316. 良い経験
「お兄ちゃん、部屋が寒い」
男女別で2部屋取った宿の部屋から出てくるなり、ティレスはそう文句を言い放った。いつにも増して仏頂面だ。
「諦めろ。宿なんてそんなものだ」
王侯貴族向けの宿ならいざ知らず、冒険者が泊まるような宿の部屋に満足な防寒対策など期待できない。ティレスには庶民の生活を知る良い機会だろう。
エルンの町までの護衛依頼は数日かかる。王城へ戻るまでを考えると宿には結構な回数泊まることになるだろう。ティレスもいずれ慣れるさ。
何故俺達がエルンの町を目指しているかと言うと、トロールを狩るためだ。
ティレスは魔物を狩るという冒険者の真似事がしたい。しかも攻撃魔術ではなく剣で倒したいのだと言う。しかしティレスの魔力が魔物を遠ざけてしまうため、魔物に追いつけないティレスは魔物を狩ることができない。
そこで耳寄りな情報だ。
ダスターが言うには通常の魔物は大きな魔力を避けるが、南東の森のトロールは逆に寄ってくるらしい。それならティレスにも戦えるに違いない。少々強いらしいが魔王より強いってことはないだろう。
ティレスの耳飾りが張る結界の中から剣を振り回すだけの簡単な作業だ。疲れたら満足するさ。
「水も冷たい。せめてお湯を出してもらえる宿に変えて欲しい。体を拭く用に湯をもらえると聞いていたのに、かろうじて水じゃない程度の温かさしかなかった」
「諦めろ、それが庶民の湯だ」
「どうして? 妖精様のおかげで水はあるのでしょう?」
マジか。心底理解できないという表情だな。
そう言えば戦争の影響で余裕がなかった影響でティレスは教育をほとんど受けられていないのだったか。知識不足を地頭の良さで補ってきたようだが、それ故に所々で常識の抜け落ちがあるようだ。
「レスは馬鹿だなぁ。水があるからと言って、それをお湯にできるかは別問題だ。水を温めるには火がいる。火魔法が使えなければ薪などを使うしかない。町中で薪を用意するには金がかかるんだぞ。魔道具なんてもっての外だ。薪なんて比べ物にならない程高価だからな」
国境警備から王城へ帰還したときは俺も驚いたものだ。妖精の魔道具とやらで夜でも明るくいつも快適な温度。風呂の蛇口をひねると火もないのにお湯が出る。正に至れり尽くせりだったのだから。
ティレスは物心が付いた頃には既に戦時だった。水不足から一転して水もお湯も意のままという生活になったのだから、水さえあればお湯も使いたい放題と勘違いしてもおかしくはないか。
「むぅ」
「はは……、ははは……。じゃ、じゃぁ俺は冒険者ギルドに行こうかと思うんだが、アンタらはどうする?」
あからさまな作り笑いでカドケスがそう訊いてきた。
ティレスの常識の無さから、俺達が一般庶民じゃないことに気付いたようだ。ティレスももうちょっと演技が上手くならないとなぁ。俺を参考にしてさ。
「どうしてギルドに行くのですか? 依頼達成はエルンの町に着いてからでしょう? なら、エルンの町までは冒険者ギルドに行く必要などないと思うのです」
「あー、嬢ちゃん。俺達は今、危険なガルム期に長距離を移動している。少し進んだ先に魔物の群が居たっておかしくない。周辺情報なんてものはいくらあっても足りないくらいなのさ。で、そういった情報を集めるなら地元冒険者に訊くに限る」
「なるほど。勉強になります」
そうして、カドケスがお勧めしていた魔除けの臭い玉を道中購入しつつ冒険者ギルドに行ってみると、王都の冒険者ギルドとは違い閑散としていた。
それに寒い。それが普通なのだが、王都ギルドは妖精の魔道具で常に快適な温度が保たれていたからな。どうしても比べてしまう。
「人がほとんど居ませんね。王都とは大違いです」
「ガルム期のギルド内なんて何処もこんなもんだ。王都ギルドは特別だぞ。あんな快適空間、冒険者じゃなくても居座りたいさ。王都を離れて活動する気なら早めに慣れておくんだな」
「おう、カドケス! なんだお前、ついにパーティーを組んだのか? いつも1人ばっかだったのにな。しかもなんだその姉ちゃん、えらい別嬪じゃねぇか。羨ましいぜ」
ギルド内に居た数少ない冒険者の1人がカドケスに声をかけてきた。
「いやいや、たまたま依頼が被っただけだ。エルンの町までの臨時パーティーだよ。ところで最近魔物の動きとかで変わったことはあったか? ガルム期に入ってからの情報が欲しい」
「んー、まぁ特にないかな。ガルム期と言ってもここはまだ王都に近い。戦争が終わって平和そのものだ。これも妖精様のおかげってな。それよりお前、またエルンの町に戻るんだろ? 魔物よりもそっちの方がキナ臭いって話を聞いた。まぁ、俺よりお前の方が詳しいだろうが……、気を付けろよ?」
「ああ、あの件か。まぁ、関わることはないだろうさ。依頼はただの護衛だ」
その後、他の冒険者やギルド職員からも情報収集したが魔物に関しては普段どおりらしい。
しかし、エルンの町のキナ臭い話ってのが気になる。カドケスにいくら訊いても気にするなの一点張り。話題を変えたいのか単純に気になったからなのか……。
「そんなことよりアンタら、実戦経験はあるのか?」
カドケスはそう問い返してきた。




