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偽聖女として断罪追放された元令嬢は、知らずの森の番人代理として働くことになりました  作者: 石河 翠@11/12「縁談広告。お飾りの妻を募集いたします」


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冬知らずの森のお伽噺

 おはようございます。おやすみなさいませ。

 当たり前のようなこの挨拶を、あと何回あなたに言えるだろう。オリビエは寝台に横たわる死にかけの主人を見ながら、小さくため息を吐いた。


 オリビエは、とある侯爵家の若き当主の介護のために雇われた従僕だ。もちろんそれは仮の姿。オリビエの本来の目的は、この当主の暗殺である。できるだけ疑われないようにするために、薬師の心得を持つ従僕として近づいていたのだが。


「……すでに死にかけている場合、一体どうしたらいいのだ」


 オリビエは自分の置かれた状況に頭を抱えることしかできなかった。



 ***



 オリビエの父は隣国の宰相を務めている。生粋の貴族にもかかわらずオリビエが、さまざまな技能を叩きこまれているのは、その技術を持って国のために働くことを望まれているからに他ならなかった。


「父上。今回は隣国への潜入と聞いておりますが」

「隣国侯爵家の若き当主の命を握るのだ。今年の夏至祭にて、死んでもらう予定だからな。よく覚えておけ」

「承知いたしました」


 なぜ殺す必要があるのか。夏至祭にて殺す理由はなんなのか。一体誰の命令なのか。聞きたいことは山のようにある。けれど、オリビエにはそれを聞くことは許されていない。オリビエに許されていることは、父の命令に黙って従うこと。ただそれだけだ。


 せっかく隣国まで行くのだ。このまま逃げ出してしまいたいと思うことだって、ないわけではない。それでもオリビエは、楽観主義者ではなくひどい現実主義者だった。右も左もわからぬ異国で、多少腕に覚えのあるだけの若造が生きていくことは難しい。


 薬師としての能力は確かにある。それなりに稼ぐことは難しくはないだろう。だが、それだけだ。後ろ盾のない非力な身では、政治的な圧力にも物理的な暴力にも敵わない。ひとりで生きていこうとしたところで、すぐに人さらいに捕まり、売り飛ばされるのが関の山。ろくな目に遭わないだろうということもまた理解していた。だから言われた通りに隣国の侯爵家に潜入したわけだが。


(こんな話は聞いていない)


 オリビエは顔面を引きつらせながら、当主の顔を見る。ある日突然いなくなった幼馴染。大好きだった親友がどうしてこんなところで、こんなことになっているのか。寝台でぐったりとその身を横たえている当主の脈をとった。あまりにも弱弱しく、心臓はいつ止まってもおかしくない。


 枯れ木のようにやせ細った腕をそっと握り、オリビエはベッドのわきに腰を下ろした。


(ああ、わたしはこいつを殺せない)


 涙がこぼれるのを懸命に我慢して、オリビエは薬を作る。夏至祭の前日に殺せと言われたのだから、夏至祭の前日まで生きながらえさせることはなんら命令に反していない。だから、必死で彼の体調を回復させるための薬を作っていた。


「材料が、足りない」


 だが、どうしても足りない薬草があった。それもそのはず。オリビエが作ろうとしているものは、大陸において高値で取引される万能薬。出回ることがないのも、制作工程が難しいだけではなく、そもそも材料が貴重すぎる代物なのだ。


 それでも、オリビエに諦めるつもりなど一切なかった。オリビエは、部屋の中で自分の最も大事な宝物を握りしめると、部屋の鍵を閉めただひたすらに祈りを捧げた。何をとち狂ったのかと周囲の人間には思われたかもしれないが、オリビエは心の底から本気だった。何せオリビエの国には、昔から伝わる有名なお伽噺があるのだ。


 心からの願いを持つ者には、冬知らずの森に住む奇跡の魔術師が手を差し伸べてくれるのだという。どうにもあちこちに様々な伝承があるらしく、「大聖女」だとか「黒の魔女」だとか、「聖獣」だとか「森の番人」だとか、さまざまな話が入り混じる。けれど、どれも「冬知らずの森の奇跡の魔術師」のことを指しているのだろうというのが通説だ。何せ高位の魔術師ときたら、簡単にその見た目さえ変えてしまう。さまざまな見た目の逸話が残っていても、なんら不思議はない。


