天才には二種類いてそれはセンス型と努力型だが名前がのこるのは実は努力型だと思う
さて、天才というと一般的には大して努力、練習とか勉強とかに時間を使わないでもすぐ上手にできるようになる人という感じがしますが、これは本当の天才とはちょっと違う気がします。
センスタイプはなんでも簡単にできてしまうので、それに対する楽しさを見つけられないとが多い気がしますし。
たとえばトーマス・エジソンは、電球を発明するまでに、いろいろな素材を試しましたが、その結果一万回も失敗を繰り返したと言われていますが、それで”一万回も失敗したそうですが、苦労されましたね”と記者に言われた時、エジソンは”別に失敗ではない、これは成功に至る方法を一万通りだけ試しただけだ”といったようです。
また、アルベルト・アインシュタインは、インタビューのときにで光速度の数値を答えられずに記者からそれをツッこまれると「本やノートに書いてあることをどうして常に憶えておかなければならないのかね?」といったり、弟子に「今回の実験は失敗でしたね」と言われると「この方法ではうまくいかないことが分かったのだから、この実験は成功だよ」と答えたりしています。
レオナルド・ダ・ヴィンチも完成しない画家と呼ばれ、それは新しい技法などを常にチャレンジし続けた結果だったようです。
フレミングのペニシリンの発見、ジョン・バーディーンとウォルター・ブラッテンのトランジスタの発明の成功、チャールズ・グッドイヤーのゴムの加硫法、スペンサー・シルバーの良くつかない糊による付箋の発明などはどれも失敗から見つかったものです。
エジソンはこう言ったそうです。
”私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、つねにもう一回だけ試して失敗しない方法をみつけることだ、そして成功するすべての可能性を使いきってしまったと思ったら、 まだ可能性は使い切ってないと思い出すことが大事だ”と言っているそうです。
そして発明家として成功しない人の特徴として
1. 発明までのプロセスを記録しない
2. 発明を具現化しない
3. おいしいところだけ受け取れると思っている
4. 特定の発明に固執し過ぎる
5. 公開を急ぎすぎる
6. 既に発明されている車輪の再発明だった
7. 特許を取得するかしないか、それが問題だ
8. 駄目な特許を取得してしまう
9. 一点の発明に集中しすぎ
とのことですがこれ小説の執筆や創作にも結構当てはまるように思います。
本当の天才とは失敗をしてもそれを教訓として生かして、新たな違う方法を模索し続けられる人ではないでしょうか。
とは言え人間は、趣味で行う辛いことは絶対に続かないので、失敗したことはまだ成功というゴールにたどり着いてしてないからゴールにたどり着けるまで楽しめる、そしていずれ成功したらどんなになるのかなと楽観的な妄想をもって気楽に行い、 まず何らかの行動は辛く苦しいことを続けているのだからその分報われるはずという考えを変えないと、その行為自体が楽しく継続できる人には追いつけないのではないかなと。
筋トレもそうですし小説を書くのもそう。
努力とは、階段を一歩一歩上っていくようなものではなく、眼の前のたくさんある扉の中の正解をどうやって見つけ先に進むかで、大抵はどこかで一気に進むものだというものなのでしょう。
ああ、とは言え筋トレは地味な積み重ねが大事ですけど、結果が出ないからとすぐ諦めては駄目なのでは無いかなと。
自分がたのしみながら続けられるものを見つけられ、意図的な努力などしなくてもそれを継続し続けられるもので、正解が見えるまでつそれをづけられるというのは強みなのでしょうね。
そして成功しないならその理由はなにかというのをちゃんと確かめ、同じことを繰り返さないのも大事なのでしょう。
ちなみにエジソンは
「生またばかりの赤ちゃんの頭脳にはリトルピープル(神とか妖精とか地球外生物とかの意味)が住みやすい構造になっている。このリトルピープルが人間をコントロールしているのだが、大人になるとこの声が聞こえなくなるのだ。しかし、この1%のひらめき(リトルピープルのささやき)を感じとることができれば、99パーセントの無駄な努力をしなくとも大丈夫なのさ。」
といっていますが結局彼は失敗を繰り返しているもの事実です。
失敗していても、それはただの失敗ではなく、なぜ失敗し同じ失敗は繰り返さないようにしないと、いくら失敗を繰り返しても意味がないといのは事実ですね。
このあたりや野球の森監督や野村監督なども同じようなことを言っています。
そして凡人は天才になれないというより大抵の人は自分ができること、むいていること自分が好きなことがいまいち一致しないのではないかと思います。
”好きこそ物の上手なれ”最近書籍化している人達を見て私はなんとなくそう思ったのでした。




