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偽聖女として断罪追放された元令嬢は、知らずの森の番人代理として働くことになりました  作者: 石河 翠@11/12「縁談広告。お飾りの妻を募集いたします」


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めっきとガラス玉の願い(4)

『お姉さまを助けたいの』

『対価なしでは無理な話ね』


 小さな手を組み、寝台の上で必死にお祈りをしていたら、信じられないほどの美女が幼いエリンジウムの前に現れていた。まるで夜の女王さまみたい。そんなエリンジウムの心の声が聞こえたのか、黒の魔女はうっすらと微笑み、彼女の言葉に耳を傾けた。子どもにもわかるように、かみ砕いて契約について説明する。


『対価?』

『願いを叶えてほしいのなら、代金が必要だってこと』

『あたし、お金持ってない。お父さまならいっぱい持っているけれど』

『魔女の助力は、お金では買えないわ』

『じゃあ、何を渡せばいいの?』


 ぐるりと部屋の中を見回してみる。可愛らしいものがあふれているけれど、黒の魔女が欲しがるようなものがあるとは思えない。困り切ったように眉を下げ、エリンジウムは黒の魔女に問いかけた。


『そうね。お前が持っているものの中で、いっとう大事なものを差し出せるなら願いを叶えてあげる』

『あたしの大事なもの? あたしが一番大事なのはお姉さまよ。でもお姉さまを助けるのに、お姉さまは渡せないわ』

『それにお前の姉はお前のものではないもの。お前が差し出せるのは、お前自身だけ』


 ささやくような魔女の言葉に、エリンジウムは首を傾げる。自分を魔女にあげてしまったら、エリンジウムはどうなってしまうのだろう。消えるのか。死ぬのか。それとも何かエリンジウムだったものが残るのか。


『あたしは、あなたに「あたし」をあげるの?』

『ちょっと違うわね。お前とお前の姉の役割を入れ替えてあげるの。姉が受け取るはずだったものをお前が受け取り、好きに扱えばいいわ』

『それでお姉さまが救われるのなら、あたしはなんだっていい』


 まともな神経をしていれば、絶対に受け入れるはずのない条件。大人であれば、もっと詳細を確認したに違いない契約。けれど、幼いエリンジウムはためらうことなくうなずいた。大好きな異母姉を救えるのならば、なんだって構わなかったから。


『馬鹿な娘ね。半分しか血の繋がっていない異母姉を助けるために、人生を棒に振るつもりなの。もしも願いが叶ったところで、お前は助けた異母姉には愛されない。疎まれ、憎まれる。それでも構わないの?』

『お姉さまに嫌われるのは確かにちょっと寂しいけれど。それでも、あたしはお姉さまを助けたいの。あたしと違って、お姉さまは本物のお姫さまなんだから。幸せにならなくちゃいけないのよ』

『愚かだけれど、一生懸命で一途な子は好きよ。お前の願いを叶えてあげる』

『ありがとう!』

『こちらこそ、暇つぶしに付き合ってくれて感謝するわ』


 魔女というのは、総じて気まぐれ。人間と同じ物差しでは測れない。そう知っていたはずなのに、エリンジウムは黒の魔女と契約をした。その結果、何が起きるのかを本当の意味では理解できないままで。



 ***



 エリンジウムとエリンジウムの母が伯爵家に身を寄せたのは、父の本妻が亡くなってから一年後のことだった。


 幼かったエリンジウムにとって、リリィは完璧なお姫さまだった。本妻だとか妾だとかそんな大人の事情など知らない彼女にとっては、ずっと欲しかった素敵なお姉さまが新しくやってきたようなもの。いつも控えめで、華やかなお誕生日パーティーを開くことさえ望まない穏やかなお姫さま。伯爵家で始まった生活は、楽しい以外の何物でもなかった。


