慟哭
妙にゆっくりと流れる景色のなか俺とシスティナを投げ終えた姿勢のまま落石の影に消えていく蛍さんと桜が上へと流れていく。
いや違う、俺が落ちていくんだ。
「蛍さん!蛍さん!!桜!桜ぁぁぁぁ!!」
ゆっくりと重力に引かれて落ちていく自分を冷静に認識している俺の耳に誰かの絶叫が聞こえて来る。なんて声を出してやがる。耳が痛くなるじゃないか。
「蛍さぁぁん!桜ぁぁぁぁ!!」
ああ、これはあれか。録音した自分の声を聞くと他人の声のように聞こえるっていう…あれは俺の叫び声だ。
「ご主人様ぁ!」
システィナの声が聞こえる。ああ…このまま俺はシスティナまで失ってしまう…
ごめん…みんな。俺が不甲斐ないばかりに…俺がもっとしっかりしていれば。
虚空に伸ばしていた手から力が抜ける。耳元をうるさいくらいに吹き抜けていく風音も小さくなっていく…
そうか…俺は……死ぬ…
◇ ◇ ◇
「気が付かれましたかご主人様」
目を開けると視界には、いつの間にかもう見慣れた屋敷の天井とそれを半分塗りつぶすかのようにアップで俺を覗き込んでいるシスティナの顔があった。
「あ、うん。おはようシスティナ。
今日は、みんな早いね。なんか用事でもあったっけ?いつもは俺が目を覚ますまでみんな布団から出ないのに。蛍さんと桜は風呂でも入ってるのかな?」
今日に限ってみんなけしからん。毎朝俺の寝起きをぷるぷるで暖かい魅惑のボディで優しく包むのは大事なことだってあんだけ厳しく言っておいたのに(実は懇願したことは秘密だが)、これは今夜はたっぷりお仕置きしてやらねばなるまい。
「ご主人様…」
そんなことを考えてうきうきしていると俺の顔を覗き込んでいたシスティナの顔が曇る。よくよく見てみればいつもと違ってかなりやつれて見える。あれ?そんなに昨日はハッスルしたっけ?
…昨日?そもそも昨日は『した』っけ?いやしたよ。した。4人で明るい内から楽しんだんだ。なんど身体を合わせても飽きない極上の姿態を昨日も満喫した。
…ていうかなんで夜じゃ
「ご主人様、蛍さんと桜さんはここにはいません」
「…やだなぁシスティナ。この部屋にいないことくらい見れば分かるよ。温泉かどっかにいるんでしょ。だったら一緒に行ってみんなで入ろうよ」
「ご主人様…」
「あれ?どうしたのシスティナ、そんな泣きそうな顔して。もしかしてお風呂じゃなかった?じゃあ食堂でご飯でも食べてるのかな?」
システィナはうつむいたまま力なく首を横に振っている。…あれ、なんだか俺がいじめてるみたいになってる?
「ごめんねシスティナ。『命令』するよ。蛍さんと桜をちょっと呼んできてもらえる?」
ビクッと反応したシスティナが反射的に立ち上がろうとするが、強く目を閉じたまま大きく首を振ると再びベッドサイドに膝をついて掠れた声で「できません」と答える。
え…なんで?どうして『拒否権』を発動させるの?俺にもう一度同じ命令を出させるつもり?
「システィナ…もう一度『ソウジロウ!!いい加減になさいませ!』 ひっ!」
「…ご主人様?」
同一命令をされれば絶対服従しなければならないシスティナは身体を固くして俺の言葉を待っていたが突然奇妙な声を出した俺を訝しげに見ている。
「葵?」
『いい加減になさいませ!わが主ともあろうお方が見苦しくも現実逃避をして、命がけで主殿を守ってくれたシスティナさんまでも殺すおつもりですか?』
「……」
『あの後、全てを諦め意識を失った主殿とは違いシスティナさんは最後まで諦めませんでしたわ。
システィナさんは魔断で宙にいる主殿を引っかけて引き寄せると己が身に抱え込み自分のことはそっちのけで全力の回復魔法のほとんどで主殿を覆って崖下の川へと落下したのですわ』
「……くっ」
『あの高さからの落下の衝撃、さらにそれを受け止めるだけの水深を備えていなかった川底への激突。自分よりも主殿への回復を優先しながら人1人を溺れぬように抱えて濁流を流されに流され屋敷の傍に来るまで主殿を守り抜いたのはシスティナさんですわ!』
「……ぐふぅ」
『さらにその後も魔力を使い果たし自分の回復もままならないままに主殿を連れて屋敷に戻ってからも、魔力が戻る度に主殿に回復術を施し続けたのですわ。
私が何度も、もうやめて自分の回復をなさい!と叫んでも私の声は届きません…止めることはできませんでした…
そこまでしてくれたシスティナさんを契約で縛り、身勝手な暴走で土砂に埋もれ生きているかどうかも分からない山猿たちを探しに行かせるのですか?あんな身体で出て行ったらシスティナさんは間違いなく死にますわ。それでもいいですの?』
「うぐぅ…
分かってた…分かってたんだ本当は…でも、でも!信じたくなかった!蛍さんが、桜がいないなんて!
