システィナの交渉
砕け散った契約書のの破片が俺とシスティナの間をキラキラと舞っている。俺達2人の絆はこの契約だけではないと分かってはいるが今俺が感じている喪失感は蛍さん達が岩陰に消えていった時に近いものがある。
くそっ!盗賊共め俺にまたこんな思いをさせやがって許せん。
「よし。では侍祭はこちらへ来い。今度はシャアズ様と契約をするのだ」
「お断りします」
「な!……ふ、ふざけるな!先ほどお前の元契約者と約定をかわしたのを聞いていなかったのか!」
盗賊団の下へと行くのを即決で断ったシスティナにパジオンのこめかみがひくついているがシスティナは涼しい顔である。
「いえ、ちゃんと聞いていました」
「ならば、こちらへ来て早く契約をしろ!」
「お断りします」
「く…そんなことが通ると思うなよ。お前達の命は今シャアズ様が握っていることを忘れるな」
「そちらこそよく思い出して下さい。私の契約者だった方があなた達とかわした約定は私と契約を解除する代わりに契約者だった方の命と財産に手を出さないことです」
「む…」
そう、俺はシスティナと契約を解除するとは言ったがシスティナと盗賊達が契約することまでを約束していた訳ではない。
もし、パジオン達がシスティナと契約したいのであれば契約をする権利が侍祭であるシスティナにしか無い以上、今度はシスティナと交渉が必要になってくるのは当然だろう。
「くそ!無駄な足掻きを!
…侍祭よ、そうは言ってもこの場から誰とも契約せずに立ち去れるとは思ってはいまい。そんなことを認めるくらいならお前の元の契約者もろとも殺すだけだぞ」
「そうですね…そこまでは私も考えてはいません。
確かに現状を考えれば命を惜しめば契約すること自体は避けられないと私も思っています。ですが意に沿わぬ契約を強いられる以上はある程度の契約条件を提示させて頂ければ…と」
「そんな条件を付けられるような状況だと思っているのか?」
パジオンの雰囲気が変わる。やばい、ちょっと強く行き過ぎたか?
手にじんわりと滲む汗をこっそりとコートで拭いながら唾を飲む。だが、交渉をしているシスティナはまだ焦っている素振りはない。交渉術を持つシスティナにはこのくらいはまだまだ想定内ということだろうか。
「思っています。私達の能力はそれだけの価値があると思っていますから」
「よかろう。ものによってはシャアズ様にとりなしてやる。言ってみろ」
ん?今なんか急にパジオンの態度が軟化しなかったか……あ!そうかシスティナが『交渉術』スキルを使ってパジオンが今脳裏に描いた最大許容範囲を無理やり引き出したのか。
「ではまずは報酬です。
10日ごとに金貨10枚ではいかがでしょうか?」
「なんだと?」
おお…ふっかけるなシスティナ。金貨10枚ということは大金貨1枚、10万マールだ。日本円換算で約100万円つまり日当10万円だ。侍祭の能力を考えれば安いくらいかもしれないがそうやすやすと出せる額ではないだろう。
「ふざけるな!そんな額を10日ごとに出せる訳がない。せいぜい10日で金貨1枚がいいところだ」
「わかりました。では報酬はそれで構いません。減額分は待遇で手当してもらいますから」
日本の感覚で言えば10日で金貨1枚は日当1万円だから妥当と言えば妥当だが、盗賊団相手に要求するには過分な額な気がする。おそらくシスティナは交渉術スキルをがんがん使って好待遇を引きだそうとしているらしい。
そうすることで交渉を長引かせつつ、独断でシスティナに好待遇を与え続けるパジオンに周囲から不審の目を向けさせるつもりだろうか。本人に全くそうと気づかせずただ交渉しているだけで周囲に敵を作っていく。なんとも恐ろしい交渉もあったものだ。これはシスティナもかなり怒っているということだろう。
「では次に盗賊団の中における私の地位ですが…」
◇ ◇ ◇
それから延々とシスティナの要求は続いた。
システィナが好待遇をふっかける。パジオンがキレる。システィナが交渉術スキルを発動。パジオンが妥協案を提案。システィナが了承。次の好待遇をふっかける。
この流れが繰り返されたのである。これによりシスティナの待遇はかなり凄いものになっている。
日当1万円、性奉仕というかシスティナに触れることが出来るのは契約者であるシャアズのみ、10日に一度完全休養日あり、別途生理休暇の権利、配下への限定的指揮権……などなど。
思わず笑ってしまうような条件だがこれだけをみればうちにいるよりも待遇が良いような気もするから不思議である。
「待ちなさい!パジオン!
