叡智の書
結局,葵の能力についての検証はよく分からないということで落ち着いた。『唯我独尊』はユニークスキルだけど「自分が一番偉い!」と自惚れたところでなんの効果があるのやら…
おそらくは感覚的に唯我独尊っぽいという能力なんだろうと思うが今のところ見当もつかない。
葵の関係はとりあえずそれでいい。こちらの諸々の準備が整ってまた塔などで戦うようになればいろいろ分かるかもしれないのでそれまで保留である。
それよりも問題なのはことここに至り,未だに俺たちの出自を知らないシスティナをどうするかということだった。
今も葵とのやりとりの最中,葵の声が唯一聞こえないシスティナは好き勝手に話を進める俺たちのことを嫌な顔1つせず見守っていた。
それはそれで信頼されているということでもあり嬉しいことなのだが…逆にここまで来て全てを明かしていないのは俺の方がシスティナに対して不義理なのではないかということだった。
ぶっちゃけて言えば従属契約を結んだ時点で全てを明かしてしまって構わなかったのだが,システィナがあまりにも普通に全てをありのままに受け入れてくれるので話すタイミングを逃しているうちに伝えていないことを忘れていた。
「蛍さん,システィナには俺たちの事情を全て打ち明けようと思うんだけどどうかな?」
「…まだ言ってなかったのか。酷い男だなソウジロウ」
システィナがお茶のおかわりを淹れに席を外した時に蛍さんに確認を取ったら白い目で見られてしまった。
「という訳でシスティナ。お話があります。ここへ座って下さい」
「え?…ここですか」
ぽんぽんと俺が手で指し示した俺の膝の上に横座りで腰を下ろすシスティナ。
ゴンっ!
「ふざけるなソウジロウ」
「いったぁ…す,すいません。こちらへおかけください」
拳骨を食らった頭を撫でながら膝の上にいるシスティナに対面の席を勧める。
システィナがくすくすと笑いながら素直に対面の席に座るとそれなりにあらたまって告げる。
「遅くなっちゃったけど,俺たちがどこからどうやって来たのかをシスティナに聞いて欲しい」
「え……よろしいのですか?」
「もちろん。本当はもっと早く伝えなきゃいけなかったんだけどついうっかり…」
「忘れていた…と?」
「はい…すいません。決して信用していなかったという訳ではないのでそれだけは勘違いしないように」
神妙に頭を下げる俺をじーっと見ていたシスティナは突然ぷっっと吹き出すと肩を震わせる。
「ふふふ,そんなことでしたか。全然怒ってませんから頭を上げて下さいご主人様。
ご主人様達に何か事情があるということは分かっていましたし,それがみだりに他言できるようなものではないのも推測出来ていましたから。
…まぁ,少しだけ疎外感がありましたけど」
「あう!」
「ソウ様たじたじ~。シスも結構言うようになったねぇ」
『ちょ,ちょっと!今度はわたくしがおいてけぼりですわよ!その人は刀じゃないですわよね。一体誰なんですの!』
なんだか収拾がつかなくなってきたのでひとまず葵は無視することにしてシスティナに俺がどこから来たのか。どうしてそんなことになったのか,ありのままを伝えた。
「…地球と呼ばれるほし?ですか。こことは違う別の世界…すいません。なんだかお話が大きくなりすぎて」
話を聞き終えたシスティナは俺の話を疑っている訳ではないだろうが戸惑いの表情を浮かべている。そりゃそうだ地球とは違ってこの世界には異世界転移ファンタジーを題材にしたラノベなんかないから免疫がない。
それ以前に星という概念すらもまだ無く,自分たちの世界以外に知的生命体がいるという可能性すら考えたことがない人達に別の世界なんて言っても普通なら信じられる訳がない。
「そうだよね。俺のいた世界では作り物の話だけどこういう異世界に飛ばされるって話はよくあるんだ。そういう本を俺はよく読んでいたせいかな…意外とすぐに現実を受け入れられたけどね」
「いえ,お話自体はそこまで疑ってません。そう考えると全てを知りたいとおっしゃったご主人様の言葉の意味も,見たことのない素材で作られたがくせいふくにも全て説明がつきますから。
ただこの世界すら全てを見知っている訳ではないのにいきなり別の世界が…と言われると私の想像力が追いつかないんです」
なるほど…確かにそうかもしれない。だがそんなこと言えば俺だって地球の全てを知っている訳ではない。ただ地図やら映像やらで地球の何処にどんな国があってどんな人達が住んでいるのかということは理解している。
