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王子の最愛  作者: 逢矢 沙希
第二章 王太子と第四王子
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4話

 リッツモンド伯爵が、人知れず自分の領地へ帰ったらしいという話が聞こえて来たのは、誘拐騒動から数日が過ぎた頃だった。

 何でも、こそこそと逃げ出すように人目を避けて、王都を発ったらしい。

 ラシェット様を誘拐して自分の娘と、無理に結婚をさせようとした……なんて事実は、もちろん秘されているけれど、事情が判らないまでも、まだシーズンが始まったばかりなのに逃げ帰るなんて、何か大きな失敗をしでかしてしまったのではないか、と社交界ではもっぱらの噂だ。

 事実は無論、追放である。

 表立って罪を問うことは出来ないものの、だからといってさすがにラシェット様も、あのような大胆な真似をした伯爵を放置する事はなかったらしい。

 王族を誘拐した、なんて本来は一族全てが打ち首となるほどの大罪だけれど、ラシェット様側の方も公にして問題を大きくしたくはないと言う弱みがある。

 被害者であるはずなのに、被害にあった事件を隠さなくてはならないとは、なんて理不尽なと嘆きたくなるかもしれないけど、世の中なんて理不尽なことばかりだ。

 結果、リッツモンド伯爵が単独犯だったこともあり、罪については不問とするが、罰が領地の一部を返上させて領地での謹慎と所有する騎士の解散を要求したようだ。

 王族に手を上げた処罰としては甘すぎる。

 でも伯爵からすれば結構な痛手だろう。

 少なくとも自力ですぐには、再び同様の企みができない程度には。

 それでも一族郎党責任を取って全員処刑されるよりは遥かにマシだ。

 でも伯爵を退けても、ラシェット様の周囲の危険は相変わらず残ったままだ。

 彼が王子という立場にある以上、他の王子達から、そしてその王子達を支援する者達からの敵意は消えない。それはラシェット様だけでなく、他の王子達もだ。

 四人の王子達は、互いにそれぞれの喉元に剣を突きつけ、隙あらばその喉笛を裂こうとしている……そんな例えがぴったり似合う情勢だった。

 だけど、密やかに争い合っているのは、四人の王子達だけではない。

 社交界では貴族達も同じ。

 さすがに表立って命の取り合いにまで発展することは珍しいけど、大なり小なり足の引っ張り合いは日頃から当たり前に存在する。

 まあ、それだけ世界情勢が平和だということなのかしら。国外に不安がある状態では、こんな内側の喧嘩なんてしている余裕はないものね。

 もっともその余裕がいつまで続くかは、保証しない。周囲の国々が、この国の内側の乱れをいつまでも傍観していてくれるとは限らないから。

 そんなことなどおかまいなしに、今日も見えないところで見えない争いが繰り広げられている。

 私にとっても他人事ではない。

 王太子の寵愛を受けている私は、その分他者からの攻撃を受けやすい。

 それでなくとも日頃から、悪い噂の絶えない私だ。対応を間違えれば、瞬く間の内に私と言う存在が潰されていくだろう。

 平和に暮らすためには、極力目立たないのが一番だけれど……残念ながら、なかなかそう言う訳にもいかない。

 そんな中、今シーズン最初の王宮主催の舞踏会が開かれた。

 王宮主催の舞踏会には、王都にいる殆どの貴族が集まる。

 出席を強制されているわけではないけれど、特別な理由がない限りは出席して当然と、そんな暗黙の了解があるのだ。

 また王や妃たちだけでなく、四人の王子も同時に出席する数少ない場である。

 誰を支持しているのかは別にしても、王族の目に止まり、少しでも良い印象を残しておきたいというのは、ごく自然な考えだと思う。

 その夜も多くの貴族達が集っていた。

 千を超える灯りに照らされて、大小様々なクリスタルがあしらわれたシャンデリアが輝きを放つ。その輝きが、来場客のドレスや宝石などに触れ、さらなる輝きを生む様は、夢物語の一幕のような光景だ。

 天井を見上げれば、この国で誰もが知っている、古くから人々の間で親しまれた神話の一場面を切り取ったかのようなフラスコ画が描かれ、柱にも、壁にも、美しき神の物語が絵となり彫刻となって、来場客に語りかけてくる。

