犬小屋
思ったよりも買い物に夢中になってしまった俺達が、両手に荷物を抱えて屋敷に戻ってきたのは既に空が茜色を通り過ぎようとした頃だった。
最初は屋台で串焼きでも買い込んで…と思っていたのだが、初めて買い物をした葵が、もの凄く買い物を気に入ってしまったので、あれもこれもと見て回っている内に大分時間が経ってしまった。
まあ、今までずっと動けなかったんだから、人化したことで楽しめるようになったことは今までの分も目一杯楽しんで欲しい。
蛍はその楽しみが自らの武の向上に向けられているし、桜は忍者という存在の追求に向かっているようだけど、どんな形でもいいからこの世界を楽しんで欲しい。俺が自分らしく生きられるこの世界を楽しんでいるように、人化して好きなように生きられるこの世界を刀娘達にも存分に謳歌して欲しい。
その為の方法が俺の下を離れることだったとしても、その時は笑顔で送り出してあげたいと思っている。
……あ~、いざその時が来たら泣いて引き止めちゃいそうな気もしなくはない。
あくまで心構えとしての話。
「ただいま~」
ガウッ!
「おお、一狼。出迎えありがとう。ちょっと荷物が多いからシスティナに扉を開けてくれるように伝言頼めるか?」
グルゥ!
一狼は小さな唸り声で返事をすると屋敷の方へと走っていく。厳密に言うと一狼だけは特別だが、その他の狼達も従魔になったせいか、かなり賢いらしく俺達の意思をかなり正確に理解してくれる。ただ、どうやってシスティナに伝えるか…それを見てみたくて敢えてお願いしてみたのだが。
ウォウ!ウォウ!ウォウゥ!
一狼は扉の前で扉の隅をカツカツと爪で叩きながら控えめな声で3回啼いた。
「はぁい!またお客様ですか?一狼」
するとすぐに屋敷の中からパタパタと足音が聞こえて来て、システィナの声と同時に扉が開く。
「あ!ご主人様。おかえりなさい。蛍さんも葵さんもお疲れ様でした。…っとそれにしても凄い荷物ですね。とりあえずリビングのテーブルの上に一度置きましょう。降ろすのを手伝いますからそのままリビングまでお願いします」
「了~解。助かったよ一狼。ありがとな」
一狼は尻尾をぶんぶんぶんと振ると、また敷地内の警備に戻っていった。想像以上に優秀な警備員のようだ。
「システィナ、狼達と合図を決めたの?」
「はい、扉を叩いて3回啼くのは来客の合図です。敵襲に関しては圧倒出来ない相手が来た時にはすぐに遠吠えで知らせてくれるようにお願いしてます。あ、止まってください。こちらから降ろします」
システィナが顔の前まで積みあがっていた荷物を上から降ろしてくれる。タオルや服なんかが多かったから重さはさほどでもなかったが、視界が悪かったのでこれでやっと肩の力が抜ける。
「ふぅ、助かったよ。システィナ、調子に乗って買い物してたらこんなになっちゃってさ」
「大変楽しゅうございましたわ!主殿、また一緒に行ってくださいませ」
「はは、もちろんいいけど、次はお手柔らかにね」
楽しんでいる葵を見ているのは楽しいが、荷物持ちをさせられる彼氏という役回りをまさか異世界に来てする羽目になるとは思わなかった。
よし、次までに狼が背負える荷台を開発して、荷物持ちに狼達を動員しよう。一狼以外は葵の従魔だし文句は言わないだろう。
ちなみに、一狼だけは今のところテイムされた魔物という扱いになっていない。簡易鑑定をしても(従魔)の表記がないのでそれは間違いない。
おそらく、一狼だけは完全に自分の意思でこの屋敷にとどまっている。ほかの狼達は葵の命に逆らえないが、おそらく一狼はその気になれば俺達に牙を剥くことすら可能だろう。従魔を連れ歩く探索者はそこそこいるが、それはテイムされているからこそ周囲も安心していられる。
もし、一狼がテイムされていない魔物だということがばれたら、いろいろ問題になりそうだから気を付けないと。
「さて、いろいろ食べ物も買って来たんだけど大工さん達はどうしてる?」
「はい。急にいらしたのでびっくりしましたが、気が付くと窓の修理も終わってました。今は庭の方に一狼達の小屋を作って頂いてるはずですが…先ほどお飲み物をお持ちした時には、なんだかもう凄いことになっていて私の立ち入れる状態ではありませんでした」
何それ?怖いんだけど。あの人たち技術に目がくらんで自重とかどっかに忘れて来てるってこと?
