遥かな高み
「じゃ~ん! 桜ちゃんお目見え~」
試着スペースから出てきた桜は、なにか変わっているようには見えず、いつも通りの衣装に見える。だが、いつもの忍び装束の胸元からさっきの服の一部が見えるから下に着こんでいるんだろう。
「ソウ様、ちょっと桜のお腹をパンチしてみてくれる?」
「え? ちょっと、効果がわからないのに迂闊にそんなことしたくないなぁ」
桜は笑顔で自分のお腹をぽんぽんと叩いているが、検証のためとはいえ女性に腹パンするのはちょっと……
「う~ん、ソウ様は優しいからなぁ……あ、じゃあこうしよう。最初はそっとでいいから、そのあとにどんどん強くしていくのは? そうしたらソウ様の体感でどのくらいの効果があるのかもわかりやすいよ」
「ん~……わかった。でも、本当はやりたくないんだから変な我慢しないで正直に申告すること」
「は~い」
「メリスティア、なんかあったら回復よろしく」
「はい、お任せください」
まあ、桜が俺のパンチくらいで怪我をするとは思えないし、むしろ俺が手をねんざして治療を受ける可能性の方が高い気もするけどね。
「じゃあ、最初は二割くらいの感じでいくよ」
「よっしゃこ~い」
人の気も知らないで、仁王立ちでワクワクしている桜にちょっと力を込めたくらいの軽いパンチをお腹に当てる。
「あ?」
拳が当たった瞬間に俺は思わず声を漏らす。予想していた感触ではなかったからだ。俺の想像ではなんだかんだいっても桜の柔らかい感触が感じられると思っていたのに、伝わってきたのはかための低反発枕をほんの少し押し込んだくらいの手ごたえしかなかった。
「どうだった? ソウ様」
「……なんか奇妙な感じだな。桜はなにも感じないのか?」
「そうだねぇ、いまのパンチだと衝撃はほぼゼロかな」
マジか……いくら二割とはいえほぼゼロ? 凄いな。
「じゃあもう少し強くやってみる?」
「うん! お願い」
「……じゃあ五割くらいで。いくよ……ふっ!」
今度はさっきよりも倍くらいの力を込めて、しかもちょっと角度をつけてみる。
「ん! いまのでちょっと押されたくらいかな?」
桜の表情はまったく変わっていないので嘘はついていない。俺の五割パンチが世間一般でどのくらいの威力なのかはわからないが、あのレベルの攻撃でほとんど効果がないなら布の防具としては破格の性能だ。普段着として普及させればこれも爆発的に売れる。
「凄いですね、これ。なんといっても普通の服と変わらないのがいいです。この製法なら女性向けの服も作れますし、量産できればこれも凄いことになるんじゃないですか?」
「ふん!」
俺の称賛の言葉にディランさんは頷きつつもどこか不満気な顔をしている。俺の学生服を見ただけでこれだけのものを作り上げたのになにが不満なのだろう。
「主殿、ディランさんはまだ納得がいっていないのですわ。桜さんの着ているものは桜さん自身の魔力の強さにも影響していますし、主殿の学生服に比べたら……」
『いや、葵。これと比べるのは駄目だって。一応これ地球の神様からもらった服! 言ってみれば神器なんだから』
『ディランさんもその学生服がありきたりな技術の積み重ねから生まれたものだなんて思っていませんわ。ですが、それとこれとは別です。目指すべきものが目の前にある以上、職人としてそこに至りたいと思うのは当然ですわ』
……なるほど、俺が蛍さんを追い越したいと本気で思っているようなものか。それならわかる。俺だって無理な目標だと思っていても諦めずに、死ぬ気で追いかける道を選ぶ。
ディランさんとリュスティラさんもそうなんだ。だからリュスティラさんは刀の技術を取り入れて更なる高みを目指し、ディランさんも新技術の一応の完成に達成感はあっても満足はしない。そして、そんなふたりだからこそ俺たちは自分の命を預ける武具の作成を安心して頼めるんだ。
「ディランさん、素材が必要ならいつでも言ってください。いくらでも集めてきます。いくら失敗しても使い切れないくらい集めますから俺たちに最高のものをお願いします」
「ふん、任せておけ」
俺の言葉に珍しく表情をほころばせたディランさんは大きな拳を俺に向けてくる。俺はその意味を察して、思わず笑みをこぼすとディランさんに比べれば貧相な拳をディランさんの拳と合わせた。
ゴン、と鈍い音がして、俺の拳に痛みが走るが…………なぜだか心地よい痛みだった。
ご機嫌の桜がディランさんにいろいろ感想を伝えている間に、このまえ霞たちと訪れたときに一緒に測量されていたメリスティアもシスティナと同じ胸当て、手甲、脚甲を受け取っていた。メリスティアはシスティナと違って完全に後衛タイプだから前に出ることはあまりないと思うけど、防具はちゃんとしておいたほうがいい。