 シーズンが始まって日が浅い事もあり、今年社交界にデビューしたばかりの人々の姿も目立つ。

 この国では男女ともに十六で成人と見なされるけれど、まだまだ十代半ばの少年少女たちの面差しは幼く、華やかな舞踏会の雰囲気に圧倒されながらも、どこか夢見心地にうっとりとしている様は素直に愛らしかった。

 この舞踏会で、多くの人の視線を浚ったのは、当然ながら四人の王子達だ。

 特に人々のアストロード様への注目は大きい。

 私の存在はともかくとして、未だ明確に婚約者を発表していない世継ぎの王子の元に、我こそはと意気込む貴族達が自分の娘を引き連れて、王太子への挨拶に列をなす。

 婚約者がいないのはラシェット様も同じだけれど、幸か不幸かこちらは兄の影に隠れていて、歩み寄ってくる人の姿はアストロード様ほどではない。

 ただそれでも王族と縁を繋ぎたい人間は多く、私の前で自分を俺と呼び、そして顔を顰めて眉をつり上げていたラシェット様も、今は穏やかな笑みを浮かべながら、ぬかりなく皆の相手をしているようだった。

 その姿を見る限りは、十六という年齢よりも大人びた印象の王子だと思う。

 きっと彼と言葉を交わしている貴族達は、ラシェット様があんなに直情的に声を上げる事もある、なんて事実は知らないだろう。

 それ以前に彼は公の場で、自分の存在を過度に主張する事もない。

 決して三人の兄王子達よりは目立たとうとはせず、かといって愚かと侮られる事もないよう振る舞う姿は、彼がこの王宮で生き抜くために身に付けた処世術であるように感じた。

 そんなことを考えながら王子達の姿を眺めていると、不意にアストロード様の周辺で作られていた人だかりが割れる様に動いた。

 その人々の中から現れたのはアストロード様ご本人だ。

 まだ王太子への挨拶が適っていない貴族達も多いだろうに、早々に切り上げて真っ直ぐに私の元へやってくる姿に、周囲の人々から諦めとも悲鳴とも付かない複雑な声が上がる。

 ああ、また私、新しい敵を作ってしまったかも。

 せめて自分の最期の時は、柔らかなベッドの上で迎えたいと思うのだけど、そんなささやかな願いは叶うかしら。

「やあ、マリー。今夜の君も、夜空の月や星々の輝きを集めたかのような美しさだね。月の女神というのは、君の事を言うのかもしれない」

「ありがとうございます、アストロード様。女神というのは少し大げさかと思いますけれど、お褒めのお言葉、とても光栄でございます。せめてあなた様にだけでも、我が身がそう見えますよう、願うばかりですわ」

