蛍無双
「いつ戻ってきたの桜」
「うん? 霞の試合が始まった直後かな」
『ただいま馳せ参じました、我が主』
足元に柔らかい感触、いつの間にか一狼も到着していたらしい。感謝の気持ちを込めていつもより多めにモフっておこう。
「そっか、お疲れさま。試合には間に合わなかったけど、結果的には霞の戦いが見られてよかったから、タイミングとしてはちょうどかな」
「ん、なんだったら今からでも戦ってもいいよ、ソウ様。あのメイドさんとの戦いはなかなか楽しそうだし」
俺の腕に胸を押し当てながらにこにこ微笑む桜に、苦笑しつつ俺は首を振る。霞がひどい負け方をするようなら、桜に再戦をしてもらう必要もあったかもしれないが、あれだけの戦いをしてくれたのなら十分だ。
「すいません、旦那様。負けてしまいました」
耳と尻尾を力なく伏せた霞と九狼が、しょんぼりしながら戻ってきた。
「ソウ様はよくやってくれたって喜んでたよ、霞」
「あ! 桜様、いらしてたんですね。見てらっしゃったんですか? すいませんお恥ずかしいところを」
「ううん、練習ではあんなにうまく幻狼陣は使えてなかったのに、今日のは凄くよかったよ。さすがに気配のことまでは無理だったみたいだけどさ、相手が同じ斥候系じゃなければあれで勝負は決まってたんじゃないかな」
「ありがとうございます。負けちゃいましたけど、私と陽ちゃんが嫌っていた技術が、皆さんのためにお役に立てたり、こうしてただの腕試しとして競えるものなんだとわかって私は嬉しいです。それに孤尾族であんなに強い人がいたこともなんだか嬉しくて」
いつも物静かな霞にしては珍しく、随分と興奮気味でしょんぼりしていた耳と尻尾も今は元気いっぱいになりつつある。
「大丈夫、霞も十分強いよ。それに、これからもっともっと強くなる。桜がばっちし鍛えてあげるからね、でも今日はよく頑張ったね」
桜がにこにこしながら、霞の頭を撫でる。くそ! 俺がモフろうと思ってたのに先を越された。霞と陽は桜にとっては蛍に対する俺の位置づけと同じ、いわば弟子だ。その弟子が確かな成長を見せていることが嬉しいのだろう。
「そうそう、見事だったよ霞。いつの間にかあんなことができるようになっていたなんて、びっくりした。九狼もよくやってくれているみたいでご苦労様」
九狼だけに…………あう! システィナの視線が生暖かい。幸い口には出さなかったから、まだ誤魔化せる! なにごともなかったかのようにしよう。
「さて、これであちらさんはどう出るかな? このあたりで納得してくれるといいんだけど」
「うむ、ソウジロウのオヤジギャグに免じて引いてくれるとよいな」
「ぐは‼ ちょっと蛍、共感で人の恥ずかしい部分を掘り起こすのやめてくれる?」
「ふん! いつになったら私の出番がくるのだ、ソウジロウ。霞だってあのような立派な戦いをしているというのに」
あぁ、とうとう拗ねちゃったか……蛍がこんな態度を見せるなんて珍しいんだけど。
「がははははは! よくやった! さすがはミモザだ。みごとであった」
「お世辞はいりません。さっさと金貨10枚払ってくださりませ」
上機嫌なイザクとは対照的に、ミモザは無表情で手だけを伸ばして報酬を要求している。
「おお! そうであったな。ダイラス老、ミモザに払っておいてくれ」
「ほっほっほ、今回の遠征に費用がどれだけかかっているのか知っておるのじゃろう? 今すぐには払えんぞ」
「なに? ……そうであったな。よし、では分割で頼む! ぐお!」
突然、うめき声をあげて蹲るイザク。どうやらミモザが足の指を思い切り踏み抜いたらしい……足の指とか鍛えられないから体重の軽そうなミモザでも踏み抜かれたらかなり痛そうだ。
「10日間だけ待ってやるです。だから無事に遠征から帰ってくるですよ」
ふん、と鼻を鳴らしてミモザが訓練場から出て行く。……あれも一種のツンデレ?
