う相手を見ながら如月も言う。
「俺達IGAを、ナメるな」
「フッ、むしろ我々の知り合いに化けるという侮辱行為に対する怒りが湧いてくるぞ。相手の善悪はともかくなッ!!」
最初に相手を感電させた事で余裕ができたのだろう。
麻酔針が効かず、逃げていた椎名を追っていた敵と、己の部下に襲いかかる敵をスタンガンサーベルで斬り捨てつつ、梅も叫んだ。
そしてそんな彼らに触発され、堕理雄も気合を入れ直した。
確かに相手は、己の父親とその師匠に被害をもたらした、最悪の人間の息子で、さらには彼自身も、己とその義妹、そして義妹の父親に被害をもたらした最悪の人間ではあった。だがあの時の事件は、握井が自分なりに精一杯生きて……選択した末に起こった事件でもある。
今でも彼と、その父親の事を許せはしないが……だからと言って握井親子の人生を全て理解した気になって、それを利用して己を襲おうとするその傲慢なる戦術は人として許せたモノではないッ!!
「ああ。そうだねみんな」
クナイを握る手に力を込め。
堕理雄はそのまま相手の長物の軌道を逸らし。
一瞬で、相手の首筋へとクナイを刺した。
鮮血が舞う。
相手の首筋からおびただしい量の血が噴出し……他の仲間が相手にしている存在と同じく、握井だった存在はグニャグニャと不定形となりつつそのまま息絶えた。
※
「フッ、ここまで来たらもう驚きはないかもしれんが……この不定形な姿の敵は、おそらくシェイプシフターと呼ばれる妖怪の類だ」
全ての刺客――シェイプシフターを駆除し、解剖した後で梅は告げた。
「まぁシャドーピープルが登場したんだ。妖怪の類が他にも登場する可能性はあるかもしれないと思ったが……フッ、まさか本当に登場するとはな」
「ここまで来ると、俺達がいた世界で目撃されたUMAの類は……一部違う可能性があるかもしれないけど、このアガルタの存在じゃないかって思えてくるね」
解剖されたシェイプシフターの死体を見ながら、堕理雄は言った。
どうやら数年間に及ぶIGA局員の仕事のおかげで、こういうグロいモノも平気で見られるようになったようだ。
「それで、梅ちゃん……ハルキが背負っていたモンキーマンは?」
梅の部下の参課局員アカネの治療を受けながら、田井中は訊ねた。
彼は相手のレーザー光線により、脇腹を貫かれていた。
だが一瞬迷ったものの、最終的には動いた事で、奇跡的に生命維持に重要な箇所には当たらなかった。おかげで、アカネが得意とする持ち合わせの薬を使った治療を受ければ、明日にでも塞がる程度の傷で済んでいた。
しかし、
「そちらの方は、残念だが……いや、たとえ田井中が動かなくとも、レーザー光線が相手ではどっちみちやられていただろう。田井中が気にする事じゃない」
田井中の背後にて、梅の部下であるハルキが背負っていたモノ。
堕理雄に倒され、今まで眠っていたモンキーマンについては、レーザー光線で、脇腹から急所を貫かれ絶命していた。
どうやら位置関係からして、田井中を遠距離から狙撃した浅黒い肌の少女の姿をしていたシェイプシフターは、田井中と……おそらく口封じ目的だろう。モンキーマンも同時に狙っていたようである。
「まさかレーザー光線で狙われてたなんて……俺、ロジカル悔しいです!」
ハルキは悔しさのあまり顔を歪ませ、さらには奥歯を噛み締め叫んだ。
「せっかく堕理雄課長が捕まえたのに……ヤツの目が覚めたら、梅課長が開発した動物語翻訳機『シャベレール』と、自白剤『クチスベール』で、この世界の情報を引き出そうと思っていたのにッ!」
「いや、ハルキ君……そんなに気にしないで」
堕理雄は優しい声色で彼に言った。
「確かに、この世界の情報を知る機会が失われたのは悔しいけど、みんな、自分にできる事を精一杯やった結果だ。それよりも」
堕理雄は表情を引き締め、改めて言う。
「他のIGA局員と連絡が取れないのは気にはなるけど……どっちにしろ、俺達がやる事は変わらない。この世界にいるかもしれない事件の〝黒幕〟と、この世界の〝出口〟を探し出す事。あと……全員で生きて脱出する事。釈迦に説法だとは思うけど……みんな、この三つだけは忘れないでね」




