秘密のお仕事
「では旦那様、行ってきます。システィナさん、メリスティアさんお仕事お任せしてしまってすみません」
「ふたりとも、お休みのときくらいはお屋敷のことは気にしないで楽しんでくださいね」
「そうです。最近ではふたりが頑張り過ぎて、私やシスティナ様の仕事も減ってきちゃってますから、侍祭としてはいささか不本意でしたし」
私が頭を下げていた頭を上げると、侍祭であるシスティナさんとメリスティアさんが微笑んでくれていた。
「いつまでたっても霞ちゃんは固いなぁ、シス姉様とメリス姉様がそんなこと気にするわけないじゃん」
「陽ちゃん! 確かにそうだけど、私たちがお休みすることで私たちのお仕事をお願いすることになるんだから、そこはきちんとしないと」
「はいはい」
陽ちゃんは結局、どこまでいっても陽ちゃんで、身長も伸びて体も女らしく成長したのに天真爛漫なままです。でも……その勢いでいつも旦那様に素直に甘えられる陽ちゃんが羨ましかったりもします。
まあ……最近は私も陽ちゃんに便乗して甘えちゃってますけど。私のような小さめの胸でも押し付けてあげると旦那様はとても喜ぶので、とても楽しいです。旦那様は表情に出していないつもりのようですが、緩んだ顔を見れば誤魔化しようはありません。
「エリオさんによろしくな」
「はい、お伝えします旦那様。おみやげもたくさんいただきましたし、皆も喜ぶと思います」
今日は陽ちゃんと一緒に、ダパニーメで奴隷商をしているエリオ様のところへお伺いする予定です。エリオ様は私と陽ちゃんのもうひとりのお父さんみたいな人で、とても立派な人です。
「霞ちゃん、ちょっとだけ味見しない?」
「しません!」
陽ちゃんがシスティナさんたちが持たせくれた手作りのお菓子や、お料理をつまみ食いしようと私のアイテムボックスに手を伸ばしてきたので、ぴしゃりと手を叩いてやりました。
「相変わらず仲が良いな。ほら、遅くなるぞ。霞も陽もいまや立派な美女なんだから、くれぐれも気をつけてな。四狼、九狼も頼むぞ」
『『わう!』』
「はい、いってきます。旦那様」
「行ってくるね、兄様。ん、ちゅ」
私たちを立派な美女と言ってくれて、心配してくれて、それなのに優しい笑顔で見送ってくれる旦那様に私が顔を熱くして頭をさげようとした隣で、陽ちゃんが旦那様の首に抱きついて熱烈なちゅーを……もうっ!
「あぁ! ずるい陽ちゃん! もう、離れて!」
私に引き剥がされて名残惜しそうに手を伸ばす陽ちゃんを、ぺいっと後ろに放り投げた私は旦那様の口元をもじもじと見上げてしまいます。
わ、私だって旦那様と行ってきますのちゅーがしたいんです! でも自分からいくのはちょっと……恥ずかしいです。
「うお、大胆な陽も可愛いけど……霞も反則級な可愛さだなぁ。ほら、おいで霞」
「は、はい!」
◇ ◇ ◇
「ふん♪ ふふん♪ ふ~ん♪」
結局私は、手を広げてくれた旦那様の胸に飛び込んで、陽ちゃんよりちょっと長めにちゅーをしてもらって、足取りも軽いです。
「ちぇ~、霞ちゃんのがずるいと思うんだけどなぁ」
陽ちゃんがほっぺたを膨らませていますが、どっちもどっちです。自分から積極的にアピールできている陽ちゃんの方が旦那様との接触時間数が絶対に多いはずですから。
「そう思うよね、しーちゃん」
『がう?』
陽ちゃんの相棒である四狼が首を傾げます。私のくーちゃんも、四狼も私たちの言葉を理解していますが、こういうときはふたり(・・・)とも絶対にわからないふりをします。いつの間にか空気が読める世渡り上手な狼になったみたいです。