だって俺は…俺は!蛍さんと桜がいるから!2人が一緒にいてくれるからこそ、この世界へ来ることを了承したんだ!事実、2人はいつだってずっと傍にいてくれた!………いてくれたんだよ。
なのに…2人がいないなんて、もう会えないなんて俺はどうしたらいいのかわからないんだよ!」
「ご主人様…そんなに泣かないでください。まだ蛍さん達が死んでしまったと確認した訳ではありません」
「でも…でも!あれだけの落石に巻き込まれたら助かる訳ない!!俺は蛍さんがいないと…」
『そんなことありませんわ。主殿にはわたくしもシスティナさんもついてますもの。それに癪ですが山猿は腐っても名刀ですわ。きっとなんとかします』
システィナがそっと俺の頭を抱きしめてくれる。柔らかい双子山に埋もれる俺の髪を優しくゆっくりと何度も撫でてくれる。その優しいリズムに身を任せていると葵の言葉がゆっくりと頭の中に染み込んでくる。
そうだよな…あの蛍さんが名刀蛍丸があの程度のことで死ぬわけない。俺がそれを信じてあげなきゃ駄目だよな。
「…ありがとうシスティナ。システィナのおかげでこうして俺は無事に生きていられるし、蛍さん達を助けにいくことも出来る」
「いえ、桜さんとの約束ですし…それに私ももうご主人様がいない生活は考えられませんから」
そっか。俺にとって蛍さん達がそうであるように、システィナにとって俺が…そして俺もまたシスティナを失うなんて考えられない。
「葵も止めてくれてありがとう」
『気にしなくて良いですわ。夫の間違いを正すのも妻の役目ですし』
うん?なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするがとりあえず今は言わせておこう。さっきまでの俺の情けなさを考えたら俺からは何も言えない。
それにまあやってることを考えればみんな奥さんみたいなもんだしね。多分葵も女の人に人化しそうだしそうなれば当然ウヒヒなことをさせてもらうつもりだから別に構わないと言えば構わない。
「危ない!ご主人様!こちらへ!」
ガシャァァアァン!!
そんなことを考えていたらシスティナが突然胸に埋もれていた俺を無理矢理自分の背後にかばう。
それと同時に室内に窓ガラスの割れる音が響いて割れたガラスが床へと散らばっていく。ちなみにこの世界には透明度はあまり高くないし、厚みも地球に比べれば分厚いがガラスは存在している。
宿などのガラスはほとんど外も見えないようなものだが、この屋敷は元領主が使っていた屋敷と言うこともありなかなかの透明度の物がはまっていた。だからこそシスティナが窓の外から突っ込んでくる何かにすぐ気がつき、まだ気がついていない俺をかばうことが出来たのだろう。
まあ、その際に無理矢理首から引っこ抜かれたのでかなり首回りが痛いがそんなことを気にしている場合ではない。
キィィイ キィイィ
「ってて…なんだ?どうしたシスティナ!大丈夫か!」
今の状況でシスティナこんな強引に俺達を襲ってくるような相手は赤い流星関連しかないはずだ。川に落ちた俺達が生きていることをもう突き止めてとどめを刺しに来たのか?
くそ!たかが俺達ごときにそんなに勤勉にしなくていいだろうに。俺は内心で愚痴りながら枕元に置いてあった閃斬と葵へと手を伸ばして手元に引き寄せる。
「大丈夫です。ですが窓に…おそらくニードルホークだと思われる魔物が…」
「ニードルホーク?」
確か地球の鷹を3回りくらい大きくした嘴と尾の先が尖った魔物…だったか?