「任せておけ、我が街にふざけた真似をしてくれた奴らだ。ただではおかん」
ひとりで盛り上がっているところに申し訳ないが、桜も帰ってきたことだしそろそろこの試合も終わりにして明日の準備にかかりたい。俺はイザクに向かって声をかける。
「これで2勝1敗ですが、私たちの力は十分理解していただけたと思います。明日は先日の条件どおりということでよろしいですね」
「むう……」
イザクはまだ踏ん切りがつかないのか、俺の言葉に渋面を浮かべている。ああ、もう面倒臭い! このままでも押し切れると思うけど、ほっとくとあとが怖いし、もしものために取っておいた最後の手札を切るか。
「ではこうしましょう。いま、私たちの要求を認めて下さるなら、先日お約束した侍祭契約を結んだ上で私たちは行動します。ですが、まだ納得いかないというのなら最後に領主みずから私たちの力を試してみてください。ただし、その勝負に私たちが勝ったら迷惑はかけないようにしますが、私たちは好きにやらせて頂きます。それでいかがですか?」
「ほう……だが、その条件には私が勝ったときの条件が含まれていないようだが?」
腕の筋肉がぴくぴくと痙攣させ、やや紅潮させたその顔には獰猛な笑みを浮かべるイザク。
「必要ですか? その条件が」
「ぬぐ! いいだろう、受けて立つ! だが、私が勝ったときには明日からの遠征は私の直轄の部隊に組み込ませて貰う。扱いも私の部下だ、命令にも従ってもらうぞ」
「じゃ、そういうことで」
どうだ! と言わんばかりのイザクに条件に俺はあっさりと承諾すると、怒りでふるふるしているイザクを無視して振り返り、蛍さんを見る。
「本当はなんだかんだであの領主が戦いに出てきそうな気がしていたから、蛍には待機して貰ってたんだよね。拗ねた蛍も可愛いけど、やっぱり笑って欲しいからね。向こうが言い出す前にこっちで引きずり出してきたよ」
「でかした! ソウジロウ」
「うぶ!」
おお……こうして外で抱きしめられるのは、この世界に来た日以来かも。相変わらず反則的な柔らかさだ、あまりの気持ちよさに意識が遠くなる。
「ちょっと! 山猿! 主殿がぐったりしてますわ! いい加減離しなさい!」
「おお! すまんなソウジロウ。つい嬉しくて力が入ってしまった。勝負については、安心しておけ。きっちり決めてきてやるからな」
あ、危ない……気持ちよくて抵抗するの忘れてた。
「し、勝負については心配してないよ。これで蛍が勝ってくれれば自由に動けるようになるし、楽しんできて」
「任せておけ」
そう言って胸を張った蛍のたわわなモノが揺れるのを目で追いつつ、イザクがどの程度戦えるのかを考える。蛍が戦うならまず問題はないと思うが、イザクがシャアズよりも強いようだと苦戦はするかもしれない。
見た目は完全にガチムチの脳筋タイプだから力はあるのは間違いないし、身のこなしにも鈍重なものは感じないからそこそこフットワークも軽いかも知れない。どんな武器を使うかがわかればもう少し戦い方の予想がつくんだけど、いまのところ武器が身近にあるようには見えない。
「ソウジロウ、どんなに真面目な顔をしていても視線の先が私の胸では全部台無しだぞ」
ごもっとも。改めてイザクを見ると後方の兵士たちが3人がかりで長槍を持ってくるところだった。
「でか! ものすごく大っきい槍だよ、ソウ様!」
イザクが手にしたのは長身のイザク自身を上回る長さの槍、柄の太さも通常の槍の二倍はあろうかという豪槍。たぶんだけど素材も全て魔材を使ったとんでもない槍だ。ちょっと鑑定してみるか……。
『巨神の大槍(封印状態)
ランク : C
錬成値 MAX
技能 :頑丈(極)
豪力
突補正
所有者:イザク・ディ・アーカ 』
「あ……」
「どうされました? ソウジロウ様」
「うん、あの槍『巨神』だ」
「え? 主塔を倒したときにドロップする武器がレイトークに?」
システィナが驚くのも無理はない。この世界にはまだ三つしかないはずの巨神シリーズのうちの二つとこんなに立て続けに遭遇するとは俺だって思わなかった。
「イザクさんが持っている理由はわからないし、どうでもいいけど手強いのは間違いなさそうだね」
「なあに、問題ない。槍相手なら腐るほどやったからな」
「一応、頑丈と豪力と突補正があるからそれだけ頭にいれておいてね」
蛍はひらひらと手を振りながら訓練場の中央へと歩いていく。同時に大槍を手にしたイザクも、あの大槍を片手でくるくると回しながら前へと出てくる。顔に浮かべた笑みがちょっと怖い。
「私の相手はお前か……初めてフジノミヤと会ったときから気になっていた。隙のない身のこなしと、身を纏うただならぬ気……お前こそがフジノミヤの切札。そうだな?」
「くっくっく……切札か。確かにいま、我らの中で一番強いのは……自惚れではなく私だろうな。だが、切札というならそれは間違いなくソウジロウだぞ」
イザクの指摘に蛍は肩を震わせながらとんでもないことをさらっと言う。いやいや俺が切札とか有り得ないから!
