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佐村は構わずに先ほどの会話の続きを口にする。
「まあ、俺にもわかりません。とりあえず半々くらいと仮定しましょう。さらに言えば、神無木円が実際に動いたとして、手紙の指示通りにターゲット八人を全員連れてくるかも分からない。途中で神無木円が四人くらいいればいいか、と考える可能性だってありますからね」
「俺だったら、殺したい人間に個別に手紙を送るけどな」
「そうね。私も犯人ならそうするわ。一人一人おびき出して殺した方が確実だもの」
司堂と門野を、三原は厳めしい顔で見やる。
「俺ならそんな怪しい手紙には乗らないぞ。佐村はどうだ?」
「俺も即刻破り捨てますね。依頼主の顔が見えない仕事や誘いは請けないと決めてるんで」
「今回みたいに人の良さそうな女の子に直接依頼を持ち掛けられた方が情が動くってもんだ」
三原と佐村の会話内容はもっともで、円は自分の持ち込んだ依頼がいかに怪しいものだったのかを今になって思い知らされた。
「うーん、わかりませんね。人間は動物よりも複雑です。犯人は計画が頓挫しても構わないと思っていたんでしょうか?」
安来が困り顔で首をひねっている。
「円さんのご両親を殺害して数日前から準備していた犯人が、そこだけ投げやりになるとも考えづらい」
和泉が言うと、佐村はそれに頷いてみせた。
「聞きたいんだが、神無木、どうしてあの手紙を見てここへ八人を連れてこようと思った?」
「やっぱり、昔ここで起きた祖父の失踪事件が大きく関わっていたのかな。当時、硝子の館に行くと言って家を出て行ったきり戻らない祖父のために警察が千人以上動員されたみたいなんです。捜査が打ち切られた後は、父が私的に雇った十数名の探偵による数週間の捜索が続行されました。それでも祖父は見付からなかった。正直今回、八人では足りないかもしれないという不安が私の中にあったんです」
「犯人はその事情をどこかで調べて知っていたのかもな」
「どういうことですか?」
「自殺志願者のお前が、なぜ手紙ひとつで動こうと思ったのか。俺は最初からそれが疑問だった。俺が立てた仮説はこうだ。お前は七月二十三日の午後、父親と最後の会話をしたと言っていたな。『後で掛け直す』その言葉を最後に電話は切られた。お前は父親から連絡が来るのをひと晩待ち続けた。不安は最高潮に高まっていただろう。そこへ届いたのが例の手紙だ。『両親が有事の際には』そう書かれていたよな。もしかしたら客人の世話で忙しくて電話を掛け直すことを忘れ、お前からの電話もたまたま取れなかっただけかもしれないのに、お前はひと晩心配し続け疲弊した思考に『両親が有事の際には』という言葉をすり込まれたせいで『両親に何かとんでもないことが起きている』と自然に思い込んでしまった。親の心配をしている最中、お前の頭の中はそればかりで自分が死にたがっていたことなんて欠片もなかったんじゃないのか。それこそが犯人の使ったマインドコントロールだったとしたら? お前の親父が電話を切る間際に口にした言葉がすでに犯人の用意した台本で、その時、神無木操の背後には犯人がいて、思うままのセリフを言わされていたのだとしたら、どうだろうな」
佐村の仮説が円の耳には酷く信憑性のあるものとして聞こえた。確かに自分には、そのように考えて行動していた節があったのだ。
「この犯人は、何らかの方法で俺達のことを調べ抜いているんじゃないか。どういう言動をするのか、ほぼ完全に読んでいる。優れた探偵並みに、いや本当の探偵かもしれないが、俺達のことを調べ抜き、今後も行動の先を読んでくる可能性がある」
そう佐村は宣言した。
無精髭が生えた口元に手をやって考え込んでいた三原が言葉を零す。
