黒い記憶
「ソウジロウ様……」
その部屋の扉が開いたのは、俺の体感で5分くらい経った頃だろうか。廊下に出て、エリオさんに俺達が性戦士とどのように出会い、どのように決着をつけたのかを簡単に説明し終わったのとほぼ同時だった。
扉から出て来たシスティナはやや青白い顔をしながらも凛とした雰囲気を保っている。
「聖侍祭さま!2人は!」
「ご安心ください、エリオ殿。治療はうまくいきました。2人に顔を見せてあげてください」
にこりと微笑んだシスティナを見て、涙を溢れさせたエリオさんはシスティナの手を掴んで何度もお礼を述べてからラナルさんを連れて部屋の中に飛び込んでいった。……システィナの手を勝手に握ったことは今回だけは見逃してやるか。
にしても、あんなにいい人過ぎて奴隷商なんて商売が成り立つのかどうか不安を感じなくはないが、きっとエリオさんに足りない厳しい部分をラナルさんや、エリオさんに恩義を感じている奴隷達がみんなで補っているんだろう。
形は大分違うがなんとなく俺達に似ているかもしれない。
っと、そろそろ限界かな。
「お疲れさま、システィナ」
ふらりと揺れたシスティナを俺はしっかりと抱きとめてあげた。部屋を出て来た時からかなり消耗していたのは分かっていたけど、エリオさん達の前では疲れた姿を見せたくなかったのだろう。
「ありがとうございます、ご主人様」
俺の胸の中で安心した吐息を漏らすシスティナを左腕で優しく抱きしめながら頭を撫でてあげる。
「シスがそんなに消耗しちゃうほど酷かったんだねぇ……」
「はい、基本的に今回の治療は外傷ではなく、全部体内の治療だったんです。手足の傷も薬で既に塞がっていましたので腱の修復、声帯の治療、臓器にも大分損傷があったのでその治療、全部を外から回復させたのですがこれが意外と難しくて……」
きっと、見えてる傷を塞いだり欠損した部分を生やすよりも見えない部分を回復させる方が何倍も難しいのだろう。
多分だけど手足の傷については一度斬り落としてから回復術を使った方がシスティナの消耗は少なかったんじゃないだろうか。もっともその方が早くて確実だといってもなかなかそこまでは思いきれないだろうが。
「それにしても、それをやった奴、奴ら?桜ちょっと許せないかも」
「そうですわね。話を聞く限り随分とよくできた娘達ですのに……」
2人が危機を脱したことで、ようやく桜と葵も安心したようだ。そんな物騒な愚痴を言う余裕も出て来たらしい。
そんな話をしていると、扉が再び開きラナルさんがエリオさんが呼んでいるということで中へと招き入れられた。
ぞろぞろと入った部屋の中にはさっきまで立ち込めていた嫌な死の臭いはすっかり取り払われていた。勘違いかも知れないが部屋の中も少し明るくなったかのような錯覚を受ける。
「聖侍祭さま!本当に、本当にありがとうございました!」
両脇のベッドで身体を起こした2人の手を握っていたエリオさんが立ち上がって再び頭を下げる。ベッドの2人も涙の跡を拭きもしないまま頭を下げた。声を出さないのは潰されていた喉が治っているという実感がないせいだろうか。
「契約侍祭である私が力を行使できるのは、私の主がそれを認めてくれているからです。お礼なら私の契約者であるソウジロウ様にお願いいたします」
おぉ!なんか飛び火してきた。確かに世間の常識的にはそうなるんだろうけど、うちは基本フリーだからなぁ。そういう持ち上げられ方は照れくさいしなんだか居心地が悪い。
「おお!確かに。その通りです。えっと…………いや!これは大変失礼を。まだお名前すらお伺いしておりませんでした。よろしければ聖侍祭様の主であるあなたのお名前をお教えください」
「いえ、そんなに畏まらないでください。それに、私の方も名乗るを忘れていましたね。私はフジノミヤ ソウジロウと申します。運よく、システィナのような素晴らしい侍祭と契約できただけの普通の人です。ですから私は何もしてないんですよ。システィナが彼女たちを助けたいと思い、システィナにその能力があった。それだけのことなんです」
実際俺は見ていただけ……っていうか廊下にいたから見てもいなかったか。本当に何もしてないな。
