第10話:魔影(後)
探偵の仕事に限らず、社会人の仕事のほとんどには我慢が必要だ。
それも都会の、上司や同僚やお得意様やご近所との付き合いのためだとかそんな次元の話だけではない。海や山で活躍する漁師や猟師の仕事においても、獲物との我慢比べが重要になる。
野生生物をナメてはいけない。
彼らだって、ヒトと同じく考えて行動する。
時には経験則に基づいて。
時には野生の勘に基づいて。
いや、科学の発展と引き替えに、超自然的な直感などが鈍ったヒトと比べると、彼らの方が若干、それらが上回っていると言ってもいい。
なので彼らを狙う、プロの漁師や猟師は……ヒトの器を捨てる。
いや、正確には……己の在り様を変える。
獲物を得るためなら、何時間だって〝その時〟を待ち続ける肉食獣と同じ領域に踏み込んだ……ヒトとは異なる別の何かに。
今の田井中も、それに近い状態だった。
まるで犯人を尾行したり張り込んだりする刑事さながらに、微動だにせず、状況が動き出すのを……全神経を集中させて待っている。
※
一方で椎名は、理解していた。
田井中が新たに懐から出した銃を見た瞬間から。
自分がこれから、何をするべきかを。
※
意識を集中し、耳に入る音を選別し……余計な音を排除する。
自動車が行き交う音。自転車の車輪やベルの音。人がアスファルトを踏み締める音。話し声などの様々な音を、意識を集中して頭の中から排除する。そしてついには……人が肘川市という土地に現れる前には確かにあったであろう、自然なる静寂という名の、心地良い音のみが彼らの耳に入ってくるようになった。
その過程で喉が渇き、不快感を覚え始めるが無理やり無視する。
自分達の周囲の動きを集中して観察しなければ。余計な事に気を回さずに、一切の隙を見せないようにしなければ……やられるのはこちらだ。
敵が自分達の近くに隠れている事が前提の行動ではあるが、田井中個人は未だに敵が近くに潜伏していると推測していた。
なぜなら、相手は弐課局員へと攻撃を仕掛けたからだ。
同じくこの場にいる、他県の動物の出現事件を調査していた自分達も行動不能にしておかなければ、いずれ寝首をかかれる可能性があるだろう。そして田井中でもそう考えるのだから、刺客と言うべき相手もそう考えるだろうと思ったのだ。
未だに気配を感じないのは、さすがの田井中も不気味に思う。
だが影の中の世界とはそういう場所なのだろうと、余計な隙を作らないために、勝手に即座に結論づけ、彼は……ただただ〝その時〟を待った。
そして、時は流れ……四分後。
椎名の足元の影へと、移動する影が現れた。
目を瞑っていた椎名は、まるで全身から力が抜けていくような感覚を覚え「あ」と無意識に呟き……田井中はそれを聞き逃さない。
直後に彼は、新たに取り出した銃の引き金を引いた。
そして、その場はまるで昼間のように明るくなった。
※
他県の動物の出現事件が起こる前の事。
田井中は参課の発明品の披露会に出席していた。
肘川北校で恒例(?)となる人体実験ではない。
肘川支部で定期的に行われる、IGA局員のみが使用する事を許される忍具の、披露会である。
「――と、いうワケだ。フッ、そして次の忍具は……扱いづらいが使うタイミングさえ間違わなければ頼もしい必殺武器となる銃『メチャテラース』だ!」
「扱いづらい? どういう事だ?」
出席していた田井中は、大仰な動きで発明品たる銃を披露した梅を見ながら挙手して訊ねた。
「フッ、この銃は大食らいでな。二回使うとすぐにエネルギー切れになる」
「なるほど。確かに扱いづらいな」
田井中は苦笑した。
「だが」
梅はそこで口角を上げた。
「お前のような、銃の腕前が達人レヴェルの者ならば……たった二回で事足りる」
※
引き金を引くのと同時に目を瞑っていた田井中は、梅のその時の言葉を思い返し「確かに、二回で事足りるな」と呟いた。
なぜならば生き物は、生理的な行動なのか、強力な光を浴びせられると、わずかに動きを鈍らせる性質を持っているからだ。
闇夜の中で光を浴びせられた夜行性の動物が、一瞬動きを止める映像を見た事があるならばその事に納得できるだろう。ちなみに生き物のこの習性は、護身などにも応用できるので覚えておこう。
田井中は眩い光に照らされる中で、己と椎名以外の二つの気配を感じた。相手が動いてくれたおかげだろうか。
とにかく彼は、すぐにその気配を、自分と椎名、そしておそらく冨樫をそれぞれ追っていた相手の諜報員の気配であると結論づけて……即座に『メチャテラース』のモードを切り替えた。
《Mode:Blaster Rearrange》
梅の趣味なのか、それとも使用者が間違えないためかガイダンスボイスが響く。しかし田井中は時間がないと判断してそれを無視し、モードのdの辺りで、すでに『メチャテラース』のもう一つの形態――モード・ブラスターを使用していた。
銃口から放たれる光が今度は集束し……それは強力な熱線となった。
田井中はそれを、エネルギー切れを起こす前に振った。
己と椎名以外の二つの気配を、確実に両断する軌道で。
遠慮はなかった。
かつての、殺し屋としての己に戻ったのではない。
自分達を襲った相手の気配が……ヒトのそれではなかったからだ。
『メチャテラース』がエネルギー切れを起こすのと同時に、田井中は目を開けた。
椎名も、事前に師に教えられていた通りに閉じていた目を開けて……思わず絶句した。
――道路やブロック塀が、超高温の熱線で焼き切られたために……切られた箇所がドロドロになっていたからだ。
「…………これは、改善点だな」
田井中は自分が引き起こした惨状を、強張らせた顔で見たが……すぐにその視線を、切断されて大ダメージを受けている〝黒い影〟へと向けた。
「というか、立体的な気配じゃなかったからもしやと思ったが……まさか、この目で『シャドーピープル』の実物を見る事になるとはな」
ここでタイトル回収!(ぇぇぇ




