承認欲求とか社会的評価を得たいという欲に引きずられすぎないほうが生きていく上で楽だと思うよ
さてさて、古くはニコニコ動画の歌ってみたや踊ってみた、最近ではユーチューバーやなろう書籍作家などネットでのSNSや配信ツールの発達と、パソコンではなくスマホやタブレットの普及とそれによるネット利用者の広がりによって「誰でも有名人になれ場合によってはそれで金持ちになれる機会がふえたわけですが、ある意味当然ながらその機会が平等でもほとんどの人には一発で大人気のニコニコの投稿者になれたり、大人気ユーチューバーとして大金を稼げたり、なろうで書籍化してお金持ちになれるわけではありません。
最近はなろうの書籍化作品が増えすぎて書籍化されていても作品の名前が知られているとは限らない気もします。
そしてニコニコにしてもなろうにしてもランキングに入れるような作品や製作者の影にはポイントの全くつかない作品が沢山あるわけです。
またミクシーにせよツイッターにせよフェイスブックにせよ有名であればフォロワーはほっといても増えますが、何も持ってない人はツイッターで呟いても何も反応がなかったりしますし中々フォロワーも増えません。
ツイッターでつぶやいても反応がないのはなかなか切ないものはありますね。
最もツイッターは公然と独り言をつぶやく場所ではあるんですけど。
世の中にはSNSカーストなる言葉すらあるようです。
ただそれだから自分は評価されない人間なのだと思うことはないと私は思います。
ついでに自己の幸福の基準や自己の肯定に社会的評価や他者との比較は必要はまったくないと思うのですね。
検索でなろうの作品を漁ってる時にきっと”この作品を書き上げて投稿した時にはポイントやブクマがいっぱい付くと思って書いたんだろうけど反応がなくてやめちゃったんだろうな”という作品を見るととてももったいなく思えます。
プロローグは面白そうなのにと思っても続きが書かれることはもう多分ないのだろうなと思うからです。
実際ポイントが低くても面白いと思う作品はいっぱいあると私は思うのです。
私の好みの傾向が一般的ではないという可能性もありますけど。
例えばなろうでは書籍化している>していないの壁とか細かいところで言えば
劇場化>アニメ化>コミカライズ>書籍化>(越えられない壁)>十万ポイント以上>一万ポイント以上>ブックマーク100以下みたいなカーストがあると言われてますね。
総合ランキング2位だけど書籍化してない作品があるとか書籍化したけど爆死で書籍もWEBもエタってしまった作品も有ったりで必ずしもこの通りではないとも思いますけど。
とはいえ自己肯定や自己評価にはそういった上の存在と自分や自分の作品を比較したりする必要はないと思うのです。
「もっとポイントを得られれれば社会に認められる」
「社会に認められれば金とか異性との縁が得られる」
「そうすればきっと幸せに違いない」
はたしてそうなのでしょうか?
結局はどこかの時点で満足できなければいつまでも承認欲求は消せないでしょう。
たとえば一般にみとめられるという基準を
「劇場化されて一般人でも名前が知られるくらいになる」
といった条件だと”君の膵臓を食べたい”くらいしか該当するのは見当たらないですがほとんど無理じゃないでしょうか。
そして10年前にはアニメ化したラノベ作家でも現在では新作が出せなかったり売れずにいて困ってる人も結構いるっぽいです。
まあそれは極端だったとしても「自分が持つ願望が実現したとしてその状態に満足できなければその上を延々と目指すことになる」と言うのは辛いもんじゃないかな?。
無論それがわかってる上で上を目指すのは良いことだとも思いますけど。
「宇宙飛行士になりたい」
といったところで大抵は
「馬鹿かなれるわけねえだろ」
と言われるでしょう。
でも日本人で宇宙飛行士になれてる人は結構いますね。
夢を叶えられたというのは素敵なことだと思います。
とはいえ個人的にテンプレを使って高いポイントを得たいのだろうなという流行りに合わせたなろうの高ポイント作品を読むと資生堂のHPで連載されている”ダルちゃん”というマンガの本当の精神性や姿を偽って「人間社会」に擬態しながら溶け込もうとするダルダル星人のダルちゃんを思い浮かべてしまいます。
私などは”別に周りに合わせる必要ないしなー”と思っていたりしますが。