 差し出す王子の手に、自分の手を重ねる。

 私の指先に、麗しい王子が腰を折り、そっと口付ける様は本当に何かの宗教画のような神々しさと美しさがあった。

「今夜最初の曲を、私と共にして頂きたいのだけど、君は受け入れてくれるかな」

「はい、もちろん喜んで。殿下のお誘いをお断りする娘など、この国にはおりませんわ」

「ありがとう。でも、私にとっては君一人さえ受け入れてくれれば、それで充分なんだよ」

 言葉で聞くなら、随分情熱的な言葉だ。

 セットで愛おしげに瞳を細め、切なげな笑みを浮かべられたら完璧だ。

 私は恥じらう素振りで瞳を伏せながら、内心はあまりにも歯の浮いた台詞に噴き出してしまいそうになるのを必死に堪えていた。

「こら、マリー。真面目にやってくれないと困るよ?」

 小刻みに肩を震わせている私の様子で、薄々事情を察したらしいアストロード様がそっと唇を寄せて私にだけ聞こえる声音で、耳元で囁く。

「申し訳ありません、よくそう言う言葉を自然に口にできるなと感心してしまって」

「ひどいな、心からの言葉だというのに。私の女神は、案外つれないね」

 こそこそと言葉を交わして、お互いに口元を綻ばせる。

 周囲から見れば、人目を憚らず愛を囁きあっているようにでも見えるだろう。

 それを承知の上でアストロード様の手を取り、ダンスホールの中央へ進み出ながら、周囲から突き刺さるような人々の視線を前に艶やかに微笑んだ。

 視線で人を殺すことができるなら、多分私はこの場で百回は息絶えていることだろう。

 それほどの敵意と羨望の視線を受けながら、私はほんの少しも足元をぶれさせることなくアストロード様と踊った。

 こうして王太子のファーストダンスの相手を求められるのは、今夜に限ったことではない。

 優しく私の手を取り、穏やかに微笑みかけるアストロード様を見つめ返して、同じように穏やかに微笑む。

 まるで互いに他にパートナーなど存在しないかのように、流れる足取りとぴたりと合う呼吸で踊り続ける私達の姿は、誰の目にも特別な絆が存在しているように見えるはず。

 いい加減見慣れてもいるだろうに、見慣れることと腹立たしさは全く別物のようで、私への敵意を込めた視線は増えることはあれど、減ることがない。

「相変わらず君は人気者だね」

 そうした人々の敵意を、アストロード様は『人気』と言う。

 毎度の事とは言え、この敵意をそんな言葉で片付けてしまう彼に、私は無言のまま小さく肩を竦めて見せた。

 くるり、くるりとターンするたびに舞うドレスが、花の様に広がる。私を見つめるアストロード様の瞳は相変わらず穏やかで優しく、慈愛に満ちたものに見える。

 ただそれだけを見るならば、彼に心から愛されていると……そう感じてしまうくらいに。

 そんな眼差しを向けられれば、どんなに心が凍った女性であっても、王子の愛によって溶かされ、暖かい心を取り戻すだろう。

 でも、彼を知る人のどれほどが知っているだろうか。

 冷たい女性の心を溶かすほど、温かな微笑みを持つこの人の心には、一切の熱を通さない、かといって冷たく凍えることもない……心にぽっかりと穴が空いていると言うことを。

 彼にとって大切なのは、自分に必要かそうでないか、ただそれだけ。

 その中で私は、必要と判断されている。

 そして私にとって大切なのは、自分が必要とされているかどうか。

 私とアストロード様は、ただそれだけで……でもだからこそより深く繋がっている、そんな関係だった。

 ダンスが終わり、アストロード様の手が私から離れていく。

 どんな舞踏会でも、彼のファーストダンスの相手は私。でも踊るのは最初の一曲だけで、二曲以上になることはない。

「それではマリー。良い夜を」

「ええ、アストロード様も」

 笑顔で彼が背を向けた途端、その周囲には再び多くの人が集い始める。きっとあの中から何人かの令嬢が、今夜の王太子のダンスパートナーとしての名誉を与えられるだろう。

 そしてあの微笑みと眼差しを受けて令嬢は舞い上り、夢のような時間を過ごして……でも決して特別ではない徹底した平等的な扱いに涙を零すのだ。

 罪作りな人。でも、それ以上に寂しい人。

 私は彼の役に立てても、彼の心の穴を埋めることはできない。

 いつかあの人の心の穴を埋めてくれる人が現れることを願いながら、その時ができるだけ遅くあることを願っている。そんな人が現れれば、私は彼にとって必要のない存在になってしまうかもしれないから。

「レディ・マリアン。是非、私と踊って下さいませんか」

 広い会場の中、令嬢や貴族達に囲まれたアストロード様の姿はもう見えない。そして私の前にも、新たな男性が現れて、その手を差し伸べてくる。

 アストロード様に取り入りたい人、私から何かの情報を引き出したい人、悪女を相手に楽しんでみたい人、あるいは純粋に慕ってくれる人……近づいてくる人それぞれ、理由は様々。

 こんな風に近づいてくる人もいれば、遠目で眺めている人もいる。

「私で宜しければ、喜んで」

 背後から探るように見つめる人の視線を感じながら、私は差し出された男性の手を取る。

 ふわりとダンスのステップを踏むフリをして、身体の位置を入れ替え、視線を追ってちらと目を向けた先に存在していたのは、四、五人ほどの令嬢達の群れ。

 その中の一人がメルボーラ公爵令嬢、アデーレ様。

 きっちり、しっかりと巻き付けた縦ロールがとてもお似合いですね。

 でもあなたの顔立ちだと、もう少しふんわり巻いた方がもっと可愛いのに……そんなことを私が残念に感じているなんて、彼女は知るよしもない。

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