あなたは何をしているのですか?今まで交渉ごとは全てあなたが任せろというから任せてきました。その結果、確かに文句の付けようのない成果を出してきたのも事実です。
だからここまで黙って見ていましたがさすがにこれはないですよ。いくら侍祭だとはいえそこまで妥協した条件を飲まされたら組織内に不満が出ます。
それにどれだけ時間をかけて交渉しているのですか。見なさい周りを。配下達も集中が切れて弛緩してきています」
「え?……あれ?なんで?」
このままだらだらとシスティナの権利が拡張されていくかと思われた時パジオンの肩を後ろから乱暴に引く男が視界に入る。
この男が団の幹部でシャアズの弟の1人シャドゥラだろう。黒いローブを身に纏いその上から軽鎧を着込んだやはり細身の男だ。ディアゴ改めシシオウの情報だと団で一番の魔法使いらしい。得意属性は確か火属性だったか。
「しっかりしてくださいパジオン。頭脳労働があなたの役目でしょう」
「いや…わかっている。わかっているからしっかりと交渉していたつもりだったのだがいつの間にこんな内容に…」
「わからないのですか?自分がしていた交渉が」
「……わかる。確かに私はそれらの各種条件を飲んだ。はっきりと覚えている。だが…どうしてそんな判断をしたかがわからない。そんなにいくつもの条件を飲んでやる必要は無かったはずだ」
それはそうだろう。交渉内容全体としてみれば圧倒的優位にあるはずの赤い流星がここまで条件を譲る必要なんてない。
だが、システィナはわざと交渉する内容を細分化することでその項目ごとに交渉に持ち込みそれぞれにおいてパジオンから最大の譲歩を交渉術スキルで引き出した。だから1つ1つの条件で見れば妥当な判断だったが、積み重なると優遇し過ぎという事になる。
これは次から次へと新しい項目の交渉を持ちだしパジオンに交渉全体を考えさせなかったシスティナのファインプレイだろう。
普通は条件を提示されれば即決することなどなく、それについてゆっくりと考えて条件の上下の交渉をしたり、場合によっては代案を出したりして全体としてのバランスを調整するものなのだが、交渉術スキルを使われると思考する時間を奪われていきなり結論を出すことになるので目の前の交渉についてしか考えられなくなるらしい。
「くっくっく…面白れぇ。
小賢しいだけが取り柄のパジオンをこうも手玉に取るとはな」
「シャアズ様!」
「ああ、いい、いい。お前よりあの侍祭の方が交渉に関しちゃ何枚も上だっただけのことだ」
「く…」
パジオンの後ろから現れた人影、あれこそが団員200名を超えることもある盗賊団『赤い流星』の頭領シャアズ。
短く刈り込んだ金髪と整った顔立ち、メイザが既に30歳を超えていたことを考えると長兄のシャアズはもう40近くてもおかしくないはず。それなのに年齢を感じさせない精気に満ちているように見る。
金髪にイケメンという条件にも関わらずどちらかと言えば鍛え抜かれたマッチョな肉体には防具らしきものは装備されておらず普通に普段着のような服装で武器だけは大剣を背負っている。
そして、存在感と威圧感が半端無い。その威圧はこれだけ離れているのに思わず腰が引けそうになるレベルである。
(ご主人様…あの人には多分交渉は通じません)
(うん、わかる。あれは人の話を聞くようなタイプじゃない)
俺とシスティナはシャアズからは目を離さずに口元だけの囁きでだけで会話をする。高台の上の盗賊達の会話を盗み聞きしていたのと同じ方法を使えばこれくらいは容易い。
(このままあの人が交渉の矢面に立つようなら時間稼ぎもここまでです)
(それはしょうがない。むしろこの不利な状況でこんなに時間を稼いでくれてありがとうシスティナ)
