小説を書くのに必要なのは実体験そのものではないと思う
さて、作家は自分の体験したことしか書けない。 のでしょうか。
私はそうは思いませんし、もしそうならば、
未だ存在しない人型ロボSFは誰にも書けない
ゾンビが発生しなければゾンビパニックは書けない
歴史物はタイムマシンを開発しないと書けない
悪役令嬢にならないと婚約破棄は書けない
大富豪に見初められないとハーレクイン・ロマンスは書けない
デスゲームに参加しないとデスゲーム物は書けない
恋愛経験がなければ恋愛小説を書けない
性的経験がない人はえっちな小説も同人イラストも描けない
まあそんなことはないですよね。
実際に異世界に行くことはできないのに、なろうではそのジャンルが一番人気で書かれてるわけで。
もちろんこういった作品にリアリティがちゃんとあるかどうかはまた別ですし、ウソというのはある程度の真実を混ぜ込むほうが騙しやすいわけで、リアリティに対しての考察をすることもある程度必要でしょう。
かといって小説を書くには妄想力だけが大事で実体験など全く必要なしかというと、そういう訳でもないわけで。
実際には実体験をしているがいろいろな要因で自分の願望が満たされないこと、例えば金がほしい、異性にもてたい、嫌な奴に頭を下げたくない、などに対してそれを想像でも達成するにはどうすればいいのかという情報や知識の範囲内のことしか書けないということだと思います。
まあ、なろう現代恋愛が最終的に主人公は大した努力はしないけど、何故か美少女に惚れられて、迫られるばかりになるのもあれではありますが。
昔に投稿したエッセイにも書きましたが、剣道や柔道などを実際にやってみれば、同じような長さの武器を持ってる相手や、同じくらいの身長体重の相手に、剣を打ち込んだり投げようとしたりというのは肉体能力やセンス、経験などに差がないと簡単ではないのです。
ですが、恋愛を経験済みの作者が書いた作品の方が読者の欲望を満たすための文章をうまく書けるかどうかというと、必ずしもそうでもないと思います。
そもそも物語にリアリティをどれだけ持ち込んだほうがいいのかというのは微妙なところです。
じっと向き合って相手のスキを伺いつつ、お互いに目線は外さないながらも、長い間微動だにせず間合いを計っている剣豪同士の闘いというのも渋いですが、そういうのがなろうで読みたいという人は少ないでしょうし。
なぜ異世界ものがよく使われるのかと言えば法律や物理化学法則などが現実に即しておらずそれが適当でも”異世界だから””魔法だから”の一言ですむからでしょうしね。




