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「円に、殺人犯の姿を見られたくなかった。どうしても、円にだけは。すべてが終わったら自白するつもりだった。しかし、円の前で罪を暴かれたくなかったんだ。だから犯行が終わるまで、自分の正体を明かされたくなかった。司堂と門野に『後ろめたさ』を与えようと思ったのはそのせいだ。嘘をついた人間は、それを隠すためにさらに嘘で塗り固めようとする。その嘘が真実を覆い隠す。現に佐村君も司堂と門野が嘘を吐いていたせいで、推理が遠回りする結果となっただろう? それでも、俺の思い通りにすべては運んでくれなかったがね。……すまないな、円」
神無木操は静かに謝罪の言葉を口にした。その顔があまりに優しくて、円は込み上げて来るものを押し殺すしかなかった。彼が謝るべきなのは円ではない。そんなことにも気付けない悲しい殺人鬼は、懐かしい微笑を浮かべていた。
「俺はガーデンに自ら喜んで入り、今後起きる事件のアリバイを手に入れた。暇を持て余して辺りをうろついている振りをしながら、人工芝生の下に作っておいた隠し戸から赤い宝石と、司堂の死角になるように鈍器を取り出し、赤い宝石だけが司堂に見えるように、あたかも隠された宝石を発見したかのような演技をした。司堂は椅子から立ち上がり、今にも涎を垂らしそうな勢いで強化硝子に張り付いていたな。数ヶ月前に司堂と門野の耳に入るように流しておいた『硝子の館に隠された赤ダイヤ』の情報が功を奏した。司堂は少し迷いを見せただけで、鉄扉を開けて入って来た。門野に相談しに行かなかったのは、宝石を独り占めするつもりだったんだろうな」
「司堂さんはそんな酷い男じゃないわ……!」
「門野にとって司堂は唯一の男だったかもしれないが、あいつにとっては数多くのキープしている都合のいい女の一人にしか過ぎなかったんだよ、お前は」
門野が愕然とする。信じたくはないが、思い当たる節がいくつもあるのか、何も言い返すことが出来ないまま歯を食いしばって俯いた。
「最後の殺人を遂行するまで、円が俺の前から去って行くまで、それまで俺の正体がばれなければいい。後は警察なりなんなりにつ突き出してもらたって構わなかった。でも、もう演技をする必要もなくなってしまったな。さて、そろそろ終わりにしよう。最後の不幸の権化を殺して、俺も自分自身の不幸を摘み取る」
神無木操がベルトの後ろから取り出したものは拳銃だった。どこで手に入れたのかはわからないが、神無木操ほどの財力があれば簡単に入手できるものだっただろう。もしかしたらレプリカとして飾られていた拳銃のどれかが、やはり本物だったのかもしれない。
銃口が恐怖で動けない門野に向けられ、神無木操が迷わず引きき金に手を掛けた。
「――逃げるなッ!!」
円は叫んでいた。
神無木操や、他の面々が驚いて円の方を見る。だが佐村だけは違った。彼は神無木操の一瞬の隙を突いて、拳銃を持つ手にハイキックを食らわし、床に落ちた拳銃を遠くへ蹴り飛ばす。
今まで逃げていた自分がこんなことを言えた義理ではないが、それでも言わずにはいられなかった。
「気に入らないもの、邪魔なものを壊したって、何かを守ったことにはならないんだよ。守るっていうのは、大切なものが壊れないように戦うことなんだよ。あなたがしたことは、ただ、別の不幸を生み出しただけだ」
目の前の男を、父とは呼べなかった。愛する母を殺し、何人もの人間の命を奪った狂気に取りつかれた男を、もう父と呼ぶことは出来なかった。
「私が弱かったから、あなたは私を、あなたなりの方法で守ろうとした。だけど私がほしかったのは、なんの障害もない世界なんかじゃない。どんな障害が立ち塞がっても乗り越えて行ける強さ、一緒に壁を乗り越えようって励ましてくれる仲間、そういうものを望んでたんだ」