そんなことを話しながらフレスベルクの転送陣からダパニーメへと転移します。私も陽ちゃんもSランク冒険者なので、冒険者カードを見せれば転送料は免除です。まさか私たちが旦那様たちと同じSランクの冒険者になるなんて、思ってもいませんでした。でも、新撰組の皆さんと一緒に戦って、一緒に強くなって、自分の力で同じSランクになれたことは本当に嬉しかったです。
同時にSランクになった私と陽ちゃんを、皆さんがお祝いしてくれたときは思わず抱き合って泣いてしまいました。
「は~い、到着! こんにちは!」
あ、物思いに耽っているうちにエリオさんの奴隷商に到着していたみたいです。陽ちゃんが元気よく扉を開けて突入していきます。本当は中にお客様がいたら迷惑になるので、私が先に入るつもりだったのですが……不覚です。
「あ、陽さんだ。いらっしゃい」
「久しぶりアイナ。エリオさんはいる?」
「あ、はい。今日はエリオさんもラナルさんもいます」
受付カウンターに座って私たちを出迎えてくれたのは赤青黄のカラフルな帽子をかぶったアイナちゃんです。昔はちょっと気の弱いところのあったアイナちゃんですが、いまは立派になって、ラナルさんから受付係のリーダーを任されています。
「奥にいるの? じゃあいってみるね」
「ちょ、ちょっと陽ちゃん。エリオ様もラナルさんも忙しいんだから、ちゃんとご予定を確認しなきゃ駄目でしょ」
「は~い」
「ふふふ、大丈夫ですよ。最近のエリオ様は、お仕事は皆に任せてほとんど坊ちゃんにつきっきりですから」
アイナちゃんがなにかを思い出したかのように口元を隠して笑っています。それを見ただけでエリオ様がどんな状況なのかが簡単に予測できてしまいます。
陽ちゃんと顔を見合わせて、陽ちゃんも同じことを考えていたことがわかると私たちは三人でくすくすと笑ってしまいました。
もともとエリオ様は子供が好きな方でしたが、やっぱり自分の子供となると違うのだと思います。あのディランさんですらご子息に対してはとろとろなんですから、エリオ様なら溶けてなくなっていてもおかしくありません。
それに、エリオ様は私たち奴隷を自分たちの子供のように思ってくださっていて『私にはお前たちがいてくれるから子供がいなくても寂しくない』とよく言ってくれていました。
奴隷商のような因果な商売をしている以上、ご自身が結婚して家庭を築くことは諦めていたんだと思います。そこを猛烈にプッシュして半ば強引にエリオ様を押し切って結婚にこぎつけたのが……
「あら、騒がしいと思ったら来てたのね。そこにいたら邪魔になるから中に入りなさい」
店の奥から顔を出して私たちを手招きしている兎耳族のラナルさんでした。ラナルさんはエリオ様を公私ともに支えながらアピールをしていたのですが、エリオ様はご自身が関わった奴隷たちに、例え同意があったとしても手を出すような人ではありませんでした。
それでもラナルさんは根気強く頑張っていたのですが、二十歳をいくつか越えたころに自分の旬が過ぎ去っていくのを恐れて強硬手段にでました。エリオ様にお酒を飲ませて色仕掛けで既成事実を作ったんです。
結局、エリオ様もラナルさんを想っていたのに、ご自身が奴隷商であることを気にしていただけだったのでなし崩し的に結婚することになりました。
その後は仲睦まじい夫婦でしたが、子宝には恵まれませんでした。これは人族と他種族との間で子供ができにくいのが原因です。フレイ様や私たちは旦那様のご事情を考えてメリスティアさんのスキルで【房中術】を共有させてもらっていましたが、それをしていなくても妊娠できていたかは微妙です。
