ベイス商会
領主館を逃げる様に後にしてレイトークの街中を4人で歩く。領主館は塔とも街の入口とも離れているため商店などは少なめで閑静な住宅街と言った趣である。
「さてソウジロウ,次は何処へ行くんだったかの」
「うん,諸々のお礼も兼ねてベイス商会に挨拶かな。ついでにイザクに貰ったお金で借金返してパーティリングを4人用に買い換えないとね。
後は買い取りがしてもらえるなら塔での魔石を換金」
今回の一件ではなんだかんだでウィルに助けられた。その最たるものがパーティリングの押し売りである。まあ押し売りというと語弊があるが,ウィルが俺たちを高く評価してくれたお陰でパーティリングを謂わば『ツケ』で買うことができた。
このリングがなければあの絶体絶命の一撃で俺は間違いなく死んでいた。
さらに気を失った俺を宿まで背負ってくれたとなればさすがに商取引だけのドライな関係を強く主張するのも義に欠けるだろう。
もちろんウィルの側も打算あってのことだというのは分かっているが,俺たちとの良好な関係のためにある程度自らの身を削ることが出来る相手だということは評価してもいいと思う。
「では『あれ』もか?」
「…そうだね。少なくとも初見のところよりはマシかなとは思ってる。ただ出来ればウィルさんにご同行願って本店に案内して貰ってからの方がいいかな」
「…なるほどな。では結局フレスベルクへ拠点を変えるのだな?」
「うん。レイトークは景色もいいし魚も新鮮でおいしいし悪くはなかったんだけどね。領主に目をつけられたってのもあるし,しばらくここの塔には入りたくないってのもあるからいい機会かな,と」
「かもしれんな。それに確か装備の関係もそのフレスベルクとやらの方が良い店が多いと言っていたな」
蛍さんの言葉に頷く。
フレスベルクのザチルの塔に入るとすればまた1階層からということになるだろうが、装備に関しては妥協しない方がいいということが今回身に沁みたので今回は思い切って魔材を使った装備まで目指してみてもいいと思っている。
後はフレスベルクの環境次第では皆で住める家も探してみたい。風呂が設置できるようにそこそこの大きさの戸建てが希望である。
「あ,ソウジロウ様その角を曲がったところがベイス商会のレイトーク支店です」
桜と仲良く腕を組んで歩きながら楽しそうに喋っていたシスティナだが道案内の役目は忘れてなかったようだ。
俺は言われるがままに角を曲がると抽象化されたラーマらしき動物2体が交差するマークの上に『ベイス商会』と書かれた吊り看板を見つけ、入口の暖簾らしき垂れ布の下をくぐった。
「いらっしゃいませ。ベイス商会レイトーク支店へようこそ。
当店ではあらゆる商品の販売を致しております。在庫のない物は各地のベイス商会から取り寄せ可能,商いを希望する方には仕入れの仲介も致します。
魔石や素材の買い取りも行いますし,お困りごとには当店が懇意にさせて頂いている方の中から事案に見合った人材の派遣もいたしております。
さらにお住まいなどをお探しの方には不動産売買の斡旋等も執り行っております。
なんでもお申し付けください」
…なんかすげぇ。
入った途端に思った感想がそれだった。明るい店内に笑顔の可愛い受付嬢。整然と並べられたアイテムの数々。店内の一角では様々な案件の相談に乗るためかいくつかの応接セットも設置されている。
「えっと……システィナ,頼む」
「ふふ,承知いたしましたソウジロウ様」
何となく機先を完全に奪われた感があるのでとりあえずシスティナに丸投げしてやった。決してめんどくさくなった訳ではない。
「失礼いたします。私はシスティナと申します。先日こちらの商会のウィルマーク様と交誼を結ばせて頂いた者なのですがウィルマーク様はおられますでしょうか?」
「ただいま確認して参りますので少々お待ちください」
受付嬢は欠片も笑顔を崩さずに一礼すると奥へと下がっていく。同時に別の受付嬢が受付に座る。やはり笑顔だ。
「ただいま確認しておりますのでよろしければあちらにおかけになってお待ちください」
笑顔の受付嬢に勧められるままに店内に設けられた応接セットの一つに移動しようとすると、店の奥からどたどたと慌ただしい足音が聞こえて来る。
「フジノミヤ様!お待たせいたしました!まさか当店までお越し頂けるとはありがとうございます!