その後、リュスティラさんとディランさんにいくつかの素材の依頼を受けて工房を出た。頼まれたのは領主会議以降に備えていつもの壁材の採取と今回の蜘蛛系の糸、あとは魔獣系の毛などの収集依頼だ。魔獣の毛は種類によっては魔力伝導率がいいものもあるのでいろいろ試してみたいらしい。
壁材に関してはいつも通りなので問題ないが魔物の素材に関しては、塔内だと魔石しか残らないため塔外で探す必要がある。求める魔物の棲息地を冒険者ギルドで確認しておく必要があるけど……棲息地が遠かったりしたら素材集めは結構しんどいな。
塔の中なら蜘蛛系も魔獣系も結構簡単にみつかるんだけどな。えっと……たしか塔内の魔物の素材も持ちだせる方法があったよな。
「メリスティア、塔の中にいる魔物の素材を塔外に持ちだす方法ってなんかなかったっけ?」
「素材というと魔物の体の一部ということですか?」
ひとつに編み込んで後ろに垂らしていた長い髪を揺らしながら首をかしげるメリスティアに、俺は頷きを返す。
「そうですね。基本的に塔の中の魔物は死ぬとすぐに塔に吸収されてしまうのでドロップ品は魔石だけというのが原則です。倒す前に斬り落としておいた部位を持っていても魔物を倒せばやがて消えてしまいます」
「うん、それはわかっている。でも、なんか裏技みたいのがなかったっけ」
「あまり効率はよくありませんし、危険なのであまりやろうとする人はいませんが方法はふたつあります」
メリスティアが白く長い指を二本立てる。
「とはいっても、どちらも根本は同じなのですが……ひとつは魔物を窓から外へと放り出して、外で倒すこと」
「あ、そうか……塔の中だと吸収されちゃうのなら、外へ連れ出せばいいのか。そういえばシスティナのローブの素材の話をしているときに聞いたんだっけ。となるともうひとつは……」
システィナがフレスベルク領主セイラからもらった『水龍の鱗衣』は水龍レイクロードドラゴンの鱗をふんだんに縫い込んだ装備だ。だが、水皇ともいわれるドラゴンに棲息地である水の領域では勝てるはずもない。だからこの鱗はときたま高階層の階層主として現れるレイクロードドラゴンの鱗。水のないところに出てしまった水龍は、自重でほとんど動けず狩られるだけの獲物になる。そのときにあえて水龍を倒さずに鱗だけを剥いで……
「魔物が死ぬ前に素材を持ったまま塔外に出る。だったよね?」
「はい、そうです。フジノミヤ様」
なるほど……そうなると確かに効率はよくないのか。いちいち魔物を外に放り出すのは正直いって外の人を巻き込むから危険だし、殺さないようにしておいて素材だけ持ちだすっていうのも難しい。蜘蛛の糸にしろ魔獣の毛にしろ素材として持って帰るには解体するわけで、でも生きたまま素材を回収するのは危険。かといって瀕死にしても、解体しているうちに死んでしまう可能性が高い。
「八方塞がりか……諦めて素直に狩りにいくかな」
「ねぇ、兄様。いつもの壁を持ってくるのとは違うの?」
歩きながらため息をつく俺に虎耳をひくひくさせながら陽が質問をしてくる。壁を持ってくるというのはアイテムボックスの材料の確保に壁を斬りとって持ち帰っていることだろう。
「そうだなぁ、なんていうか壁は塔を生き物として見たら、鱗みたいなもんなんだろうな。だから壁自体は修復されてしまっても壁材は持って帰れるんだ」
「そっかぁ……じゃあ、斬った壁を置いておくと消えちゃうのはなんでなの兄様?」
確かに、斬った壁をあとでしまおうとして床に置いておいたらいつの間にか塔に吸収されていたことがあった。あれは多分、魔物の血や斬られた体なんかと同じ扱いだからなんだろうな。それを伝えると陽はふぅんと呟いてから難しいねと照れ笑いを浮かべた。
「……主殿? いま、陽がいったこと。もう少し検討したほうがいい気がしますわ」
「え?」
俺の腕に手を絡めて歩いていた葵が急に立ち止まると、顎に手をあてて考え始めた。いまの俺と陽の会話になにか気になる部分はあっただろうか?
「主殿は最初の頃は斬った壁材を袋に入れてましたわ」
「え? うん、そうだね」
アイテムボックスの材料として集めていたんだから、アイテムボックスが完成するまでは背負い袋に放り込んでいた。
「いまはどうやって運んでいますか?」
「それは勿論アイテムボックスで」
「そうですわ……アイテムボックスに入れていたのですわ。それならばなぜアイテムボックスに入れた壁材はアイテムボックスに吸収されないのでしょう?」
「あ! 桜もわかったかも!」
葵の言葉を聞いていた桜が手を叩く。えっと葵がなにをいいたいのか全然わからないんだけど……。
「あ、葵様の言いたいことが私にもわかりました。つまり塔が魔物、壁材が素材だと考えるということですね」
げ、メリスティアまで。でも……塔が魔物で壁材が素材? 言葉を置き換えると……素材をアイテムボックスに入れても吸収されない? 吸、収……されない?
「あ!」