 けれど、どんなときだってエリンジウムをないがしろにすることのないリリィが、絶対にエリンジウムを連れて行ってくれない場所があることにはすぐに気が付いた。父や母にお願いしても言葉を濁し、リリィに対して頭ごなしに叱りつけるばかり。普段は素直なリリィが決して従おうとしない場所には、一体何が存在するのか。


 周囲に甘えたり、怒ったり、脅したり、贈り物をしたりしながら聞き出した情報に、エリンジウムは真っ青になった。まさか自分が別邸で父と母と楽しく暮らしている間に、エリンジウムの母をはじめ、領内の騎士団員がたくさん死ぬような出来事が起きているなんて思ってもいなかったのだ。


 それでも、リリィの母のことについてもっとはやく気が付くべきだった。一夫一妻制であるにもかかわらず、エリンジウムの母が父と再婚できたということは、リリィの母親が死んだからだということに他ならない。何せ一度結婚してしまえば、この国では離縁は認められていないのだから。


 憧れのお姫さまを、自分の存在こそが傷つけていたことに動揺した。その上エリンジウムは、さらに恐ろしい事実に気が付いてしまった。自分の父親が、国に納めるべき税収を横領していることを。そして収入の少ない領地を豊かにし、もろもろの問題を打破するため、正規品ではない魔導具を領地に集めていたことを。


 馬鹿な両親は、痩せた土地を実り豊かな大地に変えるために違法な魔力注入をそこかしこで行っていた。それこそが、かつておきた領内での魔物の大発生の理由だったのである。幼かったエリンジウムが理解できたのは、伯爵家の家令が必死で両親を説得していたからだ。まあ、その諫言は完全に無駄に終わったのだけれども。


 とんでもない事態を引き起こしていたはずの両親は、言い募る家令の必死さを他人事のように笑っていた。愛娘であるエリンジウムが、聞き耳を立てているとも知らないで。リリィの母たちの努力で魔獣の大量発生による被害は最小限に抑えられたが、使用した魔導具の浄化が滞っているらしい。瘴気を溜め込んだ魔導具はリリィの身の回りに配置することで浄化を行っているが、最終的な責任はリリィに取らせる予定になっているのだという。この家の後継ぎとして魔力の高い子どもを産んだ後、リリィを生きたまま魔導具とともに術式に組み込み、この地の礎として固定するつもりだというのだ。


 過去の過ちを悔いるどころか、さらに馬鹿なことを企むとは。その上リリィは、永遠にも近い時間、この土地のために搾取されることになるらしい。死ぬことさえ許されないなんて。自分の親の非道さと、その血を受け継いだことへの嫌悪感におかしくなりそうだった。だからエリンジウムは、黒の魔女を呼び出した。お伽噺で教わった通り、強く願い続けていれば魔女のほうからエリンジウムの前に姿を現してくれた。


 魔女との契約はエリンジウムが思っていたほど便利で万能なものではなかったけれど、大好きな異母姉の人生を救うには十分だった。


 リリィが受け取るべきだった高価な品々は、瘴気まみれだ。「ずるい、ずるい」と言い続けて奪い取っていれば、瘴気の浄化が滞っていく。エリンジウムも自分なりに浄化に励んだが、聖女の素質を持つリリィには及ばない。月日が経つにつれ身体を動かすのさえ億劫になり、それゆえに立ち振る舞いは傲慢に見えるようになったがそれも仕方がないこと。


 瘴気だけうまく引き受けて、綺麗になった領地と伯爵家はリリィに返すつもりだったが、そう都合よくはいかなそうだ。早めに見切りをつけたエリンジウムは、リリィを守るために伯爵家から追い出すことにした。


 神殿に逃がすことでこの家との関係を切り離すことはできたが、リリィの不在により魔導具の瘴気の濃度はさらに急速に濃くなっていく。貴族籍を抜けても、神殿にいる限りは還俗できる。だからもっと特別な理由をつけて、絶対に手の届かない場所に逃げてもらわなくてはいけない。