皆様はまだ疲れも抜けてないでしょうし,立ち話もなんですから2階の応接室へご案内します。どうぞこちらへ」
なぜか興奮した様子のウィルに案内された部屋は先ほどの1階の店舗内にあった応接セットより全てにおいて1ランク上の物が置かれていた。
おそらく高額取引などをするVIPとかと商談をする場所なのだろう。
「どうぞどうぞおかけください。今何か飲み物を用意させますので」
今日は何かと応接室で歓待される日だ。地球では単なる高校生だった俺には馴染みがなくて正直居心地が悪い。
勧めに従って椅子に腰を下ろす。
「そういえばウィルさんは行商人だと伺っていましたが,こんな立派なお店があるのにどうしてですか?」
遅れてテーブル越しに椅子に座ったウィルさんは照れくさそうに口角をあげる。
「このベイス商会は祖父が基盤を築き,父が創り上げたものです。ですが長子であるからと能力の無いものを後継ぎにする訳にはいかないと言われまして」
「修行のための行商ということですか」
「はい。ということで都市間を渡り歩いて物を売ったり,人脈を広げたりしています。
ただ,父も親ばかなんでしょうね『商会のある街では商会を拠点にしろ』と厳しく言われているんです。名目上は商売の報告をするためということになっていますが…私ももういい歳になるんですが」
「それだけ期待されているということでは?不慮の事故等で失いたくないということでしょう」
システィナの言葉にウィルさんはそうだといいのですがと言葉を濁した。商人の世界にもいろいろな事情があるのだろう。
「さて,今日お越し頂いたのはどのような用件でしょう」
笑顔の受付嬢さんが冷えた水を入れた木のコップをそれぞれの前に置いて下がるのを待ってウィルさんが話を切り出す。
「いえ,まずは先日の塔の事件の際に大分お世話になったということでしたのでお礼を言いたいと思いまして。
先日はどうもありがとうございました」
「あぁ!そんないけませんフジノミヤ様。頭を上げてください。お礼を言うのはあの塔を利用して商売をしている私の方ですから」
「そんなことはないですよ。あの時のシスティナは自身も傷つき本当なら自分も意識を手放したいくらいの状況だったはずなんです。
ですからそんな状況で私を担いでゆっくり治療が出来る場所まで運ぶのは不可能とまでは言いませんが多分ものすごく大変なことだったと思います」
「そうですよウィル殿。
あそこで私がソウジロウ様を運ぶために自らを治療したらその使用した魔力の分だけソウジロウ様の治療が遅れるところでした。
治療が遅れればソウジロウ様は死んでいたかもしれません」
あれ?俺ってそんなにやばい状態だったの。そう考えれば俺が目覚めた時のシスティナの反応も大げさじゃなかったってことか。
「いや!ですが…」
「ウィルさん。いいじゃないですか。私たちはあなたに感謝をしている。それは間違いのないことですからお礼の言葉ぐらいは受け取ってください」
「…そうですね。今回の件に関しては打算抜きだったということを分かって頂きたくて依怙地になりすぎました」
「打算抜き…ですか。失礼ですがあなたは商人です。ある程度打算があっても構わないのでは?」
「もちろんそうです。
ですが私は…感動してしまったのですよ」
感動?何か感動するようなことはあっただろうか。俺たちが身の程知らずに塔に飛び込んでいったことは感動するようなことじゃなくむしろ無謀な試みとして嗤う場面だ。
もしかしたら失礼に当たるのかもしれませんが…と前置きをしてウィルさんは理由を語り始めた。
「今回の件がレイトークの街全体を巻き込みかねなかった異常事態というのは、ご存知ですか?」
先ほど領主から言われたばかりの内容だ。頷く。
「そんな異常事態をまだ塔に入り始めたばかりの、探索者としては初心者で僅か3名というパーティで取り残された人達を救出し,階落ちの魔物達を倒し,挙げ句の果てには階落ちの階層主までをも倒してしまったのです」
ウィルさんの目が年甲斐もなくキラキラと輝いているように見えるのは俺だけだろうか。
「そのパーティを誰よりも早く見つけて,誰よりも早く見込んだのがこの私だったとしたら!そう考えたら嬉しくなってしまいまして…」
