第三十六話 過激な挨拶
楽しくすごした休日から数日後、いよいよ冒険者ギルドの実技講習と教会聖騎士団への戦闘指導が始まった。
エルミア教の教会聖騎士は教会の盾であり剣でもある。教会が敵と認定した種族の討伐だけでなく、被害を受けている人々の救済、信徒を守るための戦いなどさまざまな義務を負うのが聖騎士だ。
聖デュゼンバーグ王国の教会本部に在籍する聖騎士は全200名。教会の裏手にある広々とした訓練場で日々厳しい訓練を受けている。
魔物にも果敢に戦いを挑む彼らだが、今だけは緊張を隠しきれなかった。
訓練場に集められた彼らの視線の先にある演壇には、教皇に次ぐ権力を有する枢機卿とゴシックドレスを纏う美少女が立っている。
すでに彼らは知っていた。
本日付けで戦闘の指導教官が来ることを。
そして、それがおとぎ話で伝わる真祖、国陥としの吸血姫であることを。
「静粛に」
枢機卿が声を発すると、わずかに起きていたざわめきがぴたりと止んだ。
「すでに聞き及んでいると思いますが、あなた方に戦闘訓練を実施すべく、教皇猊下の嘆願によりこちらの方が足を運んでくださいました」
再び起きるざわめき。
「今日から一週間、あなたたちにはこの方に従って戦闘訓練に励んでもらいます。もちろん拒否権はありません。ではアンジェリカ様、お願いします」
少し後ろへ下がった枢機卿と入れ替わりにアンジェリカが前へ出る。
爛々と輝く紅い瞳と美しい黒髪、遠くからでも美少女とわかる顔立ちに聖騎士たちが思わず息を吞んだ。
「私はアンジェリカ・ブラド・クインシー、真祖だ。此度、教皇の依頼により諸君らに戦闘指導を行いにきた。厳しい訓練にはなると思うが、教皇と騎士団長からは諸君らに人死にが出ても気にしなくてよいとの言質をとっている」
とんでもないことを言い出したアンジェリカにひと際ざわめきが大きくなった。
「はっきり言わせてもらうが、私にとって諸君らはその辺にいる虫と大差ない。少しでも私を不快にさせる言動をとれば即座に踏み潰させてもらう。だが、私の言うことを聞き死ぬ気で訓練に臨むのなら、せめて獣人などよりは強くなれることを約束しよう」
聖騎士たちのあいだに戸惑いや不安、恐怖、怒りなどさまざまな感情が渦巻く。
なかにはアンジェリカに対し憎々しげな視線を送る者もいる。
「ではさっそく訓練を始めよう。くれぐれも初日で死ぬことがないよう励むがよい」
16歳くらいにしか見えない小娘に好き放題言われ、さすがに憤りを隠せない聖騎士も少なくないようだ。
演壇から降りたアンジェリカを、さっそく数人の聖騎士が取り囲む。
「何をしているのですか!あなた方は!!」
ジルコニア枢機卿がまなじりを上げて怒声を飛ばす。
彼女にとっても予想外の行動だったようだ。
「ジルコニア枢機卿!なぜこのような小娘に我々誇りある聖騎士が訓練を受けなくてはならないのですか!?聖騎士を虫と同列に語るような者に、何も教わることはありません!」
「そうです!真祖といえどたかが吸血鬼であり人以外の種族です!そのような者が神聖な教会に足を踏み入れるなど!」
いやいや、あなたたちの団長エルフだよね。人族以外の種族だよね、などという突っ込みはするまい。
なるほど。ソフィアが言っていた人族至上主義の聖騎士とはこいつらのようね。
激しくアンジェリカを糾弾しているのは三人の聖騎士。
取り囲んでいるほかの連中はおそらく何となく流れにのってしまっただけなのだろう。
やれやれ。何がしっかり根回ししておくだソフィアめ。
アンジェリカはその場を一歩も動くことなく、底冷えするような殺気を放った。
またたく間に取り囲んでいた聖騎士たちが地面に崩れ落ちる。
「私は先ほど言ったはずだ。不快にさせたら即座に踏み潰すと。訓練を始める前にもう死にたいのか?」
アンジェリカから殺気混じりの視線を向けられ、糾弾していた聖騎士たちは何も言えなくなってしまった。
涙を流しながらガタガタと震えているので、言葉も出ないようだ。