知ってれば絶対役に立つからと一応暇なときにシスティナから魔物講座をちょいちょい受けていたけど話を聞いてるうちについついお触りをしてしまってそこから盛り上がってしまうので知識としてはもの凄く中途半端なものになってしまっている。
「はい、ただパクリット山のもっと奥地の方に行かないと見ることの出来ない魔物なのですが…」
システィナの後ろから顔を出し窓を見ると割れたガラスのあった桟を止まり木替わりにした地球では大型に属しそうな鳥がキィキィと耳障りな鳴き声を漏らしながらじっとこちらを見つめていた。
だが、あれだけ派手に突入してきた割に一向に襲いかかってくる気配はない。
「襲ってこない?」
「いえ、違います。どうやら…私達に伝言があるみたいです」
そう言ってシスティナが指し示したニードルホークの足には円筒形の筒が括り付けられていた。
「あの中に手紙が?」
「多分…おそらくろくでもないことしか書いていないと思いますが」
システィナのいうことは多分正しい。あれがもし赤い流星からの伝言だとすれば向こうにしてみれば俺達に何かを譲る必要などない。ディアゴの件はばれていないだろうが、メイザを殺したのは間違いなく俺達だと分かっているはず。
奴らが仲間のためにどれだけ動くのかは分からないが、仮に仲間の報復のためにどんな無理難題や法外な要求が書いてあろうと顔ばれした上に蛍さんと桜を欠いて2人しかいない俺達には『受け入れる』か『逃げる』かしか選択肢は残っていない。
「システィナ、俺が取ってくるよ」
「駄目です!もし取りに行ったところを襲ってきたら」
「大丈夫。
それにシスティナ…今の君は本当に動きに精彩がない。顔色が悪すぎる。もう俺は大丈夫だから自分に回復術をかけてゆっくり休んで。
あいつらが何を言って来たってきっとまた大変なことになると思うからちゃんと動けるようにしておかないと」
「ご主人様…はい、わかりました」
システィナが僅かに微笑んで頷くのを見て俺も強く頷きを返す。葵の話通りなら今のシスティナは本当にいつ気絶してもおかしくないくらい傷ついたままのはずだ。
本当はもっと早く俺が気づいて休ませてあげるように言わなくちゃダメだった。くそっ!まだまだ余裕がないな。
自省しながらゆっくりとニードルホークの方へと歩いていくがやはりニードルホークの方は何か攻撃をしようとする気配を見せない。
よしよし、そのまま動くなよぉ。
ちょっとへっぴり腰な気はするが、こいつの嘴はマジで怖い。お前はどうやって餌を喰うんだっていうくらい本当になんか螺旋のないつるつるドリル。しかもかなり径が小さい。
「ん?……あれ…こいつどっかで最近見た気が…」
そう呟いた途端、俺の記憶が甦る。
「システィナ。この世界に魔物をテイムするスキルはある?」
「え?…は、はいあります。『調教』スキルや『隷属』スキル、他にもいくつかあります」
おお、まさか調教以外にもテイム系のスキルがあるとは。隷属なんかは無理矢理な感じで従えるのか?ほかにもお友達になろう系のやつとかもありそうだ。その辺は興味あるところなんで今度詳しく聞こう。とりあえず今必要なのは…
「じゃあ、テイムした魔物が見聞きした物をテイマーが共有するスキルは?」
「あります。『同調』スキルや『感覚共有』などを使えば可能だったはずです」
なるほど…やっぱりそういうことか。だから俺達の動きは奴らに筒抜けだったのか。
「ご主人様?」
「うん、ちょっと待ってて」
俺はニードルホークへと無造作に近づくと足の筒から手紙を取り出し、ニードルホークをばっさりと斬り捨てたい気持ちを無理矢理抑えつけ、胸を軽く押すだけにとどめて追い払う。
ニードルホークはそれに特に逆らうこともなく翼を広げパクリット山に向けて飛び去って行った。
「今のニードルホークはテイムされた魔物ということですか?」
「多分ね…そしてあの鳥を俺は領主館からの帰り道に見た」
「…あぁ!」
そう、領主軍が出征しないこと。俺達が深夜から夜襲に行くこと。そんなことを話しながら歩いていた俺達をあの鳥は民家の屋根からずっと見ていた。
俺があの鳥が魔物だということにあの時に気が付いていれば何かが変わったかもしれない。無知であることが危険に繋がることは何となく知っていたが実際にこんな危地を招くとは思わなかった。
だが事が起こってしまった今はそんなことを言っても仕方がない。
「そういうことみたいだね。
で、取りあえずは選手交代しよう。今度はシスティナがベッドに横になるんだ。っと言っても窓が壊れちゃったからシスティナの部屋まで行こう」
力尽きそうなのか床に座り込んだままのシスティナを優しくお姫様抱っこした俺はシスティナの部屋へと移動してシスティナをベッドに降ろす。今までそんなことをしてあげた事が無かったのでシスティナは恐縮しながらも嬉しそうだった。