先日、旦那様が子作りを解禁なされたのでシスティナ様とフレイ様は【房中術】をいままでとは逆の効果を発揮するようにして励まれています。それが効果的だというのは、システィナ様に子宝に恵まれないことをご相談して【房中術】を勧められたラナルさんが、驚異的な速度でスキルを身に付け実践したことですでに証明されています。
「あーあー」
「おー、エラルドちゃんはえらいでちゅねぇ。もうあんよができるようになったんでちゅかぁ」
ラナルさんに案内されてエリオ様の私室の扉を開けた私たちの目で、本当にとろけ切った顔でエラルドちゃんをあやすエリオ様がいます。
「ほら、あなた。霞と陽が来てくれたわよ、エラルドは私が預かるからもう少ししゃんとしてください」
そう言ってエラルドちゃんを抱き上げたラナルさんに、エリオ様は「ああぁ!」と情けない声を上げています。
「にゃはは、そんなエリオ様も可愛いかも」
陽ちゃんの言葉には全面的に賛成ですが、奴隷商としての威厳は台無しです。この様子では売られてくる子供たちに、いままで以上に感情移入しすぎてしまい奴隷商としての冷静な判断はできない気がします。
まあ、だからこそラナルさんにお店を任せて、自分は育児に専念しているのだと思います。元奴隷で、奴隷でもこのお店に来た以上は幸せになれることを知っているラナルさんならそのあたりの線引きを間違うことはありません。
「エリオ様、今日は休暇を頂けたのでちょっと遊びに来ました。あ、ラナルさん。旦那様たちからおみやげをたくさん頂いているので、皆さんで食べてください」
「あら、ありがとう霞。人を呼ぶからそこに出しておいてくれる?」
「はい」
大量のお菓子や料理を出していくと、どこからか嗅ぎ付けてきたのか集まってきていた行儀見習い中の子供たちが歓声を上げながら別室へと運んでいきました。私たちも昔はあの中にいたのだと思うと感慨深いものがあります。奴隷ではありましたが、ここでの生活は充実していました。
そのあとに死んだ方がましだと思うような辛いめにもあいましたが……あれがあったからこそシスティナ様や蛍様たち、そして旦那様に出会うことができました。あの日から私たちはずぅっっっと幸せの中にいます。だから、私と陽ちゃんも二十歳になったとき、迷わず【不老】スキルを取得させてもらいました。
歳をとっていくエリオ様やラナルさんたちとは、いずれお会いできなくなっていくかも知れませんが、私たちは旦那様たちとずっと一緒にいたかったんです。
◇ ◇ ◇
「恥ずかしいところを見られてしまったな」
「いえ、前からエリオ様はそういうところありましたよ。ね、陽ちゃん」
「そうそう、僕たちっていうかここの子たちに優しすぎなんだよね。だから、ここを出ていきたくない子たちが増えちゃって困ることになるんだよ」
「ははは、それは耳が痛いね。店をラナルに任せてからは少しは解消されたと思うんだが……困ったことに私自身はまったく反省していないんだよ」
「ま、それでこそエリオ様だけどね~」
エラルドちゃんモードからスイッチを切り替えたエリオ様がようやく落ち着いてくれたので、私たちはシスティナ様から頂いたお菓子を食べながら雑談に興じます。久しぶりだったので、話のタネは尽きません。
お屋敷のこと、旦那様たちのこと、従魔たちのこと、冒険者活動のこと、などなど。
「うん、本当にお前たちが幸せそうでよかった。フジノミヤ様とシスティナ様には本当に感謝しなくてはな」
「はい、とても幸せです」
「兄様たちと出会えたことを考えたら、聖塔教の奴らにだって感謝したいくらいかも」
