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0の庭  作者: 七星ドミノ
24/53

3-1

「佐村さんを呼びに行きましょう」


 円と安来は八の間を通り越し、七の間のドアを少し乱暴にノックした。


「佐村さん、倉内さんがいないんです! 一緒に探してもらえませんか!」


 佐村は眠っていなかったのかすぐに出て来たが、どう見ても機嫌が良さそうではない。半眼の佐村は怖かったが、今はそんなことにかまけている場合ではないのだ。


 佐村は一通りの事情を聞くと、問答無用で倉内の部屋のドアに蹴りを入れた。鍵穴の少し下辺りに体重を掛けて食らわせた一撃は、一発で内開きのドアを蹴破った。


 予想はしていたが、中は無人だった。荷物は置いてあるので一人で館を出たというわけではないようだ。床やベッドの上には特用の菓子袋が散乱しており、どれほどの量を腹に詰め込んだのか想像するのも嫌になるが、それらはすべて空だった。


「全員に声を掛けに行った方がいいな」


 佐村の発言に頷き、円達は全員に声を掛けに行く。効率は悪いが単独行動は危険ということで、ここにいない人物の部屋を三人で順に回ることになった。


 まずは隣室である十の間を使用している和泉だ。何度かノックをすると、慎重に明けられたドアの隙間から和泉が顔を覗かせた。


 こちらの顔ぶれを確認して危険がないと判断したのか「どうしたんだね」と言いながら、和泉はドアを全開にする。和泉は手に『宝島』の原作本を持っていた。英国紳士風の男性だとは思ったが本当に英語に精通しているらしい。


 彼に事情を説明すると、顔付きが険しくなり、すぐにスーツの上着を羽織って部屋から出て来た。


 二の間の司堂は不機嫌そうな顔で「こんな時間になんの用だよ」とドアの隙間から顔を出した。事情を説明しても彼の億劫そうな表情は変わらない。


「倉内がいなくなったって? 食い物でも探しに行ってんじゃないの?」


 よくもこんな緊急事態にそんな笑えない冗談が言えたものだ。


 司堂以外の人間が放つ無言の圧力に気圧されたのか、彼は嫌々といった感じで部屋から出て来た。


 次は三の間の三原だ。ノックをしても反応がなく、全員で顔を見合わせる。まさか、三原までいなくなってしまったのだろうか。


「三原さん!?」


 大きな声で再度ノックをすると部屋の中からかたりと音がして、それから鍵の外れる音がした。三原は寝ていたらしく、半分閉じた目で頭を掻きむしりながら顔を出した。


「どうした」


「倉内さんの姿がどこにも見当たらないんです」


 寝ぼけ眼が見開かれ、三原はすぐに部屋から飛び出して来た。


「全室探したのか?」


 最後に四の間の門野の部屋に向かう途中、三原は少しでも多くの情報を欲しがった。


「しっかり見たのは未歩さんの室内だけです」


「そうか。あんな事件の後だ、急いだ方がいいな」


 こんな状況だからこそ、プロ意識を刺激されたのだろう。現金といえばそれまでだが、三原のような人間が一人いてくれると心強いのは確かだ。


 門野は表情まで司堂とセットなのだろうか。これまた不機嫌そうにドアの隙間から顔を覗かせた。


「ぞろぞろと勢揃いでどうしたのよ?」と迷惑そうな言葉と視線を投げ掛けてくる。


「倉内さんがいなくなってしまったんです」


「ああ、そう。何かあったとしても、こんな状況で一人で出歩く方が悪いのよ」


 耳を疑いたくなるような冷たい言葉を吐いた門野は、驚くべきことにそのままドアを閉めようとした。倉内の捜索には力を貸さないという意思表示だ。この人には、人間の心というものが存在しないのだろうか。


「来たくなきゃ来なくて結構。ただし次にあんたが狙われたとしても、一人を選んだのが悪いんだからな?」


 締まり掛けたドアに爪先を挟んだ佐村が、必死にドアを閉めようとする門野を妨害しながら言葉を吐き捨てた。門野はぴたりと動きを止め、少しだけ迷ってようやく部屋から出て来た。


 皆が集まったのは午前零時十六分だ。いつの間にかすっかり日付けが変わってしまっている。


 男性陣は懐中電灯を持って、館の周囲まで倉内の姿を探しに行ったが、有用なものは何も発見出来なかったようで、十五分ほどで戻って来た。


 その後は館の中を全員で見て回る。百瀬がいなくなったことで空き室となった五の間とガーデンテラスを調べ、なんの痕跡も見当たらなかったため、一の間から時計回りに順番に部屋を見て回ろうということになった。


