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0の庭  作者: 七星ドミノ
27/53

3-4

 頭部は割れて長い髪に血が絡み付き、限界まで見開かれた両目はどろんと濁っている。

 すでに事切れていることは誰の目にも明らかだった。


「未歩さん……っ!」


 安来が両手で口元を覆い、悲鳴のように彼女の名前を呼んだ。当の倉内がそれに応えるわけもなく、場を静寂が占める。安来の両目に見る見る涙が溜まって行く。その後は、声にならなかった。


 佐村が身軽に壁の下半分を乗りこえ、開かずの間へと飛びこんだ。倉内の遺体は壁から四十センチほど離れた床に無造作に転がされていた。


 佐村はなぜか倉内の指先に鼻を近付けている。何か気になることがあったようだ。


「両手の指からクッキーに似たにおいがするな。ここに来る前にまた菓子を食ってたのか?」


 扉として稼働しない位置の間の下半部の壁は一メートルほどの高さがある。百キロ超えの巨体をこの高さまで持ち上げることが可能だろうか。


 彼女をこのままにしておくのは忍びないということで、三原と佐村が二人掛かりで彼女の巨体を持ち上げようと試みたが、なかなか壁の高さほど持ち上がらない。司堂は死体に触りたがらないし、和泉は肩を壊している。安来では力にならないだろうし、円はもっと力にならない。自分の非力さがもどかしかった。


 結局、一メートルの壁を超えることが出来ず、可哀想だが倉内の遺体はそのまま開かずの間に放置されることとなった。幸いここは壁面扉と一の間の扉とで二重に蓋が出来るようになっている。救助が訪れるまでの一日と少しの間であれば、なんとか臭いを軽減することは可能だろう。


 その時、開かずの間を初めてじっくりと見てみるが、驚くほど何もない部屋だった。赤い絨毯に、白い壁。赤い光を放っている天井の卵型ランプ。洋書が詰め込まれた古びた書棚に、飴色の書斎机と椅子。それだけだ。この部屋の何を、こんな大掛かりな仕掛けで隠す必要があったのか。


「とりあえずここを出よう」


 誰かが言った。一の間を出た面々は黙したままだ。


「倉内さんは見付かったの?」


 皆の帰りをいらいらしながら待っていたらしい門野が不躾な質問を投げ掛けて来た。


「殺されてた。開かずの間に無造作に転がされてたよ……くそっ!」


 苛立たし気に三原が言う。


「……開かずの間?」


 倉内の死体が発見されたことよりも、開かずの間の存在の方が門野にとっては興味を惹かれる事柄らしかった。


 それについては司堂に説明を任せ、他の面々は一の間を出た後に再び六の間へと集まった。ベッドの縁や椅子、絨毯の上に各々腰をおろす。佐村は相変わらず壁に背を預けて立つスタイルをやめない。ずっと立ちっぱなしで疲れないのかと心配になって来る。


 和泉は倉内の無残な死体を見てから、ずっと暗い顔で黙ったままだ。彼女に対して恋愛感情があったとは思えないが、それでも一度でも自分を好いてくれた女性を守れなかったという悔恨に苛まれているのかもしれない。


 すぐに司堂と門野の二人もやって来て、皆の話し合いに加わった。


「もう一度、情報を整理してみよう」


 全員の疲弊した顔を見回してから三原が切り出す。


「倉内未歩は頭部の傷から、背後から犯人に襲われ、右側頭部を火掻き棒で何度も執拗に殴打されたことが死因と見られる。そこで気になった点を順番に並べてみようと思う。その一、倉内は犯人にどのように誘導されて一の間へ誘い出されたのか。その二、倉内未歩はなぜなんの抵抗もせずに大人しく犯人に撲殺されたのか。その三、殺害された倉内未歩の死体が発見されたのは開かずの間だった。犯人はなぜあの入り口を知っていたのか? その四、百キロを超える倉内の死体を、犯人はどうやって、なんの目的で開かずの間へと運んだのか? その五、倉内未歩の両手の指にクッキーに似た菓子のにおいが残っていたのはなぜか? さしあたって気になるのはこのくらいだな」


 円は三原が列挙した問題点をメモに書き取った。後で何かの役に立つかもしれない。


 そこで安来が申し訳なさそうに、そろそろと手をあげる。何か発言したいことがあるようだ。


「いたずらに犯人像が決定してしまいそうで言えなかったんですが、未歩さんは和泉さんを諦めると言った後、すでに次の人を決めていたみたいなんです」


「どうして今まで黙っていた?」


「確実にその人が怪しまれるからです」


「人が死んでるんだぞ。そんなところに気を遣ってどうする」


 佐村の正論に、安来は俯いて言いづらそうに口を開いた。


「午後の九時半に私の部屋にやって来た未歩さんは『司堂さんが運命の人だったんだ』って言っていました。何があったのかは知りませんけど、最初は嫌っていたはずの司堂さんに対して好意を持っていたようです」


「へぇ、それはそれは」


 佐村の意味深な視線を受け、司堂は見る間に顔を赤くしてその場に立ち上がった。


「ふざけんなよ! 俺があんなブタ女相手にする訳ないだろ!」


 必死で反論する司堂の顔は、逆に怪しく見える。司堂と門野の二人が何かを隠していることは明らかで、一度彼らに容疑が掛かれば疑う要素は膨れ上がるだろう。安来はそれを懸念していたのだ。


「司堂の呼び出しであれば、一の間だったとしても倉内未歩は喜んですっ飛んで行っただろうな。あれはそういう女だ」


 倉内に関して妙に詳しい知識を持っている様子の三原が断言する。司堂は自分にとって不利な方向に話が向かっていることを感じ取り、焦った様子で門野に助けを求める視線を送った。


「ちょっと待ってちょうだい。重要なことを忘れてるんじゃない、皆? 人を殺すには動機が必要でしょう。彼には倉内を殺す動機なんてないわ」


「そんなものいくらでも隠せるだろ。殺したくて仕方のない相手に笑い掛けることが出来る生き物だぞ、人間ってのは」


 佐村の追及に門野まで顔を赤くし、怒りか焦りか、何かを堪えるように拳を強く握りしめている。


「まあ、俺は現時点で司堂が犯人だとも、あんたと共犯だとも思っていないけどな。もしあんたらが犯人だとしたら、アリバイを作りたがっている行動に反して、自分達が疑われる証拠を残し過ぎだ」


 それを承知で司堂達を追い詰めていたのか。佐村哲という男は相当性格が捻じ曲がっている。


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