34のおっさんが恥ずかしがっている姿なんて気持ち悪いことこの上ないが何故か悪い気はしない。
「そうじゃな。そういう意味ならば確かにおぬしが我らのファン第1号ということになろうの」
「ふぁん…ですか?」
「あ,えっと…気に入った人や物を応援したり支援したりする人のことを俺の故郷ではファンと言うんです」
「ああ,なるほど!それならば確かに私はフジノミヤ様達のファンですね」
どうりでここに来たときにあんなにハイテンションで出迎えてくれる訳だ。ファンになってくれるのはありがたいが蛍さんやシスティナのストーカーになったら困るな。
怪しい行動を取り始めたら悪人認定してさくっと殺そう。
「ウィルさんが思うような活躍はもう無いかもしれませんが、私たちを応援してくれている人がいるということは忘れないようにします」
「いえそんな!私が勝手にファンでいるだけですので皆様は今まで通り自由に活動なされてください」
「ありがとうございます。
ところでウィルさん、今日はもう何点か用事がありまして」
「はい。なんなりとお申し付けください。ベイス商会をあげてご協力させて頂きます」
どんと胸を張るウィルさんに若干気圧されながらも協力的なのは良いことだと自らに言い聞かせてまずは1つめの用件を切り出すべく。先ほど詰め直しておいた巾着を取り出してウィルさんの前に置く。
「まずはリングの代金の精算をお願いします」
「まさか!もしかして全額ですか?」
俺が頷くとウィルさんは一瞬驚愕の表情を浮かべたもののすぐにまた目が輝き出す。
「さすがはフジノミヤ様です。リングをお渡ししてまだ5日程しか経っていないのに全額返済出来るとは…いや,失礼しました。確かに全額受領しました」
そう言ってウィルさんが巾着を受け取るとウィルさんとシスティナの体から光の粒子が僅かにこぼれた。
「契約が遂行されたので契約書が破棄されました」
思わずびくりと反応した俺にシスティナが微笑みながら教えてくれる。どうやらこれでシスティナが1人だけ罰を受けるようなことはなくなったらしい。
「次にこのパーティリングを4人用に変えたいのですが…もちろん追加の料金は支払いますので」
自分の腕に填めていたリングを外してテーブルに置くと蛍さんとシスティナもそれに倣ってリングを外してテーブルに置く。
ウィルさんはシスティナの横に座ってうとうとしていた桜を見て大きく頷く。
「仲間を増やされたのですね。承知いたしました。幸い在庫もありますしすぐに持ってこさせます。
料金の方は結構ですと言いたいのですが…」
「気持ちは嬉しいのですが,修行中のウィルさんのご好意に甘えてしまうのも申し訳ないので」
ウィルさんは俺たちのファンだし商売相手としてはありがたい相手だが、まだ知り合って間もないこともあるのであまり貸し借りを作るのはよくないだろう。
くれるというものは貰っとけばいいというのも確かに一理どころか二理三理くらいあるのだが、もう少しこちらからもウィルさんに利益を回せるような関係になるまでは控えておいた方がいいだろう。
「そう言われると思いました。分かりました。
では今後は一人増える度に10万マールずつ頂くということにしましょう。ですから今回は10万マールで結構です」
ウィルさんはそう言うと鈴を鳴らして笑顔の受付嬢を呼び出してリングを取りに行かせた。
確かに3人用は30万マールだったが,この前の説明では人数が増えると必要な重魔石も大きな物が必要になるため人数が増えていくごとに加速度的に料金が高くなると言っていたはずだ。
4人用に変えるだけでもそのまま40万マールということはないだろう。
おそらく4人用のリングは50万マールは言い過ぎだとしてもそれに近い値段がするのではないだろうか。だが値引きということであればあまり固辞するのも狭量だろう。
「ありがとうございます。システィナ」
「はい」
頷いたシスティナが金貨を10枚取り出してテーブルに置く。
それと同時に笑顔の受付嬢がケースに入ったパーティリングをウィルさんに渡していく。
「それではお確かめください」
ウィルさんは受け取ったケースを開くと俺たちの前に置く。中には確かに埋め込まれた重魔石同士が引き合っているリングが4つ入っている。
「はい。確かに」