「自分の部屋を見せるの?」


「拒めば疑われるだけだ。お好きなようにどうぞ」


 門野に対して佐村は異常に冷たい。門野のような心無い人間を心底嫌っていることは明らかだった。


 一の間の前に立ち、気持ちを落ち着ける。この館に到着した時、ここに立ち入るのはそれ以来だ。


 皆も覚悟が必要なのか、ドアノブに手を掛けた三原でさえ、すぐにドアを開けようとしない。開けるぞ、と皆に目で確認を取ってから、口にハンカチを押し当てた三原はゆっくりと一の間のドアを押し開けた。


 むっと凝縮された臭気が押し寄せる。ハンカチ越しでも、頭がくらりとするようなすごい臭いだ。円は出来る限り、母親の遺体には目をやらないようにした。


 室内を見渡す限り、倉内がどこかに隠れている様子はない。


 背の低い家具が壁際に寄せられるようにして設置されている。他の部屋にくらべて随分と簡素な木のベッド。部屋の広さだけは、十一の間と同じで少し幅があり、いく分大きく作られている。円の腰くらいの高さの家具達。壁に家具と同じ高さの横板が伝い、ぐるりと入口のドア枠までを囲っている。横板には繊細な花模様が彫られ色が付けられていた。これが羨ましくて、小さい頃に「どうしてお母さんの部屋にしかお花模様がないの?」と何度も聞いたことがある。母は困ったように笑って、それから「どうしてかしらね」といつも答えを濁した。


 部屋の入り口から見て右に当たる壁際の奥に、キャスター付きの大きなボストンバッグが置いてあった。母はいつも旅行の前日に、目一杯荷物を詰め込んで重たそうに引きずっていた。そんなに持って行くのかと、父が毎回呆れ声を出していたのが懐かしい。母は今、この部屋の床で朽ち掛けている。


「あれは、なんだ?」


 佐村が指差したのは母のボストンバッグが置かれている少し上辺りだった。皆で近付いてみると、右壁に面して設置してある大きな鏡に血痕が飛び散っており、血を擦り付けたような痕も残っている。頭を強打され出血した人間の頭部が鏡に擦りつけられたと考えられる。状況から見て倉内未歩のもので間違いないはずだが、肝心の彼女の姿がどこにも見当たらない。


「そういえば、この部屋にはバスルームはないのか?」


 死体を解体するならバスルーム、とでも思考回路が繋がったのだろうか。司堂は部屋の中を見回しながら円に聞いて来た。


「何十年も前に祖母が自殺したお話はしましたよね。それがこの部屋のバスルームだったそうなんです。祖母の死を嘆いた祖父は、出来るだけ思い出したくないという理由で、この部屋のバスルームだけ潰してしまったんです。母はいつもここへ来た時、父の部屋――十一の間の浴室を利用していました」


 円が話をしている内にも、佐村と三原は室内をくまなく見て回っていた。二人が目を止めたのは暖炉の脇に立て掛けられた火掻き棒だ。元から特徴的な形に曲がっている黒い棒の先には、よく見れば血と髪の毛がこびりついていた。


「あれの中身を確認しても構わないか?」


 佐村が指し示したのは母のボストンバッグだ。普通サイズよりも大きなそれを見て、もしかしたら……、と誰もが思ったに違いない。


 だがそこには母の私物しか入っていなかった。


 倉内を探して彷徨う視線の端に、母の遺体が嫌でも映る。カラスの大群が腐肉をあらかた食い荒らしたおかげ、というのも変な言い方だが、腐臭は昼間ほどは酷くはない。人間が腐敗した臭いは特殊なマスクを付けなければ耐えられるものではないという話を聞いたことがあるが、我慢出来るレベルということは、亡くなって間もなく動物の食事として扱われたせいで、臭いを発する部分が早々に取り払われたせいだろう。


 火掻き棒と鏡に残った血痕から、ここが殺害現場と見て間違いないはずだが、肝心の倉内の死体は一体どこに隠されたのか。彼女はぱっと見でも体重百キロは超えていた。その重量を運ぶとなると、がたいのいい三原でも簡単にとはいかないだろう。


 その後、一の間を一旦退出した面々は、全員の部屋を確認することになった。嫌な顔をする人間もいたが、全員立会いのもと、それぞれの部屋をバスルームまでしっかりと見て回る。やはり倉内の姿はどこにも見当たらなかった。


