顕現
パキィィィィィン!
甲高い音を立てて従属契約書が砕け散った。きらきらと光の粒子になっていく契約書だったものの中で、一度距離を取るためにメリスティアを抱きかかえて走る。契約者を失った侍祭は、契約者がいなくなったという心理的負荷と、加護が消えた影響で強い喪失感を感じて、しばらく身動きができないことがあるらしい。
そんな状態のメリスティアを、なにをするかわからないバーサの近くに置いておくのは危ない。せっかく奥の手を使ってまで従属契約を破棄したんだ。絶対に無傷でシスティナと再会させてやる!
バーサの戦闘能力自体はさほど心配はしていないが……さっきの精神支配系のスキルは本当はかなりやばかった。
当初は本当にバーサが魅力的に見えて俺の股間の大剣も臨戦態勢だった。だけど、途中で蛍たちが言っていたように俺の精神状態がおかしくなっているのは刀娘たちにはすぐにわかる。危ないと思った蛍、葵、雪から【共感】と【意思疎通】をフルパワーにして叩き込まれた思考のハンマーで、俺の意識の一部は強制的に解放された。
だけど、恐ろしいことにそれでもバーサからの精神支配は俺の表層部を汚染し続けていた。ただ、刀娘たちからの追加の刺激があれば完全に抜け出すこともできると考えた俺は、あえて精神支配をある程度受け入れた。そうすれば怪しまれずにメリスティアの近くにいけると思ったからだ。
想定外だったのは、自分の頭の中でする思考の綱引きというのは加減が難しかったこと。気を抜くと完全に汚染されるし、脳内バトルに集中しすぎると体が動かない。そんな動きのとろい俺を見かねた刀娘たちが気を遣って……というか、表層部分の俺の思考に耐えきれず結構本気でぶちキレた一撃で俺を吹っ飛ばしてバーサの下へと送ってくれたんだが……
ディランさんが改造してくれた短ランがあったから、なんとか生きていられたけど短ランのボタンがふたつも弾けているのを見たときは本気で震えた……いらっとしたからって戦いの最中に無駄に俺の防具の耐久値を減らすなと言いたいところだけど、普段はあまり見ることができない刀娘たちの可愛い嫉妬? だと思えばちょっと嬉しい。……決してマゾではない。
あとは倒れこむふりをしてメリスティアに抱きつき、耳元で『御山はシスティナが解放する。合図したらバーサとの契約書を出して』と囁くだけだった。
「システィナ様の契約者のかたですね? 助けて頂きありがとうございました」
なんとか蛍たちのところまで逃げてきて、メリスティアを下ろした俺に彼女は深々と頭を下げる。艶のある綺麗な長い金色の髪がさらりと流れる。しかし、髪の隙間や着衣から見える首筋や手首……なによりさっきまで抱きしめていた体はちょっと細かった気がする。おそらくは意に沿わぬ契約を強いられ、多くの人を不幸にするような活動に助力しなくてはならないことに多大な心労があったんだろう。
「うん、無事で良かった。街であなたを見かけてからシスティナがいつも気にしていたからね」
「……システィナ様にはとんだご迷惑をおかけしてしまいました」
表情を曇らせるメリスティアに俺は笑って手を振る。あのシスティナが人助けを迷惑なんて思う訳がない。
「システィナは迷惑だなんて思ってないよ、あの性格だからね。自分から助けに行きたいって言いだしたんだから」
「え……あの、契約した侍祭が自分からやりたいことを言うんですか? 失礼ですが……システィナ様とはどのような契約を……」
俺の言葉に驚いたのか僅かに目を見開いたメリスティアが聞いてくる。ああ、普通の侍祭ならとことん契約者ありきだから、自分のやりたいことを契約者にお願いするなんてことはあり得ないのかも知れないな。
「ん? システィナとは『従属契約』しているよ。ただ、俺はシスティナをただの侍祭として見ている訳じゃない。頼れる仲間であり、信頼できる家族だからね。助けるのは当たり前だよ」
「……さすがはシスティナ様です。素敵な契約者様をお選びになられたんですね」
どこか羨望の響きを含んだ声に、いままでのメリスティアの苦境が透けて見える。せっかく不本意な契約から解放されたんだから、今度こそ侍祭としての本分を果たせるような相手を見つけて欲しい。
「……メリスティア、あなたも聖塔の導きを拒否するのですね。嘆かわしいことです……」
気だるげになため息を漏らすバーサの声に振り向こうとした俺の顔をメリスティアが両手で挟む。
「お気を付けください。教祖バーサは特殊技能【従属魅了】を持っています。強制的に異性を下僕へと変える恐ろしい技能です。その効果は視覚を介したときに最も強く働き、さらに距離によって効果が変わります」
「……なるほど、やっぱりそんなスキルがあったのか」
「ならお前はもうあいつを見るな。あの気持ち悪い思考はもううんざりだ」
脇で会話を聞いていた蛍が心底から嫌そうな声を出す。葵も「まったくですわ」と同意し、雪ですらうんうんと頷いている。まあ、自分でもあれは酷かったと思う。
「さあ、さっさと始末をつけよう。あとはあいつを捕らえるなり、殺すなりすれば……というところだが、そんな面倒なスキルがあるのなら捕らえるのも危険だな。レイトーク軍に引き渡しても篭絡される可能性があるからな」
「そうですわね。殺しておいたほうが面倒がありませんわ」
蛍と葵がたんたんと教祖殺害を話し合っているにも関わらず、バーサはまったく動揺する気配がない。とてもこの状況をどうにかできるような力があるとは思えないんだが……。
「わたしを殺したとしても、ここまできたら聖塔の降臨は止められません」
こいつはずっとなにを言っているんだろう。確かに塔は魔物も排出するが、人々の暮らしに少なくない利益をもたらしている。だからといって神様でもないし、決して崇めるようなものではない。
「いえ……もうすぐそこまで」
ドォォォ……ン
バーサの意味不明な言葉と同時に世界が揺れた。
「な、なにが起こった! 蛍!」
「いや、周囲に変わった気配は……」
「地震ですの? でもこっちにきてから今まで一度も地震なんてありませんでしたのに」
大きな揺れは最初だけだが、小刻みな振動はなおも続いている。屋敷から外に避難したほうがいいか? 外へ……え?
「兄様! 外に!」
揺れと同時に周囲を警戒してくれていた陽が窓の外を指差しながら叫び声をあげる。同時にそれに気が付いていた俺は思わず走り出して、村の広場を見渡せる窓へと張りつく。
「ば、馬鹿な……こんなタイミングでこんなものが現れるなんてことがあるのか?」
俺の視界を埋め尽くすその建造物は紛れもなく『塔』だった。




