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0の庭  作者: 七星ドミノ
52/53

5-4

 長い、長い三日間だった。体にどっと疲れが押し寄せてくる。少しだけふらついた円の肩を、佐村が咄嗟に支えてくれた。


「助けが来るまで休んでろ。もう気を張る必要はない」


 円は頷き六の間へ向かったが、とても眠れそうになかった。硝子の館で起きた惨劇と、過去の謎はすべて解き明かされたのに、こんな結末で心が晴れるわけがない。神無木操は円のために罪に手を染めた。


 神無木操が勝手にしたことだ。自分には関係がない。


 いっそのことそんな風に思えたら、少しは気持ちも軽くなったのだろうか。


 円はベッドの上で首を横に振る。円には、神無木操と共に一生償っていく義務がある。




 七月二十九日、午後二時半。


 硝子の館に警察がやって来た。家政婦の嘉川が予定の日になっても戻らない円を心配して通報してくれたらしかった。


 神無木操は逮捕され、生き残った面々は保護されたが、しばらくは事情聴取などで休ませてもらえないだろう。


 手錠を掛けられ連行されて行く神無木操の背中に、円は声を掛けることが出来なかった。遠くなって行く背中から視線を伏せようとしたその時だ。神無木操は立ち止まり、静かな声で言った。


「……円。俺はお前のことを恥ずかしいなどと思ったことは、ただの一度もないよ」


 一瞬なんのことか分からなかったが、和泉源に初めて会った時、考えなしに紡いだ言葉の答えなのだと気付いた。


「二人をからかうつもりで口にした嘘なのに、必死で俺から蜂蜜を遠ざける円と巴は、最高に可愛い自慢の娘と息子だ。お前達の父親でいられたことが、俺の最高の誇りだったよ」


 過去形で語ったのは、この時を境に父親ではなくなったと宣言したかったためだろう。


 連行される男の背中を見ながら円は、ぽつりと誰にともなく言った。


「私は、泣いたらいけませんよね。多くの命を奪ったあの人のために、泣くことは許されませんよね」


 佐村はポケットに両手を突っ込んで、気だるげに口を開いた。


「殺人犯のためじゃなく、ただ一人の父親のために泣けばいいんじゃねえの」


「くさいですよ、そのセリフ」


 声が詰まる。鼻の奥がつんとする。

 我慢しようとした。でも無理だった。

 円は俯いて、声を押し殺して泣いた。


 無言のまま頭に置かれた佐村の手が温かすぎて、円はしばらく泣きやむことが出来なかった。


 ――もう、逃げるのはやめだ。


 何年も逃げ続けて来た逃亡者は、今この時、円の中で死んだ。


「おい、ちょっと待てよおばさん」


 何食わぬ顔で帰ろうとしている門野を、佐村が呼び止めた。門野は怪訝な視線で返して来る。ふてぶてしいとは彼女のためにある言葉だ。


「誰にも言わない代わりに、赤ダイヤを最後にもう一度見せてくんねえかな」


 門野は渋ったが、ばらすぞという佐村の脅しで、バッグの中から赤ダイヤを取り出した。佐村はそれを手早く奪うと、なんと近くの木に向けて思い切り叩き付けた。


 視界に、赤い破片が散る。陽光を受けてきらきらと煌めく欠片は、地面の上に色を添えた。


 門野は目の前の光景が信じられないとでも言うように、唖然とした顔で固まっている。


「こいつが本物のダイヤモンドだったら、この程度じゃ割れない。残念だったな、こいつはただの硝子で出来た玩具だ」


 佐村は門野に舌を出して見せた。


「せいぜい頑張れよ、連帯保証人」


 門野はその場にへたり込み、虚空を見詰めたまま呆然と動かなくなった。




「結局、硝子の館に隠されていた宝ってなんだったんでしょうね」


 刑事が運転する車の後部座席に座り、景色を眺めながら安来が言う。


 左端に円、真ん中に佐村、右端に安来という妙な構図だ。門野は自力で立ち上がれないほどの精神的ショックを受けたため、状態が心配され救急車で帰途することとなったらしい。


「さぁ? そんなもん最初からなかったんじゃねえか」


 ぞんざいに返す佐村。硝子の館の中で、唯一解けなかった謎がそれだ。


 気にはなったが、もう硝子の館へ来ることは二度とないだろう。


 多くの命が奪われた呪われたあの館は、森の奥深くで眠るべきだ。


 窓の外を通り過ぎて行く景色を見ながら、円は遠い昔に思いを馳せた。


 硝子の館から帰る時、必ず弟の巴が言っていた言葉がある。


『また見付けられなかったね』


 宝探しは、硝子の館へ行った時の円と巴の楽しみのひとつだったのだ。


「また、見付からなかったよ」


「あ?」


「いえ、なんでもないです」


 円は佐村にそう言ってから、遠くなって行く思い出に心の中でさよならを告げた。


 どんなに悲しくてもつらくても、前を向くしかない。

 呼吸をしている限り、人は前にしか進めないように出来ている。


 それに、後ろばかり見ていたら、きっと隣に座っている不良探偵に恫喝されるに決まっているのだから。


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