「お前の想像力がたくましいのは分かったが、それにしても解せないのはガーデンテラスでの毒殺未遂騒動だ。あ、いや、一人は未遂ではなかったんだが……あれは、犯人を含めた全員が毒を飲まされたってことだろ?」
「三原さんと安来はほとんど症状がなかったじゃないですか」
「おい佐村、この野郎」
「犯人だけ、あらかじめ解毒剤を飲んでいたとか」
安来が閃いたように口にしたが、円はそれに対して首を横に振って答えた。
「ほとんどの毒には解毒剤というものは存在しないんですよ。蛇や蜘蛛、サソリなんかの毒を微量に他生物に打って、体内で生成された抗体を取り出したものを血清――つまり解毒剤と呼びますが、たとえば青酸カリやヒ素なんかの抗体が取り出せない毒物の解毒剤は作りようがないんです。あの時の状況を考えると、ヒ素中毒に似た症状だったので、犯人が解毒剤を飲んでいた可能性は皆無ですね。ただヒ素だと私達の自然回復もあり得ないので、何か別の毒が用いられたとは思いますが」
「えらく詳しいな」
司堂の疑うような視線を受け流しながら、円は堂々と答えて見せる。佐村に最大の秘密を暴露されたおかげで、何かが吹っ切れ、少なくとも今だけは、この世界に怖いものなど存在しないような気がした。
「これでも製薬会社の社長の娘ですから。偏ってはいますが、ちょっとした知識は持っているつもりです」
和泉が顎に手を当てて、難しい顔で考え込む仕草を見せた。
「しかし、よくよく考えてみると犯人はあの時、全員を殺そうとして失敗した、ということになるのだろうね。それともそう思わせて油断させることが犯人の狙いなのか」
「後でもう一度、百瀬の遺体を確認したい」
佐村の唐突な発言に、三原は困惑とも怪訝とも取れる表情を作った。
「お前、殺人事件なんて扱ったことないだろ。まあ、俺も同じだが……。仏さんを調べて何がわかるってんだ」
「何か証拠が残されてるかもしれないでしょう。おい神無木、この館には外に続く隠し通路みたいなものはあるのか?」
「ありませんよ。出入り口は玄関のみです。開かずの間に続く道はどこかにあるって聞いてますけど、建物の中から外に続くような道はないです。祖父や父が隠していなければ、ですが」
佐村は「ふぅん」と頷いただけで、それ以上は何も言わなかった。
結局話し合いは進展などほとんどないまま終わった。推理や殺人事件のプロがいればもう少し話も違って来たのだろうが、今ここに集まっている面々は、こういった事例を前にしては素人と何も変わらない。
佐村の憶測が正しければ、円は犯人の手の内で踊らされていたことになる。さらに犯人は円達の事情に精通している。そういう犯人像であれば、倉内を巧みに呼び出した手段も持っていたかもしれない。
いずれにしても殺害現場ははっきりとしているのだ。一の間をもう少し重点的に調べる必要があるだろう、と佐村が言って一番最初に六の間を出た。スマホに表示された時刻は午前二時四十分だった。
「私は嫌よ。もうあの部屋へは入りたくないわ。臭いが染みつきそうで耐えられない」
「俺は一応行くが……君はよく平気だな」
まだ円を疑っているような目で司堂はこちらを見た。
両親があんな無残な姿にされたからこそ犯人が許せないのだ。今すぐにでも逃げ出したい気持ちはもちろんある。だがそうすることによって犯人にも逃げ道を用意してしまうことになるのなら、円は怖くても苦しくても、逃げ出す選択をすることは出来ない。
佐村に続いて一の間に踏み込む。気を抜くと吐いてしまいそうになるのをぐっと堪えた。円には、目の前の現実と戦う以外の道は許されてはいないのだ。自分で選んだ道だ。当然じゃないか。
結局、円、佐村、安来、司堂、和泉、三原の六人で再度一の間を調べることになった。一人になるのが心細いのか門野は、一の間の入り口で待っていると言った。犯人がうろついているかもしれない、という考えはもう完全に彼女の中にはないのだ。門野は犯人が円達の内の誰かだと思い込んでいる。そうでなければ、部屋の入口に一人残る選択などしなかっただろう。
