歳をとるとエルフが人の欲の浅はかさを語り、ドワーフはいつまでも頑固爺な理由が解るような気がする
最近は昔すごく楽しかったことをやっても全く面白くないことが多くなった。
コンシューマーゲームやソーシャルゲーム、ブラウザゲームはかろうじてしてDSや3DSのスパロボを電車での移動中に暇つぶしでやるくらいで、昔はゲームのために睡眠時間けずって遊んでいたり、艦これのために課金していたのはなんでだろうとすら思う。
最近はソシャゲやブラウザゲームは新しいゲームに登録してもすぐ飽きてしまう。
システムに目新しさを感じられなくなったのだろう。
システム的には特に目新しさのないスパロボが暇つぶしに使える理由はよくわからないが。
パソコンのスペックアップのためにメモリーを載せたりI76コアのCPUに載せ替えたり、グラボを積んだりして性能を上げてみることが楽しかった時期もあったが現状ではI5のノートパソコンで十分だったりする。
と言うかなろうを利用するだけならコア2DUOでも十分で、ニコニコ動画を見るにしてもそこまで高い性能は必要なかったが。
商業ラノベも昔は新刊の発売日に書店へ行ってタイトルを確認するのがとても楽しみだったのに今では昔好きだったシリーズを手にとっても買う気がしない。
音楽を聞いてもアニメを見ても何かいまいち盛り上がらない。
楽しいことというのは唐突に飽きるものではあるが最近は特にその傾向が強くなった気がする。
こうなるとファンタジーのエルフなどは長い間生きすぎていて厭世的になる理由もわかるようなきがする。
彼等は何をしても過去に似たようなことがあって脳が楽しいと認識しないのだろう、退屈や暇は無味無臭の劇毒だというが何をしていても楽しめないのは実際に自分がなってみるとこれは確かに辛い。
500年生きている鮫は実際実在するが、人間のような感情を持っていて1000年も生きていれば長生きするのにも嫌になるのではなかろうか。
最後の砦であるなろうでの読み書きという楽しみに飽きがこないことを真剣に祈りたい気分である。
でもドワーフも長生きしても退屈は感じなさそうなのは彼等が職人であり、クリエイターであり、求道者だからなのだろうなとも思う。
何かを作り出すという作業はなかなかあきたりはしないのだろう。
そのモチベーションの源泉にもよるのだろうけど。