(いえ、ご主人様がいろいろ布石を打っておいてくれたおかげです。……ですがまだ)
(それは仕方ないよ。もともと賭けみたいなものだしね。でも俺達はその賭けに勝つことを信じて出来るだけのことをした。そしてこれからも最後の瞬間まで絶対に諦めないで戦う。それでいい)
(はい)
(葵も頼むな。今回は大分負担をかけちゃうことになるかも知れないけど)
『構いませんわ。むしろやっと主殿のために働けると思うと嬉しいくらいですわ』
俺の仲間達はいつも頼もしい。だからついつい頼ってしまうのだがいつかはみんなに頼られる男になりたいものである。
まあ、そんな希望もこの窮地を乗り切れたらの話なんだけどな。
「パジオン。お前が俺に侍祭をつけてくれようとしてくれている気持ちはありがてぇ。
あんなイカしてキレる女ならさっきまでのお前の条件を丸呑みしたっていいくらいだぜ。だが、あの女は無理だ」
「ど、どうしてですか!この状況です。死にたくなければあの男のように最後は我々に屈するしかないはずです!」
「そもそもそこが違う。あの眼を見てみろよ。あいつは大事なものを引き替えに命乞いをしてなお生きながらえることを良しとする男じゃねぇよ。
んで、そんな男を契約者に選んでいた侍祭が俺達のような悪党に屈するわきゃねぇ」
「ですが兄上、あいつは確かに命乞いをし侍祭との契約を破棄しましたが?」
「こまけぇことまでは俺には分からねぇよ!だが今まであいつらがしてきたことは全て茶番だ。俺達に屈すると見せかけてうつむきながらその影で刃を研ぎ澄ましてやがる」
俺達の企みを直感めいたもので次々と看破していくシャアズの顔はもの凄く楽しそうである。だが……その笑顔の下が怖い。登場したときよりも威圧感、殺気のようなものがどんどん強くなってきている気がする。
「もし、そうだとしても!周囲を囲まれたこの状況でたった2人で何が出来ると…」
「さあな。だが、あいつらはどうやら少しでも時間を稼ぎたかったらしいな。罠でも発動すんのか、援軍でも来るのか、天変地異でも起こるんだが分からねぇがな」
「時間稼ぎ?……なるほど。確かに思い当たります。シャアズ様の見解ではあの侍祭はシャアズ様と契約はしないのですね」
「ああ、しねぇな。あいつはあの男以外と契約をするくらいなら死を選ぶだろうよ」
「わかりました。ではこれ以上あいつらに時間を稼がせてやる訳には行きません。号令をお願いします」
くっ、シャアズが出てきただけであっという間に俺達が薄氷を踏む思いで作ってきた時間稼ぎの流れがいとも簡単にぶち切られてしまった。
「システィナ!」
「はい!」
俺は閃斬を抜き、葵を手に取って防御の構えを取り、システィナも槍先を下にして持っていた魔断をくるりと回して持ち替える。
「ふん。どうせこうなることも想定済みなんだろ?見せてみろよ!抗う姿を!俺が気に入ったら俺自らお前らを殺してやるぜ!」
シャアズは獰猛な笑いを浮かべながら右手を挙げる。
その動作1つで弛緩し始めていた盗賊達が1人残らず緊張感を取り戻して見事なくらい整った動きで俺達へ向かって弓を構えた。
「さあ、凌いで見せろ! ってぇぇぇ!」
シャアズの右手が振り下ろされると同時に ザァァァ! という音と共に空が矢で埋め尽くされる。たかだが100本程度の矢でそんなことはあり得ない筈なのだが全員がそれなりの精度で俺達をしっかり狙っていたため集約率が凄いということなのか、はたまた俺の脳が大量の矢の威圧感に勝手に脳内補正をしているためなのだろうか。
ていうか怖ぇぇぇ!!よおおおおおぉ!
だがここを踏ん張れなきゃ俺達はここで終わってしまう。ここで切り札を切るしかない。
「葵!頼む!」
『承知致しましたわ!いまこそ私の見せ場!行きますわよ!!【擬人化】!』