「なんとなく…嫌な予感っていうか多分、凄いのが出来つつあるんだろうなぁと想像はつくけど見に行ってみる?」
「私は、買ってきて頂いたものを整理してお食事できるようにしておきますので、ご主人様達だけでご覧になってきてください」
「了解。あ!システィナ。これ、支払いはまだなんだけどウィルさんから買って来たから使って。あと、賞金貰って来たから管理よろしく。じゃあ、蛍、葵行ってみようか」
システィナに生活用の魔石の入ったポーチと賞金が入った革袋を渡す。システィナは『これでまた料理ができます』と喜んでいた。俺もシスティナの料理が早く食べたかったしツケで買って来た甲斐があった。
後のことをシスティナに託して俺は、お姉さま2人を連れて庭へと戻る。小屋はどうやら屋敷の横手に作っているらしく、正面の門からは見えなかったので屋敷の壁沿いを歩いて横手へ向かう。
「四狼!ジャンプ!そうじゃないよ!もっとスッと行って、シャッッと消えるくらいじゃないと!次五狼!ダッシュから反転!うん、大分良くなった!でももっと速く!低く!いかに相手の死角を突く動きが出来るかが勝負だよ!あ、戻って来た?六狼。うん、正解。あなた達の鼻は切札になり得るんだよ!常に研ぎ澄ましておこう!よし!四狼、五狼、六狼は休憩。七狼、八狼、九狼は警備を二狼、三狼に引き継いだら訓練始めるよ」
俺は思わずこめかみを押さえて息を漏らす。この子はお仕置きの意味を絶対に分かってない。おそらく最初はちゃんとやっていたのだろうが、大工さん達が乱入してきた辺りから全てを大工さん達に任せて持て余した暇を狼たちの忍狼化計画に費やしていたのだろう。
「葵、取りあえず一旦止めて」
「はい、主殿。【お前たち集まるのですわ!このわたくしの下に!ぐずぐずするんじゃありませんわ!】」
「「「「「「「「ガウ!」」」」」」」」
葵のスキルが発動し狼たちが全ての動きを中断し葵の前に駆けつけてくる。葵の従魔ではないのでその中に一狼はいない。
「ああ~!!何するの葵ねぇ!せっかくいい感じに回ってたのに!」
「桜!言われてた仕事はどうした?終わったのか」
「あ!ソウ様、お帰りなさい!」
こちらの質問が聞こえてないのか満面の笑みを浮かべて抱き付いてこようとする桜。とても可愛いがつい先ほどリーダーとしても頑張ると誓ったばかりだ。ここは心を鬼にする。
「蛍」
「うむ」
ゴン!
「いったぁ~!何するの蛍ねぇ!痛いよ!」
「桜!し・ご・と・は!」
「え?仕事?」
蛍の峰打ちを脳天に受けた桜が頭を撫でながらきょとんとした顔をする。
「窓も、小屋もテッツァ達がやってくれたし、屋敷の中はシスの管理下でしょ。桜が手を出す訳にはいかないもん」
おお…いかにもな意見だ。思わず納得しそうになってしまった。
「それに、一応桜もやろうとはしたんだけど…」
桜の視線の先には板同士が絡まったかのようなオブジェが鎮座している。どうやって組み上げたのか全く分からない不思議なオブジェはどうあがいても犬小屋には見えない。いっそ芸術品だと言われた方が納得できそうなのが面白い。
「桜はさ……よっと」
手に刀を握った桜は犬小屋を作るのに準備してあったのだろう手の長さほどの丸木を、ひょいっと放り投げる。
「ふっ!」
それが目の前を落ちる時に鋭く呼気を吐き、刀を閃かせるとばらばらと板の形になった木が地面に落ちてくる。
「斬るのは得意なんだけど…組み立てるのは、え!」
「桜お嬢さん…その技、もっと太い丸太でも出来ますよね?」
いつのまに近づいて来たのか、ぐわしと背後から桜の肩を掴んだのは副棟梁のテッツァさんだ。なんだか目が据わっているように見えるのは気のせいだろうか。
「え…出来ると思う。けど?」
「よし!じゃあ、こっちへ来てどんどん頼みまさぁ!なあに仕上げはあっしらがやりますから!お嬢さんはどんどんこちらが指示する厚みに斬ってください」
「え?え?……えぇ~~!!!」
なんだか、口を挟む間もなく木材加工用の機械的役割として狩りだされていく桜の姿をぽかんと口を開けて見送る。
「…なんだかなぁ」
「まあ、桜のお仕置きはあれと言うことで良いのではないですか」
「ん、だね。それにしても……」
大工さんたちは何を作っているんだろうか。俺達が欲しかったのは犬小屋だというのは知っているはずなのに作っている物はどう考えても山小屋と言った体のきちんとした家だ。
一狼達が暮らすには些か立派すぎる気がするんだが…
「おお!嵌まりましたよ副棟梁!しかもこの強度!」
「これなら釘を使う部分は最低限で済みます!」
「釘の劣化で形が歪んだりすることもなさそうですね!」
「ただ、やはり継手や仕口の部分はかなり精密にやるひつようがありますね」
「加工の道具も教えてもらった奴をすぐに発注しやしょう!まずはノミから!」
「いや!カンナが先だろう」
「馬鹿言ってんじゃねぇ!のこぎりが先だ!」
「のこぎりはなくても桜お嬢がいりゃ木は斬れる!」
「ちょ、桜を大工道具と一緒にしないでってば!」
「「「「がははははははははははははははは!!!!」」」」
…うん、何も言えねぇ!
「屋敷に戻るか」
「うむ」
「はい、あなた達も解散なさい。警備も忘れずにね」
ガウッ!