ウィルさんに断りを入れリングを蛍さん,システィナ,桜の順に填めてあげる。俺の分は前回システィナが付けてくれたということで今回は桜が立候補して填めてくれた。
うん,実際にリングに助けられた身としてはこうしてリングから3人の存在が感じられるのはとても頼もしく感じる。
「お役に立ててよかったです」
俺の満足そうな顔を見て心から嬉しそうな顔をするウィルさん。この感じなら本店行もお願いしやすい。
「ウィルさん。もう1つお願いがあります」
「はい。なんでしょうか」
「私達はまだ修行中なのであまり目立ちたくなかったのですが,今回こうした事態になってしまったので拠点を変えようと思っています」
俺の拠点変更を聞いたウィルさんの顔が面白いくらいに暗くなる。そこまで俺達を推してくれるのは嬉しいが逆にちょっと怖い。
「そうですか…残念です。もう少し皆さんの近くで商いをしたかったのですが」
「そこで拠点を変えるついでに今度はその街に住居を構えようと思っています」
「それはいいですね!それならば場所さえ知っていればいつでもお会いできます。 もしその街にベイス商会があれば是非お尋ねください。きっといい物件をご案内出来ると思います」
「はい。そこでお願いなのですがウィルさんにベイス商会の本店を紹介していただきたいのです」
「それは…フレスベルクに居を構える予定だということですか?」
ウィルさんの問いかけに俺は頷きを返す。ウィルさんは俺の意思を確認すると何かを思い出すように目を細めた。
「そうですか…確かに探索者であるならばフレスベルクは最適な環境です。ですが最適過ぎるために同じことを考える人が多く住環境の良い手頃な価格の住居はほとんど空きがありません。
賃貸も最短でも100日待ちという物件ばかりです」
どうやらフレスベルクの住宅事情を脳内検索してくれていたらしい。
「そうでしょうね」
その辺は当然予測の範囲内である。
「そこで…システィナ」
「はいソウジロウ様」
システィナが小脇に置いていた背負い袋の中からゆっくりと取り出した物を見たウィルさんの顔こそ見ものだった。詳細な説明はウィルさんの名誉のためにしないでおく。
ウィルさんはたっぷり2分以上固まったままだったがゆっくりと開いたままの口を閉じると会心の笑顔を作る。
「我らがベイス商会に全てお任せ下さい。フジノミヤ様のためにフレスベルクに最高の住まいを提供させて頂きます!」
◇ ◇ ◇
ウィルさんに頼もしい言葉を貰ったものの,その日はウィルさんの都合と時間の関係でフレスベルクに移動しても動きが取れないということになり翌早朝再びベイス商会を訪れる約束をした。
「よかったねソウ様。桜達だけのお家が買えそうで」
桜は笑顔で装着したパーティリングを嬉しそうに撫でている。今まで俺達3人だけがお揃いで着けているのが羨ましかったらしい。
「そうだね。立地的には多少不便でもいいからそれなりに広くて静かな家があるといいけど」
「そうだのう。私はソウジロウの訓練が出来るような広さの庭があるといいのう」
「げ…」
しごく気満々ですね蛍さん…
「あの,ソウジロウ様。私はお台所があるお家が欲しいです。ソウジロウ様達に食べてもらいたい料理がたくさんあるんです」
「うん。それは絶対必要だね。実はシスティナの料理には凄い期待してるんだ。馬車での旅の時に食べてた非常食料理が何気に宿の食事なみに美味しかった気がするから,自由に料理してもらったらもっとおいしい物が食べれそうな気がしてたからね」
俺の言葉を聞いてシスティナが喜びの表情を浮かべる。侍祭として家事の能力を評価されることは戦闘力を評価されることと同じかそれ以上に名誉なことなのだそうだ。
「よし。今日はこのまま宿に帰って宿を引き払う準備をしよう」
「はい」
「桜もお手伝いするよ」
「私は酒でも飲んでるから頑張れ」
そうは言っても相変わらず荷物の少ない俺達だったので準備自体はすぐ終わり食事をした後は,システィナと楽しんだ後に魔精変換を使って桜と蛍さんに錬成という名の楽しいお仕事をたっぷりとして3人の柔肌に埋もれながら極上の夜を過ごした。
翌早朝,まとめた荷物をそれぞれに持って宿を引き払うとベイス商会へと赴きウィルさんと合流。