 乱暴だけれど一番簡単な方法は、リリィを神殿から追放させることだ。神殿追放という大きすぎる瑕疵があれば、リリィは伯爵家に帰ってこれないだろう。黒の魔女にそっくりな大聖女は、きっとエリンジウムの思惑を見抜いている。だから、自分のような下賤な人間の言葉に耳を傾けたのだ。


 あとはアッシュをこの家から逃がすだけ。エリンジウムの心配ばかりする彼に、「気に病む必要はないのだ」と秘密を打ち明けたところ、彼が何の手続きもする間もなく屋敷を飛び出してしまうとはさすがに思っていなかったのだけれど。



 ***



 エリンジウムにとってリリィが本物のお姫さまなら、アッシュもまた本物の王子さまだった。彼は成り上がりだということを気にしていたけれど、しっかりとした教育を受けた物腰の柔らかい美青年に、エリンジウムは目が離せなくなってしまう。


(でも、この方はお姉さまの婚約者。本当ならば、お姉さまが受け取るべきだった愛情を、黒の魔女さまの力であたしに与えてくださっているだけ)


 アッシュはエリンジウムに恋をしているように見える。でもそれは、本来リリィに向けられるべき好意なのだ。だから愛情を向けられれば向けられるほど、エリンジウムは苦しくなる。どんなに役割を交換したところで、偽物は本物にはなれない。


 その上、自分はそれでもアッシュに好意を向けられることを嬉しく思ってしまうのだ。あさましくも泥棒のような真似をしておいて、その上、伯爵家の問題に巻き込むわけにはいかない。このひとには、幸せになってほしい。そう思ったからこそ、真実を話した。軽蔑されることを覚悟した上で。


 だから彼が屋敷を出て行ったことを喜ぶべきなのに、エリンジウムは心に穴が空いたかのように動けずにいる。いつまで待てば、正式な婚約破棄の通知がくるのだろう。大事なひとは、リリィもアッシュもいなくなってしまった。それならもうこれ以上、努力をする必要はない。このまま両親と一緒に魔導具ごと消滅してしまおうか。この命だけでなく、生まれ変わるための魂まで全部差し出せば三人分でこと足りるのだ。


 そう思い詰めていたはずなのに、どうして目の前には愛する婚約者がいるのだろう。まるで長旅でもしてきたかのように疲れがにじんでいるのに、その瞳には不思議なほどの希望が溢れている。


「どうして戻ってきたの? この間も言ったでしょう。あたしはガラス玉。見てくれだけは美しいけれど、本当は何の価値もない紛い物の令嬢よ。あたしにできることといったら、この家がとるべき責任を負うことだけ」

「それでも俺は、君が好きなんだ。一緒に死んでもいいって思うくらいに、君が好きだ。ああ、安心してくれ。この腕輪があればなんとかなるらしいから」

「それはお姉さまの。まさか、お姉さまに何かあったの?」

「いや、まさか。君が守ってきたのに、そんなことあるはずがないだろう? これは相談に行った際に、こころよく譲ってもらえてね」


 屋敷にいた頃からリリィを守っていた腕輪は、今まで感じたことのないほどの聖なる力に満ちている。エリンジウムはそれを恐々と受け取りながら、熱弁をふるうアッシュを見つめた。


「それに君がガラス玉のご令嬢なら、金の力だけで成り上がり、何かあればすぐにぼろが出る俺はめっきの令息だ。金の台座にガラス玉や、金めっきに高価な宝玉はひどい詐欺だと思うけれど、ガラス玉にめっきの指輪ならぴったりはまると思わないかい?」