 手掛かりを求めて犯行現場であろう一の間へと戻って来た時には、時刻は午前一時半を過ぎていた。


「この部屋の家具はどうして全部、背が低いのかしらね」


 他の部屋の家具は天井まで届くものもあるのに、この部屋に揃えられている家具はどれも大人の腰の高さくらいまでしかない。それで門野は不思議に思ったのだろう。


「祖母が揃えたものを今でも使っているみたいですね。質素な生活を好んで、もしもの時のことをよく考える人だったと聞いているので、地震の時に倒れて来ない高さの家具で揃えたのかもしれません」


「ふぅん」


 自分から聞いておいて、門野は気のない返事をした。


 門野は飾り気がないが、そういったものに興味がないのではなく、本当は贅沢三昧で暮らしたいのに現実が追い付かない、といった印象を与える女性だ。高級そうな家具に目が行ったせいで、今の質問が飛び出したのかもしれない。


「倉内はここで殺されたんだよな」


 右側の壁面に埋め込まれた鏡の前で佐村がいった。隣に立っていた和泉が鏡を覗き込み、頷いて見せる。


「だろうね。鏡に飛び散った血痕を見るに、この凶器となった火掻き棒で頭が割れるほど殴られただろうから」


「なんで気付かなかったんだ?」


「え?」


 鏡を覗き込んでいた円は、突然の問いに目を瞬いた。


「鏡だぞ。背後で火掻き棒を振り上げられたりしたら、逃げるか叫ぶかするだろ、普通」


「ああ……そう言われてみればそうですね」


「顔見知りの犯行だったんでしょう?」


 門野は当然というように腕組みして佐村を見た。それを言うならこの場のほとんどの人間が、浅い付き合いとはいえ倉内の顔見知りだ。特に安来和泉と和泉源、この二人であれば倉内は安心して油断したのではないだろうか。


「そもそも、倉内の嬢ちゃんはなんの目的で一の間へ足を踏み入れたんだろうな。誰かに呼び出されたにしても、あれだけ死体を怖がっていた嬢ちゃんがおいそれとここへ来るとは思えない。そういえば和泉さんと倉内の嬢ちゃんが夕方この部屋に入るところを見掛けたんだが……」


「証拠が残されていないか調べに行こうと倉内さんに強引に誘われてね。有用なものは何も見付からなかったがね」


 ガーデンテラスから引きずられるように出て来た和泉の姿を思い出す。


「その時と今とで、家具や物の配置が変わっている場所はあるか?」


 三原に聞かれて和泉はぐるりと室内を見渡した。


「いや、私の記憶にある限りでは何も動かされてはいなと思う。凶器に使われただろう火掻き棒すら元の位置に戻されているね」


 ぐすっと鼻を啜る音がした。背後に目を向けると、安来が赤くなった目元を細い指先で拭っている。


「どうして未歩さんが犯人に狙われなきゃいけなかったの……誰かに恨まれるような人じゃなかったのに」


 また涙が溜まり始めた目を伏せて、彼女は声を震わせた。


「倉内未歩は、目で見たほど平和な生き物じゃないぞ」


 血痕の飛び散った鏡を覗き込みながら、三原が若干低めの声を出す。


「前にストーカー被害に遭っていると、珍しく若い男から依頼を請けたことがあってな。調べてみればストーカーは倉内未歩だった。ちょっと脅してやったら行為自体はやめたんで警察沙汰にはしなかったが、あれは好きになると一途どころか暴走するタイプの危険な女だ。だから俺は和泉さんにも注意を喚起しといたんだよ。倉内に聞こえないようにこっそりとな」


 ふとバスを降りた直後の記憶に思い当たる。あの時、三原が和泉に耳打ちしていたのは多分そのことだったのだ。


 三原はがさつそうで実は気の回る男なのかもしれない。積極的に事件に向き合う姿も、筋肉質な体格と相まって頼もしく見える。


「それに倉内は……いや、やめておくか」


 三原は何かを言いかけてやめた。倉内に関する情報をまだ持っているようだが、おいそれと口に出来ない内容なのだろう。


「これ以上ここにいても答えは出そうにないな。皆で別の場所に移動して話をまとめようじゃないか。急いで探しても……言いづらいが倉内の嬢ちゃんはおそらくもう生きちゃいない」


 誰もが分かっていたことだが、誰も言いたがらなかった事実を三原はいとも簡単に口にした。

 倉内未歩は生きていない。


 つい数時間前まで、明るい笑顔を振りまいていた彼女は、一体どこへ消えてしまったのか。


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