そのままフレスベルクへの転送陣へと向かい全員でフレスベルクへと転送した。転送の代金はベイス商会のお客様なので必要経費だと押し切られウィルさんのおごりだった。
「うわ!これは…凄いな」
転送陣から出てフレスベルクの街に出た途端に思わず俺の口からこぼれた第一声だ。
転送陣は街の中央付近にあったらしく建物から出た途端に人の波が目の前を流れていた。こっちに来てまさか都内の繁華街を思い出すような光景を見ることがあるとは思わなかった。
これは確かに混迷都市の名にふさわしい。
「この辺は早朝から店が空いているのと転送陣があるので大体こんな感じです」
ウィルさんが巧みに人混みを避けつつ俺達を先導しながら苦笑する。
その姿を見失わないようにウィルさんを追っているとほんの微かに鼻に香るものがあった。
「ウィルさんもしかしてこの辺りは海が近いのですか?」
「気がつきましたか?フジノミヤ様は鼻が良いですね。
フレスベルクがここまで大きく煩雑な街になった理由は塔,海,山,草原この4つに囲まれていたからです。
北に塔,西に海,東に山,南に草原。塔は探索者達と魔石を。海は港による流通と海産物を。山は資材や狩りの対象となる獣を。そして草原は豊かな穀倉地帯をもたらしてくれたのです」
そりゃ凄い。それなら人が集まるのも道理だ。もうけ話とうまい食べ物がある場所には人が集まり,人が集まれば金が集まるのはどこの世界も同じだろう。
ただ,囲まれていると言っても海までは馬車で一日程度はかかるのそうで潮の香りも風向き次第によっては微かに感じるという程度らしい。
だから全体的な位置関係としても山と海が近接している訳ではないとのこと。ただ山から流れてくる川がフレスベルクをかすめて海へとつながっており小さ目の船ならば行き来も可能でこれに乗れば港から街のすぐ脇まで来ることが出来るので傷みの早い食材などは船便を使って運んでくるらしい。
貿易船以外にも一日に何便か有料の往復船が出ていて一般人もお金さえ出せば短い時間で港までを往復することが出来るそうだ。
海の向こうに何があるのかとかちょっと気になったりもしたが俺たちに関しては多分わざわざ海を渡るようなこともないだろうし,のんびりそんなことを話していられるような状況でもないのでまたいつか聞いてみよう。
世界地図的なものとかがあれば見てみたいという思いはあるがここには伊能忠敬さんはいなかったはずなのであってもおおざっぱな位置関係を記したものしか地図はないだろうと思っている。
あ,ちなみに伊能さんは日本の海岸線を17年かけて歩いて測量し詳細な日本地図を作った凄い人だ。
「フジノミヤ様。
こちらがベイス商会本店になります」
「おぉ!…」
「おっきぃねぇ!シスはこんなの見たことある?」
「私のいた神殿がこの位の大きさでしたが…5階建てでこの大きさと言うのは初めて見ました」
この世界に来てからそれなりに建造物を見てきたが多くの建物は平屋建てが多かった。これは土地の広さに不自由してないからということもあるだろうが,建築技術の問題で多数階の建物を量産出来ないからだろう。
だから大きめの店舗で2階建て,そこそこ良い宿屋や領主館あたりが3階建て。そのくらいまでしか見たことが無かった。
だがこのベイス商会本店は地球で言うところの商業ビルのようなたたずまいでビシッと5階建てを実現していた。
「フレスベルクにはザチルの塔がありますから…高層建築に関してはこだわりがあるみたいで高層建築物を所有しているだけである程度の名声に繋がるんです」
なるほど…確かに目の前に雲をも貫く高層タワーがあるとちょっと張り合いたくなってしまうのかもしれない。
「そのため,ベイス商会も優秀な大工達を専属で雇って技術の向上に余念がないんです。それが結実したのが300日程前に完成したこの本店なんです。一応この街で一番最初に出来た5階建てです。
その後200日ほど遅れて立て続けに5階建ての建物がいくつか建てられましたがまだ6階建てにはどこも至ってません」
うんうん。そういう意地の張り合いの切磋琢磨が技術革新を起こすこともあるので頑張って欲しいものである。
なんだか誇らしげなウィルさんをとりあえず放っておいて店内に突入してみる。
「いらっしゃいませ。ベイス商会へようこそ!