「これ、陽。それは言い過ぎだ。あのときのお前たちを見た私たちのことも考えておくれ」
「あ、そうだね。へへへ、ごめんなさい。でも本当にそれくらい今は楽しいんだよ、エリオ様」
成長した陽ちゃんは爪虎族の特徴なのでしょうか、笑うと可愛い八重歯(陽ちゃんは牙だと言い張りますが)が見えます。その八重歯は陽ちゃんの底抜けな明るい笑顔によく似合っていてとても魅力的です。
「うん、うん。よかったなぁ……」
幸せそうな私たちを見るとエリオ様は大体涙ぐまれます。あのときのことは私たちは旦那様たちのお陰で心身ともに乗り越えましたが、エリオ様の中ではまだ心の傷になっているのかも知れません。もしそうなら、なんとか私たちでエリオ様を癒してあげられるといいのですが……先日、桜様が気になると言っていたことを聞いてみてもいいかも知れません。
「エリオ様、最近変わったことはありませんか?」
「特に変わったことは…………いや、そういえば」
エリオ様から聞き出した内容は、桜様が調べようとしていたことと無関係ではなさそうです。
「陽ちゃん……」
「ん、だね」
私は陽ちゃんと短い言葉だけで意思確認を済ませます。
「じゃあ、エリオ様。私たちはそろそろお暇しますね」
「おお、そうか。なんだったら泊まっていってもいいんだぞ。フジノミヤ様にはこちらから伝言を送ることもできる」
「いいよ、いいよ。また来ればいいんだもん。兄様ならお願いすれば、すぐお休みくれるし」
「もう! 陽ちゃん!」
いまでは、お屋敷の仕事は私たちが好きでやっていることなので、本当は毎日がお休みのようなものです。旦那様たちは私たちになにかをお願いすることはあっても、強制することはありません。お願いといっても八割くらいはえっちなお願いですし……。
と、とにかく! お屋敷のことは私たちの感謝の気持ちを込めて、なるべくふたりでやろうねと、陽ちゃんと決めたことです。
「にゃはは、霞ちゃんが怖いからもう行くね。ばいばい、エリオ様。次はエラルドと遊びにくるからね」
「ははは、いいとも。いつでもおいで」
「では、エリオ様。私も行きますね。くれぐれもお体に気を付けてくださいね」
「勿論だとも。エラルドの子供を見るまでは元気でいるつもりだからな」
◇ ◇ ◇
「さて、じゃあまずはどこから行こうか、霞ちゃん」
エリオ様のところを出た僕たちにさっきまでの、のほほんとした雰囲気はない。霞ちゃんの狐尾族特有の切れ長の目も、きゅっと細くなっていて怜悧な美女状態。でも怖いくらいに綺麗。霞ちゃんはよく僕の明るさが羨ましいって言うけど、僕にしてみれば大人の女性の色気がありつつも、初心さを忘れない霞ちゃんのほうが羨ましいんだけどなぁ。
ま、でもそんなふたりだからこそ仲良しでいられるのかもね。
「エリオ様のお話しでは、商会で買い取る予定の子たちの到着が何人か遅れているというお話だったよね?」
「そうだね、でもまだ一日とか二日とかそのくらいみたいだけど……受け入れる子たち全員の予定を把握しているエリオ様って凄いね」
エリオ様の奴隷商会は、最近の奴隷商の質の低下や闇の奴隷商の増加を憂いて、受け入れる奴隷たちの枠を大幅に広げたんだよね。エリオ様のところから巣だった信頼できる人たちを世界中に派遣して、いち早く情報を掴み、他よりも高い値段で、他よりも圧倒的に早く奴隷たちを保護したんだ。
大量に受け入れた奴隷たちの買取額に加えて、生活や教育にかかる費用はとっても莫大になったけど、兄様がそのお金を無期限無利息で貸してあげているから大丈夫。さすが兄様!