「何それ。つまりは割れ鍋に綴じ蓋ってこと?」


 君は世界にひとつだけの宝石だよなんて言わないアッシュが好きだ。嘘つきで、何にも上手にできないエリンジウムのことを支えてくれるアッシュ。彼の恋心は本来リリィのものだとちゃんと伝えたはずなのに、彼はそれを認めようとはしない。エリンジウムなんかを選ぶより、リリィを選んだ方が幸せになれるのに、それでも隣にいてくれることがどうしようもなく嬉しい。


「馬鹿なひと。それはただの勘違いだって言ってるじゃない」


 黒の魔女は、こんな気持ちだったのかと少しだけ懐かしくなる。


「知らずの森の聖獣に何かを差し出したときに、一瞬妙に冷静になったんだ。でも俺の君への想いは、そんなことでは消えてなくならなかった。その証拠に、俺は帰ってきただろう? 大丈夫、君が死ぬ必要はない。もちろん、君の大事なリリィも。本物の宝玉と金の指輪はそりゃあ尊いけれど、めっきとガラス玉の指輪も悪くはないよ。どんな時でもそれなりの見た目をしているし、本物よりもずっと汚れと傷に強い。俺たちは俺たちなりに幸せになれるさ」


 今までは受け入れられなかったはずなのに、どうしてだか今は素直にアッシュの告白が心にしみてくる。ぽろぽろと涙をこぼしながら、エリンジウムは心のままにアッシュに抱き着いた。



 ***



「願いを叶える対価として、アッシュから受け取ったものは一体何だったのですか?」


 客人がいなくなった部屋の中で、リリィが白狼に尋ねる。けれど白狼は何とも渋い顔をしながら、身体を大きく震わせた。どうにもはぐらかされそうな予感がして、リリィはそっと白狼の前足を握りしめた。


「聖獣さま?」

「恋心だ」

「……恋心ですか?」

「安い対価だと思ったか?」


 一瞬黙り込んだのを対価を安く見積もったと思ったらしい白狼が、じっとリリィを見上げてくる。白狼がリリィを見つめる瞳は、とても優しい。大切に思ってくれていることがよくわかる。そしてこのような真摯な瞳をリリィは知っている。アッシュがリリィの異母妹であるエリンジウムを見ている時の眼差しだ。


「いいえ。ただそのような形のない物を、対価として支払うことができるのがどうしても不思議で」

「本来ならば、このような物を喜んで受け取るのは黒の魔女なのだがな。わたしは不得意だが、そなたの異母妹が黒の魔女に差し出した対価があったゆえ、合わせることができた」


 エリンジウムは、何を差し出したのですか。そう聞こうとして、リリィはその疑問を飲み込んだ。聞いたところで、どうなると言うのだ。先ほどアッシュに詳細を聞かなかった自分には、聞く権利はない。


 白狼は耳をかくと、身体を大きく震わせた。


「黒の魔女は、そういうえげつない契約を時々行うのだ。わざと誤解を生む言い方もする。結果的に良い方向に進むことも多いが、嫌いな相手を嵌めることも少なくない。その分、魔術の法則や運命を恣意的に捻じ曲げることも得意なのだが」


 黒の魔女が予想通り大聖女だったとして、彼女は一体何のためにひとの願いを叶えているのか。わからないことだらけだ。


 アッシュは、エリンジウムがリリィのことを何より大切にしていると言っていた。そのことを今さらながらにリリィは思い出す。


 恋心を失ったアッシュがエリンジウムとどんな会話をするのか、今のリリィには想像もできない。それでも、あれほどの熱量を持つアッシュの恋が、いつか報われてほしい気もする。


(恋心を奪われたところで、出会った瞬間にまた恋に落ちることもあるかもしれないわね)


 あまり良い思い出がないはずなのに、なぜかそう思えてしまうのは、この森でさまざまなひとの恋の手助けをしてきたからなのだろう。


「それで先ほどの腕輪の件について、教えてもらえますか?」

「慌てずとも、どうせすぐにわかる」

「聖獣さま!」


 けれど白狼は静かに目を閉じ、それきり口を開こうとはしなかった。

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