当店ではあらゆる商品の販売を致しております。在庫のない物は各地の支店から取り寄せ可能,商いを希望する方には仕入れの仲介も致します。
魔石や素材の買い取りも行いますし,お困りごとには当店が懇意にさせて頂いている方の中から事案に見合った人材の派遣もいたしております。
さらにお住まいなどをお探しの方には不動産売買の斡旋等も執り行っております。
なんでもお申し付けください!」
うおっ!また出た笑う美人受付嬢…思わずビクッとしてしまったじゃないか。あの崩れない笑顔が怖い。この商会ではあの笑顔がデフォルトなのか…
「フジノミヤ様!何故私を置いていくのですか!」
「いや…ちょっとめんどくさい雰囲気出してたから…」
「くっ…さすがは私が見込んだお方。5階建てにも物怖じしないとは」
そりゃあ,60階建てとか普通にある世界に生きてたからねぇ。
「まあ,いいでしょう。とりあえずここに来た用件にとりかかりましょう。まずはベイス商会の会長であり私の父であるアノーク・ベイスに会って頂こうと思います。
昨日のうちに話は通してありますのでこちらにどうぞ」
ウィルさんに連れられて店の奥から従業員用の階段を昇って5階まで上がる。さすがにエレベータはない上に傾斜が大きく重力1倍の地球だったら疲れていたかもしれない。
五階に上がりきるとそこにはやはり笑顔の受付嬢が1人カウンターに座っていてその脇に大きな扉。どうやら5階には会長室しかないらしい。ここにいる笑顔のお姉さんも受付嬢というよりは秘書役なのだろう。
「ウィルマークが来たと会長に伝えてくれ」
「かしこまりました」
ウィルさんから来訪を告げられた笑顔秘書は笑顔のまま頷き扉をノックして中へと入って行く。そしてすぐに大扉を全開にすると脇に控えて頭を下げた。
「どうぞお通りください。アノーク会長がお待ちしております」
「ありがとう」
ウィルさんについて部屋に入るとまずその広さに驚愕する。さすがにワンフロアぶち抜きで会長室にしてあるだけのことはある。
広い室内全てに一枚物の絨毯が敷かれているだけでも金の掛け具合が半端ない。この世界室内で靴を脱ぐ習慣がないため絨毯は土足で踏まれることになる。それなのに高価そうな絨毯を敷き詰めているというのはそのくらいは必要経費だと割り切れるだけの資産があるということだ。
正面には大きな窓がありその窓を背にやはり大きな執務机がある。その前にレイトーク領主館で座ったものよりも遥かに高価そうな応接セットが置かれている。さらに室内にはプライベートルームもあるらしく右側の壁には本棚と並んで扉がある。
建物の造りからするとその先にもそれなりの空間があるはずで,あくまで予測に過ぎないが寝室やトイレなどがひとまとめに設置されていると思われる。
左側の方にはバーカウンターのような物があり,笑顔秘書2号が控えている。あそこで来客者をもてなすためのあれこれを準備するのだろう。
「失礼します会長。ウィルマーク・ベイスただいま戻りました」
ウィルさんが声をかけた先は執務机。正確にはそこに座って山積みされた書類に目を通していた人物である。
「うむ。話は聞いている。
よくぞおいでくださった。フジノミヤ殿。そしてお仲間の侍祭システィナ殿,蛍殿,桜殿でしたね。
まずはおかけください」
執務机から立ち上がって席を勧めてきた男は一目で上等だと分かる衣服に身をつつみ物腰柔らかな中年男性。金持ち商人にありがちな飽食による肥満を想像していたがそんなこともなくすらりとした身体つきをしている。
年齢としてはもう50を超えているはずだが、髪に白いものが混じってきてはいるがまだまだ働き盛りという印象を強く受ける。
『アノーク・ベイス
業 : 11