「フジノミヤ様ですね。そんなに謙遜なさらないでください。私は、この娘たちがなんとか命を取り留めてくれれば……そう思っていました。それなのに貴方たちのおかげで……まさか、こんな……元通りに……本当に感謝しても……したりな……」
「エリオ様……」
またしても涙が溢れてきてしまったらしいエリオさんにハンカチを差し出しながら肩を抱くラナルさん。その眼は……なんというか慈愛に満ちている。ラナルさんは弟子だけど……きっとそういうことなんだろうな。どうもエリオさんは全く気付いてなさそうだけど。
「システィナ。彼女達から話を聞くことは出来そう?日を改めた方がいい?」
あれだけの状態から回復した後だ。2、3日はゆっくり寝て、食べて、休んだ方がいいはずだ。
「そうですね。しばらくは安静にして「だ……じょ、ぶ……です」」
俺の問いかけに頷こうとしたシスティナを掠れた声が遮った。声の主は小さな三角耳、全体的に黄色い髪で一部分に黒髪が混ざるショートヘア、くりっとした目、よく見ると瞳は猫と同じで人族とはちょっと違うようだ。
「わ……たしも、だいじょう……ぶ、です」
同じように掠れた声で強い視線を向けてきたのはさっきの子よりもやや大きめの三角耳、ちょっと茶がかかったような感じの長い金髪、切れ長の目、ほっそりとした頤のとても色白な綺麗な子だ。ちなみにさっきの子の肌は小麦色まではいかないけど健康的な感じの肌色だ。
「無理はしなくていいんですよ」
システィナが優しく言って聞かせるが、2人は首を振る。どうしても早く伝えたいことがあるらしい。
「わかりました。エリオ殿、すいませんが少し温めたミルクをお願いします。それと具材を細かく切り刻んだスープを作って頂けますか。身体に負担をかけないよう味付けは薄めでお願いします」
「は、はい!ラナル!料理の方はお願いできるか?ミルクは私が持ってくる」
「はい、お任せくださいエリオ様」
システィナの指示を受けた2人がばたばたと部屋を飛び出していった。その様子を見ていた俺は思わず笑いをこぼす。
「君たちは随分と幸せな奴隷なんだな」
「は、い。で……も、私たちだけ……じゃなくて、ここの奴隷達はみんなそうです」
「は……んざい奴隷、だけは……べ、つですけど」
エリオさんが出て行った扉を見る2人の顔はとても嬉しそうだった。きっと2人は、エリオさんにまた会いたいと思ったから生きることを諦めなかったのかもしれない。
それから2人の体調を気遣いながらゆっくりと話を聞いた。2人が話してくれた内容をまとめてみる。
ここの奴隷商から売られた2人は、すぐにどこか別の街に連れて行かれ、そこでしばらくは本当に屋敷の下働きのようなことをさせられていた。しかしある日突然、人気のない山奥に作られた施設に移されたらしい。
そこの施設には自分達くらいの子供達が2、30人ほどいて、山の中を駆け回ったり、薬草や毒草の勉強をしたり、武器の扱いを学んだ。
当初は侍女であったとしても要人警護が出来るくらいの技術は持っていて欲しいからという説明を受けていて、周りの子達はそれを信じて楽しみながらいろんな技術を身に付けていった。しかし、2人はその言葉が信じられずにずっと疑問を抱き続けていた。
なぜなら、薬草よりも重点的に教え込まれる毒草の知識、武器というよりは暗器に近い形状の武器、過剰なまでに求められる身軽さと素早さ、日に日に表情が消えていく同僚達……そして成績の優秀な者は最終試験という名目で迎えが来て連れて行かれ、二度と帰ってこない。
おかしいと思いつつも何処とも知れない山の中では逃げ出す訳にもいかなかったため、周りに合わせて大人しく言われるがままにしていたが、先日とうとう自分たちにも最終試験の日が来た。その最終試験の内容が、特に罪のなさそうな老貴婦人を暗殺することだったらしい。
ここに来て2人は全てを悟った。自分たちは使い勝手のいい暗殺者として育てられていたことに。当然2人は殺害を拒否し脱走をはかるも自分たちの先輩であり、先生であった暗殺者達から逃げ切れる訳はなかった。
結果、2人はあっという間に捕まる。だが、エリオが施した呪のせいで暗殺者達は2人を殺せなかった。
そして二人を殺せなかった暗殺者たちが2人から情報が漏れないようにしつつ始末するためにしたこと。
それが死に至る傷を付けずにとことん2人を壊し、塔の魔物に始末させるということだった。