逃げ続けて来た。逃げ続けていた。この先も、逃げ場を求めてもがくだけの人生だと思っていた。
けれどそれが嫌で、なんとか抜け出そうともがくことは、前に進んでいることと同義ではないのか。ここに来て、円はそのことに気付いたのだ。
まだもがく力の残っている円を直視せずに、勝手に舞台だけを整えようとした男のやり方は、やはり間違っている。結局は目の前の男も、思い通りに行かない現実から逃げていただけに過ぎない。
神無木操は膝をつき、俯いて静かに嗚咽を漏らした。円の気持ちを理解できず、何ひとつわかっていなかった自らの不甲斐なさを今さら悔いているのだろう。
佐村がシーツを裂いたもので神無木操を縛り上げるが、彼は一切の抵抗をしなかった。警察が来るまで、神無木操は二の間へ閉じ込めておくことになった。
すべてが終わり、体の力が抜けて行くのを感じた。
門野は何も言わずに床に放り出された巨大な赤ダイヤを手に取って、ガーデンテラスを出て行こうとする。
「何か言うことはないのか。こいつに」
佐村が顎で円を示し、門野に声を掛ける。門野は立ち止まり、それから少し迷ってわずかにこちらに振り向いた。
「謝らないわよ。私は何も悪くないわ」
佐村は円に視線を投げて寄越す。
「いいのか、宝をあいつに取られたままで」
「いらないです、宝なんて。ほしい人が勝手に持って行けばいい」
祖母は宝が原因で大切な息子と自分の命を失った。そんな曰く付きの宝は、誰かが持って行って、なくなってしまえばいい。
「ところで、あの剣を壊しても構わねえか?」
佐村はガーデンの真ん中に立つ銅像が持っている硝子の剣を指差した。
返事をする前に佐村は椅子を持ち上げて、その脚を思い切りスイングし、剣に叩き付ける。硝子が飛び散り、剣の支えをなくした銅像が割れ、ゆっくりとガーデンに倒れた。中には、黄ばんだ白骨が収まっていた。
「お前の爺さんだろ」
「なんで、だってここには何も」
「銅像の空洞音がどうにも気になっていたんだ。ここは山深い場所だが、千単位の警察に加えて探偵が動員されても見付からないなんて、普通はあり得ない。硝子の館へ行くと言って家を出たお前の爺さんは、その時、まったく関係のない場所にいたんじゃないのか。そして警察の捜査が打ち切られ、神無木操が雇った探偵が帰ってから硝子の館へやって来て、宝を守る王となるためにこの銅像の中に自ら入った」
銅像の内側には取っ手が付いており、自力で蓋を閉めることが可能な作りとなっている。硝子の剣が銅像の前面部分――蓋となっている部分の支えになっていたようで、破壊すると蓋が重さに耐え切れずに、ずり落ちてくる仕組みだった。
祖父は言っていた。妻と子供の命を奪ったのは、あの宝だと。悪い心を持つ者の手に渡らないよう、私が王とならなければと。
みんな祖父の頭がおかしくなってしまったのだと口にしたが、祖父は本気だったのだ。
鉄扉に打ち付けられた〈0の庭〉の文字を見て、佐村は言葉を零す。
「オーの庭、かと思ったぜ、最初にこの字を見た時」
なるほど。そういう見方も出来るのか。
円はずっとゼロだと思っていたが、もしかしてこれはローマ字のオーだったのかもしれないと今になって思う。
祖父はゼロの庭――いや〈王の庭〉の守護者となって、ここでずっと悪者を裁く役目を担っていたのだろう。実際には悪を裁いてくれたのは佐村哲という一人の不良探偵だったが。
なぜ『0の庭』という名前になったのか考えて、そういえば祖父の名前が緒之助だったことに思い当たった。いずれ自分が王になることを見越して自らの頭文字を庭の名前として付けたのかもしれない。それが後に見た人間が勘違いしてゼロの庭になってしまった。だとしたら、なんとも滑稽な話だ。