「今回だけは特別だ。訓練を始める前に殺したとなるとソフィアにも少々悪い気がするからな。ただ、次はないから覚えておくように」
最初が肝心と言わんばかりに底の知れぬ恐怖を植え付けられた聖騎士たちは、面白いくらいに何度も首を上下に振った。
困ったものだ、と思いつつ視線を巡らせるとジルコニア枢機卿も腰を抜かして地面にへたりこんでいた。
「今日は初日だからほんの挨拶程度の訓練だ。諸君ら全員で私にかかってこい」
その場にいた聖騎士全員が驚きの表情を見せたかと思うと、すぐに怒りの表情に変化した。聖騎士団を馬鹿にされたと感じたのだろう。
アンジェリカはアイテムボックスから木剣を取り出す。
「私はこの木剣を使う。本気で振ったら簡単に死んでしまうから手加減はしてやる。ああ、諸君らは私を殺す気でかかってくるように。でないと死にはせずとも大怪我するぞ」
聖騎士たちの顔がみるみる憤怒に染まる。
一人の聖騎士が自らを奮い立たせるように大きな掛け声を出すと、それに合わせたかのように聖騎士たちが一斉にアンジェリカへ襲いかかってきた。
「それじゃあ、行こうか」
-5分後-
訓練場には死屍累々の光景が広がっていた。
見た目はただの小娘に好き放題言われ怒り心頭だった聖騎士は、文字通り殺すつもりでアンジェリカに攻撃を仕掛けたが、当然のごとくまったく相手にならなかった。
次々と襲いかかる聖騎士の剣を神速で躱したかと思うと、一人ひとりの頭や喉、脇腹などへ的確に強烈な斬撃を放っていったのだ。
その様子を見ていたジルコニア枢機卿も、さすがに言葉が出ないようである。
ぽかんと口を開けたまま訓練場に広がる非日常な光景を眺めていた。
なお、アンジェリカは息ひとつ切らしていない。
倒された聖騎士たちは、いまだ立ち上がることができず呻き声をあげながら地を舐めていた。
「情けない連中だな。それでも教会の盾であり剣である聖騎士なのか。そんなざまだから獣人族などにしてやられるのだ」
それでも聖騎士たちは立ち上がれない。
もはやアンジェリカに暴言を吐かれても怒る気力と体力がないようだ。
「……とりあえず全員今すぐ立て」
やや低い声で言葉を発すると、のろのろと聖騎士たちが立ち上がり始めた。
「あと10秒以内に立ち上がらなければ魔法を放って貴様ら全員消し炭にしてやるぞ」
さすがにその言葉には焦ったのか、慌てて立ち上がり始める聖騎士たち。
アンジェリカは壇上から視線を巡らせ、全員が整列したことを確認する。
「先ほどの模擬戦で貴様らがいかに弱いかよく分かっただろう。いいか、貴様らは弱い。私がわずかでも本気を出していれば、今ごろ貴様ら全員仲良く天に召されている」
散々な目に遭ったうえに追い打ちをかけるがごとく、アンジェリカの辛辣な言葉が続く。
「弱い貴様らが強くなるには死ぬ気で自分の限界を超えるしかない。一週間と短い期間だが、私がその手助けをしてやる。強くなりたいのなら死ぬ気で励め」
聖騎士たちの表情は変わっていた。疲労困憊ではあるものの、怒りや憎しみの感情はほとんど感じとれない。
真祖の尋常ではない力の一端を垣間見たことで、アンジェリカへの印象も変化したようだ。
「……ん?返事がないな。今すぐ死にたいのか?」
アンジェリカが不自然なほどにっこりと笑みを浮かべると、総勢200名の聖騎士たちは大きな声で返事をし、そして──
「「「「よろしくお願いいたします!アンジェリカ様!」」」」
聖騎士たちは一斉にその場へ跪き頭を垂れた。
「フフ。励むように」
魅力的な笑顔で聖騎士たちに伝えると、アンジェリカは踵を返して演壇を降りた。
ああ、慣れない喋り方をしたのと剣の使いすぎで疲れたわ……。
早く帰ってパール成分を補給しなきゃ……。
聖騎士たちから羨望のまなざしを向けられているとは気づかず、アンジェリカはそんなことを考えるのであった。
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