つまり脳内地図には正確さはともかく地球儀があるということだ。さらに極論すれば俺の場合はそこから脳内地図を宇宙空間にまで広げることも可能である。
だがシスティナの場合は違う。システィナの場合を例えるなら脳内地図は平らな紙の上に自分が行ったことのある範囲の地図が描かれているだけで,残りの空白部分にはこの辺にAという街があると聞けばそこにAと書かれた点が書き込まれるだけその他の情報は全て真っ白ということになる。
そんな状態で異世界の話を聞いてもピンと来ないのはむしろ当たり前だろう。
「じゃあシスティナ少しずつ広げてみようか。まず今いるこの大地が球だってこと」
「球?ですか…」
「そう。えっと…あ,あれでいいや。桜,俺の部屋の机の中からなるべく丸い魔石を1個持ってきてくれる?」
「は~い。行ってきま~す」
元気よく返事した桜が目の前から消え,バタン!…バタン!という大きな音の後いきなり現れる。
「こら!扉は静かに閉める!」
「えへ,ごめんなさ~い」
桜に注意をしつつお礼を言うとシスティナに球形の魔石を示す。
「いいシスティナ俺たちはこういう丸い大地の上に立っているんだ」
「はい。
…でも,そうすると球の上の人はいいですが下の人は落ちてしまいませんか?」
あ,やっぱりそういう定番の話になるのか…でも俺だって引力とか重力とかの原理とか知ってる訳じゃないし,どうやって説明したものか…
「えっと…詳しくは俺も知らないからそういうものとして納得して欲しいんだけど,こういう丸い星って大体が球の中心部分に向かって引きつける力が働いてるんだ。
だからこの球の上にいる人達にとっては常に球の中心方向が『下』なんだ」
「……なるほど。なんとなく分かります」
「じゃあその上で俺たちのいるこの星が球だってことを説明しようか」
「はい」
「システィナ、俺たちがミカレアの街に向かって歩いていたとき常にザチルの塔が見えていたよね」
俺がこの世界で最初に見つけた線香のような塔。それがこのフレスベルクが管理しているザチルの塔だった。
頷くシスティナにさらに問いかける。
「そのときザチルの塔の根本は見えた?」
「いえ…見えませんでした」
「うん。だけどシスティナが多分想像していたようにこの世界がこのテーブルのようなものだとしたら,テーブルの上にいれば障害物さえ無ければどこからでも絶対に根本が見えなくちゃおかしいよね。
他にも長い道の先から人とすれ違う時に向こうから来る人が頭から見えてきたりしたこと無かった?」
「あります!そう言われてみれば確かに高い位置にあるものはより遠くからでも見ることができます」
「うん。そこでこの魔石にこの爪楊枝を…」
システィナの理解が進んだところで,俺が蛍さんに木材をスパッと斬り刻んで作ってもらってあった爪楊枝を魔石の上に立てる。もちろん刺さる訳ないので両手でくっつけた状態を維持しているだけである。
「で,こう回す」
爪楊枝を立てた反対側を向けた魔石をシスティナの目線の高さに持ち上げてゆっくりと爪楊枝が真上に来るように回す。
「あ…」
おそらくシスティナの視界には魔石の陰から爪楊枝が先端部分から徐々に現れる光景が見えているはずだ。
「ご主人様,凄く良くわかりました!」
新しいことを知ることが出来たシスティナはとても嬉しそうだ。
「うん,今俺たちがいるこの星が1つの球だというのが分かったところでちょっと窓から空を見てみようか」
システィナを連れて窓際によると窓を開ける。そこから空を見上げると空気の汚れた都会からでは絶対に見られないような満開の星空が広がっている。
「綺麗ですね…ご主人様」
「うん,そうだね。こういう天気の良い日の夜の空のことを今まで俺がいた国では『星空』って言うんだ」
「へぇ…星空ですか…え?…星…空?まさか!」
さすがはシスティナである。それだけで俺が言いたいことを察したらしい。
「そう,空で輝いている光の1つ1つが星なんだ。それぞれはもの凄く遠くにあるからあんなに小さく見えるけどね。
それに全ての星がこの星のように人間が住めるような環境とも限らない。生き物が全くいないような星の方が多分圧倒的に多い。
でもこれだけの星があれば…俺がいた地球という星もどこかにあると思わない?」
とは言ったもののおそらくここにある星々を全て調査したとしても俺がいた地球は無いだろうなとなんとなく分かる。地球にある技術の延長線上にあるようなもので来られるような場所ではない。