ゆくゆくは人材育成しつつ、ハケン業? みたいなこともできるようになるかもって言っていたけど難しいことは、兄様とシス姉様たちに任せておけばいいよね。
「そうだね、今の時期は貧しい農村からの口減らしが増える時期だからたくさんの子が入ってくるのに、その全員のことをしっかりと把握しているなんて、そんな奴隷商はエリオ様だけです」
へへ、エリオ様も凄いな。僕たちがここに来た時もそうだったけど、エリオ様と初めて会ったときにエリオ様は僕が自己紹介する前に、僕の名前を呼んで歓迎してくれた。僕の家族構成や、どうしてここに来たのかもちゃんと知っていて、家族のためにすすんで奴隷商に来た僕を「えらいね、よくがんばった」って褒めてくれたんだ。あのときに僕を撫でてくれたエリオ様の手を、僕は絶対に忘れない。
「そんなエリオ様を困らせるようなことをしている人がいるんなら許しておけないよね」
「勿論です。でも、まずは情報収集です」
僕と霞ちゃんはSランク冒険者、そして新撰組の一員としての顔になるとお互いの目を見て頷くと、ダパニーメの街をふらふらと歩いて、ある屋台のひとつに寄った。
「わあ、おいしそうですね、ふたつください。私はリンプル味で……陽ちゃんも同じでいい? じゃあリンプル味ふたつ」
「あいよ、姉ちゃんたちは美人さんだから、リンプルをちょっとだけ多めにいれちゃおうかな」
「ありがとうございます! でもサービスしてくれても私たちには良い人がいますから」
「おっと、そりゃあ残念だ。まあ、でも美人の笑顔は金貨の価値があらぁな」
霞ちゃんは屋台で売っていたクレープというお菓子を買う。その様子はにこやかに屋台のおっちゃんとやりとりをしているように周りからは見えるけど、実は違う。よくよく見れば霞ちゃんの口とおっちゃんの口は聞こえてくる声とは微妙に違う動きをしている。
これは影番隊で使っている話術で、桜姉様から教えてもらった腹話術と読唇術っていう技術を応用しているんだ。
そう、つまりこの屋台のおっちゃんも影番隊の一員。各街にはこうやって街に溶け込んで、情報収集や連絡係を務める隊員がいて、情報が欲しいときはいつでも協力してくれる。こう見えても僕と霞ちゃんは副長だしね。
「ありがとう、またきますね」
「おう! ごひいきによろしく」
クレープをふたつ購入した霞ちゃんが、私にクレープをひとつ渡しながら歩き出す。情報収集のための偽装で買ったクレープだけど、せっかく買ったんだから僕はちゃんと食べるよ、勿体ないし。クレープはもともとシス姉様が兄様の世界のお菓子を再現したもので、すっごい甘くて美味しいんだ。
「どうだった?」
「うん、やっぱりエリオ様が気にしていた奴隷の出身地方面が怪しいみたい」
「インタレスとジェミナザ?」
「そう」
インタレスは主塔のある街で研究者の街と言われる場所で、ジェミナザは副塔の街だけど交易の要衝にあって交易都市と呼ばれて栄えている街だったっけ。
「どっちにいく?」
「じゃあ私がジェミナザね、陽ちゃんは賑やかなところにいくと絶対に寄り道するから」
「にゃはは、さすがにそんなことは……」
「あるでしょ?」
「……はい」
前科があるだけになにも言い返せない……。さすがに今回はエリオ様が悲しまないようにするためだし、大丈夫だと思っているけどね。
