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今は何時だ。慌てて部屋を飛び出したので、またしてもスマホを置いて来てしまった。和泉の方へ視線を送ると、彼が左手首に付けている時計の文字盤がちらっと見えた。午後七時十五分だった。随分と眠りこけていたのか。磨り硝子越しの空は、茜色に染まっていた。
「司堂は誰に、どうやって殺された?」
顎に手を当てた佐村が、独り言を零す。
和泉には絶対に無理だった。彼は"こちら側からしか開けられない扉の向こうに閉じ込められていた"のだから。
司堂が自分から扉を開けたとも考えづらい。自分が犯人と決め付けて閉じ込めた相手を表に出そうとする理由が何もないからだ。だとすると犯人はこちら側、つまり和泉以外の四人の中にいるということになる。
和泉は門野が犯人だと言っているし、彼女が犯人だと考えると話の筋が通る。
円の視線が気になったのか、門野がぎろりと睨み返してくる。
「まさか私を疑ってるの? 言っとくけどあなたの方が怪しいわよ。倉内未歩を殺したのは神無木円、あなたじゃないの?」
「言っている意味がわかりません」
そもそもこれは同一犯の犯行ではないのか。今の門野の発言は、それぞれの事件の犯人が別人だと言っているも同然だ。
「知らない振りがうまいのね。あなたの父親の神無木操は、倉内未歩の父親に顔を燃やされた過去があるでしょうに」
友人に金を貸してくれと頼まれ、今までに貸した数百万を返してくれないと無理だと断ったところ、顔に酒を掛けられた上で火を付けられたという事件があったことは当然知っていた。
だが円の生まれる前の事件であったし、同級生にやられたということくらいしか知らなかった。
円が物心つく頃には父親の顔は火傷の痕など分からないくらいに完治していたし、過去をわざわざ彫り返そうとも思わなかったのだが……。
その同級生が逮捕されたことは聞いていたが、まさか倉内未歩の父親だったとは思いもしなかった。
なんと返したらいいのかわからず、視線を彷徨わせる。冷たくなった司堂の姿を視界が捉えた。
司堂と門野が共犯で仲間割れをしたと考えるのが一番納得のいく答えではないか。この二日の内に起きた殺人事件が二人のしわざだとする。両親も二人が共謀して殺していたのだとすれば?
ここは神無木家の許可なしには立ち入れない場所とはいえ、常時警備を立てているわけでもない。こっそりここへやって来た二人が両親を殺し、操の友人を名乗って円に手紙を寄越した。話が綺麗にまとまるじゃないか。
「門野、あんたを部屋に閉じ込めておきたいんだが」
「は?」
「自分でも分かってるだろ。自分がどれだけ怪しい立場にいる人間なのか。あんたは三原さんの件でも明らかな嘘をついているよな。犯人である可能性と、犯人から身を守る二つの意味を込めて、自室に軟禁させてもらいたい」
「あれは嘘じゃないって言ってるでしょ! ……ふん、望むところよ。どこにでも閉じ込めたらいいわ」
門野は自分の足で四の間へと引っ込み、内側から鍵を掛けた。個室にはトイレも浴室もあるので食べ物と飲み物さえあれば困ることもないだろう。勝手に出入りが出来ないように廊下に置かれていた棚を寄せて外側からバリケードを作らせてもらった。
「和泉さんはどうしますか? 怪我をされているようなので、出来れば手当てして差し上げたいんですが……」
ガーデンテラスで佐村と顔を見合わせていた安来が心配そうな視線を和泉に向ける。
和泉はバッグから取り出した紙にペンで何かを書いているようだ。硝子越しに見せて来た内容を見て、円は和泉の潔さに感心した。
『犯人がはっきり誰とわかるまでは、鍵を開けないでほしい』
そう書いてあった。
それにしても特徴的な字だなと改めて思う。『鍵』という字が一瞬『金』と『建』という独立した字に見えて少しだけ混乱したほどだ。
「頭の傷は大丈夫ですか?」とジェスチャーすると和泉はその時初めて額が切れていることに気付いたようで「平気だ」と口を動かし、頷いてみせた。
和泉がはめているアナログ時計の針は午後七時四十八分を指していた。皆で話し合っている内に、もうそんなに時間が経ってしまったのか。
あと少し粘れば、ここにも救助が訪れるだろう。だが、佐村はその前に犯人を暴き出したい様子だ。円も、両親を殺し、多くの人間を殺めた犯人に対する怒りを抑えることが出来ない。どこまでも可能な限り佐村に協力しようと決意を固めた。
「さて、最初から事件を洗い直す必要がありそうだ。神無木、手伝え」
「私も手伝います」
そう申し出た安来に、佐村が向ける目は冷たい。
「はっきり言うが、あんたのことを信用する材料が足りない」
きっぱりとした物言いは相手に有無を言わせない力強さがあった。
安来は不安そうな顔のまま、八の間へと入って行った。
「これで、犯人の可能性がある人間はすべて排除できたわけだ。落ち着いて洗い出しが出来るな」
こんな状況で不謹慎かもしれないが、円は佐村哲の助手として選ばれた自分が少しだけ誇らしく思えた。