異世界転移はそんなに甘いものじゃないだろう。だが,システィナの脳内地図の認識範囲を広げるための説明としてなら悪くない説明だったと思う。
ただ,我ながらちょっと気障だったかと思い顔を熱くしながら隣のシスティナに視線を向けると、システィナは夜空の星達をきらきらとした目で見つめている。
「……ます」
「え?」
「きっとあると思います!これだけたくさんの星があるんですからご主人様がいらっしゃった星もきっとどこかにあります!」
急に広がった世界に興奮したのかいつものシスティナにはないテンションの高さで俺の手を握ったシスティナが「あっ」と呟いて急に不安げな顔に変わる。
俺が来た世界が星々の中にあるということは方法さえあれば俺が帰ってしまうのではないかと思い至ったのだろう。俺は心の中で小さく笑うとシスティナの手を強く握り返す。
「うん,そうかもしれないね。でも俺はもう帰れないし,帰りたいとも思ってないんだ。システィナや蛍さん,桜や葵がいるこの世界が好きだからね。だからこれからもずっと一緒にいるよ。いろいろ迷惑かけると思うけどよろしく頼む」
「…はい。こちらこそよろしくお願いします」
「うむ。これで我らの間には隠し事はないということだな」
「そうだね。少なくとも家の中では日本ネタとかで会話しても問題ないかな」
「じゃあ桜も忍者キャラをがんがん押し出しても大丈夫ってことだよね,ソウ様!」
「あぁ,いいよ…って,あぁ!思い出した!桜!今の内にこの屋敷に仕込んだからくりを全部皆に伝えておいて」
「ほう…いつの間にそんな物を仕込んだのだ桜」
「えへへ,ゲントさんがのりのりで手伝ってくれたの!」
「おい!何してくれてんだ!あの大工の棟梁!」
「あ,でも仕掛けの秘密を守るためには工事に携わった人は消さないと駄目だよね」
「おいこら!殺すな!この家にいられなくなるだろうが!」
「うむ,せっかく手に入れた温泉を失うのは惜しい。やめておけ桜」
「はぁい」
「あぁ!そういうことだったんですね。桜さんはくノ一だったんですね」
「そうだよ♪桜は忍者に憧れてた…から…」
「「「え!」」」
俺たち3人のやりとりをにこにこしながら見ていたシスティナの一言に俺たちの動きが止まる。
「誰かシスティナに忍者とかくノ一とかの説明した?」
「私は言っとらんな」
「桜も言ってないよ」
もちろん俺も言ってない。どういうことなのかと俺たち3人の視線がシスティナに集中する。
「え?え?…あれ?…そういえば…」
俺たちの視線を受けたシスティナが首をかしげる。もしかして…
「システィナ。日本刀とは?」
「日本刀とは日本固有の鍛冶製法によって作られた刀と呼ばれる武器の総称です。厳密には平安時代末期以降の反りがある片刃の刀剣のことを指します」
「やっぱり!」
すらすらと日本刀の定義を答えるシスティナに俺は推測が間違ってなかったことを確信する。
「システィナ。一応もう一回『窓』を出してみてくれるかな」
「は,はい。《顕出》」
システィナ 業: -42
年齢:16
職:侍祭(富士宮総司狼)
技能:
家事
料理
育児
契約
斧槌術
護身術
護衛術
回復術+
交渉術
房中術
特殊技能
叡智の書庫
「システィナのユニークスキルの名前が変わってる」
「あ,本当ですね。どうしてでしょうか。さっき見た時は変わっていませんでしたけど」
「ってことは何かが変わったってことだよね。さっき窓を出した時と今との間で変わったことってなんだ?」
「システィナが地球の存在を信じた。ということだろうな」
そうか…確かにそうかもしれない。システィナの叡智の書は一般的に知られている言葉の意味を辞書を引くように知ることが出来るというスキルだった。
だからこの世界で知られている言葉なら意味を知ることが出来たが,俺がたまに使っていた地球謹製の言葉の意味は分からなかった。なぜならこの世界の人達は地球の言葉を知らないからだ。
だけど,システィナが地球の存在を心から信じたとしたら…地球に住む人達も一般という認識の中に入るのではないだろうか。
叡智の書庫という名前はこの世界の辞書と地球の辞書両方が保管されている能力。ということはもしこの世界に地球じゃないところから来た転生者や宇宙から来た宇宙人がいた場合,システィナはその存在を知ればこの書庫にどんどんと新しい辞書を増やすことが出来るということなのかもしれない。