こんなに喜んでくれるなら今度はみんながいるときに全員をこうして運んであげよう。桜は喜ぶだろうが蛍さんは喜んでくれるだろうか?『背伸びをするでないソウジロウ』なんて言われそうな気がする。
「まずは回復術を使って自分の怪我を治しておくこと。そしたら少し寝るといい」
「そうですね…はい。ご主人様の言うとおりにします」
「うん、これでシスティナまで倒れちゃったりしたら俺は本当に立ち直れなくなる自信あるしね」
「もう、やめてください!そんな自信は」
「いや、でも本当のことだからね。だからしっかりと休んで欲しいんだ」
「はい」
素直に頷いたシスティナの頭を優しく撫でて上げるとシスティナがくすぐったそうに目を細める。このまま寝かせて上げたいところなのだがその前に一応やって貰いたいことがある。
「システィナも気になっているだろうし、俺としても誰かに読んで貰わないと文面が分からないから寝る前にこれだけ読んで貰えるかな」
ニードルホークから受け取った手紙を取り出してシスティナへと渡す。既に俺の方では一度読んでいるが俺の『読解』の能力だと文字の裏の意味が読めてしまうので書かれている表向きの内容がわからない。
システィナは小さく頷いて手紙を手に取ると静かに読み進めていく。長い手紙ではない。すぐに読み終わるだろう。
「ご主人様…これは?」
思った通りすぐに手紙を読み終えたシスティナの手は不安のためか僅かに震えている。
「ちょっと内容を摺り合わせようか。システィナの方で読んだ内容を教えてくれる?」
「はい…手紙にはご主人様を見逃す替わりに侍祭をよこせ、と。受け渡しは2日後の昼、ザチルの塔の更に北にある閉鎖された石切場」
うん、俺が読み取った内容から人に聞かせても構わない部分を抜き出すとだいたいそんな感じになるかな。2日後というのがちょっと時間を取り過ぎな気がするが…それ自体は向こうの準備に必要な時間でもあるのだろう。
「システィナ。申し訳ないけど俺は君を誰かに渡すつもりはない。
だから、もしもの場合は俺と一緒に殺されるかも知れない。システィナが望むなら契約を解除してシスティナだけを逃がしてあげてもいい。
でも俺はシスティナとこれからも一緒にいたいんだ。俺と一緒にいてくれる?」
「ご主人様…当たり前のこと聞かないでください。私はもうあなただけの侍祭です。何度出ていけと言われてもあなたの傍にいます。どんなに契約が私を縛ってもその命令だけは私の全てを賭けて何度でも拒否してみせますから」
絶対服従の従属契約に命懸けで抵抗してみせるとにっこりと微笑むシスティナがとにかく愛おしくなり思わず抱きしめていた。
「ありがとうシスティナ」
「頑張りましょうね、ご主人様」
「ああ……さあ、システィナは横になって休んで。寝るまでここにいるから」
「はい」
とことん名残惜しいがゆっくりとシスティナをベッドに寝かしつける。
「システィナが寝たらちょっといろいろ準備したいことがあるから出かけるけど夜には戻るから心配しないで」
俺がそう言うとシスティナの顔が不安に曇る。
「1人で無茶したりしませんよね?」
「しないしない。ちょっと街まで行って買っておきたい物とかあるからまずはウィルさんの所に行ってくる。夜までにはなるべく戻るから一眠りして調子が良いようなら美味しいご飯をよろしく」
「はい!何かリクエストはありますか?」
「そうだなぁ…この前挑戦してた和風ハンバーグ。あれがまた食べたいかな」
「あれですね。確か食材が……ちょっと付け合わせが足りない気がしますが、何とかなると思います。
それでは私はしっかりと体を治して美味しい料理を作って待ってます」
「うん、楽しみにしてる」
「そうであるならば、時間は限られてるんですから私のことは気にせず行って下さい。赤い流星の目的が侍祭である私ならば期限まではもう手を出してこないでしょうし」
ここに来た時に初めて出会った盗賊達もそうだったが、この世界では侍祭と契約しているというのは盗賊ですら求めるほどに本当に大きなことらしい。確かに『契約』スキル1つだけをとってもかなり有用過ぎるから分からなくもないか。
しかし、実際に侍祭と契約するにはどうしても侍祭本人の承諾が必要になる。向こうが侍祭であるシスティナを求めているのなら拷問や拉致などの強硬手段を取るのは俺達が呼び出しに応えなかった時だろう。
「わかった。じゃあちょっと行ってくるよ」
俺は葵と閃斬を身に付けるとシスティナのいってらっしゃいませの声を背に屋敷を飛び出して街へと走り出す。一応念のために周囲にテイムされてそうな魔物がいないかを確認するが今度はいないようだ。
システィナの言う通り確かに俺達に残されている時間は少ない。その間に出来るだけのことはしておく必要があるだろう。