「念のため、私たちが動くことを隊長に伝えておいてもらうようにしたし、現地の隊員に協力してもらう手配もしておいたから、ひとりで無理して突っ込まないでね、陽ちゃん」
「わかってるってば。闇奴隷商の調査、アジトの捜索……さらに証拠を押さえて、バックまで潰せれば完璧だね」
「うん、でもなにを差し置いても」
「捕まっている子たちの救出が優先! でしょ?」
霞ちゃんがにっこりと微笑んで手の平を向けてきたので、僕も笑って霞ちゃんの手の平を叩くとぱんっといい音が鳴った。
「行くよ、くーちゃん。今日中に片付けちゃおうね」
「がう!」
すでに極めつつある【隠形】で九狼と一緒に影の中へ溶けてしまったかのように消えていく霞ちゃん。相変わらずお見事。
「さて、僕たちも行こうか。しーちゃん」
「うぉう!」
霞ちゃんには【隠形】では及ばないけど、僕たちには【敏捷補正++】があるんだからね。残っていたクレープを一気に口に押し込んで僕としーちゃんも走り出す。
◇ ◇ ◇
「副長、このあとの始末は私たちに任せて、子供たちをお願いします」
「隊長から指示はきてる?」
僕の前で膝を着いている黒ずくめの隊員に問いかけている僕も、忍び装束に身を包んでいる。桜姉様の格好を参考に、ディランさんたちに作ってもらった特注品で裏の仕事をするときの正装なんだよね。
「現場で副長の指示に従え、と」
にゃは、桜姉様の信頼がちょっとくすぐったい。でも、だからこそ甘いことはできない。それが新撰組だから。
「わかった。なら、このアジトは徹底的に潰せ。ここの責任者にはしっかりとお話し(・・・)してすべてを吐かせろ。残っている資料からも、奴隷たちの売却先と糸を引いている組織があるかどうかを徹底的に洗え。見つけても迂闊に手は出すなよ、基本は調査と監視にとどめて次の指示を待て。だが、子供たちの命にかかわるようなら突入も許可する」
「はっ!」
僕の指示に短い返事をした影番隊員が消える。周囲に潜んでいた気配も動き出したので、このアジトはもう終わり。
僕は頭部を覆っていた布を取り払うと、ちょっと離れたところに待たせていた子供たちのところに戻る。子供たちの半数はろくな食事も与えられていなかったようで、健康状態が悪い。僕たちが動き出してほぼ半日でここまで漕ぎつけたけど、この組織はかなり慎重に水面下で動いていたみたいで、こいつらが違法に確保していた奴隷たちの何人かは救うことができなかった。欲を出してエリオ様の購入ルートにちょっかいを出してきていなければ、被害はもっと増えていたかも。
「ごめんね、待たせて。さあ、もう大丈夫だからお姉ちゃんと行こう。君たちを絶対に幸せにしてくれる人のところへ案内するから。頑張って到着したら美味しいものをたくさん食べさせてあげるからね」
怯えていた子供たちの何人かが美味しいものという言葉に喰いつく。こういう子たちはだいたいお腹を空かせていることが多い。だから、緊張を解いてあげるのに食べ物の話は効果抜群なんだよね。僕も最初はそうだったからよくわかる。
「ほら、これ食べて。とっても美味しいから、そうしたらもう少し頑張ろう」
アイテムボックスに保管していた、シス姉様特製のクッキーを子供たちに配ってあげる。ちょっと戸惑いながら、口へと運んだ子供たちの顔がみるみる幸せそうにほころぶ。美味しい、美味しいと連呼する子供たちの顔に元気が戻る。うん、やっぱり美味しいは正義だよね!