背の低い家具。その中でも一番背の高い家具と同じ高さに当たる壁の部分には黄色地に小さな花の絵が描かれた洒落た横板が走っている。佐村はなぜかそこが気になるようで、指でなぞったりしながら重点的に調べていた。しばらくその辺りを調べていたが、腑に落ちないといった顔をしながらも、有用なものは発見できなかったのか、別の場所を調べ始めた。
壁に埋め込まれた鏡。飛び散ったわずかな血痕と、擦り付けられた頭部の痕。
鏡の前にいたはずの倉内はなぜ声を出せなかったのか。抵抗はしなかったのか。たとえば鏡に背中を向けていたとしたら、犯人がそのまま目に映ったはずだ。鏡の方を見ていたなら、背後から迫り来る脅威に当然気付いただろう。何が、倉内の目を曇らせていたというのだ。
「未歩さんが声を出さなかったとしても、多少の物音はしたはずですよね。隣の部屋の司堂さんは気付かなかったのかな」
安来が言葉を零す。口にした後で言ってはいけないことを漏らしてしまったといったように、自分の口元を片手で覆った。
「なんにも聞こえなかったよ、悪いけど」
鏡の辺りを調べていた司堂は、多少イラついたように煙草に火を点けながら言った。司堂のような男であればプラズマライターを使いそうなものだが、取り出したのはガスライターだった。彼のことだから安いからという理由で選んだのだろう。
司堂は腹の立つことがあると煙草を吸う癖があるらしかった。司堂の様子を見ていた佐村の目がわずかに見開かれたので円は少しだけ気になったものの、すぐに別のことに気を取られた。
「この部屋は防音なのかね?」
背後から掛けられた和泉の問いに円は首を横に振って答えた。
「いえ、館のどこにも防音壁は使っていません。大きな音や声を立てれば、隣の部屋や廊下に聞こえるはずです」
「ってことは、やっぱり倉内の嬢ちゃんはほとんど抵抗しなかったということになるな。それとも意外な人物にいきなり頭を殴られて恐怖で声も出せなかったか……」
「この穴って、なんだ?」
壁を調べていた佐村が言った。入り口から見て左奥の隅で、額縁を手にした佐村が首を傾げている。みんなで近付き確認すると、額縁に隠されていた部分に一センチほどの小さな六角形の穴が開いていた。
「何かの鍵穴か?」
佐村の疑問に、安来は何かを閃いたように声をあげた。
「そういえば、ここって間取り的には開かずの間の隣の部屋ですよね! ここに何かを差し込めば、入口がひらくのかな?」
部屋を見回してみても鍵らしいものは見当たらない。
「これ、血じゃないか?」
佐村が示した六角形の穴の縁には赤茶けた何かがわずかに付着している。髪の毛のようなものも数本、穴の周囲に張り付いていた。
円はふと、凶器に使われたと思われる暖炉に立てかけられた火掻き棒を見た。血と髪が絡まった火掻き棒の、九十度に曲がった先端。よくよく見れば六角形の形をしていた。
「きっとこれです」
佐村に顎で促されたので火掻き棒の端を壁に差し込んでみる。ぴったりと嵌った。佐村が角度を調整すると火掻き棒がかちりと固定される音がした。こうして見ると火掻き棒がドアの取っ手のようだ。
そのまま手前に引くと、左側面の壁上半分が軋って動き始めた。円は驚きに目を剥く。なんと壁面の上部全体が開かずの間への扉になっていたのだ。この部屋の家具がすべて低く作られていたのは、壁面扉の開閉の邪魔にならないためだったのである。
扉を開けると自動で電気が付く仕掛けになっていたのか、開かずの間の全貌が円の目にくっきりと映し出される。
「すごい、私も知りませんで……」
円が途中で言葉を区切ったのは、あるものが目に入ったからだった。
――開かずの間の床には、倉内未歩が仰向けに倒れていた。