「ほう……確かにそこそこ強いとは見ているが、とてもそれほどの力量があるとは思えぬが?」
「それは見る目がないな。変種の階層主にとどめを刺したのも、赤い流星という盗賊団の首領を討ち取ったのもソウジロウだ。最後の最後に美味しい所を持っていくのが切札なのではないか?」
美味しいところを持っていくって……どっちも必死でそんなつもりはまったくありませんでしたが? という俺の内心に誰も斟酌する人はもちろんいない。それどころかそれを聞いたイザクは一瞬だけきょとんとしたあと、豪快にがはははと笑い出した。
「ほう、あの盗賊団の首領を倒しのたのはフジノミヤだったのか。それは確かに! 確かにお前の言う通りだ! 切札なんてものは最後の最後にちょろっと出てきて美味しいところ掻っ攫うものだ。だが……」
「ああ、そうだ」
「お前は切札などではなく、常に戦いの中にいたいという訳だな」
イザクの不敵な笑み……後ろからは見えないが、きっと蛍も同じような笑みを浮かべているのだろう。
「魔法は使うか?」
「少し……な」
「使っても構わんぞ」
「魔法が使えるようには見えんが?」
「私はちょっと特殊でな。魔力量が人並み外れて多い。だが、それを形にするのが苦手でな……身体の周囲に垂れ流している」
え……ちょっと俺と似ているとか思ったけど、全然違う。この世界の人って確か、大なり小なり魔力があって自然とそれを身体の周囲に出してるんだったよな。で、それが自然と身体をブーストしてるってディランさんが言っていた。俺の場合は魔力が多くても、それが出来ない。でもイザクは出来る……それって。
「これは……なかなかですわね」
「葵?」
「あの筋肉から濃密な魔力が、本当に垂れ流されていますわ。あれだけの魔力が身体に及ぼす影響……ちょっと考えたくありませんわ」
『筋肉怖いですわ、主殿』と訳のわからないことを言いながら俺に腕を絡めてくる。まあ、それはそれとして……つまりイザクは身体強化系の魔法を常時発動しているような状態ってことか。だからこそ、重量軽減もついていないようなあの大槍を、ああも軽々と扱えるのか。
「なるほど、過剰な手加減はいらなそうだな」
「ぐぬ! ……私は女だとて油断も手加減もせぬ。グレミロ! 合図をせよ」
「は、はっ! それでは……始め!」
どん!
グレミロ近衛隊長の合図とともに聞こえたのはそんな音だった。イザクが大槍を構えて踏み込んだ音、離れていても腹の底に響くような踏み込みと長い間合いを活かしてイザクが鋭い突きを連続で繰り出す。
蛍は蛍丸を手にしているものの、それで受けようとはせずにその力強い突きをひらりひらりとかわしている。ひるがえる裾や袖の動きと合わさり、まるで舞っているかのようだ。
「ぬん! ふん! は!」
だが、いざ戦闘に入ったイザクは驚くほどに冷静だった。自分の攻撃がまったく当たらないことにも動揺を見せず、淡々と攻撃を繰り返していく。普通はあれだけ攻撃が当たらないとムキになったり、焦ったりするもんなんだけど……俺がそうだし。
「ほう……なかなか」
蛍が戦いを楽しんでいるのが共感を通して伝わってくる。どうやらイザクとの戦いは蛍を満足させられるくらいのレベルにあるらしい。
イザクはその間も攻撃の手を休めない。あれだけ重そうな大槍を扱っているのに、試合開始から一度も動きを止めないそのスタミナは正直凄い。
突き、突き、突き、払い、突き、突き、払い、突き。
その攻撃を危なげなくかわし続ける蛍はもっと凄い!
「ふ!」
イザクの攻撃をかわしていた蛍の動きが変わる。突きをかわしつつ前へと進み、間合いを詰めていくのだ。間合いを詰めていくということは相手との距離が近くなるということで、どんどんかわすのが難しくなるはずなんだけど……
ひらりひらりと大槍をかわしながら蛍が近寄っていけば、今度は大槍の間合いでは戦いづらくなる。イザクは距離が近くなってきたのを感じると大槍の持ち手をいつの間にか中ほどに持ち替え、突き主体の攻撃から払い系の攻撃に変化していく。
まるで体に大槍が巻き付けられているかのように槍先と石突が交互に位置を入れ替え、接近する蛍をあらゆる角度から攻撃が襲う。さすがの蛍もここまで間合いが詰まると避けるだけという訳にはいかなくなり、蛍丸を使って受け流していく。
「く……」
そして、さすがのイザクもここまで接近されてまで有効打がないとなれば平静ではいられず多少は揺れる。そして僅かでも平静さを欠けば……
「…………」
僅かに大振りになったイザクの大槍を後押しするように蛍丸で打ち据えられ、態勢を崩したイザクの首元に蛍が切っ先を突き付けていた。