元気が出た子供たちをアジトから接収した馬車に乗せてインタレスまで同行する。そのあとは冒険者ギルドに事情を説明して、落ち着いたら子供たちをエリオ様のところへ連れていってもらえるように依頼する。エリオ様が気にされていた子もこの中には含まれていて、無事に届けてもらえたらエリオ様が心を痛めることもなくなるよね。
それにしても、こんなときSランク冒険者で『新撰組』という肩書はとても役に立つ。見た目は普通の美女なだけの僕の依頼を、ギルドはふたつ返事で引き受けてくれるから面倒がなくていいい。
子供たちの宿や食費、新しい服の購入に使ってもらうために、多めに金貨を預けて子供たちに別れを告げる。ついでに子供たちには、僕のことをエリオ様には内緒にしてもらうように言い含めておく。エリオ様は心配性だから、僕たちがそんなことしてるって知ったら心配で髪の毛薄くなっちゃうかもだからね。
インタレスの転送陣を抜けてフレスベルクに着くと、もう明け方が近い時間だった。もう少ししたら空が明るくなってくるかなぁ。それにしても、短期決戦で結構無茶したせいか微妙に足が重い気がするよ。早く温泉に入りたい……。
「疲れたぁ、兄様心配しているかなぁ」
「陽ちゃん! そっちもいま終わったの?」
「あ~、霞ちゃんだ。お疲れ様ぁ」
フレスベルクの転送陣を出てお屋敷に向かって歩いていると後ろから霞ちゃんと九狼が走ってきて僕の腕に抱きついてくる。霞ちゃんもちょっと疲れているみたいだけど、表情を見ると概ねうまくいったみたい。これでまたしばらくは奴隷関係の悪人は大人しくなるかな?
「陽ちゃんもお疲れ様。思ったより早く片付いてよかったね」
「そうだね、まあすでに桜姉様が準備をしていたみたいだから、僕たちはちょっとだけ決行を早めただけだけどね」
「ふふふ、そうかも。でも、一日早く片付けば攫われた子供たちの苦しさも一日分減るんだよ。私はそれが嬉しいかな」
「……そっか、そうだよね。エリオさんの心労も取り除けただろうしね」
「うん!」
僕と霞ちゃんは顔を見合わせて笑いあう。気が付くとなんだかちょっと足取りが軽くなっていた。
「しーちゃんもご苦労様。今日もありがとう」
「くーちゃんもありがとう」
足元で尻尾をふる相棒の魔狼の頭を優しく撫でる。私たちと一緒に強くなってきたしーちゃんたちは、体も大きくなっていて歩きながらでも頭を撫でられるし、いざというときは乗せてもらうこともできるくらいにたくましくなっている。本当に自慢の友達で、頼りになる相棒だ。
「「くぅん……がう♪」」
「え? しーちゃん?」
気持ちよさそうに目を細める相棒たちを見ていたら、二頭が突然嬉しそうに一声あげて走り出した。どうしたんだろう急に。
「霞、陽、お疲れ様」
「「え?」」
しーちゃんたちの行く先を見ると、そこにはしーちゃんと九狼を撫でながら優しい笑顔で僕たちを見ている兄様がいた。
え、どうして? どうしてここにいるの? もしかして、僕たちを心配してお迎えに来てくれた? いつ帰るかも言ってなかったのに? ……あ、これやばい! なんか僕、きゅんきゅんしちゃってるかも!
「に「旦那様!」ぃ……へ?」
湧き上がる衝動のまま兄様に抱きつこうとした瞬間、僕の隣からもの凄い勢いで霞ちゃんが飛び出していって、兄様に抱きついていた。
「あぁ! ずるい! 霞ちゃんずるい! こんなときばっかり手が早いなんて!」
こういうところが孤尾族は抜け目ないんだよなぁ。でも、あんなに嬉しそうな霞ちゃんを見たらなんも言えないけどさ。とにかくいまは。
「僕も! 兄様、お迎えありがとう!」
霞ちゃんを押しのけるようにして兄様に抱きつくと、鍛えている兄様は僕たちふたりをまったく危なげなく受け止めてくれて、そのままふたり一緒に抱きしめてくれた。
「桜に聞いた。せっかくの休みだったのに、ご苦労様。よく頑張ったね」
「いえ……そんな」
「はにゃ~ん」
兄様、兄様、兄様、兄様、兄様、! もう、このぬくもりも、臭いも、姿形も、雰囲気も、なにもかもが好きすぎて怖いよ僕。
「さ、家に帰ってお風呂でも入ろう」
「「はい!」」
えへへ、これからもずっと一緒だよ……兄様。