年齢: 54
職 : 豪商』
アノークは俺達が柔らかい椅子に座ったのを見ると笑顔秘書2号に指示を飛ばし,すぐに飲み物を準備させた。
それからおもむろに対面に座る。
「申し遅れました。私が当ベイス商会会長アノーク・ベイスです。この度はこちらのウィルマークより大きな商談を持ちかけて頂けると伺っております。
どうぞお手柔らかにお願いいたします」
「探索者の富士宮総司狼です。こちらこそいろいろご無理をお願いするかもしれませんが双方にとって良い商談が出来ることを望んでいます」
あぁ面倒くさい!こういう腹の探り合いみたいなことは一介の高校生だった俺が歴戦の豪商にかなう訳がない。荷が重すぎる。と言ってもこの後はどうせシスティナに引き継いで交渉してもらうように打ち合わせは出来てるからいいんだけどね。
「では,さっそく商談に入りましょう。なんでも当商会で買い取って貰いたい物があるとか?しかも支店や店頭ではなく私自ら査定が必要になるものだとウィルマークからは伺っていますが」
本当にそこまでの物なのかと疑っているのが俺でも分かる。そしてこっちが分かっていることを相手も分かっている。そんな大した物ではないという空気感を作って値を下げに来ているのだろう。
だが,今回に限ってはその辺の駆け引きは無駄になる。値段交渉自体は一瞬で終わる予定だ。
「はい。ではまずは見て貰った方が早いでしょう。システィナ」
俺の呼びかけに応えてシスティナは大事そうに抱えていた背負い袋から先日と同じように1つの物を取り出して応接テーブルの上にそっと置いた。
ゴトリ
それでも重厚感ある音を立てた『それ』を見て昨日のウィルさんと同じ顔をしているアノークさんをやはり親子なんだなぁと感慨深く眺めていたが,今日はここが山場であるアノークさんが衝撃から立ち直るのを待つ。
そして目に利益を計算する光がともり始めた頃を見計らって一言。
「いくらで買い取ってくれますか?」
「え…あ,あぁ。そうですね。これほどの物であるならば500万…いや」
今だ!システィナ!
俺の目線での合図でシスティナがスキル『交渉術』を発動させる。
「1500万マール出しましょう」
「わかりました。それでお願いします」
思惑通りのスピード商談成立である。今回は物が高額になることは分かっていたのでシスティナの交渉術を使うことは確定していた。
後はそのタイミングだけだったのだが,衝撃を受けている最中はいくらで買い取るかを考えていないだろうし,落ち着いてしまってから冷静に計算し始めると最大買取価格を徐々に安く設定されてしまうだろう。
だから今回は衝撃から立ち直り計算し始めた時。商人がまず直観で価値を算出するタイミングで交渉術を発動した。
昨日ウィルさんに査定してもらった時も…
『こ,これは…最低でも500,いや700。だが…これだけの物が出るのは数百日に1個出るかどうか、私ならこの機会を逃さず倍の1400から1500は出してもいいですが…逆に使用方法が限られるという欠点もありますし最終的には1000万程度で落ち着くのではないかと思います』
ということだった。
このことからウィルさんはまず最低価値を判断し,最高いくらまで出せるかを見極め,そこから交渉でどこまで下げられるかを検討するらしいということが分かった。
そしてそれはウィルさんの父であり,師匠であるアノークさんも同じだと考えた。だからアノークさんが最高額を考え始めたであろうタイミングをある程度予測出来た。
結果はウィルさんが考えていた最高額と同じ額を引き出せたのだから成功したと見ていいだろう。日本円換算して約1億5千万円。十分過ぎる資金をゲット出来た。
これで憧れのマイホームに手が届く。




