あまり書くのが難しそうに見えない”これなら自分でも書ける”という作品があるのは書き手を増やすには大事
さて、なろうテンプレ的な作品は”これなら俺だって書けるわ”みたいに言われることが多いですが、これって実は”書き手”を増やすためには重要だと思います。
私はTRPGのオンオフセッションのGMやプレイヤー、PBWの運営やプレイヤーをやってきた期間は長いですし、小説は中学校の頃のコバルトや銀河英雄伝説から読んでいたのでそちらも長いですが、小説を書き始めたのは割と最近です。
最初に書くきっかけになったのは、おそらくエヴァンゲリオンのPBWサイトに参加した時に見つけた、2010年頃にエヴァンゲリオンの二次創作のSSが集まっているサイトの作品をよんで、同じようなものを書き始めたことからですが、それ自体は長編を書ききれず、エタってそこで一旦物書きからは離れました。
ああ、でもここで逆行転生で本来の失敗についての原因などを知っておいて、それを回避するとか、テレビアニメの本筋の話を大きくかえないで、でもどうやって他の作品と違うように見せるかということについて考えるといういいきっかけになったと思います。
で、3年くらい前、多分魔法科高校の劣等生を読んでなろうををしって、作品を読んでいるうちにやはり自分でも書きたくなったのですが、巴御前の話や遊女の話自体は、風俗の女子待機室にたくさんあったレディコミの中のマンガを読んだ影響がでかかった気がします。
まあもともと横山三国志を高校の時に全巻買ったり、やはり高校の時にMSXの三国志にハマっていたくらいには歴史物も好きだったんですけどね。
でまあ、読むのが専門の読者にとっては誰でもでもかけそうな平凡な話というのは、あまり読む意味はなさそうに思えるのかもしれませんが、書き手を増やすにはこれ大事なんだと思います。
有名な歴史小説家と同じ程度に考証をした内容の作品をかけないとだめであればかなりハードルが上がりますが、なろうのテンプレ的歴史小説を書くなら自分でもなんとかなりそうというのは書き手を増やすにはだいぶ良いことだと思うのですね。
自分でも同じものが書ける、自分ならもっとうまく書けると思える、というのは書き手を増やすのにはかなり大事なのだと思います。
Arcadiaとなろうが逆転したのは、もし新しく作品を書くならどっちの作者になりたいかという状況を考えればなろうが逆転するのが当然だったのでしょう。
最近は新規WEB小説投降サイトが増えて来ていますが、書き手が書きたいと思えると同時に読者が面白い作品を探しやすいとも思わせることのバランスをとるのが大事だと思うのですね。
Arcadiaのように書き手のハードルばかりあげても駄目、マグネットのように作者を投銭で呼ぼうとしても読者が面白そうな作品を探しづらく結局作者も投銭が得られなくては駄目。
なろうのバランスがパーフェクトというわけではないものの、今でもバランスは良い方なのではないかと思います。