「ようこそ、おいでくださいました」


 はたと気が付くと、そこは自室ではなく白花の咲きこぼれる深い森の中だった。そこにある小さな屋敷の中から、百合のようにどこか清浄な空気を身にまとった女性と氷の美貌を持つ男が出迎えてくれる。どうやら自分は賭けに勝ったらしい。


「心からの望み」だと判断された意味は考えないようにして、オリビエは小さく微笑んだ。目の前のふたりの人物の家、どちらが奇跡の魔術師かは、いわずもがな。冬知らずの森のお伽噺は、大人から子どもまでよく知っている。


 ――命が惜しくば、魔術師の奥方に懸想してはならない――


 なるほど、目があった瞬間から無言の威圧を受けてオリビエは小さく肩をすくめた。白花のように麗しい顔を綻ばせるのは隣にいる奥方らしき魔術師の前だけということか。けれど、わかりやすい相手は嫌いではない。むしろ好ましい。腹の中の探り合いに疲れていたオリビエにとっては、己の大事な物をはっきりと提示してくれる奇跡の魔術師は非常に公平な人物に見えた。膝をつき、頭を下げ、オリビエは自身の願いを申し出る。



 ***



「リリィ。楽しそうだな」

「ええ。今回の依頼は、大聖女さま……今はダリアさまでしたね。ダリアさまがお喜びになりそうな案件でしたので。無事に依頼が完了したら、お茶会を開きたいと思ったのです」


 客人を居間に残し、お茶の準備にとりかかったリリィに、アルバスが声をかけた。かたかたと屋根裏に入りこんだらしい黒貂(くろてん)が大騒ぎをしている。


「アルバスさま、どうしてそんなに不機嫌なのですか? 扉を開けた時から、ずっと眉間にしわが寄っています。もしや、お客さまとお知り合いなのでしょうか?」

「あのようないけすかない美形に心当たりはないな」

「……あの、アルバスさま。先ほどの方は従僕の格好をされていらっしゃいますが、女性です。薬師をされていらっしゃるということでしたから、動きやすさを優先して男装を選択なさっているのかと。お似合いでしたし、女性に対していけすかない美形などというのは……」

「……悪かった。確かに失礼な態度だった。反省している。謝ってこよう」

「いえ、謝るのも逆に失礼ですし、お茶の準備ができたら態度を改めればよいでしょう」

「承知した」


 態度を豹変させた夫の様子に首を傾げつつ、リリィはお茶菓子を取り出す。ちょうど手元には、きらきらと輝く宝石のような砂糖菓子があるのだ。年頃の少女なのだ、きっと客人も気に入ってくれるだろう。ふわりと甘い紅茶の香りが辺り一面に広がっていく。


「あやつをお茶会に招くのか? どうせいちいち話をせずとも、あの面倒な騎士が情報を持ち帰っているだろうがな」

「それでも、お茶会は楽しいものですから。せっかくですから、王都のパティスリーでお菓子を注文してみましょうか。先日、新商品ができたのだとお知らせをいただいたばかりなのです」

「わざわざ買わずとも、そなたがねだればいくらでも喜んで送ってくるだろうに」

「いけません! 子々孫々にまでたかるなんて。新商品をいち早く教えてもらえるだけで十分。きちんと対価を払うべきなのです」

「なるほど。確かにそうだ。さて、先ほどの相談の対価はいかほどの予定かな」

「それなのですが、少しおまけしてあげることは可能でしょうか」

「その分をそなたが払うというのであれば、異論はない」

「アルバスさま! ちょっと、お待ちください! お客さまがいらっしゃっているのですよ!」


 冬知らずの森の屋敷の中は、いつもどこか甘く騒々しい。



 ***



 雪が解けた冬知らずの森には、美しい夫婦が住んでいる。願い事が叶うかどうかは、客人の心がけ次第。それでも森に辿り着くことができれば、香しいお茶に甘いお菓子、そして悩みごとの相談を請け負ってくれるのだそうだ。


 注意事項はひとつだけ。決して、森の番人の最愛に懸想してはならない。不埒な想いを抱いたら最後、二度と冬知らずの森に足を踏み入れることは叶わないのだから。

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