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0の庭  作者: 七星ドミノ
10/53

1-8

 百瀬探偵事務所は立派だった。佐村が言うには先代の探偵が敏腕だっただけで、今の二世――つまり百瀬千代丸はただのボンクラという噂が蔓延っているのだとか。


 洗練されたデザインの広い事務所に入ると、聞いていた百瀬千代丸の特徴と一致する年若い男性が驚いた顔で円を凝視した。


 茶色の癖毛で狐のような細い目をした青年だ。年は円より少し上くらいだろうか。その薄い唇から「神無木、巴……」という言葉が吐き出されたのを円は聞き逃さなかった。


 円と巴は男女では珍しいとされる一卵性双生児だ。性格は違ったが見た目だけなら男女の差を抜きにすれば瓜二つだった。間違えたとしても無理はないが、百瀬は巴とどこで知り合ったのだろうか。


「私は神無木円です。巴は私の亡くなった双子の弟です」


「あ、あぁ。死んだ?」


「はい。一年前に交通事故で」


 なんとも言えない表情で押し黙った百瀬は、円達にソファに座るよう促してから、自分も腰をおろし膝の上で手を組んだ。


「巴君は僕の高校の後輩だったんですよ」


「巴とは仲がよかったんですか?」


「二学年違ったからそんなに接点はありませんでしたけど、巴君は……色々な意味で目立ってましたから」


 互いを遮るように置かれた飴色のテーブルの上にはガラス製の灰皿が乗っていた。わずかに埃が積もっているところを見ると、少なくともこの事務所の主は煙草を吸わないことがわかる。手入れされていない状況から考えて、煙草を吸う客か、嫌煙家であったとしても客自体があまりここを訪れていないことも窺い知れた。


 巴は高校時代ひどいいじめに遭っていた。巴自身は口にしなかったが、毎日体中に痣を作って帰ってくる弟に何もしてやれなかったことが円の後悔のひとつだ。


「巴は学校ではどんな感じでしたか?」


「……いつも笑ってました。でも一度だけ彼が泣いた顔を見たことがあります。口の端に血が滲んでて、ハンカチを差し出したら、ありがとうございますって声を詰まらせて静かに泣き出しちゃって……あの時何かしてあげられてたらよかったんだけど、その後彼が学校に来なくなってしまって、どうしてるのかなってずっと心配してたんですよ。でも、そうか、亡くなっちゃったんだ……」


 円は違和感を感じる。巴を失った事故はかなり大きな事故で、ニュースにもなったのだ。同じ都心に住んでいて、探偵という職業の彼が知らないなどということがあり得るだろうか。


 円を初めて見た時の狼狽した百瀬の顔が、蘇った亡霊に怯える男の顔のように思えて釈然としない。


 場を満たす沈んだ重い空気を追い払うように言葉を紡いだのは佐村だった。


「おい、そんな話をしに来たんじゃないだろうが」


「えっと、彼は?」


 最初から気になっていたのに、聞くタイミングを見いだせなかったのだろう。事務所に入ってから佐村にたびたび視線をやっていた百瀬は、その時になって初めてしっかりと佐村に視線を送った。


「今回の仕事を引き受けてくれる探偵の一人で、佐村哲さんです。なぜか付いてきてしまって」


「それやめろって言っただろ。お前が頼りなさそうだったから保護者代わりに付いてきてやったんだ、ボケが」


 突然、百瀬は顔を紅潮させてその場に立ち上がった。


「さ、佐村哲って、あの〈唯高ゆいこうのサムライ〉!?」


 佐村はげんなりした様子で頷きも否定もしない。佐村だからサムライなのはわかるが、何がそんなに有名なのか百瀬に説明を乞う。ちなみに唯高といえば唯宮ゆいみや高校の略で、巴の通っていた高校でもあるのでそれは聞かずともわかった。


「佐村さんは高校時代、負け知らずの不良だったんですよ。誰とも群れずにいつも一人で多勢を相手に勝ってしまうその姿から〈唯高のサムライ〉と恐れられ、それとは逆に彼に憧れる人間も多かった。僕も佐村さんに憧れて唯高に入った人間の一人なんです」


 なるほど、佐村の柄の悪さは元不良のせいだったのだと、話を聞いて納得がいった。


 百瀬はサインと握手を求めたが佐村はきっぱりと断った。


 その後ようやく依頼の話に移った。意欲に満ちた百瀬は報酬に惹かれたというよりも、手柄を立てることに執着があるように見受けられた。


 そもそも百瀬は金に困っているように見えない。事務所は父親から受け継いだものだとしても立派だし、身に着けているスーツもネクタイも、おそらく外国製だ。


 話を聞き終えた百瀬は、真剣な面持ちで円の目を見据える。


「その仕事、ぜひ請けさせてもらいますよ。絶対にご両親を無事に助け出しましょう」


 真摯さでいえば、これまで会って来た七人の中で彼の熱意が一番本物のような気がした。



「いい人でしたね」


 百瀬の事務所を出て円が言うと佐村は何が気に入らないのか、ふんっと鼻を鳴らした。


「真実ってのは隠されるもんだ。大抵は人間の悪意によってな」


「佐村さんは百瀬さんが悪い人だと思ってるんですか?」


「まともな人間だったら俺に憧れたりしない」


 自分を卑下しているという風ではないが、建前を言ったようにも思えない。ただ佐村という男が変わった人間であることだけは確かだ。


「次、最後は三時十五分にエージェンシー三原で三原明春さんに会う予定です」


「気になったんだが」


「はい」


「待ち合わせ場所と時間を丸暗記してるのか?」


「そうですけど」


「ちなみに、俺を含めた七人との話し合いが終わった時刻は?」


 円は、すらっと秒単位で答えて返す。


「ずっと引きこもって時計ばかり見ていたので、どこにいても時間を気にする癖がついてしまって」


 ふぅんと佐村は頷いて、後は何も言わなかった。


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